2005年09月16日
まだ窓の向こうを憶えている
ここ二日ほど15歳の時に入院していた岡山の病院の話を書いた。
なんで突然この話かというと、実はここ最近高校生のキャラクターを少しでもリアルに描きたいという思いから、高校生の書いた日記形式の出版物ばかり探して読んでいたのだが、その中に闘病記のようなものが少なからずあったからだ。もうすぐテレビドラマ化も予定されている「1リットルの涙」という作品が特に印象的で、その文中に出てくる病院の記述や、そこで過ごす寂しさが痛いほどよく伝わり、当時のことを思い出さずにはいられなかった。
当時、ぼくは腎臓病の長期治療のため、高校を辞めて、岡山にある専門の病院へ入院していた。最初は三ヶ月ですぐに社会復帰するはずが、効くはずのクスリがちっとも効かず、次々にいろんな療法を試していくうち、入院期間は四ヶ月、半年と延び続け、ついには宛のない、いつ終わるとも知れない入院生活になってしまった。腎臓病というのは相当重傷であっても、自覚症状はだるさぐらいしかなく、特に15歳という若さではほとんど健康な状態と変わらない。それだけに当初は自分がなんでこんなところにいるのか良く分からず、ただ医者や看護師の指示に従って、茫漠とした日々を過ごしていた。
その病院は郊外にあるため、近くには国道が一本走っている以外何もなく、周辺はひどく寂しい場所だった。デイルームが全面ガラス張りで、そこから一帯が見渡せるのだが、見える範囲にはオートバックス一件と古びたラブホテルぐらいしかない。ただただ何もない、見知らぬ土地が遠く山々まで続いているだけ——半径200キロ以内に知り合いは一人もいない、本当にたった一人の入院生活だった。
毎日毎日、するごとがなくて、仕方なくそのデイルームのベンチに陣取り、ルーズリーフに小説を書いていた。入院した時にはまだ少しほろ寒かった外の日差しは徐々に強くなって、行き交う人も半袖となり、デイルームにはクーラーが入るようになった。月日は容赦なく過ぎていき、やがて秋の日差しとなり、山の斜面が黄色や赤に染まり、いつしか雪が窓の外を舞っていた。完全な冷暖房の施された窓のこちら側はそれでもいつも同じ温度で、年中同じパジャマを着ているためか、その移り変わる景色から取り残されたような思いがしていた。近くで建設していたビルは入院当初、土台しかなかったが、季節がもう一度暖かくなり始める頃には、すっかり完成していたのを憶えている。
友達はみんな高校へと進み、いろんなところでそれぞれにがんばっていた。義務教育という垣根を越え、社会へと羽ばたいていく時期。——この頃、良く列車に乗り遅れる夢を見た。その列車は修学旅行の列車なのだろうか、学生服姿の友達や同級生が乗っていて、ぼく一人だけが乗り遅れて、ホームで去っていく列車を見送っているというものだった。まるで長い長い一日が、どこまでも終わることなく続いていくようだった。
何もなかった一年間。でも、その何もない一年は、ぼくにいろいろ貴重なことを教えてくれた。人生には、実は決められたレールもルールもないということ。健康や日常というものが、当然なようでいて、実はどれほど儚く、もろいものであるかということ。そして、この世界には生まれつき体が弱く、生涯を病院で過ごす人々が、実は人知れずたくさんいること。
普段何気なくやっていること——ファミレスに行き、ごはんを食べること……ガソリンスタンドで給油すること……コンビニで買い物をすること……そんな些細なことを病院の窓から憧れの眼差しで見つめている目が、この世界にはたくさんたくさんあること。
先の二通の手紙の話は、どちらもその時期に受け取ったものだ。しかし、この二枚はフライングが出してくれた数十枚の手紙のうちの二通に過ぎない。手紙は「何のゲーム買った」とか、「早く童貞を捨てたい」とか、いつもしょうもない内容だったが、ほとんど毎週届いていた。退院する頃には膨大な量になっていたが、その中で一度としてフライングは慰めの言葉も、同情の言葉も書かなかった。学校で会話していたのと同じ、普通のことを、いつも普通に書いてくれた。
フライング以外にもう二人、スタジオには中学以来の最古参のメンバーがいる。セブンとよーじである。
セブンはある日、突然病棟に電話してきて「今から遊びに行くから」と言ってきた。しかし、彼がいるのは何百キロも離れた山口である。当時のぼくらはまだ高校生になったばかりだ。そんな遠くまで行く電車代などない。何の冗談かと思っていたら、夕方前になって、本当にセブンが現れた。まるで近所に住んでいるかのような軽装である。
何ヶ月ぶりかだったが、「うっす」と普通に病室に入ってきた。どうやって来たのか聞くと、ごまかしていたが、どうもなんらかの方法で新幹線にうまく隠れてきたものと思われる。「おみやげ」と言って、「メルヘンヴェール」というクソゲーも買ってきてくれた。
面会時間が終わると、セブンはまた「じゃ」とだけ言って帰って行った。ずっと後に分かったことだったが、セブンはこの時、病院が駅から何キロも離れていることを知らず、そこまでの交通費を持っていなかった。夕方近くに着いたのは、駅から歩いたからだった。
もう一人のよーじは小学校五年以来の付き合いだが、入院している期間中、たった一枚ハガキをくれた。
一年でたった一枚。これまたしょうもない内容のハガキだった。
その一枚のはがきは二十五年以上の付き合いで、年賀状も、暑中見舞いも送ったことのないよーじが、その時、たった一回だけくれたハガキだった。
よくホームに取り残される夢を当時見ていたと書いたが、退院する頃になって、その夢の内容は少しだけ変わった。
取り残されたと思って振り返ると、そこに連中が座り込んで、みんなでUNOをやっているのである。そして、ぼくにいつもの口調で「何やってんだよ、おまえの番だっちゅーに」と呼びかけてくる。「電車いいのか?」とぼくが聞くと、夢の中のセブンが気軽に「また次がくるって」と返事をした。
いろいろなことを教わった入院生活だった。
今も、時々、デイルームから来る日も来る日も見ていたあの景色が脳裏に浮かぶことがある。
ぼくはまだ、あの窓の向こうを憶えている。
投稿者 向山貴彦 : 2005年09月16日 11:15