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2005年03月28日

調子の悪い日のエッセイの書き方

悪い癖で、どうしても毎日ワンパラを書いていると、どんどん長くなっていってしまう。
そろそろショートショートを通り越して短編の領域に入ってきちゃってるので、このままでは仕事の合間に上司の目を盗みながら、限界まで縮小したウィンドウでこれを読んで下さっているみなさまにもご迷惑をかけそうだし、今日こそはなんとか短めにまとめようと思っている。何しろこのコラムのタイトル、そもそもが「本日のワンパラ」である。いったいどこがどうワンパラなのかと——自分でもなんでこんなことになってしまったのかと、アーカイブを見返していたのだが、驚いたことに確かに最初の頃は本当にワンパラだったことに気がついた。しかも、第一回はたった四行である。
 それが昨日のワンパラに至っては、ちょっとしたリストラ勧告ぐらいの長さになってしまっている。「シンプル・イズ・ベスト」という言葉にあるとおり、文章は長ければいいというものではない。中学校の時に嫌いな国語の先生が宿題の読書感想文で「何枚でも書いてきていい」というので、いやがらせのためだけに原稿用紙220枚の超大作を持って行ったことがあったが、かえって喜ばれてしまい、非常に不本意だった経験もこの事実を裏付けている。
 そんなわけで、今回はこのあたりで切り上げることにする。もちろんワンパラの長年の読者がすでにお気付きの通り、ただ単に適当なネタが見つからなかったので、こういう方法でごまかした、などということは、断じてない。

投稿者 向山貴彦 : 02:15

2005年03月27日

消えていく伝統文化に関して

 今時ラブレターなんて書いている人はいるのだろうか。
 ラブレターファンとしては、そのうちラブレターという存在そのものがなくなってしまうのではないかとひそかに危惧している。

 何しろ、今はメールという便利なものがある。しかも携帯へのメールだとすぐに届くし、まず確実に本人しか読まないし、字数も制限されているので、むだに長くなってしまう心配もない。愛の告白にこんなに適しているメディアというのもほかにないだろう。

 メールのなかった時代だとこうはいかなかった。中学生ぐらいの男の子が同級生の女の子に告白しようと思うと、とりあえずラブレターぐらいしか方法がなかったのである。何しろ携帯電話どころか、子機もない時代なので、電話をすると相手の家族全員が揃って「ザ・ベストテン」を見ているお茶の間とかにかかってしまうのだ。しかもそういう時、出るのは決まって相手の親父である。すでにビールが二杯ぐらい入って、いい具合に出来上がっている親父に、「すみません○子さん、いますか」とか聞くと、あからさまにいやなトーンで「どちらさまですか」と聞き返されてしまう。なんとか震える声で「同じくクラスの向山といいます」と返事をすると、親父に「○子は寝てます」と言われて切られるのが関の山である。仮に切られなかったとしても、続くのは「おーい、○子。なんか男の子から電話だぞ。(「男の子」のところに強いアクセント)」と家中に響く声でのアナウンスであって、出てきた女の子は恥ずかしくて話せるような冷静な精神状態ではなくなってしまっている。これではもはや告白など絶望的だ。

 だから、電話で告白などという無謀なことはさすがにしない。ラブレターの出番である。
 しかし、ラブレターを書こうとして、最初に中学生男子が気がつくのは、自分がまともな手紙など今まで一通も出したことがないということだ。いったいどんな紙に何と書いていいのかさえ分からない。とりあえずここで、男子がやってしまう典型的な失敗例が三つある。

1、両親の机から「竹の香」などといった名前の、何を書いても遺書に見えてしまう渋い便せんをとってくる
2、雑貨店で自分のイメージとかけ離れたかわいい便せんを買ってくる
3、手近なノートのページをやぶりとる

 ちなみに成功例などない。この三つの失敗例のどれをやるか、だけである。

 やっと便せんを手に入れたとしても、次の難関は書くタイミングだ。何しろ普段は「おれは女になんか興味はねえ」と言っている手前、妹や母親にラブレターを書いている最中に見つかったら素直に自害するしかない。なので、当然書く時間に選ばれるのはみんなが寝静まったあとの丑三つ時ということになる。

 これが致命的である。すでに立派な大人になっている男性の方々は身を持って知っていることと思うが、深夜にラブレターを書くというのは自殺行為である。何しろ外には星降る夜空、ラジオからはラブソング、頭は眠気と疲れでハイときている。こういうときにはともすれば平気で「ぼくは君の愛の海で溺れる悲しい難破船さ。」というような、後に高校卒業まで「難破船」というあだ名になってしまう原因となる文を平気で書いてしまえるからだ。しかも、その時はそれを読んで、自分であまりの美しさに泣いてしまったりするから余計にタチが悪い。

 そんなわけで、友達に見られたら命に関わるようなラブレターが出来上がるのだが、問題はそのあとにやってくる最大の難関——相手にどうやってその手紙を渡すか、である。

 切手を貼ってポストに投函するのがなんといっても簡単だ。大人だったら名簿業者に数万円払って買わなければならないデータも、中学生なら連絡表の住所の欄に普通にのっている。ただ、問題は郵便はたいてい午前中か早い午後に届くものなので、祭日でもなければ、本人よりも先に親が受け取る可能性が高いことだ。そしたら次に学校の授業参観などで相手の母親とうっかり顔でも合わせた日には「あー、うちの○子にラブレター出したでしょう。○子もう、はずかしがっちゃてねー。あのひよこの便せんかわいいのにねー。」などと隣の教室まで聞こえる声で言われたりして、残りの学生時代をひきこもりとして生きることを余儀なくされてしまう。

 ラブレターを出すのも頭の悪い中学生男子という生き物には大変な試練なのだ。
 そして、それだけ血のにじむような苦労をしても、そのラブレターはけっきょく女の子の友達の家で、チョコフレークと一緒に回し読みされ、鼻から血が出るまで爆笑されるのがオチである。「な、な、難破船って、ちょっと……だめぇ……死ぬぅぅうううう」

