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2005年04月26日
食べる「幸せ」ランキング
高校生・大学生の間で、「食べると幸せを感じるデザート」の統計を取ると、男性の一位は「アイスクリーム」、女性の一位は「ケーキ」という結果が出ているらしい。ケーキに比べて、アイスクリームの方が学校帰りにコンビニなどで気軽に楽しめるので、そういったところが男性にも受けているのかもしれない。ちなみに、他に食べると幸せを感じるデザートとしては、「チョコレート」「シュークリーム」がランキングに上がっている。癒し系デザートとしても、女子高生の人気一位はアイスクリームだ。季節感を感じつつ、暑いときには清涼感を求め、寒い時期にはコタツでぬくもりながら楽しめる、そんなところも人気の秘訣らしい。
とまあそんな情報を「日本アイスクリーム協会」のサイトから仕入れてきた。きっかけは、深夜に突然アイスクリームが食べたい病にかかってしまったのだが、よくある鬱状態で買いに行く気になれなかったところ、冷凍庫に数年前のアイスクリームを発見したからだ。ハーゲンダッツのクッキー&クリームアイスは大好物だが、いつ買った物かはとても思い出せない。昨年の夏、BIG FAT CATの入稿時か何かの時、一回り小さいプチカップのアイスを買ってきたが、その時にはすでに冷凍庫に入っていた様な気がする。だが長年アイスクリームを食べることがなかったので、もしかしたら三年ぐらい前のものの様な気もしていささか食べるのもはばかられた。
そこで「日本アイスクリーム協会」サイトの登場である。アイスの賞味期限とは、よく話になることだが、明確な記載がされていない。これはひとつ調べてみようと思って検索してみたらこんなサイトが現れた。ちなみに、賞味期限についてはこのように書かれていた。
・通常ー20度以下で保存されるため、細菌が減ることはあっても増えることはない
・一般冷凍食品と比較して、原料が単純で安定的であり、長期間の科学的な品質低下はわずかである
・アイスクリーム類は一度溶けると状態が変化して元に戻らない。すなわち、外観がきちんとしていれば正常。
という理由により、アイスクリームには賞味期限の表示がないらしい。実に勉強になる話で、納得しきりながら、冷凍庫のアイスもおいしく頂くことができた。
だが他にもこのサイト、いろいろな情報が入っていて面白い。アイスクリームの歴史に始まり、工業化の過程、さらには前述の「幸せデザートランキング」まで企画されている。個人的にいちばんすごいと思ったのは、「アイスクリームを人間に例えるとどんな人か」を、アイスを週一回以上食べている人を対象に調査しているところである。結果としては、16〜18才、もしくは3〜6才の「女性」で、性格としては「穏やかで優しい」ゆったりしたイメージと、「楽しい・幸せな気分」という元気なイメージが同居しているらしい。結果がどうというより、アイスクリームを人間に例えて統計を取っている事実がすごいと思う。
そんな楽しい「日本アイスクリーム協会」のサイト、ぜひ検索して訪れてみて欲しい。新作アイスの情報から、クイズ&プレゼントまで楽しい企画が目白押しである。特に「データライブラリ」は充実しているので、必見。
2005年04月25日
DVD式集中法
勉強にせよ、仕事にせよ、デスクワークが中心の人間はそれに関して、何らかの個人的な習慣を持っていることが多い。その習慣とは、必ずコーヒーを一杯飲むとか、好きな音楽をかけるとか、そういったものだ。それまでの日常から頭をリセットして、目の前の作業に向けて集中力を高めるためである。これは作業中にも言えることで、必ずドリンクのボトルを常備しておく人もいれば、ヘッドホンを付けたまま仕事をしている人もいる。仕事の内容、個人の性格によってそれぞれに異なるものの、そういった習慣を付けることによって、うまく頭を切り換えていくのである。
自分は少し前まで、「BIG FAT CATシリーズ」という、英語の物語と日本語の解説が混ざった本の校正をやっていたのだが、その時にもそんな習慣があった。他の人がいる時にはできないが、原稿を机に置いて赤ペンを握りながら、いつもDVDをかけていたのである。もちろん、原稿を読んでいるのだから画面は見えない。聞こえてくるのも英語の会話や効果音ばかりだから、いくら見たことのある映画でも、内容が理解できるかというと微妙なところだ。だが、一度やってみるとたまたまうまく集中できたので、それ以後習慣になってしまい、毎回校正の度に同じDVDをかけるはめになった。
