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2005年05月15日

コーヒーと消毒薬の匂い

 今、書いている物語に保健室と、「保健室の先生」が良く出てくるので、いっしょうけんめい学校の保健室について細部まで思い出しているうち、ふと懐かしいことを思い出した。ずっと忘れていたことだった。

 小学校低学年の時にはどちらかというと内向的で、学校のいろんな行事にいちいちびびっていたぼくは、ほかの似たような性質の子供とご多分に漏れず、よく保健室の世話になった。貧血起こしたり、風邪引いたり、転んだりはもちろんなのだが、それ以外にも理由をつけてはよく保健室に避難していた。——それは主に当時の保健室の先生がとても好きだったからだ。
 とにかく優しい女の先生で、ほかの先生なら「何あまえとるんだ」の一言で片づけられてしまいそうなことを、子供の視線までしゃがみ込んで、長い間うんうん聞いてくれる人だった。あの時はすごく大人に見えたが、おそらく今考えてみると、たぶん大学を出てすぐぐらいの年齢だったのではないかと思う。顔はすっかり忘れてしまったが、子供心にも「きれいな人」という印象が残っている。

 辛いことがあると、保健室の片隅でじっと立っていると、「向山くんはどうしたのかなあ」と言って笑顔でやってきてくれる姿が、小学校時代のぼくの「安心」の定義といってもよかった。世界中のどんな悩みでも解決してくれる、魔法のような人だった。プールが怖くて、一回仮病でかくまってもらった憶えもあるし、心細くなって泣いていると、勝手に職員室で温かいお茶を入れて飲ませてくれた憶えもある。

 でも、残念ながら、どんな魔法も永遠には続かない。
 小学校三年生のある日、先生が今月いっぱいで退職することを突然知らされた。その時は良く分からなかったが、たぶん赤ちゃんができて、産休に入ったのではないかと思う。だいぶ「やめないで」と泣いてすがって困らせた覚えがある。最後の日は放課後、外が真っ暗になるまで、ずっと保健室のベッドに座って、ひっくひっくやっていた。なんとなく世界の終わりのような気がしていた。いったいこれから心配なことがあったり、辛いことがあったりしたら、どうすればいいのだろう。どこへ行けばいいのだろう。もう先生に会えなくなるというのは、いったいどういうことなのだろう。さっぱり分からなくて、とにかく感じたことのない絶望的な悲しさにうちひしがれていた。

 帰る時間になっても、先生はなぜか机から動こうとしなかった。ぼくはずっとうつむいていたので、そのことになかなか気がつかなかったが、ふと顔を上げると、先生が泣いていた。ただ、涙ぐんでいるのではなく、ハンカチを目にあててぼろぼろ泣いていた。それまで「男の子がそんなことでどうする」とか、「先生は泣き虫は嫌いだな」と言っていた先生が、急に涙声でぼくに「ごめんね。先生、そばにいられなくてごめんね」と言った。最後の最後までわがままを言い続けて、よほど辛い思いをさせてしまったのだろう。

無敵だと思っていた先生が泣いている姿——それはぼくを泣きやませるに十分なショックだった。たぶん、「強くなる」とはどういうことなのか、ぼくが人生ではじめておぼろげに感じた瞬間だと思う。気がつくと、必死に涙をふいて、「がんばる。一人でもがんばる。先生泣かないで。」と言っていた。考える前に言っていた。自分が弱虫だとずっと確信していたぼくは、自分の口からそういう言葉が出てくること自体が信じられなかった。「向山貴彦」はそういうことが言えない人間だとずっと思っていた。先生はとてもうれしそうにうなずいて、「大丈夫だよ。先生がいなくても、向山くんならちゃんとやっていける。」と言ってくれた。そして、暗くなった正門から何度も何度も振り返りながら、手を振って学校を去っていった。

 不思議なことに、その後、ぼくはあまり保健室に行かない子供になった。
 内向的な無口な子供から、やたら外向的なうるさい子供に急激に変貌していった。要因はいろいろあったと思うのだが、今振り返ってみて、あの時の保健室の先生の一言が大きな理由のひとつだったのは確かだったと思う。まるで「向山くんは」ではなく、「向山くんなら」と言われた瞬間から、ぼくの中に「向山くん」という別のイメージができていったのかも知れない。「ぼく」は弱虫だったが、「向山くん」はがんばる子じゃなきゃいけなかった。あきらめない、前向きな子じゃないといけなかった。あの保健室の先生がそう言ってくれたのだから、負けるわけにはいかなかった。

 たぶん、人生で出会ったいろんな人から少しずつどういうことが「優しさ」で、どういう事が「強さ」なのか、分けてもらってきたような気がする。そのうちのひとつは確かにこの時、その先生からもらった。その先生は、時としてどんな恐ろしい悩みも、ただ優しい笑みと、ちょっとした励ましだけで乗り越えていけることを教えてくれたのだった。

 大人になって、世界中のすべての悩みが保健室では解決できないことを知ったあとも、ぼくは今でも不安になったり、悲しくなったりすると、学校の保健室に行きたくなる。ドアを開けると消毒薬の匂いに混ざってコーヒーの香りが立ちこめていて、部屋の端では先生が机に向かって何か書類を書いている。悲しそうに戸口に立っていれば、白衣のコートを着た優しい先生がいつの間にかそばに来て、「向山くんはどうしたのかなあ」ときっと声をかけてくれる。
 それだけで、もう何も心配することなんてなくなる。
 ぼくが一番「向山くん」でいられる日には、今でも時々、本当にそう信じられることがある。

投稿者 向山貴彦 : 2005年05月15日 20:17

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