NEKO-TSU:2000年8月の「昨日まで」。


漢。
8/1
昔ハウス食品系のアニメで、「よかった探し」なるものをやっていた。多分「愛・少 女ポ○ア○ナ」とか言った、一歩間違えればロリータポ○ノみたいなタイトルの作品だったと思う。ともかくその「よかった探し」。平凡な日常の中で、毎日なにがしか の「よかったこと」を発見するのが目標なのだ。大体こういうアニメの主人公は不幸な生い立ちだったり、貧しい生活を強いられていたりするので、そんな中でも前向きに生きようという心が視聴者の涙を誘ったものだろう。
それに倣って、ねこぞうもひとつ始めてみることにした。しかし全く同じに「よかったこと」を探すのでは芸がない。何かないかと考えたとき、今取り組んでいる新しい仕事に思い当たった。そうだ。趣味と実益をかねて、さらに季節も夏であることだし、これにしよう!
2000年夏版・ねこぞうの「怖かった探し」。……どちらかというとハウス食品系というよりは「悪魔くんの千年王国」みたいな雰囲気である。 しかし一日の充実度を増し、さらに仕事の役にも立つというのは素晴らしい。さっそく「怖いこと」を考えてみることにした。
怖いこと。ううん、洗面所で顔を洗ってるとき、鏡に何が映ってるか考えると怖いな。いきなり電話のベルが一回だけ鳴って切れたりとか。これもなかなか。寝てるときに天井から誰か見下ろしてたり。アパートの廊下を、足音が近づいてきて自分の部屋の前で止まったり……。あんなこととかそんなこととか。うわ、怖ーっ。

※その夜、ねこぞうの部屋から電気が消えることはありませんでした。

8/4
人類には悪魔の兵器を備えたものが時々生まれる。
この間そういう人の一人に会った。始めて会ったとき、その男はねこの隣に腰掛けて いたのだが。話を聴いていると、どうもくさい。怪しいとかうさんくさいとかそうい うことじゃなく、とりあえず臭い。 それが腋臭(ワキガ)だったと気付いたのは、男が立ち去った後のことである。 その時はそれだけだった。まだ季節は水ぬるむ春先だったので、この程度で済んだのだろう。
それから数ヶ月。暑い夏の盛りに、またその男と会うことがあった。外は三十度を悠に超える気温、そこを歩いてきた彼は当然いくらか汗をかいている。――――本能が、危険を告げていた。
どうにか向かい合わせに腰掛けて、挨拶を交わすところから始まる。にこやかな社交辞令は特にあの香りを思い出させるものでなく、いくらか安心感を覚えた。そして本題に入る。
かなり込み入った話を、彼は続けていた。ああだこうだと説明を繰り返し、こちらに理解させようとするのだが、いかんせんうまい言葉が見つからない。白熱した彼の説明には、 いつしかボディ・ランゲージが加わり始めていた。
腕を大きく振って彼は声を上げ る。
「ですからっ、どうしてもこうなるわけなんですよ!」
その瞬間、風が、吹いた。

悪魔の兵器。その効力を身をもって体感した日であった。


8/7
ひとつの時代が終焉を迎えるというのはことさら珍しいことではない。さらにそれが若き日々、青春という時代であれば尚更だ。 満員電車で足を踏まれながら、寝起きのねこぞうの思考はそこまで飛んでいた。
どういうわけかというと、朝8時前の限界まで詰め込まれた電車の中を想像して頂きたい。これほど他人と他人がひしめき合う場所を他に一カ所だけ知っている。ライブハウス。それもけっこう激しい系のライブの時である。ねこが好きなバンドはいわゆるヴィジュアル系というやつで、かなりハードなナンバーが多かった。しかもメンバーが奇麗に着飾ってさながらデルモ状態で登場する。俄然、会場は熱狂に陥り、ステージ前から後方約三分の一ぐらいまですごいことになるのだ。その直中を泳いでいた時と、この満員電車というのは酷似している。
しかしこの二つの間には違いがあって、例えば電車で足を踏まれるは「偶然」だが、ライブハウスで足を踏まれたり、後頭部を殴られたり、髪の毛を引っ張られたりするのは「故意」と呼ばれるものである。前者なら黙認し、後者ならやり返すはずだ。だがこう暑いと、そこら辺の境目も鈍ってくるらしく、足を踏まれた瞬間危うく踏み返すところであった。
それをしなかった辺り、大人になったのか丸くなってしまったのか――
どこを訪れても「404 Not Found」になっているバンドのHPを見て、いささか寂寥感に取り付かれているところである。

