詳しい情報は以下のイベント公式サイトにて:
http://www.ab.auone-net.jp/~sou10nen/top.htm
前回1月末に参加した有明ビッグサイトのコミックシティで遠路はるばる長野県から来てくださった女性の方、もしこれを読まれていたら、大変お手数ですが、以下のメールフォームから御連絡いただけますでしょうか。本を送らせていただくことになっていると思うのですが、いただいた住所に送付したところ、どうしても宛先不明で戻ってきてしまいます。せっかく遠くから来ていただいたのに、大変気になっています。どうぞよろしくお願いします。
http://www.studioetcetera.com/bigfatcat/mailform/postmail.html
]]>メールで教えてくださった方も何人かいらしたのですが(本当にありがとうございます。そして知識不足ですみません)、どうも「コミケ」と一般に思われているイベントと、このコミックシティとは様々な意味で違うものだったみたいです。(正確には「コミケ」とは「コミックマーケット」というイベントのみの略称らしいです。)いやー、お恥ずかしい限りです……。「エレクトーン」とか「セメダイン」とかと一緒で、それまで存在しなかったジャンルが生まれた場合、そのパイオニアとなった製品や企業名がそのまま一般名詞化することがよくありますが、「コミケ」というのもどうやらそのひとつのようです。
行ってみて驚いたのですが、このコミックシティでは買い手も、売り手も、参加者の95%ぐらいが女性でした。そんなわけで、「モンスターハンター」の活劇風の同人誌というのは甚だしく場違いな出品物で、思いっきり浮いてしまっていました。にも関わらず、会場のみなさん、おそらく「モンスターハンター」がゲームだということも知らない人も多かったでしょうに、それでも親切に作品に興味を示してくださって、立ち止まってくれる人も多く、買って下さる方がけっこういて、おかげさまでなんとか無事にイベントを終わることが出来ました。
スタッフ一同、いろいろ勉強になることも多く、あらためて「ものを作る」ことの熱意を感じさせてもらった一日でした。また、いろいろ勉強しなおして、ほかのイベントに参加させてもらうこともあるかもしれませんが、その時にはここで再びご報告させていただきたいと思っています。
メールでも応援してくださった多くの皆様、本当にありがとうございました。
(「本業は大丈夫ですか?」と心配して下さった皆様、読んだ瞬間には正直一瞬冷や汗をかきましたが、はい、ちゃんと小説も必死に書いております。どうか御安心下さい。)
ここ数年、少し休養気味で過ごしてきましたが、今年は少しイベントの多い年にしていきたいなと思っています。会場に来てくださったHN河内さんに「ワンパラ楽しみにしています」と言ってもらって、このページを置き去りにしてしまっていることにも只今大きな罪悪感を感じている今日この頃です。
どの程度できるか分かりませんが、少しずつでも更新していけるようがんばります。
お時間のある時に「どれどれ更新してるかな」と立ち寄っていただければ幸いです。
来週にはBFCのイラストレーターのたかしまてつを氏が参加するグループ展も銀座で開催される予定です。
http://tt-blog.seesaa.net/
当のたかさんのブログによると、まだ肝心の出品作品は白紙の状態みたいでちょっとドキドキですが、お近くの方はぜひ立ち寄ってみてください。ブログの写真の白いキャンバスが当日までにどう変わっているか、お楽しみに! たかさん本人もきっと会場に出没すると思います。
では、また近々会いましょう!
