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2005年05月29日

三十代の暴走

今日読んだニュースによると、なんでも二十代、三十代の暴走族というのが増えているらしい。

逮捕者も多数出ているようで、はじめは「ほんとかよ!?」と耳を疑ったのだが、逮捕者の年齢を見ると、けっこう自分の世代の者が混ざっていた。なんでも十代の頃に乗っていた旧型のバイクや車を引っ張り出して、それで走り回っているのだという。そこまで記事を読むと、少し気持ちが分かる気がした。

十代の頃には走り屋さんやら、喧嘩屋さんやら、暴走族やら、いろんな人が周りにいたが(もちろん、それ以外の普通の人もいっぱいいました)、今ではそんな連中もみんな三十代半ばにさしかかりつつある。昔は徹夜しようが、一日中野球をしようが、疲れることなど知らない体だったのに、最近ではグロンサン内服液なしでは朝ご飯も食べられないほどに弱ってきている。「喧嘩上等」だったのが、今では「十時消灯」になり、宴会でひげダンスを踊らせたら社内で一番だったりする。かつては時速200キロで赤信号を無視しても怖くなかったのに、今では息子が原因不明の熱で寝込むと、血便が出る程ほど心配だったりする。

だから、ふとある時、夜中に寝付けずに天井を見ていて気がつくのかもしれない。
もう二度とあんなに気持ちよくバイクで走ることなんてないんだろうな、と。

三十代……本当に微妙なお年頃である。
筋力も衰えて、反射神経も弱って、昔より命を大切に感じている。医者からは酒の量を控えろとも言われている。
でも、やればできないというほどでもない。ちょっとムリをすれば、まだぎりぎり走れるぐらいのところではある。
でも、今から五年後なら、もう分からない。十年後なら、まず確実にムリだ。
もしかしたら、今が最後のチャンスなのかも知れない。

半分の人はそこで横に寝ている妻と子供の顔を見て、「何ばかなこと言ってるんだ、おれは」と思って、それきりそんなことは忘れるのだろう。でも、その時、たまたますごく仕事が行き詰まっていて、人生が息苦しく感じられるもう半分の人たちは、寝床からむくっと起きあがって、インターネットの中古バイク屋で昔乗っていた愛車を検索し始めるのかもしれない。夜中にパソコンに向かって、一人電気の消えた部屋で懐かしいバイクの姿を見ていると、たまらなく寂しくなるのだろうか——鏡を見ると、腹も出ているし、髪の毛も薄くなった。あれだけ好きだったロックのCDも、今ではほとんど聴いていない。
でも、あの頃乗っていたバイクだけは、今も少しも変わっちゃいない。

別に今さら世間に迷惑をかけたくはない。近所の人たちを夜中に起こして回りたいわけじゃない。そこは三十代——人生だってそれなりに生きている。自分ががんばっているように、となりの青山さんも、向かいの秋本さんもみんな朝から晩まで働いているのは知っている。彼らだけじゃない。世の中のほとんどの人がそうだということは身に染みて分かっている。だから十代の頃のように世の人々が憎いわけじゃない。世間に腹が立つわけじゃない。

そうじゃない。
そうじゃないのだ。

たぶん暴走族とかバイクとか、そういうものに限らず、誰しも年をとっていく過程で、「ああ、おれはもう二度とあれをすることはないんだろうな」と気がつく瞬間があるのだと思う。
もう二度と誰かを好きになって、ときめくことがない……。
もう二度と力一杯、人と殴り合いの喧嘩をすることがない……。
もう二度とグラウンドで息が枯れるまでボールを追い回すことがない……。
もう二度とみんなで夜中に土手に集まって、ふざけながら一晩中過ごしたりできない……。

そう強く感じ始めるのが、「三十代半ば」という年齢ではないのだろうか。
「無謀な挑戦」という若者に与えられた特権を手放してしまう前に、もう一度だけあの熱い気持ちを思い出しておきたい。そしたら老人になった時でも、きっと思い出せる。——そう考えてしまう年齢なのだと思う。

得てしてその「最後の挑戦」はとてもコミカルな結末を迎えてしまうことが多いのかもしれないが、それでもきっと挑戦した人たちには何かが残るのだろう。「三十代の暴走族」を奨励する気は毛頭ないが、なんとなくそういうことをやってしまう人たちの気持ちは分かるような気がする。……そして、心の中で拍手を送りたい、という気持ちもある。
きっと彼らは、「若者」という特権が失われる時、ほかの人たちよりもほんの少し素直に、それを手放せるのではないかと思うからだ。

我々の世代の最後の反逆者たちよ。
事故と腰痛にだけは気をつけて、せいいっぱい疾走してくれ。

勇気のない、ぼくの分まで。

投稿者 向山貴彦 : 2005年05月29日 21:27

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