8/8
部屋の死角はなんか怖い。
スタジオの資料室など特にそうだ。壁際をぐるりと本棚が占拠しているが、加えて部屋の真ん中でも、背の低い本棚がかなりの面積を占めて並んでいる。ドアが部屋の隅の方に付いているから、左手に向かってそんな部屋が広がっていることになる。
そうすると当然、ドアを開けたとき真ん中の本棚に遮られて、奥の方の隅はまったく見え ない。本棚以外にもいろいろ荷物が置いてあるから、周りもごちゃごちゃしてて、 棚の向こうに何があるかなんて想像もつかない。 だから夜、一人で作業してる時、ここへ入ろうとするとつい余計な事を考え始める。
見えない棚の向こうに誰かがいたら―――、とか。
そして間が悪いことに、こういう時に限って正直に一番怖いものが頭に出てくる。昼間とか、誰かいるときなんかだと、「もしかしてやまそうがいたりしたら怖いねえ」 とノンキに話していたりするけど、夜で、一人で、何故か音楽ひとつかけていない状況だと本能は正直に恐怖に向かうらしい。
ねこぞうの場合、何がいたら怖いか。
それは「おばさん」だ。 しかもちょっと気のふれた感じの。
以前聞いた話で、子供を誘拐したおばさんが、ある家に侵入して、家人が気付かないままソファの後ろで生活していた、というのがある。自分の知らないところで、自分と誰かの生活が絡み合わされている、これには非常に恐怖を覚える。特におばさんというのが非常に生活に密着した存在だから尚更だ。
「部屋の隅のおばさん」
それはいつそこに存在してもおかしくないもので、どんな部屋の隅にでも必ず彼女がいる可能性がある。
もしかしたらあなたの部屋にも―――だから、部屋の死角は、なんか怖い。

8/9
まっちゃん、という人がいた。
おじさんには見えなかったから多分おばさんで、すっごい乱杭歯でいつもにたにた 笑いながら自転車に乗っていた。学校へ行く途中の農道とか、国道から引っ込んだ細い道なんかを、今にも倒れそうなのろのろ運転で走る彼女を何度か見かけたことがある。
どう考えても普通じゃない潰れた目をして、ぼろっちい服から身体がぱんぱんに はみ出していて。その服をまた腰の辺りで紐でしばっているから異様に目に映る。でも誰も何にも言わなかった。それは多分「言ってもしょうがない」ってことを、あの町の人みんなが知っていたからだった。
中学に入った頃、ちょっと悪げな先輩がまっちゃんをからかって遊んでいて、何人かでまっちゃんの自転車を囲んで「まっちゃん、まっちゃーん」とはやし立てた。まっちゃんは怒ったのかどうか、「こらあ」とやっぱりにたにた笑いながら、のろのろ追いかけた。もちろん少年達に追いつくはずはなかったけど、ゆっくりゆっくり追いかけて、やがて何を追っているのかもよく分かんなくなったようだった。
まっちゃんは何を見て、何を考えて生きてたんだろう。普通の人が幸せだと感じることが、彼女にとって意味があるんだろうか。ごはん食べられたら幸せなのかな。いじ められたらやっぱり悲しいのかな。まっちゃんはいつも笑っていたのでさっぱり分からない。家があるのか、家族がいるのか――――そんなことも、あんな狭い町にいて 聞いたこともなかった。きっとそれも「言ってもしょうがない」ことだったんだろう。
まっちゃんは、かわいそうなのかなあ。
子供だったねこぞうはぼんやりそう思ったけど、でも違うような気がした。多分まっちゃんは自分に寄せられた視線の意味なんか理解してなかっただろうし、それより何より、いつも笑っていたから。かわいそうな人が、あんな風に笑えるだろうか? まっちゃんには、ぼろぼろだけど着るものがあって、きっと食べるものもいくらかあって、そして何より自転車があった。自分を乗せて、ゆっくりゆっくり町中を走ってくれる自転車が。それだけあれば、どこにでも行ける。結局誰も、自由だけはまっちゃんから奪うことができなかった。
今周りをみると、何もかもあるのに自由だけない人がすごくいっぱいいる。どんなに馬鹿にされても同情されても、まっちゃんが笑ってたのは案外そのことに気付いていたからかもしれない。
ここ数年田舎に帰ってもまっちゃんの姿を見ることはないけれど、きっとまたあの自転車でどこかへ走っていったんだろう。
ゆっくりゆっくりと田んぼ道を、どこまでも 自由に。