]]>http://www.studioetcetera.com/~teddy/2008/TOP.html
————————————
遅ればせながらあけましておめでとうございます。
そしてお久しぶりです。向山です。
未だ新作が完成していないため、更新もままならない状態ですが、ひとつだけお知らせがあって臨時更新させていただきました。
実はひょんなことから今年の1/27日に有明の東京ビッグサイトで行われるCOMIC CITY 東京118というイベントにブースを出すことになりました。はい。コミケです。なので、当然同人誌売ります。生まれ初めての経験でドキドキしています。
スタジオエトセトラとしての参加ではなく、「かるかる部」という名前で参加しています。これは昨年やっていたオンラインゲーム「モンスターハンターフロンティアオンライン」で所属している猟団の名前で、当然同人誌の内容もモンスターハンターをベースに作っています。といっても、モンスターハンターの中の物語ではなく、オンラインゲームを通じて知り合った若者たちの話です。チャットと画面情報のみで語られた少し変わった物語である「ランド3、ドンドルマ3」と、二人の女子高生がオンラインで出会う少し切ない短編小説である「絶対狩猟ガールズ」の二冊を販売します。どちらも書き下ろしで、ここでしか販売予定がありません。
モンスターハンターを知らない人でも読めるように工夫はするつもりです。
もし興味のある方がいたら、ぜひ遊びに来てください。スタジオのスタッフも多数参加する予定です。
詳しい場所や日程はこちらの臨時サイトで:
http://www.studioetcetera.com/~teddy/2008/TOP.html
以上、新年の挨拶と、こっそり宣伝でした。
みなさま、今年もよろしくお願いいたします。
http://www.studioetcetera.com/~teddy/2008/TOP.html
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遅ればせながらあけましておめでとうございます。
そしてお久しぶりです。向山です。
未だ新作が完成していないため、更新もままならない状態ですが、ひとつだけお知らせがあって臨時更新させていただきました。
実はひょんなことから今年の1/27日に有明の東京ビッグサイトで行われるCOMIC CITY 東京118というイベントにブースを出すことになりました。はい。コミケです。なので、当然同人誌売ります。生まれ初めての経験でドキドキしています。
スタジオエトセトラとしての参加ではなく、「かるかる部」という名前で参加しています。これは昨年やっていたオンラインゲーム「モンスターハンターフロンティアオンライン」で所属している猟団の名前で、当然同人誌の内容もモンスターハンターをベースに作っています。といっても、モンスターハンターの中の物語ではなく、オンラインゲームを通じて知り合った若者たちの話です。チャットと画面情報のみで語られた少し変わった物語である「ランド3、ドンドルマ3」と、二人の女子高生がオンラインで出会う少し切ない短編小説である「絶対狩猟ガールズ」の二冊を販売します。どちらも書き下ろしで、ここでしか販売予定がありません。
モンスターハンターを知らない人でも読めるように工夫はするつもりです。
もし興味のある方がいたら、ぜひ遊びに来てください。スタジオのスタッフも多数参加する予定です。
詳しい場所や日程はこちらの臨時サイトで:
http://www.studioetcetera.com/~teddy/2008/TOP.html
以上、新年の挨拶と、こっそり宣伝でした。
みなさま、今年もよろしくお願いいたします。
今年前半は未だかつてないほど私事がたくさん重なって、ドタバタとし続け、後半に入ってやっと仕事に集中できるようになってきました。悪いクセなのですが、とにかくぼくの場合、基本的に物語の構想がただひたすらふくらんでいく傾向があり、現在もどこでまとめるのかが自分の中での大きな課題となっています。
一度ワンパラで冗談半分に「新作は超能力少女もの」だと書いたところ、あっちこっちで「超能力少女できたか?」と聞かれるようになり、多少後悔の念が禁じ得ません。「超能力少女もの」という説明はたぶん実際の作品からかなりかけはなれていますが、まあ、あえてもう否定もしません。新作は順調……と、までは言いませんが、まあまあ進んでおります。なんとか年明けぐらいまでに原稿をひととおり形にできれば、と考えているところです。今回も「童話」と同じく、なんらかの形でイラストレーションが入りますので、その後、まだそっちの製作でしばらくかかるかもしれませんが、どうかもうしばらく待っていて下さい。
