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2005年03月15日
あの日のシーモールに
ぼくが中学生だった頃の下関で「じゃあ、今日買い物に行こう」と言ったら、どこに行くのかは言わなくてもよかった。行くところがひとつしかないからである。
シーモール下関。
下関駅前にぼくが小学校低学年の頃に出来たこの大型ショッピングモールは、ぼくの人生のある時期、思い出のほとんどを独占している場所だ。大丸とダイエーと百店舗以上の小売店が合併した形で生まれたこのデパートは、できた当時にはまだ全国的にも珍しいほどの大型店舗で、小学生のぼくにはまるで終わりのない迷宮のように広く感じられた。
実際、シーモールの中は構造がけっこう複雑で、小学校の高学年まで、行くたびに見たことのないセクションに出くわしたりしていた覚えがある。それからも近くのビルなどと連結して、今ではさらに大きくなっているデパートだが、都会のごみごみした百貨店と違い、なんとなく気さくで使いやすく、帰省したときには喜んで買い物に行っている。
今では下関で買い物をするなら、ほかにもいろいろ選択肢があるが、やはり買い物といえばシーモールである。
小学校のランドセルから、季節季節のお祝いの品物、ほとんどの私服、大切な人へのプレゼント、毎日の食卓に並ぶごはんの材料……何もかもをぼくはこのデパートで買ったり、買ってもらったりした。
はじめて女の子と出かけた場所もシーモールだった——もっとも、それは班か何かの買い出しだったが。それでも、女の子と一緒にデパートの中を歩いていると、なんだかとても大人になった気分で、何もかもがいつも以上に華やいで見えた。女の子が立ち寄ったり、関心を示したりする店があまりにも自分と違うのも、衝撃的なことだった。(女の子の関心のある店:クレープ店、アクセサリーショップ、各種洋服店。 ぼくの関心のある店:ゲーム屋、本屋の漫画コーナー、駅のゲーセン)その日まで、ぼくはカエルの形をした1200円もする鉛筆立てを実際に買う人間はいないと思っていた。「服なんかどれでもおんなじだよ」とか「ちょっとゲームするから待ってて」とか、言ってはいけないこともひととおり言わせてもらって、たくさん勉強もさせてもらった。
もう二十年以上昔のことだが、今でもシーモールの回廊を歩いていると、その日の自分の気持ちをかすかに思い出すことが出来て、なんとも切ない気分になる。あの時代、ぼくと同じ世代の下関出身者の多くは、きっと多かれ少なかれ、シーモールにはそういった思い出が詰まっているはずだ。
だからなのか、時々寝ている時に不思議な夢を見る。
今からいったい何十年後、あるいは何百年後なのか、ぼくなのか、ぼくじゃないのか分からない人が、とっくにつぶれて廃墟になっているシーモールの中を歩き回っている夢だ。人は誰もいない。薄暗くて、ぼろぼろに壊れたシーモールの中を
、その夢の中ではゆっくりと歩き回っている。足元や戸棚に残って、散らばっている商品はどれもぼくが買ったことのあるものばかりだ。その夢の中でしか思い出せないようなものもたくさんある。
夢の中のシーモールはいろんな時代のシーモールが混ざっていて、つぶれた店も元通りの位置に並んでいる。
ただ、どこにも人はいない。シーモールの外まで出られた試しがないので、世界全部が滅びてしまったのか、シーモールだけが廃墟になったのかは分からない。でも、悲しい。とてつもなく悲しい。
ぼくはシーモールに行くと、よく噴水広場のベンチに座るのだが、夢の中でもそのベンチに座っている。今までシーモールで見たいろんな映画や催し物のポスターが、時代も順番も関係なく貼りつめてあって、広場の片隅には福引きのカウンターがほったらかしでほこりをかぶっている。その福引きの機械は見覚えがある。ぼくが小学校三年生の時に一等が当たった福引きの機械だ。
でも、今はもう誰もいない。店員も、お客さんも、一人もいない。
音楽もアナウンスも止まって、静寂が広い店内に響いている。
あの日、一緒にここを歩いた女の子はどこで何をしているのだろう。
あの頃、ここを満たしていた賑やかさはいったいどこへ消えてしまったのだろう。
そう思いながら、廃墟のロビーに座っている。
そんな夢を見て起きた朝にはたまらなく下関に帰りたくなる。
でも、ぼくが帰りたいのはきっと1980年代の、あの日の下関なのだろう。
何もかもが輝いて、未来がまだ永遠に続くかのように思え——女の子という生き物がこの世にいるのだということを少しずつ気がつき始めていた、あの日のシーモールに。
どんなに帰りたくても、決して帰れない、あの遠い日のシーモールに。
投稿者 向山貴彦 : 2005年03月15日 14:16