 そういったことを考えると、携帯メールのなんと便利なことか。以上のような恐ろしいことをすべて避けられる上、返事が返ってくるかどうか心配しながら過ごす魔の一週間を味わう必要もない。唯一のマイナス点と言えば、相手の女の子がそのメールをクラス中にccで転送してしまい、それを受け取った性格の悪い友達が全文を掲示板にあげてしまった結果、その日のうちに掲示板が3万ヒットしてしまったりすることぐらいだ。

 今はもう、ラブレターなどという時代ではないのかもしれない。
 高校生の女の子がプラダのバッグを持って買い物をしているような時代である——今さら愛の難破船がそうそう駆け巡ることもないだろう。でも、ドキドキしながら「ひよこのピーチャ」の便せんに書いたラブレターは、やはりデジタルデータでできた十行ほどのメールとは比較にならない価値がある。特に十年ぶりに帰省して、実家の部屋の机に残っていた薄茶色くなった便せんを見つけた時の感動は言葉では言い表せないものになるだろう。

 そう。次の朝起きて、出す前に一度ラブレターを読み返し、すんでの所で正気に戻って、出すのをやめたのだった。良かった。本当に良かった。
 もしこれがメールだったらきっと今でもあだ名は「難破船」に違いない。

投稿者 向山貴彦 : 02:21

2005年03月24日

うちの父親の名前はジョー(マジ)

ぼくの父親は面白い人だ。
子供の時からおぼろげにそう感じていたが、会わせる人会わせる人がみんな「面白い人だねえ」と言うので、たぶん間違いないと思う。こういうパターンでありがちなのは、「子供だけは父親の良さが分からない」というやつだが、ことうちの父親に関しては、そんなこともない。息子から見ても見逃しようがないほど、あからさまに面白い人だからだ。

うちの父は酒も煙草もやらないし、悪い遊びと言うことに一切興味がない。還暦などとっくに過ぎているが、遠くから声をかけると子供のように走って近づいてくる。ほっとくとすぐに木に登ったりとか、畑を耕したりとかしていて、暇さえあれば山道を何時間も散歩している。誰も停めないと、時々そのまま隣の県まで歩いて行ったりしてしまう。
大学の先生という仕事柄もあるが、家にいる時はほとんど英文学の詩集(それもロマンチックなやつ)を読んでいて、たまに会ったぼくの友達に「人間はやっぱり愛だねー」などと突然話し出す変な人だ。
それでいて若い時には戦後の混乱期にGHQで働き、やがて戦争してた相手国家のアメリカに留学して、以降二十年以上日本に戻ってこなかった無茶な人生を送っている過去もある。そして、おそらく父親の世代で、息子の所にiMacから定期的にメールを送ってくるような人間は父親だけだと思う。息子のぼくにもまったく正体が分からない。

父親の世代の楽しみといえば、普通は公園でゲートボールをしながらおにぎりを食べたりすることだ。しかし、うちの父は大好物がマクドナルドのビッグマックである。たまに実家に帰って外食することになると、ぼくはヘルシーにそば屋に入ろうとするが、父親はビッグマックを食べたがる。そしてビッグマックと一緒にポテトとコーラのLを頼む。

まことしやかに子供を集めて、「私は一昨日、散歩の途中に霊を見た」と語り始めるような人である。しかも、本人が自分の話を信じているのだから、尚更面白い。母がスーパーにおつかいに行かせると、豚肉と牛肉や、レタスとキャベツの区別がつかず、結果的に向こう十年分ぐらいの味噌を買ってきてしまうような人だ。小学校の授業参観に来て、子供たちが誰も手を挙げなかった質問に、教室の後ろからなんの疑問もなく「はい」と手を挙げるような人である。しかも、その答えを間違えるような人だ。

確かに愉快な人だ。我が親ながら、ほかにこんな人はいないな、と思う。

ひとつだけ欠点をあげるとすれば、何かの拍子に「文学」について話し始めてしまうと、相手が誰であろうと、相手が聞いていようといまいと、死後十日経った死体であろうと、決してやめないということぐらいだ。「そんなのたいした欠点じゃない」と思う方は、ぼくの友達の誰でもいい、聞いてみてほしい。みんな、目がうつろになるまで話に付き合わされた経験が一度や二度はある連中ばかりだ。

うちの父に出くわした時のために、注意事項をいくつかあげておこう。

【注意点1・質問をしない】
(どんなに英米文学からはなれたことでも、質問の答えはすべて英米文学に関連して答えられるので、どんなささいなことも聞いてはならない。悪い例:「父ちゃん、次の電車いつ来るの?」「息子よ、それはいい質問だ。人間はみんなあるべき場所で来たるべき電車を待っているのだ。」「いや、父ちゃん、中央線の快速のらないと遅れるから。」)

【注意点2・質問に答えない】
(父親の授業に出席中の学生にとって、これはかなり難しいことかもしれないが、目を合わせないようにするとか、万が一目があったら腹膜炎を起こすとかして、逃げ切ろう。悪い例:「それじゃ、一番前のあなた、あなたにとって「夢」というのはなんですか?」「えっと……将来結婚して幸せな家族を作ることかな。」「そうです。英語では夢のことをdreamといいます。これはそもそもラテン語で……(以下二時間略)」  良い例:「それじゃ、一番前のあなた、あなたにとって「夢」というのはなんですか?」「先生、今母が危篤だと電話があったので帰ります。」)

【注意点3・会話の中に外来語を使わない】
(父の前では基本的にはさんまの正月ゴルフの「英語禁止ホール」と同じように振る舞うのが良い。万が一も英語をひとことでも使うと、その単語の語源を紀元前まで遡って説明されてしまう。悪い例:「先生、フライドポテト食べますか。」「あなたは今、フライドポテトとこれを呼びましたが、これは英語ではfrench friesといって、そもそも19世紀に移民文化が……(以下二時間略)」)