ワンパラも更新したいのですが、残念ながら今はまだちょっと余裕がありません。頭の中が保健室とか廃墟とかでいっぱいです。いずれ必ず再開したいとは考えていますが、今のところは時期未定ということでお許し下さい。
ぼくの住む小平市は少しずつ緑から赤茶色に変わりつつあって、朝晩の空気も冷え込んできました。この時期のキンとはった、冷たいけれど澄んだ空気が一年で一番好きです。冬の訪れを予感させる、どこか寂しげな空と相まって、いつも切なさが胸にこみあげてくる季節です。学生の頃はこの時期、よく缶コーヒー片手に町を歩いていました。もうあの頃とずいぶん町並も変わってしまいましたが、この空気だけは変わりません。
どうかみなさま、良い秋と冬の始まりを。
向山貴彦
けっきょく昨年は新しい本を一冊もお届けすることができなくて、申し訳ないです。いくつかの企画を並行して進めているのですが、何分、要領が悪い上に凝り性なもので、いつも準備段階と下書きに膨大な時間がかかってしまいます。世の中には一年に十冊も長編を書ける人だっているというのに、いつも二、三年に一冊ペースで、我ながら自分のトロさにあきれてしまいます。
書いては読み返し、主人公たちに「これでいいか?」と尋ねると、返ってくる返事はたいてい「違う。私はこんなんじゃない!」とかで、また最初から書き直したりを繰り返しています。時にはあまりに書くのが難しいので、ヤケになって「おまえなんか話から消してやる!」と特定のキャラクターを消してしまおうとしても、頭の片隅でそのキャラクターが寂しそうにしているのが見えて、仕方なくもう一度登場させたりしています。——そんなケンカと仲直りを数ヶ月に渡って繰り返しているうちに、一人一人がどんな人間で、どういうことに喜び、どういうことに悲しんでいるのかが分かってきて、やがてそれぞれのキャラクターを理解できるようになってくるみたいです。
たぶん、キャラクターを作ることは、友達を作ることと良く似ています。
出会って、話して、仲良くなって、誤解して、ケンカして、仲直りして、またケンカして……そうやって気がつくと、その人がほかの大勢の人とは違う特別な存在になっていくのだと思います。そして、どんなにがんばっても、どんなに急いでも、キャラクターを作るのも、友達を作るのも、時間が必要だと思います。二、三日でできた友達は、二、三日も会わなければ離れていってしまう。でも、二、三年かけて築いた関係は、何年会ってなくてもそうそうは壊れない。
古い人間だと思いますが、そういう形でしか、本が書けません。友達も作れません。
だから、新しい物語のキャラクターたちが全員揃うまで、どうかもうしばらくお待ち下さい。今年はきっと何か大きな物語をお届けできると思います。たくさんの友達を引き連れて。
ケンカと仲直りを何度も繰り返した、その果てに。
2006年のみなさまの幸せを祈っています。
向山貴彦
十代の頃は彼女のいないクリスマスが来るたび、やけになってセブンやフライングたちと「愛は勝つ」を大音量でかけながら違法駐車しているカップルたちの車の脇を通ったりもしたけど、今では妹の子供をあやすのがクリスマスイブの中心的な行事になってしまった。十代のぼくが描いていた、35歳ぐらいになった時の理想のクリスマスは、どこかの美しいホテルのスイートの窓からワインを片手に眼下を眺めながら、「キャビアをダースで」みたいな注文をルームサービスにかける休日を送ることだったのに、実際にはうさぎが印刷されたピンク色のプラスチックのスプーンを戦闘機に見立てて、口で「ブーン、ガガガガ」という効果音をつけながら、はしゃぐ一歳児の周りをグルグル回るのが今日のハイライトだった。
人生の理想はそうはかなわない。でも、きっとかなわない方がいい理想だってある。
今のところ、ぼくはホテルのスイートに泊まったことはないし、もちろんキャビアをルームサービスで頼んだこともない。それどころか、未だにキャビアととんぶりの違いも良く分からない。
でも、家族元気で揃って過ごすことができたし、やってて楽しいこともいくつかある。十年前のイブのように、クリスマスカードと一緒に財産差し押さえ通知が送られて来たりもしない。何よりも、三十五年も生きていて、まだそんなに世の中のことを嫌いになっていない。
この世にいくつパラレルワールドがあって、そこに何人の自分がいて、彼らがどんな素晴らしい生活をしていたとしても、ぼくは今ここにいる方がいい。なぜなら、ぼくが好きな人たちはここにしかいないから。優しい家族も、スタジオのバカな仲間も、笑い合える多くの友達も、ここにしかいないから。ホテルのスイートも、ルームサービスのキャビアもなくても、家族と一緒に食べる薄味のマカロニグラタンがあるから。——だから、ここがいい。
少なくても今どこかのスイートにいる理想の自分よりは、きっと今日、ぼくはずっと幸せな一日を送ったと思う。
メリークリスマス!
