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2005年02月23日

公式飲料「ドクター・ペッパー」

ドクター・ペッパーという飲み物がある。関東近県でしか売られていないらしいが、輸入食品店や、ソニー・プラザなどでもたまに見かける。赤黒い色の缶もしくはペットボトルに入っていて、珍しいところではビン入りのものもある。大阪はユニバーサルスタジオ、東京ならラクーアの中に入っている『ババ・ガンプ・シュリンプ』というレストランでは、ドクター・ペッパーにアイスクリームを浮かべ、フロートにしたものをメニューに加えてもいる。

味的には、香料の効いた炭酸飲料という感じだが、「シロップ状の風邪薬に似ている」という人もいれば、「化粧水を炭酸で割ったみたい」という人もいる。だがどっちにしても、これが日本ではかなりマイナーなドリンクであることは間違いない。販売総量を比較するなら、マウンテン・ビューか愛のスコールクラスではないかと思われる。間違っても、ライフガードほどには売れてもいないし、ましてやコーラやペプシと比較するなど思いも付かない。そういうマニア向けの商品だ。

ところが、これがアメリカでは、大変メジャーなものだというから驚きだ。来客などがある時には、コーラ、ペプシと同列に並べて、「どれがいい?」と尋ねたりするという。嘘か誠かと思ったのだが、どうも事実らしい。まぁ、アメリカ人と日本人で味覚の違いもあるのだから、けっこうアメリカ的にはツボにはまる飲み物なのだろう。

そんなドクター・ペッパーだが、実は今ここにある。今日立川に行った際、たまたま自動販売機で見かけたので、うっかり買ってしまったのだ。グラスに注いで、氷を少し足す。相変わらず得も言われぬ味で、うまいともまずいとも付かない。ただなんとなく、これを飲むのがステイタス、みたいな気がしている。

よくカルピスを初恋の味、ビールを初夏の味、なんて言ったりもするが、そういった飲み物に付随するイメージとして、自分的にドクター・ペッパーは「スタジオの味」だ。『童話物語』のインディーズ版、いわゆる私家版が出版されたのが1997年。当時のクレジットに自分の名前はない。参加したのは、その後の幻冬舎版からだから、初めてスタジオを訪れた時にはもうこの場所の空気はだいたい決まっていた。

大人数用の細長いドーナツの箱。冷蔵庫には冷えたドクター・ペッパー。まだ一体型だったMacが一台。隅のソファでは大抵誰かがマンガを読んでいて、換気扇の下ではセブンが煙草を吸っていた。社会人のくせに、どこか学生みたいな人たちと、学生のくせに、どこか社会人みたいな人たちが入り交じった場所で、初めてドクター・ペッパーを飲んだ。「まずい」と言うと、宮さんが「やっぱり」と笑い、向山が「分かってない」と言って怒った。最初はそんなもんだ、という顔でフライングがお代わりをさらに注いできた。下関では売っていないらしくて、誰かが「大ちゃんに送ってやろうぜ」と言っていた。スタジオってこういう場所なんだ、とその時なんとなく思った。

あれから何年か経って、当時の「スタジオの人」の顔を見ることも少なくなった。結局二回ぐらいしか会ったことのない人もいる。仕事があって、趣味があって、それぞれに人生が進んでいるみたいだ。でもドクター・ペッパーの中には、あの時の空気がまだ残っている。自由と、何でもない気楽さと、それから何でもできそうな予感。それが「スタジオ・エトセトラ公式飲料」と言われたドクター・ペッパーの持っている味だ。そんな思い出の味を、誰もが心のどこかにしまっていると思う。そして、いつか消えてしまうことを恐れているんじゃないだろうか。

ここは個人サイトだから、こんな事を言ってもいいと思う。
過去の思い出、過ぎ去った時間、若かった日々とか、いろんな大事な物。
たいていの人が、大人になって忘れちゃってるなぁ、と落ち込んだりするような物。
そんなもの、消えたり忘れたりするわけがない。もし失ったような気がしたら、ちょっと出かけてその辺を歩いてくればいい。きっとどこかの自動販売機に、まだその味が残っているはずだ。たいていの人の「思い出」は、ドクター・ペッパーよりはたくさん置いてあるだろうから。


投稿者 nekozo : 02:40 | トラックバック

2005年02月21日

NEKO-TSUの書き方

各自お好きな単語を使って以下の空欄をお埋め下さい。
本日付のNEKO-TSUが完成致します。

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「                     」というものがある。
これは本当なら、「                          」というはずのものだ。
ところがどういうわけか、これが「                   」されずに「                          」している。一体何故だろうか。
個人的には、「             」であったから、「                 」したものなのだと思いたい。
いや、きっとそうなのだろう。ただ「        」が「           」しなかった、或いは「   」が「     」されなかった、というだけのことで。
「               」の「                  」は様々である。だがかといって、「                 」すればよいというものではない。