もしそれでも万が一捕まってしまったら、逃げる手段として以下の三つの方法だけは記憶しておいてほしい。この三つの方法以外では逃れることは不可能だからだ。

非常脱出手段1:なんらかの内蔵疾患を起こす
非常脱出手段2:三親等以内の家族に危篤になってもらう
非常脱出手段3:話が終わるまで幽体離脱する

そんなぼくの父親だが、生まれてこの方三十四年、「こうしろ」「ああしろ」と言った説教をされた記憶がほとんどない。たいていぼくが何かを相談したら、無条件でぼくの意見に大賛成し、全面的に応援してくれる(もちろん二時間半チョーサーについて語ったあとにだが)。また、大学教授を何十年もやっている今でも、まだ学生たちよりもよほどたくさん毎日勉強している父だが、ぼくに「勉強しろ」といったことは今まで一度もない。フロストの詩に関する解釈のアドバイスは軽く百時間ぐらいは聞いているが、それでも人生に関する押しつけがましい意見はひとことも発したことがない。

そんな父親が昔ひとつだけアドバイスをくれたことがある。
たったひとつだけなので、異常によく記憶に残っているのだが、それがあまりに英米文学とか、大学教育からかけ離れたアドバイスだったので余計印象に残っているのだろう。
それはこんな内容だった。

「結婚する相手だけはよーく選べ。それだけで人生は幸せになれる。」

中学校の時に聞いたこともあって、意外な内容に少々面食らってしまったが、今考えると、これほど的確なアドバイスはほかにないと思う。人間はけっきょくどこで何をどうするかではなく、それを誰とするかですべてが決まるということなのだろう。

それを聞いたあと、ぼくは父親に逆にこう聞いてみた。
「じゃあ、父ちゃんは今幸せなのか?」
父は自信たっぷりに言い切った。
「ああ、幸せだ。幸せだとも!」

ぼくはいつか年を取ったら、こんな大人になりたいと思う。

投稿者 向山貴彦 : 23:06

2005年03月23日

心臓もとまるような話

心電図を取るのが苦手だ。

というのも、あの装置にはひとつ大きなトラウマがあって、それが未だに克服できないのである。
中学生の時、学校での集団検診ではじめて心電図というものをとることになった時、ぼくは「心電図」がどんな検査なのか、当日までよく分かっていなかった。ただ、字面からして、なんとなく心臓にプラグでも差し込んで、電気でも送りそうなおぞましいイメージがあったので、妙に緊張だけはしていた。

ひとこと誰かに「心電図って何?」と聞けば良さそうなものだが、それは中学生男子をやったことのない人の意見である。一度でも中学生男子を経験したことがある人なら、そんなことをすればすぐに「おまえ、怖いんやろ」と言われて、根も葉もないおぞましい嘘を教えられ(例:「心電図って鼻の穴から小型カメラを突っ込んで、内側から肛門の写真を撮る検査に決まってるだろ」)、まさかとは思いつつも汗だくになって順番を待たなきゃいけない上に、そのあと卒業まであだ名が「でんず」に確定してしまう。そんな目に合うぐらいなら、どんな恐ろしい検査であろうと、黙って受けた方が絶対にましというものだ。

そんなわけで、五時間目の終わりぐらいに前の順番のやつが保健室から戻ってきて、次はぼくの番だと教えられた。もう、全身冷や汗だらだらで心電図を取りに保健室へと向かったのだが、頭の中では太いケーブルが鼻に差し込まれるところがぐるぐる回っていて、やる前から鼻の穴が痛くてたまらなかった。

保健室につくと、いつもの優しい保健室の先生ではなく、ボブサップのお母さんのような人が白衣を着て待ち受けていた。もう朝からずっと心電図ばかりとっているからなのか、思いっきり機嫌が悪く、ぼくが保健室に入っても「そこに横になって」とひとこと言うだけで、何やら怪しげな機械をいじりはじめていた。得体の知れない無数の吸盤のようなものと、放射能汚染で巨大化した洗濯ばさみのようなものがジャラジャラその手元でゆれている。ぼくの緊張はもはや限界に達していた。
周りにほかの中学生男子が誰もいないことをしっかり確認してから、蚊の鳴くような声でおばちゃんに訪ねた。

「これって痛いんですか?」

ボブサップのお母さんは一回ぼくの方を見て、珍しい生き物でも見るかのようにまゆをしかめてから、黙って準備に戻った。簡易ベッドの上に腹を出して横になった時点で、もう完全にまな板の上である。潔く針金のように緊張して、死刑執行を待つしかなかった。ボブサップ母はそのぼくに、事務的な手つきで吸盤と洗濯ばさみをとりつけ、泣きそうな顔をしているぼくの表情がよほど面白かったのか、しばらくこっちを見下ろしていたあと、ひとことつぶやいた。
「そんな緊張せんでええよ。」
その言葉に一瞬気がゆるみかけたのも束の間、おばちゃんが何気なく付け足した。
「でも、電気流すから、これ一個でもはずれたら死ぬから。」
おばちゃん、真顔でそう言い終わると、表情ひとつ変えずに心電図の機械のスイッチを入れた。

その瞬間のぼくの表情を見せてあげたい。
何しろ足についている方の洗濯ばさみなんか先っぽがちょっとはさんであるだけで、今にもはずれそうなのだ。もう、息を必死に止めて、まぶたがぴくぴくしている状態で、ベッドの上で硬直していた。頭の中では「なんでそんな危険な検査をこんな学校の保健室で片手間にやってるんだ!」という凄まじい怒りが込み上げてきたが、とにかく動いたら命が危ないのだ——声ひとつ出せない。で、そんなことをしているうちに右手のせんたくばさみがゆっくり倒れ始めてきて、ぼくは思わず悲鳴をあげそうになった。
おばちゃん 「こら。動くなて言うただろ。焼け死んでもしらんで。毎年この検査で全国で何人も死んでるんだからな。」