あなたが自分の理想よりも、ずっといい場所にいますように。
とある理由からスタジオエトセトラ下関支部長のたこすけ氏のところから、ネットバトンをいただきました。そんなわけで、久しぶりの更新です。質問内容は「音楽」に関するお題。しかし、実はぼくはこの「音楽」というやつには一方ならぬ苦い思い出があって……
質問1:PC、もしくは本棚に入っている「音楽」
ぐちゃぐちゃにいろんなものが入っています。というのも、ぼくはほとんど自分でCDを買うことが未だにありません。——サザンぐらいでしょうか、いつも買っているのは。子供の時に実家がまったく音楽を聴く習慣がなかったために、大人になった今も、音楽を好きにはなったものの、なんとなく普通の人ほど自然に聴けない部分があります。
小学校の頃、教室の前で一人ずつ立たされて、先生のピアノの伴奏に合わせて歌を歌わされるテストがあったのですが、自分の番の時に緊張のあまり、どうしても歌い出しを合わせることができずに、何十回もやり直させられた思い出があり、未だにそれがトラウマになっているのかも知れません。長くカラオケも避けてきたのですが、これはねこぞうのおかげでなんとか克服することができました。それでも間が空くと、今でもマイクを持つ手が震えるのですが。
そんなためか、なかなか自分から音楽を選ぶっていうのができないでいます。それでもiTunesにもCDラックにもけっこうたくさんのアルバムが入っているのは、ひたすら周りのみんなのおかげです。ねこぞうに大塚愛にはめられ、洋司にnine inch nailsを教えてもらい、ひらやんの影響でbump of chickenを聴き、zackyに向山用特製音楽セレクションCDをもらったりして、いつも少しずつみんなの音楽の趣味をお裾分けしてもらっています。だから、ぼくにとっての音楽はいつも「誰かの音楽」。たとえば、Xの「紅」を聴くと、このバトンをくれたたこすけの顔が浮かんできます。
前はそれじゃいかん、と思って、いっしょうけんめい自分でCDを探し歩いてみたこともあったのですが、年を取っていくに連れて、それはそれで良い音楽の聴き方なのではないかと思うようになってきました。
質問2:今妄想している音楽
これはまだあまり詳しく書けないのですが、新作に音楽が深くからんでいるので、やたらとそのへんのことは毎日妄想しています。主人公がいつも聴いているCDが物語の鍵にもなっているので、音楽なしでは話になりません。でも、考えれば考えるほど自分に音楽の素養がないことを痛感し、日々、ザッキーに「コード進行って何?」とか「パーカッションってどんな楽器?」なんていう質問をしながら、必死に知識をかき集めています。
質問3:最初に出会った音楽
上でも書きましたが、実はぼくは七歳頃までほとんど音楽を聴いたことがありませんでした。せいぜい教会で聴いた聖歌隊や、デパートで流れているBGMぐらいのものです。何しろ当時のうちの家にはレコードプレイヤーがありませんでした。それどころか、まともなテレビもラジオもありませんでした。テープレコーダーはあったのですが、ラジカセとかではなく、父が大学のスピーチや授業を録音するために使っていたもので、とても音楽を聴けるようなシロモノではありません。だから、7歳で日本に帰ってくるまで、レコードというものの存在をおぼろげにしか知りませんでした。そんなやつが現代にいるのか!って感じですが、紛れもなく事実です。
