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2005年03月27日
消えていく伝統文化に関して
今時ラブレターなんて書いている人はいるのだろうか。
ラブレターファンとしては、そのうちラブレターという存在そのものがなくなってしまうのではないかとひそかに危惧している。
何しろ、今はメールという便利なものがある。しかも携帯へのメールだとすぐに届くし、まず確実に本人しか読まないし、字数も制限されているので、むだに長くなってしまう心配もない。愛の告白にこんなに適しているメディアというのもほかにないだろう。
メールのなかった時代だとこうはいかなかった。中学生ぐらいの男の子が同級生の女の子に告白しようと思うと、とりあえずラブレターぐらいしか方法がなかったのである。何しろ携帯電話どころか、子機もない時代なので、電話をすると相手の家族全員が揃って「ザ・ベストテン」を見ているお茶の間とかにかかってしまうのだ。しかもそういう時、出るのは決まって相手の親父である。すでにビールが二杯ぐらい入って、いい具合に出来上がっている親父に、「すみません○子さん、いますか」とか聞くと、あからさまにいやなトーンで「どちらさまですか」と聞き返されてしまう。なんとか震える声で「同じくクラスの向山といいます」と返事をすると、親父に「○子は寝てます」と言われて切られるのが関の山である。仮に切られなかったとしても、続くのは「おーい、○子。なんか男の子から電話だぞ。(「男の子」のところに強いアクセント)」と家中に響く声でのアナウンスであって、出てきた女の子は恥ずかしくて話せるような冷静な精神状態ではなくなってしまっている。これではもはや告白など絶望的だ。
だから、電話で告白などという無謀なことはさすがにしない。ラブレターの出番である。
しかし、ラブレターを書こうとして、最初に中学生男子が気がつくのは、自分がまともな手紙など今まで一通も出したことがないということだ。いったいどんな紙に何と書いていいのかさえ分からない。とりあえずここで、男子がやってしまう典型的な失敗例が三つある。
1、両親の机から「竹の香」などといった名前の、何を書いても遺書に見えてしまう渋い便せんをとってくる
2、雑貨店で自分のイメージとかけ離れたかわいい便せんを買ってくる
3、手近なノートのページをやぶりとる
ちなみに成功例などない。この三つの失敗例のどれをやるか、だけである。
やっと便せんを手に入れたとしても、次の難関は書くタイミングだ。何しろ普段は「おれは女になんか興味はねえ」と言っている手前、妹や母親にラブレターを書いている最中に見つかったら素直に自害するしかない。なので、当然書く時間に選ばれるのはみんなが寝静まったあとの丑三つ時ということになる。
これが致命的である。すでに立派な大人になっている男性の方々は身を持って知っていることと思うが、深夜にラブレターを書くというのは自殺行為である。何しろ外には星降る夜空、ラジオからはラブソング、頭は眠気と疲れでハイときている。こういうときにはともすれば平気で「ぼくは君の愛の海で溺れる悲しい難破船さ。」というような、後に高校卒業まで「難破船」というあだ名になってしまう原因となる文を平気で書いてしまえるからだ。しかも、その時はそれを読んで、自分であまりの美しさに泣いてしまったりするから余計にタチが悪い。
そんなわけで、友達に見られたら命に関わるようなラブレターが出来上がるのだが、問題はそのあとにやってくる最大の難関——相手にどうやってその手紙を渡すか、である。
切手を貼ってポストに投函するのがなんといっても簡単だ。大人だったら名簿業者に数万円払って買わなければならないデータも、中学生なら連絡表の住所の欄に普通にのっている。ただ、問題は郵便はたいてい午前中か早い午後に届くものなので、祭日でもなければ、本人よりも先に親が受け取る可能性が高いことだ。そしたら次に学校の授業参観などで相手の母親とうっかり顔でも合わせた日には「あー、うちの○子にラブレター出したでしょう。○子もう、はずかしがっちゃてねー。あのひよこの便せんかわいいのにねー。」などと隣の教室まで聞こえる声で言われたりして、残りの学生時代をひきこもりとして生きることを余儀なくされてしまう。
ラブレターを出すのも頭の悪い中学生男子という生き物には大変な試練なのだ。
そして、それだけ血のにじむような苦労をしても、そのラブレターはけっきょく女の子の友達の家で、チョコフレークと一緒に回し読みされ、鼻から血が出るまで爆笑されるのがオチである。「な、な、難破船って、ちょっと……だめぇ……死ぬぅぅうううう」
そういったことを考えると、携帯メールのなんと便利なことか。以上のような恐ろしいことをすべて避けられる上、返事が返ってくるかどうか心配しながら過ごす魔の一週間を味わう必要もない。唯一のマイナス点と言えば、相手の女の子がそのメールをクラス中にccで転送してしまい、それを受け取った性格の悪い友達が全文を掲示板にあげてしまった結果、その日のうちに掲示板が3万ヒットしてしまったりすることぐらいだ。
今はもう、ラブレターなどという時代ではないのかもしれない。
高校生の女の子がプラダのバッグを持って買い物をしているような時代である——今さら愛の難破船がそうそう駆け巡ることもないだろう。でも、ドキドキしながら「ひよこのピーチャ」の便せんに書いたラブレターは、やはりデジタルデータでできた十行ほどのメールとは比較にならない価値がある。特に十年ぶりに帰省して、実家の部屋の机に残っていた薄茶色くなった便せんを見つけた時の感動は言葉では言い表せないものになるだろう。
そう。次の朝起きて、出す前に一度ラブレターを読み返し、すんでの所で正気に戻って、出すのをやめたのだった。良かった。本当に良かった。
もしこれがメールだったらきっと今でもあだ名は「難破船」に違いない。
投稿者 向山貴彦 : 2005年03月27日 02:21