8/12 〜風雲実家篇〜
ナフタリンの匂いは目にしみる。8月12〜15日と徳島に帰省して、学んだのがそれ だった。 ねこぞうの実家、徳島県は川内町の一.五軒家(一軒家ではない)においては相変わらずで、母と姉がほぼ二人暮らしを行っている。たまに父が帰ってくるので、いわば 二.二人暮らしぐらいかもしれない。ともかくそんな家の中で、ねこぞうの部屋はな かったことになっていた。
小学校の頃からおよそ十年以上、寝起きし学び時に遊び、書に親しんだ我が部屋。学校で嫌なことがあったとき、テストが良くて嬉しかったとき、叱られたとき、どんな時も自分をかくまってくれたのがここなのだ。そこへ長らくの間を空けて帰ってきたのである。ノブを回す瞬間の感慨も、またひとしお。
だが何やら妙な匂いが洩れてきている。
不審に思いながらドアを開くと、そこは異様なもので満ち満ちた空間だった。
中央にあった机は移動されて、ぎっしり詰まった書棚をふさぎ、恐らく居間で邪魔になっていただろう古いテーブルと椅子が部屋の隅で ほこりをかぶっている。また不要な衣類が巨大なビニール袋に詰められて、押入にし
まったものだろうが半分以上がこぼれ出し、その上にさらに本だの服だの布きれだのが覆い被さっている。
地獄――――その単語が脳裏をよぎった。
しかしかろうじてベッドの上には布団と枕らしきものが置いてある。呆然と立ちつくしていると母親が背後からタオルケットを投げ入れてきた。ここで寝ろ、ということらしい。家を出た子供の部屋が物置になったりするのはよくあることだが、そういう場合帰ってきた子供は別室に寝かされたりするはずではなかろうか。まぁ、一応布団 はあることだしと身体を滑り込ませ、眠りが訪れるのを待ったのだが、その時格段に 威力を増した臭気が鼻を突いた。
ちょうど枕の真下に、ナフタリンが大量に詰まったボックスがあったのである。

「ゆっくり休みなさいね。せっかく帰ってきたんだし」
母の優しい言葉は、既ににその意味を失っていた。

8/13 〜風雲実家篇2〜
さりとて町は阿波踊り。普段人っ子一人いない通りまで、観光客がいっぱいだ。浴衣 の女の子もいる。これから踊りに出るのだろう、着物の裾をからげた威勢のいいおじ さんもいる。笠を被った上品な女性がはんなりとたたずみ、その周りをねじり鉢巻き のちびっ子たちがはしゃいで回る。実に風雅、なはず。ところが現実にはどうかとい うと、ねこ家の一同はある論争に陥っていたのであった。
事の発端は、町中の喧噪を避けて訪れたビデオショップだった。実家に帰っては来たものの、田舎町の夜は退屈で、何本かビデオを借りて夜更かしすることはけっこうしょっちゅう。この日もいつも通り、各自別れて好みのビデオを探していた。 数分後、母、姉、ねこの3人はそれぞれに目を付けたビデオテープを手に、レジ前に 集まったのだが、母の手にあるテープのタイトルが目に入った瞬間、ねこぞうは凍り付いた。
「カードキャプター・さくらv」
…………一体何のつもりなのだこの人は。恐らくさっき「名探偵コナン」を借りようとして、ねこに厳しく叱責された故の妥協案なのだろうが。考えると同時に嫌な予感が背筋に走り、今度は姉の方を見る。 持っていたのは「メカ生体ゾイド」。
念の為言っておくと、五十を過ぎた母親と今年二十八になる姉である。ねこは怒った。 全く何を考えているのか。世間的な常識としてこういうものは子供向けの。一応仮にも教育者としてそこいら辺はどう捉えているのか。等々。 実に良識的である。然るに彼女らの視線は冷たい。どういうことかと考えてふと思い 当たった。 自分が右手に握りしめていたビデオが「ワンピース:映画版」だったことに……。
かくしてその夜ねこ邸では、「さくらVSゾイドVSワンピ/どれが一番マシか論争」が巻きおこったのであった。

8/28

「NEKO-TSUの墓場」 にストックが増えつつある。何かというに、更新がストップしていた数日間に、書きかけてやめたNEKO-TSUがメールの「下書きフォルダ」にどんどん溜まっていたのだ。
内容は様々である。夏コミに行ったこととか、かっこいい兄ちゃんに会ったこととか。しかし途中まで書いて、オチが付かずに止まっている。こういうのを今日一気に読み返してみると大変に空虚な思いがした。つくづくUPしなくてよかったと思う。
Mobsでも更新遅滞言い訳がされていたため、ではここでもというのは全く面はゆいのだが、ねこぞうの場合更新が止まる理由は次の中のどれかである。
まず、一日二日の遅れの時。
これはたいてい純粋なさぼりだったり、うっかり忘れていたり、たまたま忙しかったりで書けなかったことが多い。お休みの日に遊びに行って帰ってくるのが夜だった、とか。いずれにせよ特に理由にならない理由である。
次に三日以上〜一週間に渡る停止の時。
この場合、可能性は二つ考えられる。人生が楽しいか、極端に楽しくないかのどちらかだ。楽しく一日を過ごした日の日記は絶対につまらない。あんまり何も考えてないからだと思う。その逆に鬱々と日を過ごした時期も、愚痴っぽくなってしまってどうもよろしくない。書く方はどうにか書けても、読む立場で見ると両方辛いのではないかと思う。 ねこぞうの場合、以前からごくたまに鬱に陥る傾向があって、大きな仕事と仕事の合間や、実家に帰った後などによく起こる。そういうときはさすがにしばらく止まっている。
そして一週間以上の時。
今回や、確か昨年12月にほぼ丸一ヶ月飛ばしたことがあった。こうなるともう遅れとか停止とかいう問題ではない。こういう時、たいていは最初簡単な理由で二、三日更新が止まるのである。そしてそれがさらに多忙に乗じたりして、一週間になる。普通ならこの辺で復帰するところだが、それが出来ないときとはどういうときか。
書き方を忘れている時である。
いわゆる日記と違い、このNEKO-TSUはかなり一発芸の要素が強いから、特定の書き方を用いないとそういう風にならない。それを忘れるととめどなくだらだらと書き続け、結局全く面白くないということになる。そうなると大変惨めな心境になってもういいやと投げ出してしまうのであるが。
今もそうしたい誘惑と必死に戦っている。
夏の終わりの、悩めるねこぞう。