で、最初に出会った音楽ですが、ズバリ「コンバトラーVのテーマ」です。小学校一年の時に下関に引っ越して、そこで近所に住んでいた同級生の男の子「たけら」に学校帰りの道すがら、歌詞を教えてもらったのが今でも鮮明に記憶に残っています。しばらくしたら、自分でも口ずさみ、ついには寝ても覚めてもコンバトラーのテーマが頭から離れなくなってしまいました。今でもフルコーラスをソラで歌える数少ない曲のひとつです。
V! V! V! ビクトリー! コンバイン1、2、3……4、5、出撃だ〜。大地を揺るがす超電子ロボ〜♪
質問4:特別な思い入れのある音楽
これは難しい。本当に難しい質問です。
すでに上で散々書きましたが、本当に音楽に関しては思い出が全般的に少ないので。
ただ、ひとつ、とても思い出深いアルバムがあります。桑田佳祐がソロではじめてリリースした「Keisuke Kuwata」という一枚です。これはぼくが十八歳ぐらいの時に出た作品だと思いますが、当時体を壊して長期入院していたあと、自宅で療養中で、どんどん友達や同級生がそれぞれの道へ巣立っていく中、一人取り残されたような気分でいました。
その頃でした。このアルバムを聴いて、はじめて歌単独で涙が出てくるほど感動するという経験をしたのは。特に「いつか何処かで」は永遠に忘れない曲になりました。今でもこのアルバムはiTunesの中に入っていますが、再生するたび、下関の高台にあるバス停で、ぼんやり空を眺めながら「自分は何処へ行くのだろう」と考えていた当時の自分の姿が頭をよぎります。
ウォークマンから流れる「遠い街角」が「Oh oh, the wandering streets、Oh oh, just never to meet、夢のOh oh別れ道〜」と耳元で歌っていて、それを聴きながら初めて人生は無数の別れ道に満ちているのだということを実感として感じました。束の間、道を共にしても、人は皆いつか別れていってしまう。それはどうしようもないことで、世界は初めからそういうように作られているのだと。……でも、ふと遠い日に懐かしい思い出として、別れた人たちのことを、愛おしい過去の風景を、こうして音楽と共に思い出すこともできるのだと——
どこまでも高い秋の空を見上げながら、十代の終わりに、そんなことを考えていました。
]]>ぼくは昔から同時に二つのことができない不器用なタチで、新作長編への思いが深まっていくに連れ、どうしても意識が日常から離れてしまい、気軽にワンパラを書けなくなってしまいました。本当に頭の回路が単純でいやになっちゃいます。でも、物語中のキャラクターたちの気持ちを大切にしてやりたいので、しばらく向山貴彦でいることはあきらめようと思っています。
また、長編が一段落した頃、ゆっくりワンパラの更新を再開できたら、と考えています。
ここはぼくがぼく自身として、飾り気なくものを書ける唯一の場所なので、とても大事に思っています。ただのブログですが、自分の大事な作品のひとつには変わりありません。だから、中途半端な形で続けていくことは、今のところやめておこうと思います。いつも訪れてくれているみなさんには本当に申し訳なく思うのですが、もし、何かを書ける余裕ができたり、お知らせしたいことができた時には、気まぐれに更新している時があるかもしれません。よかったらたまには覗いてやってください。作品の進行状況やワンパラの再開見通しがたったら、すぐにお知らせします。
来年あたり、待っていてくださるみなさまの元へ五年ぶりの長編小説をお届けできるよう、いっしょうけんめいがんばりたいと思います。いつも読んで下さっているみなさまへの限りない感謝の気持ちを、こんな形でしか表せないことをお許し下さい。
みなさま、また会える時までどうか体に気をつけて、いい年末を!
