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2005年03月31日

業務連絡です

4月2日放映分の『機動戦士GUNDAM SEED DESTINY』の放映時間が、午後六時から午後五時半に変わるそうです。ビデオの予約録画等されている方は重々ご注意下さい。

※尚、地域により放映時間は異なる場合があります。東京以外にお住まいの方は、各自地域の放映時間のチェックをお願い致します。

投稿者 nekozo : 02:01 | トラックバック

2005年03月18日

地元のお友達から

うどんのパックを送って頂きました。四国だからうどんということで、とりあえず納得。なんか前にスタジオの本をあげたことがあったので、そのお礼だーということなのですが、時期的なこともあり、一瞬「ホワイトデーうどんか? なんとまあオシャレな」と嘆息してしまいました。一応色的には合っているし、特徴も出ているので、今度ホワイトデーの時期にお返しすることがあったらお勧めです。きっと彼女もびっくりです。マシュマロやキャンディより受けるし、男性でも買いやすいのでとことんこだわって、あなただけの「うどん」を探してみて下さい! ーーまぁ、次のバレンタインデーにはチョコでなく酢コンブをもらっちゃったりするかもしれませんが。

↑というどうでもいい事を考えていたら、一日過ぎていきました。
時間って早いなぁ。

投稿者 nekozo : 20:17 | トラックバック

2005年03月15日

SEEDとドラえもん

「ドラえもん」の声優さんが交代になる、というニュースは記憶に新しい。そして最近になって、新キャストが発表された。声優としてはあまりメジャーでない人や、まだ14、5才の少年などが選出されていて、どんなものか今ひとつ不透明な感じである。ただ、スネ夫の声が、「ガンダムSEED」のイザーク・ジュール役の人なので、ここだけちょっと楽しみにしている。なんていうか、新時代の肝付兼太(スネ夫役の他、「おそ松くん」のイヤミ、「ドカベン」の殿馬等、曲者キャラをほぼ一手に担っている)になるのだろうか、彼は?

この話を聞いて、多くのSEEDファンは、スネ夫が「俺が出る! 下がっていろぉぉお!!」と言ってジャイアンを退ける図を想像していることと思う。ついでに事前に流れたウソ情報では、「出来杉の声が石田彰(SEEDのアスラン・ザラ役)」というのがあって、思わず笑ってしまった。これだと、やっぱりのび太は保志総一郎(キラ・ヤマト)なのか?  とくればしずかちゃんは桑島法子(フレイとナタル)だろうなぁ。どっちかっていうと田中理恵(ラクス・クライン)の方が合ってる気がするけど、でもじゃあ一体ドラえもんは誰なんだ。もしかして、シャア??

のび太「うわあ! 宿題忘れちゃったよう!」
ドラえもん「坊やだからさ」
のび太「ドラえもん、なんとかしてえ!」
ドラえもん「私もよくよく運のない男だな……(と言いながらポケットを探る)」
のび太「やったよ! ドラえもん! ジャイアンをやっつけたよ!!」
ドラえもん「これが若さか……」

ちなみにだいぶ前のことだけど、PS2のゲーム「零〜紅い蝶」をやっていたら、座敷牢に閉じこめられた少年の声がキラ・ヤマトでした。なんか聞いたことがあると思ったら……。

投稿者 nekozo : 13:43 | トラックバック

2005年03月12日

そしてもり君へ

「自分のした事に責任を持て」という教育を受けて育った年代であるので、とりあえず感想を書かねばならない。
何のって、もり君弁当の。

……何と言ったらいいだろうか。製作過程とか完成図については、Mobs & Co.に載っている通り。おおむね正解のようである。味に対するコメントとしては、普通「うまい」や「まずい」、「濃い」とか「薄い」といった言葉が用いられるが、何故かこれに関しては「安い」という単語が浮かんできた。実際高価なものでなし、といってまずいわけでもなくーーどちらかというとおいしいと言っていい。いや、たぶん、おいしい。

ただ、ご飯というよりは若干スナックに近い感じで、食後の満足感には欠けるかもしれない。そこでドクターペッパーの登場である。スタジオ公式飲料として名高いドクターペッパーは、通常なら心を癒す真夏のそよ風のような役割を持っているが、この場合のドクターペッパーは、フルコースのスープであり、デザートであり、ドリンクとしての役目すら果たす。ドクターペッパーともり君弁当、まさに最強のコンビネーション。美味しんぼで言うところの『究極のメニュー』の完成である。

そんなもり君弁当を、人気のないスタジオの二階で、『赤毛のアン』のDVDを観ながら食べてみた。何だか昔に戻ったような、と思ったそんな折、実家の母からタイミングよく電話がかかってきた。「何してるの?」と聞かれたので、「イシイのハンバーグが乗っただけの弁当喰ってる」と答えたら、母は大変笑った後に「子供がまた、ああいうの好きやねん!!」と楽しそうに言い放ってくれた。