今まで 「       」してきた「          」として、心からそう思う。

投稿者 nekozo : 23:18 | トラックバック

2005年02月20日

「あの人」専用のネタ帳

最近デパートに入り始めた化粧品のブランドで、「スティラ」というのがある。
姉に教えてもらったのだが、パッケージが特徴的でかわいいため、出た製品は全部買うというマニアの様な人もいるらしい。へー、と思ってなんとなく聞き流していたのだが、ある日こんな事に気が付いた。

スティラ・マニアって、ステラ・マリアと音が似ている。

百人中百人の人が無意味に感じるネタである。だが、その昔ステラ・マリアという名前のコテコテの黒服ヴィジュアル系バンドがインディーズシーンにいて、ボーカルが元・魂爵惑(と書いて何故か『メフィスト』と読む)のTsurugiさんだったということを知っている人には、大変愉快な類似である。
化粧品の「スティラ」を知っている上で、「ステラ・マリア」の知識も有する人間。
そんな人は身近には姉くらいしかいない。

というわけでこのネタは、頭の中の「姉専用ネタ帳」にしまい込まれている。
今度会った時「あの人」に伝えよう。そんな些末な事柄が、一人一人の専用ネタ帳に載っている。
いつか伝えられたらいいし、伝えられなくてもいい。ただそんなものがあるのが、ちょっとだけ楽しい。

投稿者 nekozo : 14:30 | トラックバック

2005年02月18日

朝の話

起きてサイトを見てみたら、久しく止まったままの掲示板に「無料ハメ撮り画像をダウンロードできます」というメッセージが書かれていた。
このマイナーなサイトに、そんなサービスを提供してくれるとはなんと誠意ある人かと一瞬感慨に耽る(でも消しました)。

そういえば、昨日も「初めてのエッチはたっぷり膣奥発射v」というメールが届いていた。どうも最近、ネットに絡むとこういった、迷惑なんだか親切なんだかよく分からないメッセージを受け取ることが多い。一概に「迷惑メール」に放り込もうとすると、「この間の写真です。from 亜美」とかいうちょっと中途半端な、「もしかしたら友達のメールかも」なんて思わせるようなものが混ざっていたりする。普通なら、削除するのに迷って、うっかりURLをクリックしてしまうかもしれない場面である。

だが、ここではそういった行為は通用しない。何故かというと管理人にそんなに友達がいないからである。
ついでにエロネタもお腹いっぱいなので二次元にしか手が回らない。
どうしても見たくなったら、家のすぐ隣にエロビデオの自販機があるので、自分で見に行けます。

というわけで、親切に仇を返すようで申し訳ありませんが、怪しいものは全削除させて頂いております。
たまに遅刻の言い訳なんかで、「ごめんごめん、メール見てなくて」と言っていますが、あれはけっこう事実です。

投稿者 nekozo : 12:28 | トラックバック

2005年02月16日

受験ネタを書いて下さいと向山が言ったので

向山のMobs & Co.で受験が話題になっていた。(ここで本当なら、「Mobs & Co.」をクリックするとそのサイトに行くようにリンクを貼るのが常識だが、そんなことはしない。なぜならここはPSYCHOCATSだからである。)そういえばそういうシーズンだ、とふと思う。なんとなく雲行きが怪しいのはそのせいか。
今日はひどく寒い。今朝早くにはけっこう大きな地震もあった。知人宅のある、つくばの方が震源地ということで、かなり揺れたのではないかと気にかかる。こういう日には大抵ろくな思い出は出てこない。かといって、受験について、これといった思い出もない。当時はたびたび軽い鬱状態に陥って感覚が狂っていたので、ちょうど受験の時もそんな感じだった気がする。

東京都内の私立大学をいくつか受ける予定で、母に付き添われて上京した二月。一週間の滞在先は公務員宿舎のような地味なホテルで、あまり食事を摂る気がせず、口に入れたのは焼き鳥のレバーと紅茶が数杯。夜はずっとヘッドホンで音楽を聴いていて、睡眠時間は二時間程度。さらに受験地の下見に出かけた際、電車内で向かいに立った男が股間をさらけ出していたり(折しも膨張時)、受験に対してあまりに誠意を見せない様子を母に責められたりなどして、正直かなり閉口していた記憶がある。一番鮮明に残っているのは、駅のホームで電車を待っているときに、「これはもう死んだ方がいいのかな。でもそれだったら一人ぐらい殺してみようかな」と手頃な人材を物色していた場面だ。実行しなくてよかったと思う。