「だったら、そんな適当にハサミとめんなよ、ばばあ!!」と心の中で叫んだが、もしこの人の機嫌を損ねたら、次に目がさめたら焼死体になってるかも知れない。もうひたすらだまって耐えた。でも、そんな状態でうまく心電図が計れるはずもなく、おばちゃんはぶつぶつ文句を言いながら「じっとしてろな。これあんまり長いこと電気流していると、心臓が破裂してしまうからな。」と無表情で言う。

前略、ボブサップのお母さん……今だから突っ込ませていただきますが、どうか冗談は冗談らしい口調で言って下さい。
その事務的な口調で言われても、ミドリムシ以下の知性しかない中学生男子には冗談だと分かりません。
あの時、自慢じゃないですが、ぼくは本当にちょっともらしましたよ。

あの日以来、二十年以上経った今も、どうもあの心電図というやつをつけられると、おばちゃんの淡々とした口調がどこからともなく聞こえてきて、決まって看護士に「緊張してますか?」と聞かれてしまう。で、そのたびに右足の洗濯ばさみがちゃんとついているかどうかを、しっかり確認してもらって、あとは運を天に任せて祈っている。

だから心電図の結果、いつも「いやに脈が速い」と必ず診断されてしまうのも、とても不本意な話だ。

投稿者 向山貴彦 : 03:28

2005年03月21日

ブタ子さんの到来

たかさんからARTokyoで話題をさらった「ブタ子さん」ハガキもらいました。
みなさんにも楽しんでほしくて、期間限定でアップしておきます!
さらにブタ子さんの活躍が見たい方はたかさんの絵日記に、
本日ブタ子さんの四コマ漫画があがってます!

ブタ子さんハガキはこちら!

投稿者 向山貴彦 : 13:31

2005年03月20日

春よ、いいかげんな春よ

眠い! 眠いぞ!
春! こら! 貴様のせいか!
なんか眠くて、だるくて、あんまりものを考えられないぞ!
こんな状態で文章なんて書けるか!!

くそー、気持ちよく花粉ばっかりまきやがって……
だいたい、春……おまえ昔はそんなやつじゃなかったはずだ。
もっといいやつだったぞ、おまえは。
おまえが遊びにくるとおれは喜んだもんだ。
それが今じゃなんだ。
花粉とか、インフルエンザとか、自律神経失調とか
ろくなおみやげを持ってきやしない。

昔は新学年とか、入学祝いとか、新しい友達とか
もっといろいろいいもの持って来てくれただろう。
おまえ、いつからそんなやつになったんだ。

だいたい、おまえ最近ちょっとルーズすぎるぞ。
来たのかと思ったら帰るし、まだ来てないのかと思ったら
もう来てるし。こっちは準備もできやしない。
来るなら来るで、もっとはっきりしてくれよ。

何?
変わったのはおれの方だって?
な……何、言ってるんだよ。おれは昔からこうだよ。

まったく、眠いなあ……。

投稿者 向山貴彦 : 20:18

大草原の小さな家2005

本日、久しぶりに妹のちゃーらん(BFCの三色辞典の編纂担当者)が旦那様のゆんぼと一緒にスタジオにやってきた。去年長女が生まれたのだが、その長女とぼくを会わせてくれるためだ。というのも、この半年というもの、BFC終盤の忙しさも手伝って、まるっきり妹と顔を合わせる機会がなかったのである。兄として、まったく恥ずかしい話だ。

もうちょっと頻繁に遊びに行きたいところなのだが、何しろ妹が結婚後に移り住んだところがなかなか遠くて、車で行くにも、電車で行くにも、ちょっとした覚悟がいる。どのくらい遠いかというと、妹が引っ越す前は本当に何もないところだったらしく、妹が住むことになったので、新しく郵便番号がついたというところだ。

旦那さんのゆんぼに「インターネット通じそう?」って聞いたら、ゆんぼ曰く「今はまだなんにもないんですが、私たちが引っ越すまでには、電線を引いてきてくれるって言ってました。」

最初にそれを聞いた時には、まあ、冗談だろう、と思っていた。
「今度遊びに行くよ」って言ったら、夫婦揃って「なんにもないよ。本当に何もないからね。驚かないでね。」と念を押すので、ぼくも気軽に「大丈夫、驚きゃしないよ」と答えておいた。

……ごめん。
驚いた。

最初に驚いたこと。
家を出発する時にカーナビ(去年買ったばかり)に住所を打ち込んだら、液晶画面が何もない茶色の画面を表示したこと。
ナビを使い始めて半年、見たことのない画面だったので、壊れたのかと思った。
よほど何もないところでも、関東である。車で行けるような範囲の住所を打ち込めば、たいていはいろんな道が交差している、ガソリンスタンドやファミレスなども点在する地図が表示されるはずである。長野の山奥のペンションを入力した時でさえ、もっとずっとカラフルな画面が表示された。

なのに、いったいどうしたことだろう。妹の住所を打ち込むと、妹が住んでいる新築のアパートのあるはずの場所に、数百メートルに渡って、建物はおろか、道一本ない真っ茶色の画面が。

妹の話をすっかり忘れていたぼくは、画面が絶対狂ったのだと思って、ボタンをあれこれといじり回してみた。すると、ふいに地図が北へスクロールした。しかも、何度も押してしまったのか、スクロールは止まらず、1キロぐらい北へ動き続けると、何やら液晶画面に見覚えのある線が。