お母さん、今も昔も、私は特にそれが好きではありません。だから弁当にも入れないで下さい。
今日のは自分で作った弁当なのに、何故か母に向かってそう言いたくなった。

投稿者 nekozo : 00:49 | トラックバック

2005年03月11日

もり君祭り

現在スタジオ・エトセトラではもり君弁当とドクター・ペッパーを讃えるお祭りを開催中です。
個人的にはデザートとしてミスタードーナツを加えると最強コンボの完成ですが、ここに来てどえらい事実が発覚してしまいました。なんと自分が「もり君弁当」だと思っていた物は、もり君弁当ではなかったのです。

イシイのハンバーグは、チキンハンバーグでトマトソース味が主流だそうですが、自分の記憶にあるのはビーフの照り焼きソースでした。安っぽさは同じくらいでも、この間の溝は大変深くて暗いものです。そしてさっきスタジオ代表に聞いて初めて知りました。この照り焼きソースのハンバーグが実は「丸大食品」の商品であることを。

こちらの誤解で各方面にご迷惑をおかけ致しましたことを心よりお詫び申し上げます。せめて明日明後日の二日間は、正規のルートで入手したイシイのチキンハンバーグにてもり君とのりこさんの功績を讃え、イシイ食品に感謝の意を表明したいと思います。

ねこぞうでした。

投稿者 nekozo : 04:09 | トラックバック

2005年03月08日

もり君です。

Mobs & Co.の掲示板に、面白い書き込みがあった。
『もり君弁当』に関する「のりこ」さんという方の記述がそれである。なんでもご飯にイシイのレトルトハンバーグだけを乗せた弁当で、子供にとっては天国のようなお弁当らしい。確かにその見た目の剛直ぶりと、「でもハンバーグなんだよ」というかわいらしさのギャップが、魅力的なものの様にも思えてくる。

「のりこ」さんご自身はOLとして、会社でこれを召し上がっているそうである。そして名付け親と言えなくもない守彦君は、幼稚園時代にこの弁当を持参してきていたという。この弁当を自発的に持ってくるのは、ちょっとかっこいい。そして子供が持たされているのは、ちょっと微笑ましい。きっとお母さんが忙しかったんだろうとか、そこまで好物なのかとか、いろいろ考えてしまう。

だがこれが、高校生の弁当となると話は違ってくる。よく「お母さんが手抜きして……」と昨夜のおかずの残りだけで構成された地味な弁当を持ってきて恥ずかしがる少女がいるが、開けた瞬間もり君弁当だった時の衝撃は、そんなものではない。たいてい高校の昼休みなんかだと、友達同士机をくっつけて食べていたりするから、その真ん中に突然もり君弁当が現れたインパクトは言語を絶するものだ。(ちなみに、「のりこ」さんの言う「もり君弁当」は丼形式のそれのようだが、ウチはスペースを可能な限り埋めるため、弁当箱の半分がごはん、半分がハンバーグという状態だった。このごはんとハンバーグの間にできた1センチほどの段差がいっそうわびしさを募らせた。)しかも、時期が入学してすぐの四月だったので、食卓を囲む仲間もまだそれを笑える程にはうち解けておらず、大変困った思いをした。

しかしやがて、ごはん対おかずが常に1対1に近いぎりぎりの弁当に耐えられなくなり、パン食に切り替える日がやって来た。「今日パンだから」という理由だけで、もり君弁当の恐怖に怯えなくて済むのなら、こんなに楽なことはなかった。以来卒業まで、手製の弁当は持っていかず、購買のパンが「はちみつレモンパン」しか残っていない時は自販機でカロリーメイトを買い、コーラで腹を膨らませた。とても省エネな身体をしていたらしい自分は、午後の二時間程度なら、それで十分保った。

そうやってトラウマの様になっていたもり君弁当だったが、数年経ったときふと思い出して話題にした事があった。もしかしたら、過去のこのコーナーにも一回ぐらい書いたことがあるかもしれない。そして、この話が「恐ろしくネタになる」ことに気付くと、トラウマは徐々に消えていった。弁当を開けた瞬間の事を思い出しても笑顔でいられるほどである。もうすぐやって来る桜の季節には、もり君弁当を携えて花見としゃれ込むのもいいかなぁ、という考えさえ浮かんでくる。

そんな風に過去を振り返って懐かしんでいたのだが、どうも弁当といえば、もう一つ逸話があったような気がしてならない。よくよく考えてみると、ある時やけに弁当箱が軽い日があった。あれはなんだったのだろう。パンでもないし、サンドイッチでもない。何かもっと別のものが入っていたはずだ。
箱を手にした時には、カサカサと音がした。母は私が昼食の前に友達とジュースを買いに行く習慣を知っていた。そして、自販機には牛乳のパックが入っていることも。
開けた弁当箱には、ひとつかみの「コーンフレーク」がスプーンと一緒に入っていた。

今頃どこかで高校時代の友達の一人が、会社の昼休みにコーンフレークを食べながら、「これヨシミ(ねこぞうの本名)ちゃん弁当って言うんだよ」と誰かに説明しているかもしれない。
「のりこ」さんの書き込みから、そんな予感が頭を過ぎって、思わず低い呻きが洩れた。


※でも「もり君弁当」は本当にやってみようと思います。あのトラウマ弁当に「もり君弁当」という公式名称が出来たことが心から嬉しいです。「のりこ」さん、ありがとう!!


