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2005年05月08日

で、春ってけっきょく何月から何月だっけ?

二十代が終わるまでは、正直、季節というものを意識したことはほとんどなかった。

雪が降ってるから冬なのだろう、とか、クーラーをつけたから夏なのだろう、とか、江戸時代の俳人が聞いたら「日本人、地に堕ちるる」などと嘆かれそうな季節感の持ち主だった。というのも、実際、季節がまるで生活に関係なかったからだと思う。

何しろ、ぼくは三十になるまで、夏服と冬服という概念もろくになかった。夏はTシャツ一枚、秋になるとその上にシャツ、寒くなってきたらジャンパー、それでだめならコート。春になって温かくなってきたら、このサイクルを逆にたどっていくだけである。季節に会わせて洋服の出し入れなど考えたこともなかった。——というよりはそんなことをしているのはハリウッドのセレブぐらいだと思っていた。

たとえば好きなアーティストのライブがあって、チケットを買うために、前の晩から徹夜で並ばないといけないというような場合を想定してみよう。
今だとその場所と季節からどんな服装なら寒くないかを考え、さらにはカイロや虫除けなどを用意し、前の日には天気予報をチェックしたりもするだろう。その並ぶ時期が夏ならともかく、冬だったらきっと計画そのものを中止にするだろう。

ところが十代の頃だと、もう頭の中にはチケットのことしかないので、気温が2度ぐらいしかないのに、ふと気がつくとシャツ一枚で会場に立っていたりする。ジャンパーは持ってないのに、ゲームボーイだけは持っていたりするところがお茶目だ。
会場に着いたら雪が降ってて、その時点でやっと今って冬だったよな、冬って寒いんだっけ、みたいなことを考えてみたりするのだが、とりあえずみんなではしゃいでいると、そのまま夜に突入してしまう。凍えるほど寒くなるのだが、「缶コーヒー飲めば温かいよ」とか無茶な理屈でごまかし、「気合いが入っている」ことを友達に示すためだけに、よせばいいのにアイスクリームまで食べたりする。結果、38度の熱を出したりするのだが、ライブが始まると、それでも平気で二時間踊って帰ったりするから、健康法もくそもない。WHOなんてくそくらえの世界だ。

これでは季節などいつでも同じなのだ。

だから、あの頃はニュースで「やっと春ですねー」などとアナウンサーが喜んでいるのを見ても、いったい何がうれしいのかさっぱり分からなかった。十代の男子にとって、春というのは夏に女の子が薄着になる一歩手前の時期だということぐらいにしかとらえられない。試しに手近な十代の男子に「春って何月から何月のこと?」と聞いてみるといい。賭けてもいいが、耳を疑うような答えがいっぱい聞けるはずだ。

季節がからむものといえば、食べ物もそのひとつ。春には春の、秋には秋の味覚がたくさんある。今のぼくはとりあえずこどもの日にちゃんと柏餅を食べるほどに成長したが、十代のぼくにとって、食べ物とは季節で区切るものではなく、マクドナルドが何のセール期間中かで区切るものだった。季節が春だろうと秋だろうと、マクドナルドで今フィレオフィッシュが半額なら、それはフィレオフィッシュの季節なのだ。ポテトのLが一ヶ月間100円セールだった時には、朝から晩までポテトの季節だった。(その結果、次の月が胃潰瘍の季節になったりもした。)

とにかく体が季節によって変わるということなど皆無だった。季節にも時間帯にもなんら左右されず、いつも自分は一定だと思っていた。——しかし、ぼくにとって至極あたりまえだったこの事実は30という年齢と共にもろくも打ち破られた。

季節の変わり目になぜか調子が狂う。冬になると腹をこわす。インフルエンザが始まるとびくびくし、花粉症の季節にはマスクをする。中学生の時に「どっちの方がたくさん花粉を吸えるか」という虫けらでも思いつかないような遊びを考え、咲き誇ったセイタカアワダチソウの中に突っ込んで、大きく十回深呼吸をしてから、誰が一番早くくしゃみができるかを競った思い出が恥ずかしい。罰ゲームとして「インフルエンザの友達とキスする」などという戯けたことを思いつくことそのものが、いかに体が無駄に元気かという証拠だと思う。

今では天気予報が知らせてくれる前に、なんとなく体が季節を教えてくれるようになってしまった。食欲もしっかり季節に合わせて変動するし(昔は主に財布の中身で変動していた)、気分も天気によって大きく左右される(昔は雨が降ると、「死闘」とかと称して、わざと外で野球をしたりしていた)。若さが少しずつ失われていくのは悲しくもあるが、その分、もっと細かい生活の変化は楽しめるようなった。さすがに八月にまだ炬燵が居間にあったり、冬場に暖房器具を買い忘れて、台所でジャンプを燃やして暖を取ろうとしたりもしなくなった。
何よりも冬の寒さが過ぎて、春の最初の温風が南からやってくるのを、うれしく感じるようになった。
また、9月頃、静かに夏の暑さが遠ざかっていくのを感じると、漠然と寂しい気持ちを感じるようにもなった。

春夏秋冬——地球の環境が壊れつつあり、四季もずいぶん崩れてきてはいるが、それでもぼくらは季節と共に暮らすしかない。痩せても枯れても、まだ、ぼくらは日本人なのだから。

投稿者 向山貴彦 : 2005年05月08日 23:13

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