道である。妹に聞いていた高速道路のようだった。

首を傾げてもう一度住所を入力すると、また例の真っ茶色の画面が出てくる。やっぱりおかしい。
ナビの地図は最新のものである。と、いうことは地図を信じれば、一年前までここは何ひとつ地図に載るものがないような場所だったことになる。いくらなんでもそんなはずはない。しかも、「地点確認」というボタンを押すと、「この場所には住所がありません」と言われる。
「なんだよ、このナビ。壊れてるじゃないか!」
これでも、ぼくも東京に住んで十一年目である。いくらなんでもそんなことを信じられるはずがない。なので、やはり地図DVDのバグだろうと考えて、適当に出発した。

ゼンリン関東道路地図製作者のみなさま、すみません。
本当でした。

高速道路を降りたら一面、何もない場所に出た。辛うじて最近できたばかりっぽいコンビニが一件だけ建っていたので、そこで車を停めて、妹に電話して目印を聞いたら「そんなものない。うちが一番の目印だ」と言われる。なので妹が迎えに来てくれるのを待って、妹の先導でアパートに向かったのだが、確かに周りには何もない。しかも、そこからさらに何もない方向へ曲がり始める。怖々と後ろから車でついていくと、やがて道だけで区切られただだっ広い荒野みたいなところに出た。

妹の家は1キロ手前からでもすぐに分かった。なんだか高速道路の建設に反対して、一人だけ十年ぐらい立ち退きに反対している家みたいに、二階建てのアパートが一軒、ぽつんと平原の真ん中に立っていた。図画の宿題で自分の家の周りを描けという宿題が出たら、このアパートに住んでいる子供は画用紙の真ん中に横に一本線を引いて、その上に長方形をひとつ描くだけですむから便利だろうな——とその時考えたりもしたが、それは妹には言わなかった。

しかし、アパートはとてもきれいなアパートで、中も過ごしやすくおしゃれに飾られていたので、しばらくくつろいでいるうちにすっかり周囲の状況を忘れていた。日も暮れて、おなかも空いてきたので、「喫茶店でも行こう」と提案したら、妹とゆんぼが何やら真剣に悩み始める。二人であれこれ相談を始めた。どうも車で行ける範囲内に存在する喫茶店が存在しないらしい。ひとしきり考えたあと、妹が手を打って言った。

「ああ。そう言えば、あっちに製菓学校があったよ。あそこのロビーで学生さんが焼いたお菓子売ってた。」

ごめん。ちゃーらん。あの時は言えなかったけど、
それ、喫茶店じゃないと思う。

けっきょく家でパスタでも作ろうという話になり、さあ、買い出しへ——ということになって、妹に「この近くのスーパー教えて」と聞いたら、ひとこと。
「ない。」
「ないわけないだろう。」と、ぼく。
「あ、そうだ。そういえば、来年できるって言ってた。」
「……。」

そんなわけで驚きっぱなしの妹宅訪問だったのだが、普段、騒音と公害のダブルパンチを食らいながら、震度3までだと地震が分からないような道路沿いに住んでいるぼくには、妹の家は天国のように思えた。おまけにスタジオはモニタがみやすいように、日が入ってこない作りになっている。一日中、温かい日差しが差し込んでいる妹のところと大違いだ。聞けば、そこはかなり有望な新興住宅地で、今後はどんどん発展していきそうだとも言う。どうやら大型店舗の出店も続々決まっているようだし、妹の子供が大きくなる頃にはきっと今の風景が遠い昔の景色に思えるほど変わっていることだろう。

それか、妹がとても悪質な不動産屋のおやじにだまされているか、どっちかだと思う。

投稿者 向山貴彦 : 00:42

2005年03月18日

恐るべき国民病

だじゃれという、習慣が日本にはある。

若い時は誰しも、五十代の中年男性が「しゃれたシャレだねー」などとのたまっているのを聞いて、殺意を抱いたことがあると思うが、不思議なことに三十を過ぎると、何か遺伝子レベルで変化が起きるのか、脳下垂体あたりから直接海馬にだじゃれが送られてくるようになる。

ぼくはその恐ろしい変化を経て、当年で四年目となるが、じわりじわりとだじゃれが身近になっていくのが体の内側から伝わってくる。まだ実際に若い女性の前で「それドイツんだ? オラんだ。」というような破廉恥な台詞を言うには至ってはいないし、会話の最後にあの恐ろしい、身の毛もよだつ表現——「なんちゃって」を使うこともかろうじて抑えられているが、にもかかわらず、体内のだじゃれ遺伝子が日に日に力を増していってるのが分かるのだ。

というのも、昔はおじさんのだじゃれで周りみんなが「しーん」となっているような時、当然のようにぼくも「うわあ、おもしろくねえ」とか思っていたのだが、最近そういうシチュエーションで三回に一回ぐらい、ふと戸惑うときがある。みんながしらけているので、一応合わせて静かにはしているのだが、その一方で心の中は激しく動揺していたりする。「あれ? 今のけっこうおもしろかったんじゃないか。つまんなかったかなあ?」などと思っている自分がいるのである。

恐ろしい。

いったいぼくの血液の中で何が起きているのだろう。
いつから「布団」と「吹っ飛んだ」の間に一抹のユーモアを見い出せるようになったのだろう。

もしかしたら、そのうち自分でも気がつかないうちに、だじゃれを言ってしまうようになるのかもしれない。
しかも、さらに……ああ、言うのも恐ろしい……さらに、そのだじゃれに自分一人だけ笑ってしまうようになるのかもしれない。

これはもう立派に国民病だと思う。三代生活習慣病のひとつに加えて早急にワクチンを研究開発してもらいたい。一刻も早くだ。そうでなければすでに発症しているぼくら三十代は、一人、また一人とあの越えることのないと思っていたおじさんの壁を越え、決して帰ってくることのできない恐ろしい領域に踏み込んでいってしまうのだ。

