あまりにもスケジュールが遅れすぎたため、95年の頭に作り直したスケジュール。怖いことに一年前からほとんど進んでいない。月単位で四月まで細かくスケジュールを作ったはよかったが、当然のようにこの予定もまるで守ることができなかった。95年半ばぐらいに危機感が最高潮に達したぼくらは年末辺りからスタジオに缶詰になる日を増やしていった。一週間に二日がやがて三日になり、最後にはほとんど毎日スタジオで作業する日が続くようになっていった。ついにはぼくは出席日数が足りなくなって、大学休学するしかなくなってしまった。