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2005年05月23日
携帯電話の意味
携帯電話について、いろんな意見を掲示板にいただきました。
やはりみんな感じていることなんだなあ、とあらためて思いました。
思うに、昔の固定電話というのはあまり精神的な負担になっていなかったような。
それどころか、「いざとなれば連絡できる」という保険のような存在で、安心感を与えてくれるものだった。外観の丸っこくて全面的にアナログなイメージも手伝ってか、あの機械から威圧感を受けるということはなかったように思う。なんとなく
「忠実な秘書」という印象の機械だった。あの機械が鳴り始めると、「ご主人、会社の人からお電話が。」というような感じで、なんとなく温かささえ感じたが、今の携帯電話のベルはまるで「出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ」と鳴っているように思えて、鳴るたびにイライラしてしまう。
きっと携帯電話がこんなに普及したことによって、携帯電話の存在そのものが変わってしまったのだと思う。都市部の大人などに限っていえば、もはや所有率は限りなく100%に近いという異様な状況が成り立っている。そのことによって携帯電話をかける時、「相手が出るかもしれない」という意識から、徐々に「相手は出ないとおかしい」という認識へと移り始めているような気がするのだ。
一日中身につけていて、たとえ音を切っていようとバイブレーターで強制的に着信を知らせ、ボタンひとつ押さなくても勝手にメールを受信したあげく、「着いた着いた」とわざわざ知らせてくれる。そして、一回でもかければ、その「かけた」という事実が着信履歴に残る。最近の携帯なら、開くと「何時何分に誰々から電話があった」と表示されているので、見落とすことは不可能だ。そこには隙も余裕もまったくない。
家の固定電話の時代には「電話に出ない」ということに特別意味はなかった。電話して、誰も出なければ「留守だ」とか「風呂に入ってるのだろう」ぐらいにしか思わない。そこにはかける側にもかけられる側にもストレスがない。何しろかけた側も、かけられた側も、いくらでもとぼけられるし、返事をしなかった電話はなかったものと同じになる。
しかし、携帯電話に「出ない」ということには、別の意味ができてしまった。かけた側は携帯電話がつながらないとすぐに疑心暗鬼になってしまう。「わざと見て見ぬふりをしてるのだろうか」「何かあったんじゃないだろうか」「嫌われたんだろうか」。相手はもしかしたらただ家に携帯電話を忘れただけかもしれないが、それでもいろんなことを考えてしまう。結果、出るまで何度もかけてしまったりする。
一方、受け手側は何度もの着信履歴に気がつくと、「怒ってるのではないか」「何か困ったことが起きたのではないだろうか」「わざと出ないと思われてるだろうか」などという考えが脳裏をかすめ、電話を返すのも気が重くなる。しかし、ここでで電話を返さないと、やはり新たな誤解につながってしまうことも分かっている。
何しろ「気がつかなかった」「電話するチャンスがなかった」「疲れてた」などの言い訳が効かない。携帯電話はいつもそこにあるのだから。あれだけ小さくて軽くなったら、持って行くのが面倒だとか、重たいだとか、そんな言い訳さえも通じなくなる。持っていてあたりまえ。返事して当たり前。そうしなければ、そこには何か「意味」ができてしまう。そして、その意味はたいていあまりいい意味ではない。
これから先、きっと「携帯を持たない」もしくは「好きな時しか出ない」と宣言する人がどんどん増えてくると思う。ぼく自身が数年前からそうしようとずっと迷っていて、今ひとつ踏ん切りがつかずにいるのだが、今年はいよいよそういう可能性を本気で考え始めている。確かに携帯電話は便利だし、楽しい側面もある。でも、その代償として払っているストレスに比べれば、それは本当はたいした価値ではないんじゃないだろうか。
個人的には日本中の人が最近イライラしているのを感じる——もちろん、ぼく自身も含めてだ。
そのイライラが顕著に現れ始めたのは、ちょうど携帯電話が普及し始めた頃からだったと思う。
今やビジネスマンには携帯は「必需品」だと言われている。
でも、果たして本当にそうだろうか?
この世で、本当になければ困るものなど、そんなにたくさんあるのだろうか。
少なくとも、二十年前には今のような携帯電話を持っている人など誰もいなかったが、世の中は普通に動いていた。「ああ、こんな時に携帯電話があれば……」などと思う人なんていなかったと思う。連絡する必要があれば、あたりまえに近くの公衆電話を探しただけだ。そして、探しているうちに冷静になったり、考え直したりもできた。十分、便利だった。
どこかの研究者が携帯電話から出る電磁波が脳に有害だと訴えている。それが本当かどうかは分からないが、別に電磁波を出していなくても、携帯電話は十分脳に有害かも知れない。おそらくもう手遅れだろう。車もテレビも一度手に入れたらなかなか手放せないように、携帯電話もすでに我々を支配している。今、一般の社会人が携帯電話を手放すことは、戦場で自分だけ武器を捨てるのと同じようなものだろうから、誰も捨てることなんてできない。
また携帯電話が鳴っている。出なければいけない。出なければきっと嫌われてしまうから。
出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ出ろ……
投稿者 向山貴彦 : 2005年05月23日 13:33