ありがとうございました。本当にすみません。
2005年10月
向山貴彦
だいたいお寿司といえば、いなり、かんぴょう巻き、太巻きあたりがせいぜいで、せいいっぱい奮発しても、向こう側が透けて見えるえびが一枚乗ったちらし寿司が関の山だった。町内会の集まりで「今日はお寿司が出る」という噂が駆け巡った夜に、お皿に並んでいたのはかんぴょうと卵焼きと細いきゅうりが巻いてあるだけの巻きずしだったし、入院している時に献立表に「お寿司」と書いてある日があったので、楽しみにしていたら、酢飯の上に錦糸卵と桜でんぶが散らしたものが出てきたりした。
とにかく「お寿司」に関する限り、必ずといっていいほど期待を裏切ってくれる時代だった。
だから、「小僧寿し」という小さな店がジャスコの前にできた時も、別にさして気にも留めなかった。小学校三年生前後ぐらいの時期だったと思う。ファーストフードのような店構えができていくのを見て、束の間、マクドナルド下関1号店を期待したりもしたが、店名が漢字なのを見た瞬間、素直にあきらめた。
ところがしばらくすると、学校の友達や、近所のおばちゃんの間で妙にこの「小僧寿し」という名前を良く聞くようになった。そして、さらにそれに伴って、「手巻き」というあまり聞いたことのない単語も耳にするようになった。すでに体験した友達の間では「シーチキン巻き」というのが大変に評判が良かったのも憶えている。なんでもそれはマヨネーズ味なのだという。また、「えびきゅう」という、これまた聞いたことのないものも話題に登ることが多かった。こちらもマヨネーズが入っているということだけしか分からなかった。
今となっては、巻き寿司にマヨネーズを入れるのなんて、照焼ソースのハンバーガーと同じぐらいありきたりな存在になってしまったが、海苔巻きにマヨネーズという発想は、当時は衝撃的なものだった。また、今はどこのコンビニでも置いている「手巻き寿司」という独特のパッケージも、当時は何か不思議な魅力を持っていたのも確かだ。
町内会の干からびた海苔巻きぐらいしか寿司体験のない当時のぼくだったが、それでも徐々に「小僧寿し」への興味は広がっていった。しかし、新しい情報に疎いうちの両親が小僧寿しの存在に気が付くはずもなく、我が向山家の食卓に手巻き寿司が到来するにはまだかなりの月日が必要だった。
そんなぼくの元に、手巻き寿司は意外な形で訪れた。
当時のアパートの隣室に住んでいたWさん一家が上のお子さんの誕生会に招待してくれた時のことだ。人のプレゼントを勝手に開けてぼくらが遊んでいると、Wさんのお父さんが「ごはんだぞー」と言いながら、何やら大きな袋を抱えて仕事から帰ってきたのである。お父さんはぼくらの前で袋を炬燵の上に逆さまにして、中からたくさんの細長い包みを取り出した。一斉に子供たちから歓声が上がる。ぼくはそれが何か微塵も分かっていなかったが、男の子の性で、とりあえず一緒になって「やったー、やったー」と喜んだ。
どうやらぼく以外のみんなはそれが何か分かっているらしく、さっさと一本ずつとって、器用にビニールをはがし、中のごはんの固まりを転がしている。「説明を読む」というのは小学生の男の子にとって、屈辱的な行為だったので(「誰かに聞く」に至っては死ぬ方がましなことだった)、とにかく見よう見まねで「それ」をビニールから取り出した。醤油をつけておそるおそるかぶりついてみると、なんだかおいしい。それが何かさっぱり分からなかったけど、おいしかった。
実はこの頃、ぼくは生魚というのが一切だめだったのだが、この時、適当に取っていたのは鉄火巻きだった。普通なら生のマグロなど吐き出してしまっていただろう。——ところが、そのあまりに奇妙な形状にぼくはよもや巻いてある赤いものが生の魚だとは夢にも思わず、先入観なく食べたので、普通においしく食べてしまった。あとでこっそり「これ何?」ってWさんとこのおばちゃんに聞いたら、おばちゃんが「てっかまき」だというので、いっしょうけんめいその名前を憶えて家に帰った。
そして、次の日、「夕ご飯、何食べたい?」と聞かれたぼくは、母親にためらうことなく「てっかまき」と答えた。
そんな名前がぼくの口から出て来たことに驚きを隠しきれない母は、何かの間違いだと思って、ぼくに聞き返した。
「うそでしょ?」
「うそじゃないもん!」
「もう一度言ってみて」
「てっかまき」
「それって、生のお魚だよ」
実はこの時、ぼくは内心ものすごい衝撃を受けていたのだが、そこは男の子——一回、胸をはって言ったことを取り消せるはずもなかった。それで「し、知ってるよ!」と言ったあと、部屋に戻って鬱になったりした。
おそらくこの日、もし母親がぼくの言葉を真に受けて、スーパーでマグロの刺身を買い、家で細巻き寿司を作っていたなら、ぼくはやはり気持ち悪がって食べていなかっただろう。でも、賢明なうちの母はぼくの態度に不審な点を感じ、すぐにとなりのWさんのところへ昨日のことを聞きに行ったらしい。
かくして、その日の我が家の食卓に初めて小僧寿しが登場し、家族揃って新しい寿司時代の到来を祝った。
以来、今日までぼくは小僧寿しの大ファンである。関東では「京樽」というチェーン店の方が幅を利かせているが、ぼくは足繁く近所にある小僧寿しを目指す。何しろ、あの頃のぼくに生の魚を食べさせておいしいと思わせることができるような店は偉大な店だと今でも思っている。
]]>それから二十年後のセブンが当時の状況を逆の視点から個人サイト「寿少年」(9/21)で語っています。興味のある方は読んでみてください。今初めて明かされる、ぼくも知らなかった新事実が続々!……って、フライング、途中で帰るなや! ちょっとでもおまえを善人風味で描いてしまった自分に腹が立つわ!