投稿者 nekozo : 16:41 | トラックバック

2005年03月07日

2005年3月7日

最近夜が遅くなってしまっている。フリー特有のいい加減な生活と言ってしまえばそれまでなのだけど、朝の五時頃寝て、起きるのは十二時過ぎだ。世間で働くまっとうなサラリーマンの皆様には申し訳ない。が、「世間で働くまっとうなサラリーマン」ではないのだから仕方ない。

とはいえ、こういう生活をしていると、普通の人より人生で「夜」の占める割合が多くなる。たいていの人は、十二時を回るとそろそろ寝ようかなと思ったりするものだが、自分の場合はまだまだ活動時間帯で、普通の人の「まだ七時頃」みたいな感覚である。だがやっぱり十二時は十二時なので、どこへ出かけようともお店は閉まっている。開いているのはコンビニぐらいで、ちょっと散歩がしたくなっても、歩いていたら近所の派出所で職務質問を受けてしまう。結局外には出ずに、それから夜明けまでの時間を、こうしてつらつらパソコンの前に座って過ごす。

時々、外を車が通る。ごうという音に、プレハブの家が揺れる気配がする。

顔を上げると、パソコンの画面に自分の打った文字が並んでいる。戯れにフォントのサイズを変えてみたら、それは一瞬で大きくなったり小さくなったりする。大きくなるとさっき打った文章がまともに読めて、とても怖くなって手が震え出す。小さくすると、震えは止まるけど、今度は文字が読めなくて、何を書いていたのか思い出せなくなってしまう。毎晩、パソコンのキーボードは汗でびっしょり濡れている。服の袖口で拭き取ろうとすると、意味の分からないアルファベットが画面に現れる。

っっっっっっっっっっっzzxczcvc。

それは何かの呪文のようで、だがそれを消してしまう自分がいる。
深夜、小平のスタジオで。

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2005年03月03日

「正義」という祖父の話

父方の祖父母が、もうずっと入院中である。祖母はまだいくらかしゃっきりとしてはいるが、90に近い祖父の方はさすがにほとんど寝たきりに近い状態になっている。小さい頃、日曜日によく手を引いて、近所の長崎屋に連れて行ってくれた祖父である。誰にでも訪れることだが、老いは見ている方が辛い。二人の世話を田舎で見てくれている母は、本当に立派だと思う。

その母から、この間妙な話を聞いた。なんでも、祖父母は二人部屋の病室に一緒に入っているのだが、ある日検査で祖母が席を外した後、帰ってくるとどういうわけか祖父のベッドテーブルに「はさみ」が出ていたのだという。ほとんど一人では動けない状態の祖父である。食事も祖母に手伝ってもらい、トイレも付き添われないと行くことができない。足腰はほとんど立たなくなっている。だが、他にこんなことをする人はいないし、祖父がどうにか自分でタンスまで歩いていき、引き出しからはさみを取り出して来たとしか思えない。

おじいさん、このはさみ、どうなさったんですか、と祖母は祖父に問うた。すると祖父は、「今日は、新人の技能検定があるから、準備しとかんといかん」とぽつりと言ってそのままベッドの上にまっすぐ座っていた。祖父の仕事は、労働監督局とかいうところの局長であった。恐らく働き盛りのその頃に、何度もこうやってはさみを用意して、新人の技能を逐一審査していたのだろう。仕事熱心で、誰よりも責任感の強い祖父であったから、技能検定の日にはさみが用意されていないなど、到底耐えられないことだったに違いない。そうして動かないはずの身体を動かして、祖父は新人が来るのをその日ずっと待っていた。

祖父は昔から、自分のことを語らない人だった。無口で優しく、いつも難しい本を読んでいた。弁護士になるのが夢で、厳しい時代にどうにか大学まで行かせてもらったものの、一度きりの試験に失敗して結局前述の仕事に就いた。幼い頃は奉公に出され、その後養子に入って祖母と結婚した。だがこれも、全て父や母から聞いた話であって、祖父自身の口からその人生を聞いたことはない。左手の薬指を半分失っていたが、その理由も漠然としていてはっきりとは分からない。

そんな人だから、歴史のページにも、口伝えの伝説にも、何にも残ることがない。生きた証として残っているのは、息子である父と叔父の兄弟、それから孫に当たる私と姉くらいのものだ。記憶も思い出も、祖父自身もやがて最初からいなかったかのように消えてしまう。そうやって生きてきた人だから、それでいいのかもしれない。でも、そういう人がいたということを、どこかでずっと覚えていたい気にもなっている。

祖父は下の名を「正義」という。今日たまたまここを訪れてくれた人や、見に来てくれる人がいたら、今日一日だけはその名を、ちらっと心に留めていてもらえると嬉しい。ただの個人的な感傷だけれども、それでずいぶん、自分も祖父も救われるような気がしているのだ。

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