そのDVDが「ダイ・ハード」だ。ブルース・ウィリス主演のアクション映画で、一世を風靡した名作である。何故これがBIG FAT CATシリーズの校正に役立ったのかは分からないが、ともかく乱暴な英語と、派手な爆発音の連続とが脳を活性化させたのかもしれない。映画自体もとても面白いものだが、こういった使われ方をされているとは製作サイドも夢にも思わないだろう。
というわけで、BIG FAT CATシリーズの解説にあった「英語でも日本語でも、大事なのは心を伝えるということです。」というのは、大変実感できる話であった。何せ原稿を読んでいる背後で、我らがアイドルマクレーン刑事が「Motherfucker!」 「I'll kill you!」 「I'm gonna fucking kill you, and I'm gonna fuckin' eat you!」と何度も何度も叫んでいるのである。早口のネイティヴ・イングリッシュは、耳に入ってもはっきりとは聞き取れない。だが、なんとなく彼が「とても怒っている」ことだけは強く伝わってきて、原稿を読みながら「こういうことかぁ」と思ったのを覚えている。
しかしシリーズが終わってしばらく経った今、「ダイ・ハード」のDVDは棚に収まったままである。校正の仕事もやっていないので、わざわざ引っ張り出してきて集中することもない。そう思いながら家事などを行っていた時、ふと「モンスターズ・インク」のDVDを見たくなった。英語もいいが、吹き替え版もよく出来ていて、これなら耳だけで話も理解できる……。以来掃除、洗濯、料理中は「モンスターズ・インク」をこっそり掛けている。これまた意外な集中法である。
しかしデスクワークで習慣づけていた行動を日常生活に持ち込んでしまった場合、それはもはや「仕事に対する区切り」でも「集中力を高める方法」でもないような気がする。それとも仕事用が「ダイ・ハード」、生活用が「モンスターズ・インク」と分けて考えればいいのだろうか。どっちにしても悩ましいことだ。
ーーちなみに、他のDVDもいろいろ試して見たが、スタジオジブリの「耳を○ませば」だけはどちらにも向かなかった。出来不出来にかかわらず、集中力を削ぐ映画もあるのだということを発見し、ひとつ勉強になった。
2005年04月24日
復活と敗北と
ずっと普通のペンばかり使っていたのだが、今日は久しぶりにシャーペンを使ってみた。高校生の頃からペンケースに入っていたやつがたまたま出てきたことによる。ピンク色のマーブル模様で、持ち手の部分に段々が付いている。このシャーペンは徳島駅の裏のZESTという雑貨屋で買い求めたものだ。すっかり気に入って色違いで数本買い足したはずだが、他のものはどこかへ行ってしまって、今ではこの一本だけが手元に残っている。受験時代に何時間も使っていたものだからやはりというかそれなりに手には馴染んでいて、違和感なく使うことができた。しかも消しゴムで消せる! これはいい。何を書いても取り返しが付くというのは精神衛生上悪くない。よって、新たにシャーペン派に返り咲こうと決意した。
とはいえ一本しか持っていないのにシャーペン派を名乗るのも片腹痛い。せめてもう一本くらいあった方がよいだろうと文具店を訪れてみる。そこでは驚きの光景が待っていた。最近のシャーペンは、カチカチしなくても振るだけで芯が出たりする。また、人間工学の研究から、肩や手に負担を掛けにくい形と重さになっていたりもする。おまけに、シャーペンの癖に一本500円の値段が付いている。これは暴利なのかそれとも相場なのか、業界を離れて久しい身としては判断が付きかねた。もちろん普通の、百円二百円で買えるものもあったと思うが、何となく緊張したのか混乱に襲われて、その一本500円をまっすぐレジに持っていってしまった。春限定の新色と書かれていたせいもあると思う。限定という単語は、時として人を惑わせるものだ。
本、洋服、化粧品、その他数千円、数万円で買い物をすることがないわけではない。パソコンの買い換えなんて十万以上かかる。しかし、そのどれよりも、500円のシャーペンというのは高価なものの様な気がする。そんな買い物を済ませ、「500円のシャーペンを持っている自分」に少々酔いながら家路に付く。そこへスタジオ代表のお言葉である。
「あ、ねこぞうのシャーペンもドクターグリップ(その名前は何だ!? ドクターペッパーの間違いじゃないのか!?)なんだ。俺もずっとそのシリーズ使っているよ」
その昔、クレジットカードを作ることもできなかった人間が一本500円のシャーペンを使っている。
これは負けか?