そう。「巨峰サワー」を頼む時に、恥ずかしげもなく「お姉ちゃん、巨乳サワーひとつね」と言ってしまえる、あの領域に。
そんなことになる前に早くワクチンで楽チンに——

ああっ。だめだ。

投稿者 向山貴彦 : 02:43

2005年03月17日

ひとことワンパラ002

チョコボールの期間限定製品「大豆」を冷やかしで買ってみた。おいしかったので驚愕した。

投稿者 向山貴彦 : 13:12

2005年03月15日

あの日のシーモールに

ぼくが中学生だった頃の下関で「じゃあ、今日買い物に行こう」と言ったら、どこに行くのかは言わなくてもよかった。行くところがひとつしかないからである。

シーモール下関。

下関駅前にぼくが小学校低学年の頃に出来たこの大型ショッピングモールは、ぼくの人生のある時期、思い出のほとんどを独占している場所だ。大丸とダイエーと百店舗以上の小売店が合併した形で生まれたこのデパートは、できた当時にはまだ全国的にも珍しいほどの大型店舗で、小学生のぼくにはまるで終わりのない迷宮のように広く感じられた。
実際、シーモールの中は構造がけっこう複雑で、小学校の高学年まで、行くたびに見たことのないセクションに出くわしたりしていた覚えがある。それからも近くのビルなどと連結して、今ではさらに大きくなっているデパートだが、都会のごみごみした百貨店と違い、なんとなく気さくで使いやすく、帰省したときには喜んで買い物に行っている。

今では下関で買い物をするなら、ほかにもいろいろ選択肢があるが、やはり買い物といえばシーモールである。
小学校のランドセルから、季節季節のお祝いの品物、ほとんどの私服、大切な人へのプレゼント、毎日の食卓に並ぶごはんの材料……何もかもをぼくはこのデパートで買ったり、買ってもらったりした。

はじめて女の子と出かけた場所もシーモールだった——もっとも、それは班か何かの買い出しだったが。それでも、女の子と一緒にデパートの中を歩いていると、なんだかとても大人になった気分で、何もかもがいつも以上に華やいで見えた。女の子が立ち寄ったり、関心を示したりする店があまりにも自分と違うのも、衝撃的なことだった。(女の子の関心のある店:クレープ店、アクセサリーショップ、各種洋服店。 ぼくの関心のある店:ゲーム屋、本屋の漫画コーナー、駅のゲーセン)その日まで、ぼくはカエルの形をした1200円もする鉛筆立てを実際に買う人間はいないと思っていた。「服なんかどれでもおんなじだよ」とか「ちょっとゲームするから待ってて」とか、言ってはいけないこともひととおり言わせてもらって、たくさん勉強もさせてもらった。

もう二十年以上昔のことだが、今でもシーモールの回廊を歩いていると、その日の自分の気持ちをかすかに思い出すことが出来て、なんとも切ない気分になる。あの時代、ぼくと同じ世代の下関出身者の多くは、きっと多かれ少なかれ、シーモールにはそういった思い出が詰まっているはずだ。

だからなのか、時々寝ている時に不思議な夢を見る。
今からいったい何十年後、あるいは何百年後なのか、ぼくなのか、ぼくじゃないのか分からない人が、とっくにつぶれて廃墟になっているシーモールの中を歩き回っている夢だ。人は誰もいない。薄暗くて、ぼろぼろに壊れたシーモールの中を
、その夢の中ではゆっくりと歩き回っている。足元や戸棚に残って、散らばっている商品はどれもぼくが買ったことのあるものばかりだ。その夢の中でしか思い出せないようなものもたくさんある。

夢の中のシーモールはいろんな時代のシーモールが混ざっていて、つぶれた店も元通りの位置に並んでいる。
ただ、どこにも人はいない。シーモールの外まで出られた試しがないので、世界全部が滅びてしまったのか、シーモールだけが廃墟になったのかは分からない。でも、悲しい。とてつもなく悲しい。

ぼくはシーモールに行くと、よく噴水広場のベンチに座るのだが、夢の中でもそのベンチに座っている。今までシーモールで見たいろんな映画や催し物のポスターが、時代も順番も関係なく貼りつめてあって、広場の片隅には福引きのカウンターがほったらかしでほこりをかぶっている。その福引きの機械は見覚えがある。ぼくが小学校三年生の時に一等が当たった福引きの機械だ。

でも、今はもう誰もいない。店員も、お客さんも、一人もいない。
音楽もアナウンスも止まって、静寂が広い店内に響いている。
あの日、一緒にここを歩いた女の子はどこで何をしているのだろう。
あの頃、ここを満たしていた賑やかさはいったいどこへ消えてしまったのだろう。
そう思いながら、廃墟のロビーに座っている。

そんな夢を見て起きた朝にはたまらなく下関に帰りたくなる。
でも、ぼくが帰りたいのはきっと1980年代の、あの日の下関なのだろう。
何もかもが輝いて、未来がまだ永遠に続くかのように思え——女の子という生き物がこの世にいるのだということを少しずつ気がつき始めていた、あの日のシーモールに。

どんなに帰りたくても、決して帰れない、あの遠い日のシーモールに。

投稿者 向山貴彦 : 14:16

2005年03月14日

ヒント:白くて甘くてピエールがつくったもの

 「ホワイトデー」という、いつまで経っても、今ひとつ煮え切らないイベントがある。
 今日のことである。

 女の人の大半はすでに今日がホワイトデーであることを気がついていると思うが、男性の多くは上の文を見た瞬間に「やべ。今日だっけ。あちゃあ。」と思っているはずだ。大丈夫。あなただけではない。あなたの職場(学校)で今日のために前日から何かを用意しているのはあのいけすかない○○ぐらいのものである(○○には適切な名前を入れてください)。もっとも、○○はだからあなたと違って女の子にもてるのは確かなのだが。

