それは、誰も知らない、どこにもない大陸だった。でも、ぼくはずっとその大陸のことを考えていた。 当時、中学三年生でまだ先のことなど何も分からなかったぼくは、迫り来る高校受験のことを気にも留めず、相変わらず小説を書くことばかり考えているか、ボウフラでもやらないような低脳な遊びに興じていた。社会の授業は最強につまらなかった上に、あとから一人で教科書を読んだ方が効率がよかったので、小説のことを考えたり、実際に書いたりするには絶好の時間だった。
四階の教室からぼんやり外を眺めて、少し眠たくなっていた時、ふいに奇妙な映像が浮かんだ。小学生ぐらいの女の子が坂を駆け上りながら必死に誰かの名前を呼んでいる。泣きじゃくっていることから、きっとその名前の相手が大変な状態なのだろう。女の子は何度も何度もその名前を叫んでいた。そして、その頭上高く、巨大な虹のかかる空からは一面、金色の雨が降っていた。 それがぼくが最初にクローシャを訪れた瞬間だった。 そして、はじめてペチカという女の子に会った日だった。 それからゆっくりと十年の時が流れた。 ことあるごとに、ぼくはその世界を想像の中で訪れた。体をこわして、一年入院していた時も、一人、東京に出てきてすごした寂しい時にも、その世界だけはいつもすぐそばにあった。いろんな人やいろんなものを失ったが、その世界だけは変わることなく広がっていった。 やがて、その世界が「クローシャ」と呼ばれるところだと分かった。 そして、その少女がペチカという、たった一人で生きているかわいそうな女の子だということも。 何度かその世界を書いてみようとした。 でも、そのたびにうまくいかず、挫折を繰り返した。 できあがるものはいつもぼくの想像の中の世界とはかけ離れていた。 きっとこの世界をぼくが書ける日がくることはないとあきらめていた。 そして、1993年、春。 八年ぶりに学校に戻ったぼくは、そこである一冊の絵日記を見ることになる。 そこに描かれていた絵はまだどれもうまいというものではなかったが、あたたかくて優しい絵だった。いつも見ている世界をもっとずっと優しい目で見つめている絵だった。
絵日記の持ち主の女の子ははにかみながら「下手でしょう」と照れていた。 だけど、ぼくはその声がよくきこえていなかった。 そこにはぼくが何度挑戦しても書くことができなかったクローシャの世界が、いともあたりまえに広がっていたからだ。 女の子は宮山香里という名前だった。 気がつくと、ぼくは興奮気味にある一冊の本を作る壮大な計画を早口でしゃべり始めていた。しばらくして、女の子は笑顔でうなずいた。 そして、ペチカとフィツの果てしない旅が幕を開けた―― |