ちなみにそのフライングが現在何をしているかというと、下関支部長たこすけ(日々の足跡 9/20)のブログによれば、どうやら東京からバイクで下関に向かっているらしい。
基本的には何も変わってないです。このあたり。バカばっかり。
]]>なんで突然この話かというと、実はここ最近高校生のキャラクターを少しでもリアルに描きたいという思いから、高校生の書いた日記形式の出版物ばかり探して読んでいたのだが、その中に闘病記のようなものが少なからずあったからだ。もうすぐテレビドラマ化も予定されている「1リットルの涙」という作品が特に印象的で、その文中に出てくる病院の記述や、そこで過ごす寂しさが痛いほどよく伝わり、当時のことを思い出さずにはいられなかった。
当時、ぼくは腎臓病の長期治療のため、高校を辞めて、岡山にある専門の病院へ入院していた。最初は三ヶ月ですぐに社会復帰するはずが、効くはずのクスリがちっとも効かず、次々にいろんな療法を試していくうち、入院期間は四ヶ月、半年と延び続け、ついには宛のない、いつ終わるとも知れない入院生活になってしまった。腎臓病というのは相当重傷であっても、自覚症状はだるさぐらいしかなく、特に15歳という若さではほとんど健康な状態と変わらない。それだけに当初は自分がなんでこんなところにいるのか良く分からず、ただ医者や看護師の指示に従って、茫漠とした日々を過ごしていた。
その病院は郊外にあるため、近くには国道が一本走っている以外何もなく、周辺はひどく寂しい場所だった。デイルームが全面ガラス張りで、そこから一帯が見渡せるのだが、見える範囲にはオートバックス一件と古びたラブホテルぐらいしかない。ただただ何もない、見知らぬ土地が遠く山々まで続いているだけ——半径200キロ以内に知り合いは一人もいない、本当にたった一人の入院生活だった。
毎日毎日、するごとがなくて、仕方なくそのデイルームのベンチに陣取り、ルーズリーフに小説を書いていた。入院した時にはまだ少しほろ寒かった外の日差しは徐々に強くなって、行き交う人も半袖となり、デイルームにはクーラーが入るようになった。月日は容赦なく過ぎていき、やがて秋の日差しとなり、山の斜面が黄色や赤に染まり、いつしか雪が窓の外を舞っていた。完全な冷暖房の施された窓のこちら側はそれでもいつも同じ温度で、年中同じパジャマを着ているためか、その移り変わる景色から取り残されたような思いがしていた。近くで建設していたビルは入院当初、土台しかなかったが、季節がもう一度暖かくなり始める頃には、すっかり完成していたのを憶えている。
友達はみんな高校へと進み、いろんなところでそれぞれにがんばっていた。義務教育という垣根を越え、社会へと羽ばたいていく時期。——この頃、良く列車に乗り遅れる夢を見た。その列車は修学旅行の列車なのだろうか、学生服姿の友達や同級生が乗っていて、ぼく一人だけが乗り遅れて、ホームで去っていく列車を見送っているというものだった。まるで長い長い一日が、どこまでも終わることなく続いていくようだった。
何もなかった一年間。でも、その何もない一年は、ぼくにいろいろ貴重なことを教えてくれた。人生には、実は決められたレールもルールもないということ。健康や日常というものが、当然なようでいて、実はどれほど儚く、もろいものであるかということ。そして、この世界には生まれつき体が弱く、生涯を病院で過ごす人々が、実は人知れずたくさんいること。