そういった不健康な状況が、受験のストレスのせいかといえば、そういうわけでもない。あの頃自分にとって「試験を受ける」というのは、格闘ゲームの対戦台に乱入する感覚に近かった。強い相手だと緊張もするし、負けたら嫌だなあとも思う。でも基本的にはゲームはゲームであって、自分で選んで百円玉を投入しているわけだし、それ自体を勿体ないと思ったりもしない。そして受験というゲームに百円玉を入れたからには、やっぱり負けは負け、勝ちは勝ちなのだ。「今日ゲームに勝ったよ」と言って誰が誉めてくれるわけでもないし、利益を得られるわけでもない。誇りだけが残る。負けたらそれがない。それだけのことだ。

ーーただ、自分的にはそうであっても、家族とか先生とか、受験を大事に思い、自分を気に掛けてくれている人たちが、あの時期大変心労を抱えていたであろうことを思うと、申し訳なく思う。そんなに気にしてくれなくていいです、と何度言いたかったかしれない。自分が百円玉を入れたせいで、周りを振り回してしまっているという事実が、たいそうこたえた。

というわけで、「笑い話として受験を振り返る会」の入会資格はまだない気がするが、こうして元気に生きています。
それでいいんじゃないでしょうか。

投稿者 nekozo : 17:35 | トラックバック

2005年02月15日

昨日のバレンタイン・デーに

近所のTSUTAYAで「アスラン・ザラ搭乗型ザク(ザクウォーリア)」のプラモが付いたニュータイプと、ラブひなの1〜4巻と、高河ゆんのマンガを買った。店員のお姉さんがちょっと引いていた。

投稿者 nekozo : 23:05 | トラックバック

2005年02月11日

「気を付けよう、

チカンはあなたを狙ってる」という看板が、よく通る小学校の前に立てられている。たぶん地元のPTAか何かが作ったのだろう。すっかり色あせているが、力強く書かれたメッセージはまだまだ健在だ。でもこの標語、考えてみるとちょっとおかしい。「あなたを狙ってる」と言われても、この道を通るのは若い女性や子供ばかりではない。ウォーキング途中のご老体や、汗を拭き拭き家路に急ぐお父さん、買い物袋を片手に三つずつ下げた恰幅のいいおばちゃんなんかも、たくさん通る。
こういう人たちに、「あなた、チカンに狙われてますよ」と言っても、たぶんピンと来ないのではないか。現実には確かに、人の性的嗜好は様々だ。フケ専の人もいればデブ専の人もいる。フケ専でデブ専で、おまけにホモだったりレズだったり、さらには年齢が二ケタ未満でないとダメという人もいる。そう考えれば、近所の友人宅への道すがら、この道を通る七十四歳の松下留三さん(仮名/趣味:ゲートボール)だって、チカンに遭う可能性はいくらでもあるのだ。油断していて暗がりに連れ込まれてからでは遅い。犬に噛まれたと思って忘れろと言うのは簡単だが、七十四年間守り続けた操を暴漢に奪われるのは、いかな思いがするものだろうか。
だから、このメッセージはこう変えるべきだと思う。「気を付けよう、チカンはあなた『も』狙ってる」。
こうすれば老若男女問わず、「ああ、自分も危ないのだな」という警告をしっかり受け取れ、事件を未然に防ぐことができるだろう。
そんな事を考えながらの散歩道。チカンの気配はまるでなかった。

投稿者 nekozo : 23:43 | トラックバック

どういうわけか

パソコンの中に住む不思議な小人さんが、サイトにプチリニューアルを施してくれていた。なのでありがたく使わせて頂くことにする。明確な変更点といえば、数年前からずっと貼られているこの→猫のアイコンが、左から右に移動しているところぐらいだが、それでも一応リニューアルと言っていいと思う。おめでとう、リニューアル。そしてありがとう、小人さん。できれば次はエントランスの方を整えて頂ければ何よりです。
というわけでまだ続いているPSYCHOCATS。絶対メジャーに行かないインディーズバンドの様なノリを保ちつつ、今後ともよろしくお願いします。


投稿者 nekozo : 00:13 | トラックバック

2005年02月10日

本日のNEKO-TSU

宿題の読書感想文には大抵、「原稿用紙五枚以内」という但し書きが付いていた。授業中に提出する作文は三枚程度で十分とされていたから、これはかなり苦しい枚数だ。ただその末尾の「以内」という表現に縋って、「五枚以内なら一枚でもよいのではないか」などと思ったりなどもし、さりとてあまりに常識はずれな枚数で出すこともはばかられて、中途半端に四枚からぎりぎり五枚目に一行はみ出すように細工したりした。日本語は句読点の打ち方に、さほど厳しいルールがない。改行するにも「ここは間違い」ということはない。稼ごうと思えば、最小限の文でいくらでも行数を稼ぐことができる。たまにアーティストの映像が足りなくて、編集でごまかしているビデオクリップを見かけるが、それとどこか似ている作業だ。表現力や文章力ではなく、うまい行間で辻褄を合わせていく。ある意味で社会に出たら必要になる知識である。これで原稿用紙一枚分。密度はどうだろう?

投稿者 向山貴彦 : 19:56 | トラックバック