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2005年05月07日
起き抜けに思う
新作の主役以下、登場人物の多くが高校生であるため、毎日学校の様子を想像するのがくせになってしまい、夢の中でも自分が高校生として出てくるようになってしまった。ただ、いかんせんもう二十年弱前のことなので、脳もなかなか完全に高校生時代を再現できないらしく、出てくる風景はものすごく大ざっぱな大道具係と、いい加減小道具係が作ったセットみたいになってしまっている。
校舎や廊下は中学校の時もので、教室は大学のものだったり、玄関先だけは去年取材にいった学校とすり替わっていたり、記憶のコラージュのような学校に夢の中では登校している。体育館なんて近所の市民体育館だからいい加減な話である。
いい加減といえば、学校に置いてあるものもかなりいい加減だ。確か高校の廊下にはエヴァンゲリオンやPRIDEのポスターは貼ってなかったように思うが、うちの学校ではあっちこっちに貼ってある。トイレには王貞治のオロナミンCのポスターがでかでかと貼ってあった。きっと記憶倉庫の管理人がかなりいい加減なファイリングをしているのだろうが、それだって校長先生が菅井きんであったことに比べると、たいしたミスではない。
でも、本当にすごいのはクラスメートである。
実人生でクラスメートだった人は半分ぐらいで、それもあっちこっちの時代から拾い集めて同じクラスに入れられた形になっている。中には常日頃から「あの人とあの人が同じクラスだったらどんな感じだろう」みたいな疑問に応えてくれるようなドリームチーム的クラスである。こども時代にしばらくアメリカの小学校に通っていた経験があるのだが、その時に好きだった金髪の女の子が、日本の中学校で片思いしていた女の子としっかり親友になっていたりする。言葉も通じない上、年齢もずれているはずなのに、器用に仲良くしている。昼休みとかには、二人が何を話しているのか、もう気になってしょうがない。時々聞こえてくる笑い声だけは妙にリアルに再現されているので、脳の音響記憶倉庫の管理人だけは優秀なようだ。
さらにクラスメートには仕事先の仲間や、行きつけの病院のスタッフや、昨日見たテレビドラマの主人公や、どう見てもアニメのキャラらしい人まで混ざっている。話す話題だって、時代の壁を越え、年齢のギャップを破り、ぼくの今までの三十四年の人生全部にまたがっている。誰にスライムの話をしようと、ガンダムシードの話をしようと、クオークのPDF変換の話をしようと、普通に通じてしまうから便利だ。携帯電話だってちゃんと持っているのに、クラスの話は今、ドラクエ2が発売されたことに持ちきりになっている。いったい西暦何年なのだろう。
時計は授業開始十分前を指していて、みんな絶えず「やばいよ。もう先生くるよ」と思いながらも、バカな話に花を咲かせている。でも、授業はいつまでたっても決して始まらない。時計は止まったままで、その楽しい時間は凍り付いたまま続いていく。ぼくはあのころと同じように窓際の机に座って、「超思考生命体ラベンダー」とか「夢の大地ギズミア」とかいった恥ずかしいタイトルの小説を購買部で買ったコクヨのノートに書き込みながら、窓の外の景色を見ている。
学校のフェンスの外ではこちら側と隔てられた世界で、大人たちが忙しそうに行き来している。いつか、あの中の一人に自分がなって、フェンスの向こうからこっちを覗く日がくることが信じられない。高校生の「未来」とは、せいぜい秋の文化祭のことである。ぼくの感覚では、その先なんて訪れるはずはなかった。
ふいに目が覚めると、自分がどこにいるのか分からない。実家のベッドなら、頭のすぐ脇のある棚にトトロのねこバスがのぬいぐるみがあるはずだが、それもない。ゆっくり一分ぐらいかけて、現実を思い出していく。ここは東京で、あのクラスにいた人は、今では世界中でバラバラになっていて、中にはもう二度と会えない人もいる。ねこバスのぬいぐるみはとっくに倉庫にしまっているし、ぼくの実家の部屋は今ではゲストルームになっている。
そうだ。ここは、あのフェンスの向こう側だ。
居間に起き出してきて、熱い紅茶の一杯も飲み、だんだん夢の中クラスの記憶が薄れていくのを感じながらぼーっと天井を見る。午前中に市役所に印鑑証明を取りに行くんだった。今週末までにもう20ページは原稿を仕上げなければ。昼ご飯の材料も買いにいかないと。——現実がゆるやかに心の中へ染み込んでくる。もう、ぼくも、ぼくのクラスメートも、誰も高校生じゃない。
でも、ふと考える。
束の間、夢の中で再会したみんなは元気だった。
あの頃と何も変わらず、くだらない話で盛り上がり、楽しそうだった。だから、ぼくもがんばることにしよう。そう思えてくる。
とりあえずルーズリーフを取り出して机に向かう。クラスを遠く離れて、今は町の片隅で一人原稿を書く毎日だが、それでも寂しくはない。
何しろ目には見えないけど、ぼくの回りには三十六年分のクラスメートが今も一緒に座っている。
投稿者 向山貴彦 : 2005年05月07日 12:10