8/29
色めいた話題があまり得意ではない。
下ネタならよいがコイバナならダメというのはどういうことであろうか。男友達の語るエロ話は聞けても、女の子がかわいく恋で悩んでいる話は聞くのが難しい。多分コメントがしづらいからだ。感覚では何となく分かっても、あまりに共感できないのでとりあえず口をつぐんでしまう。
中学の時、友達に「A君に想いを寄せているのだけれど、打ち明けるべきかどうか」などと相談されたことがあり、なんと言ったらいいか分からなかったので「たぶんすぐ飽きるからやめとけば」と本心を言ったら数日後ほんとに飽きていた。こういうのを目の当たりにすると「女は分からない」と実感する。
本当に分からないのだ。誰々が誰々のことを好きだとか、10人中9人が知っていても、ねこぞうだけは気付いていない自信がある。どうもそういう恋情の機微には自分は疎いらしい。かといって聡いのがいいかというとそれも曰く言い難いが。
しかし最近、どうもその辺の話題でも世代が変わっているらしい。ねこのお友達のとある女子高生Aちゃんは、毎晩遊び歩き飲み歩いた末にホストの彼氏ができて、学校をやめて歌舞伎町付近で暮らしているという。もうひとりのB子ちゃんは他校の教師と付き合っていて、文化祭で知り合ったそうだが彼女曰く「イケてたからソッコー食った」そうである。またA子ちゃんとB子ちゃんは共にあるバンドのファンで、メンバーに誘われたら「当然食う」と言い切っていた。告白するしないどころの騒ぎではない。
だがそんな彼女たちが、彼氏が携帯に出ないといって泣いたり、酒に酔って家での寂しさを素直に口にしたりするとなんだか何とも言えない気分になる。

確かに世代は変わっているのかもしれない、色めいた話題も形を変えているのかも、と考えたりするが。

…… やっぱりよく分からない。

ちょっと適性というものについて深く考えさせられてしまった。

8/30
パソコンのキーボードばかり打っていて、手ずから字を書くことが減ったなあ、と 思っていたらやっぱり弊害があった。
元々、ねこぞうは「書き取り」系の試験などあまり得意な方ではない。英語でも国語でもそれは同じだ。中学校の試験で見たことのある「mouth(口)」と「mouse(ネズ ミ)」の引っかけ問題に今だに引っかかるであろうことからもそれは伺える。ついでに言うと先日「e-mailで送ってね」というのを「e-maleで送ってね」と書いてしまった。E-male。いい男のことだろうか。送られても困る。
そんな感じで苦手なところに、さらに重なる筆離れ。これがどういう事態を引き起こすかは想像に難くない。電話のメモや、ちょっと書き留めた仕事の内容、広告の裏の落書きにまで、ねこぞうのミステイクは広がっている。
個人的に一番危機感を感じたのはあの時だ。会社の机の横には小さなホワイトボード がかかっていて、席を離れる場合みんなそこに行き先と戻る時間を書いていかねばな らない。「会議室、十時」とか「○月×日、○○社」とか。もちろんねこも、外出の際にはちゃんと書き込む。この間は銀行へ行った。キティちゃんマークで有名な第一 勧銀。戻るのは3時半ごろ、と。
予定の時間を少し過ぎて戻ってきたとき、ホワイトボードをみるとそこには「3時半 第一『歓』銀」とあった。
それ以来銀行へ行くときは「BANK」、郵便局へ行くときは「〒」など記号性の強いものを多用することにしているが、それすら通用しないほど病状が進行したらどうすればよいか。
象形文字の復活も遠い日ではないかもしれない。


ここまでは8月のNEKO-TSUです。
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