2005年04月22日
免許のしがらみ
免許の更新に行ってきました。(といっても「ふぐ調理師免許」とかではなくて、車の免許です)
コテコテのペーパードライバーなので、免許証もどちらかと言うと身分証明書として持っています。
これがない内は、いろいろと困ることがありました。例えば、ビデオ屋の会員になる時。学生の時は学生証で良かったのに、保険証とか自宅宛に届いた郵便物とか様々なものが必要になり、断念したことも一度や二度ではありません。なのに免許証ひとつでこういった難関も全てクリアです。すばらしいことです。また、例え普段運転をしていなくても、組織に狙われた時なんかに逃走するのにも運転の知識があった方が良いと思います。
そんなわけで、無事更新。ついでにサイトも更新。
オヤジくさいオチですみません。
2005年04月10日
アットホーム?
アットホームな雰囲気が苦手だ。常連客でにぎわう定食屋とか、いつも同じ笑顔のおじちゃんとおばちゃんがやっている喫茶店なんか特に好きではない。カウンターに座っている常連客の背中を見ていると、「実は釣り仲間らしいこの三人の内、一人は釣りなんか大嫌いなのだが、娘の中学が隣の一人の息子と一緒なため、話を合わせるために仕方なく付き合っているのではないだろうか」とかいろいろ考えてしまうし、仲良さそうに見える喫茶店の夫婦も、すでに離婚届に判は押しているが、下の子供が大学に行くまで役所に届け出を控えている状態なのかもしれない等々と邪推を始めると何だか疲労を感じてしまう。
それよりは、いつもバイトが入れ替わっているファミレスやコーヒーショップの方に安らぎを感じる。安らぎにもいろんな種類があると思うが、システマチックに注文が処理されていく過程が自分的にはとても好ましい。こういった感覚こそ現代病の源なのではないかとアットホームに合わせようともしてみたが、今更それも難しい様で、却ってストレスを感じる始末だった。
考えてみれば、実家の家族は話題もバラバラで、全員が顔を合わせる機会もあまりなかったし、最近姉がプロ野球を観るようになってから、どうにか父も会話に参加できるようになったが、それまでは同じ番組を観ることさえなかった。この間帰省したとき、四人で阪神戦を観ていて、なんか家族みたいだなぁと違和感を覚えた程である。そういう環境で育ったため、「アットホーム」が苦手というより、「アットホーム」という単語のそもそもの定義が人と違っているのかもしれない。
ことさら仲良く語らったり、しょっちゅう顔を合わせているばかりがアットホームではない。自分が心地よく、安心感を得られることがアットホームなのであって、それを無理矢理一般概念に合わせようとするから、何か違う気がするのだろう。昔ながらの家庭のイメージは現代ではずいぶん変わってしまっているし、サザエさん的な一家はもう日本に存在しないかもしれない。そんな中で、いつまでも既存の概念にしがみついていても仕方がない。
自分にとってのアットホームは、一人でいることを許してくれる場所だし、話をしたり笑顔を作ったりしなくてもよい自由がある場所だ。それでも、必要な時には隣の部屋に知っている誰かが住んでいるーーそれが「家庭」の構図だと思っている。冒頭のいわゆるアットホームな飲食店に落ち着かなさを感じるのは、それが自分のアットホームと違っているからに過ぎない。いろんな人がいて、いろんな家庭があるのだから、自分なりのアットホームを見つけて、そこに腰を据えればいいと思う。例え人と違っていても、それができればその人は幸せなのではないだろうか。
……という事を考えたのも、アットホームな雰囲気に国民全員が共感してそうなアニメ映画のDVDを観たら、ものすごくつまらなかったからである。個人の思想というものは、けっこう単純なきっかけで形成されるものだ。