 バレンタインの前日のデパートの入口付近や、催物会場を見たことがある方なら誰でも分かると思うが、あちらの賑わい方といったら尋常ではない。この時とばかりに世界中のチョコレートメーカーが日本に集まってきて、やれ「ピエール」とか「ジョファンヌ」とかいう軟弱な名前のシェフが作ったチョコレートを宣伝している。チョコの名前もみんな「天使の誘惑」とか「まどろみの時間」のような名前で、間違っても「大郷院源三郎」の「極太一本おろし」などというネーミングはあり得ない。

 バレンタインはとにかく盛り上がる。老若問わず、あらゆる世代の女性が真剣な眼差しで、一粒でインフルエンザワクチンが一回接種できるような値段のチョコを物色している。もう、レジの周辺はほとんど戦争だ。
 対して、そのお返しであるはずのホワイトデー。念のために町に出て確認してみたが、明らかに盛り上がっていない。どこの店の特設売り場も、探さないと見つからないぐらいひっそりしている。見て回った三軒のお菓子屋では、どこも「ホワイトデー用チョコ」は一種類しか置いていなかった。売る気がないのだろう、と思ったあなたは女性である。
 そうではない。バレンタインに彼女、あるいは奥さんにチョコをもらって、今日の今日までお返しを買うのを忘れていて、たった今職場でこれを休憩時間に呼んで、今あわててその店へとんでいった男たちの思考はこうである。
 「ホワイトデー、何買えばいいんだ? ああ、考えるのめんどくせー。誰か選んでくれないかなあ。あ、これホワイトデー用じゃん。これでいいや。」
 万が一、そこに複数のチョコでも用意しておこうものならこうである。
 「うわあ、三つもあるよ。あいつ、こういうのうるさいからな。まいったな。ああ、もうめどくせー。あとにしよ。」
 
 男には、ピエールが作ったチョコをもらうことが、なぜそんなにうれしいのかさっぱり分からない。これが開幕戦のチケットやゲームボーイのソフトならぜんぜん話は別だ。しかし、チョコである。(男の頭をよぎること:「チョコってあのコンビニにいっぱい売ってるやつだろ。よく知らんけど。」同様に、3000円からしか作ってくれない花束(送料別)も、なんか読めない横文字が描いてある「ポーチ」という何によく使うかわからんカバンも(「ヘルメス? モビルスーツの名前か?」)、クレヨンと良く似ているのに値段だけは五百倍以上高いリップスティックも(「えっ、これみんな違う色なの? 全部赤じゃん」)、全部分からない。そして、さっぱり分からないことにも関わらず、やっておかないと怒られるので、必死に分からないまま毎年やっているので、大変に面倒になってくる。

 女の人なら、これを聞いて思うはずだ。「バレンタインだって一種の愛情表現じゃない。大事なことよ。」
 しかし、男の方も思う。「じゃあ、一緒にナイター見ようぜ。そっちもおれと一緒に阪神への愛を分かち合おうぜ。」

 大半の男性はホワイトデーのある三月や、彼女の誕生日のある月に入ると、憂鬱な気分になる。確かに彼女らは「気持ちだけでうれしいよ」とは言ってくれる。だが、もし本当に気持ちだけだったら、絶対に激怒することも、ほとんどの成人男性は知っている。また、どんなに気持ちがこもっていても——もうそれこそ、底知れないほど愛を込めたとしても、1/144スケールのシャア専用ザクのプラモデルでは絶対に喜ばないことをよく知っている。もっとも、なぜかはよく分からない。限定版の、しかもシャア仕様のレアな赤いモビルスーツなのに! 関節48箇所駆動のスケールキットよりも、なぜピエールのチョコの方がいいかのかがまるで分からない。

 店で三十分ぐらいどれが「女の子受け」するチョコか迷っていると、そもそもこんな習慣が存在することに腹が立ってきて、できることならピエールにヘッドロックをかけて、鼻の穴にRX-78ガンダムのビームラーフルを六本ぐらい詰め込んでやりたくなってくる。

 でも、それでもみんな悪戦苦闘しながらもなんとかチョコを買ってきて、彼女/奥さん/不倫相手にドキドキしながら渡し(「ゴダイバって有名なとこなんだろうか? もしかして「お台場」のフランス語読みとかじゃないだろうな。でも、売り場で一番高いやつだったからたぶん大丈夫だろう。ああ、頼むよ「ゴダイバ」。高級ブランドであってくれ!!」)、ドキドキしながら開けている女の子の顔をのぞき込む。

 「わー、これゴディバじゃない。高かったでしょー。」
 「え? ああ、まあね。そ、そう。ゴディバだよ、ゴディバ。はははは。」
 「ありがとう! うれしい!」
 「まあ、ついでがあったから」
 (↑ついで=「片道一時間半かけて、新宿の高島屋まで行って、一時間ぐらい迷うことの意」)

 そんなわけでホワイトデー。もしあなたの不器用で面倒くさがり屋の愛する男性が、妙に斜に構えた姿勢で今年もチョコを渡してきたら、たとえ中身がM&Mでも、にっこり笑って「これほしかったチョコだ」と言ってあげてください。信じられないかも知れませんが、それでもがんばったんです、彼は。
 すっかり忘れられてしまったあなた。忘れたことと、彼の愛情とはなんの関係もありません。断固として、結びつけて考えないでください。それでも不安ならすねてみせてください。三日も無言で通せば、四日目ぐらいには気がつくはずです。思い出させるためのさりげないヒントぐらいは必要になるかもしれません。「例:「なんか白くて甘いものが足りない気がする。」」

 ただ、ひとつだけ注意してほしいことがあります。
 実は男がホワイトデーを忘れたときの言い訳として、ひとつ典型的なものがある。
 「知ってる? ホワイトデーなんて世界で日本しかないんだぜ。おれは日本の製菓会社の策略に踊らされるのがきらいなだけさ。」
 これは明らかに嘘である。
 なぜなら男が本当にメーカーの策略に踊らされるのが嫌いなら、ドラクエの発売日に朝からゲーム店の前で300人の行列が出来るわけがない。もし彼の言葉を信じそうになったら、ゲーム屋の行列のうち、何人が男か数えて見ればすぐに分かることである。