普段何気なくやっていること——ファミレスに行き、ごはんを食べること……ガソリンスタンドで給油すること……コンビニで買い物をすること……そんな些細なことを病院の窓から憧れの眼差しで見つめている目が、この世界にはたくさんたくさんあること。
先の二通の手紙の話は、どちらもその時期に受け取ったものだ。しかし、この二枚はフライングが出してくれた数十枚の手紙のうちの二通に過ぎない。手紙は「何のゲーム買った」とか、「早く童貞を捨てたい」とか、いつもしょうもない内容だったが、ほとんど毎週届いていた。退院する頃には膨大な量になっていたが、その中で一度としてフライングは慰めの言葉も、同情の言葉も書かなかった。学校で会話していたのと同じ、普通のことを、いつも普通に書いてくれた。
フライング以外にもう二人、スタジオには中学以来の最古参のメンバーがいる。セブンとよーじである。
セブンはある日、突然病棟に電話してきて「今から遊びに行くから」と言ってきた。しかし、彼がいるのは何百キロも離れた山口である。当時のぼくらはまだ高校生になったばかりだ。そんな遠くまで行く電車代などない。何の冗談かと思っていたら、夕方前になって、本当にセブンが現れた。まるで近所に住んでいるかのような軽装である。
何ヶ月ぶりかだったが、「うっす」と普通に病室に入ってきた。どうやって来たのか聞くと、ごまかしていたが、どうもなんらかの方法で新幹線にうまく隠れてきたものと思われる。「おみやげ」と言って、「メルヘンヴェール」というクソゲーも買ってきてくれた。
面会時間が終わると、セブンはまた「じゃ」とだけ言って帰って行った。ずっと後に分かったことだったが、セブンはこの時、病院が駅から何キロも離れていることを知らず、そこまでの交通費を持っていなかった。夕方近くに着いたのは、駅から歩いたからだった。
もう一人のよーじは小学校五年以来の付き合いだが、入院している期間中、たった一枚ハガキをくれた。
一年でたった一枚。これまたしょうもない内容のハガキだった。
その一枚のはがきは二十五年以上の付き合いで、年賀状も、暑中見舞いも送ったことのないよーじが、その時、たった一回だけくれたハガキだった。
よくホームに取り残される夢を当時見ていたと書いたが、退院する頃になって、その夢の内容は少しだけ変わった。
取り残されたと思って振り返ると、そこに連中が座り込んで、みんなでUNOをやっているのである。そして、ぼくにいつもの口調で「何やってんだよ、おまえの番だっちゅーに」と呼びかけてくる。「電車いいのか?」とぼくが聞くと、夢の中のセブンが気軽に「また次がくるって」と返事をした。
いろいろなことを教わった入院生活だった。
今も、時々、デイルームから来る日も来る日も見ていたあの景色が脳裏に浮かぶことがある。
ぼくはまだ、あの窓の向こうを憶えている。
]]>その日の午後、警備室からの電話でナースステーションに呼び出された。
電話を取ってみると:
警備員「ここにそちらさん宛の封筒だと思われるものが届いてるんですが、ちょっと確認していただいていいですか?」
向山「はい。」
警備員「宛名、読みますよ。」
ものすごい恥ずかしさの数秒間が過ぎる。
向山「……はい。たぶんぼく宛だと思います。差出人、誰になってるでしょうか。」
一瞬のいやな間のあと:
警備員「(努めて冷静な口調で)新・マニラマン3号って書いてありますが。」
向山「ぼくのです。」
フライングからでした。
]]>