投稿者 向山貴彦 : 14:11

2005年03月13日

お詫びと訂正だブー

昨日のエントリーで重大なミスがあることが発覚しましたブー。謹んで、お詫びと訂正をさせていただきますブー。

重大な訂正箇所>
 ぶた子さん ×
 ブタ子さん ○

投稿者 向山貴彦 : 13:33

2005年03月12日

ブタ子さんに話してみた

たかさんの展示会に行ってきました。
といっても、実際に行ったのはもう三日も前のことなのですが、もりくん弁当を食べているうちに、報告が今日にずれ込んでしまいました。そんなわけで、本日のワンパラはARTokyo見学レポート。

【会場までの道のり】
木曜日は平日で、道も空いていそうだったので、何ヶ月ぶりかに車で都心へ。
差し入れを途中で買おうと思っていたのに、力一杯忘れ、ふと気がつくと都庁の目の前にいた。あわててお菓子を売っている店を探したものの、よくよく考えてみると、たかさんはもう一週間もこのあたりで毎日を過ごしているはず──うかつに都庁内で何か買っていくとすぐばれそうだったので、遠回りしてとなりのセンチュリーホテルへ立ち寄った。
なるべく奥まったところにある菓子屋を探して、なるべく特徴のない焼き菓子を買い、会場に持って行った。

渡すなり、一秒であやさんに「となりのホテルのやつだ」と見抜かれる。

【会場の様子】
今回の展示会の会場は東京都庁。簡単に見つかると思って、ろくに道案内も読まずに出かけのだが、都庁が広いの、なんの。うろうろしていたら、時節柄怪しいと思ったのか、職員に声をかけられる。

警備員 「何かお探しですか?」
向山 「ええ。ちょっとイベントを見に来たんですが。」
警備員 「なんていうイベントですか?」
向山 「『ARTokyo』っていうやつなんですが。」
警備員 「『嗚呼、東京?』 そんなのあったっけな?」
向山 「いえ。『ARTokyo』です。」
警備員 「だから『嗚呼、東京』だろ?」
向山 「違います。『ARTokyo』です。」
警備員 「ちょっと君、一緒に警備員室行こうか。」

そんなこんなでなんとか会場を見つけ、たかさんが仕事で外出中の間、一人で留守番をしているあやさんを発見。BFCの打ち上げ以来なので、お久しぶり挨拶を交わした。
見渡してみると、平日の真っ昼間だというのに、いったい何をしている人たちなのか、けっこうお客さんがひっきりなしに出入りしていて、なかなかの盛況ぶり。でも、さすがは都庁──会場はけっこう広くとってあって、ゆったり見て回ることができた。てっきり出品作品はみんな絵だと思っていたのだが、実際には30人ものアーティストが彫刻から紙芝居から曼荼羅までを展示していて、なんとなくおもちゃ箱の中を歩い回っているようなイメージだった。明るい作風の人ばかりだったので、会場もとても明るい雰囲気で、見て回っているうち、どこか昭和の頃の日本の空気を思い出したりしていた。

ちょうど周りが新宿西口の高層ビル街だけに、なんともミスマッチといえばミスマッチな雰囲気ではあるのだが、そのギャップが面白くも、切なくもあった。きっとたかさんたち主催者は、そんなビル街で眉間にしわをよせて働く人たちに、リラックスしてもらおうと、こういう企画をしたのではないかと思う。
ただ、皮肉なことに、ぼくのように一日余裕を見つけて遠くから見にくる人とは対照的に、歩いて五分もかからない近くのビルの人たちは、展示会をやっているということに気がつく余裕すらないようだった。
いつも一番必要な人のところにだけ、一番必要なものは届かない。

【たかさんの出品作】
我らがたかしまてつを画伯(←こう呼ぶとすごくいやがるので、みなさんもぜひ)は今回、BFCでのデジタルアートの技術を一旦離れ、フルアナログでの挑戦。掌をいっぱいに広げたぐらいの大きいキャンバスに、マーカー状の油絵の具で二枚の大きなイラストを出品。近くで見ると大迫力だった。たかさんらしいと思ったのは、描き始めてからキャンバスが大きすぎて、車に積めないことに気がつき、当日電車で会場までかついで運んだという話。

二枚の絵に関しては、たかさん本人から説明してもらった言葉をそのまま引用させていただきます。

1枚目 「ブタ子さんに話してごらん」(ここに実物の写真あり。)
向山「たかさん、これ新キャラ?」
たかさん「うんとね……人面豚。」
向山「(若干言葉に詰まりながら)……あ、そうなんだ。人面豚。それって、豚の顔した人? それとも人っぽい豚?」
たかさん「やだなあ。人面豚は人面豚だよ。」
向山「(受付に向かって)あやさん、救急車。」

2枚目「ごめんと言えた朝」(←ちょっとタイトル違うかも)
向山「たかさん、これって一見すごいシュールだけど、要はたかさんがあやま——」
たかさん「わー! だめだよウェブでそういうこと書いちゃ!」
向山「えーっ。困るなあ。だってこれ、一応、会場で話してるって設定なんだから。今さら変えられないよ。」
たかさん「だって、ぼくこんなこと言ってないもん。」
向山「そりゃ今ぼくが勝手に作りながら書いてるから当然だよ。」
たかさん「ちゃんと会場で説明したじゃない。それ書いてよ。」
向山「だって忘れちゃったんだもん」

と、まあ、久しぶりの新宿外出はこんな感じで終わった。
たかさん、あやさん、それにARTokyoの出展者のみなさま、おつかれさまでした。
東京都心でなごやかな雰囲気をしばし味わうことが出来て、感謝しているのはきっとぼくだけではないと思う。

投稿者 向山貴彦 : 20:59

もりくん弁当二日目

今日はのりこさんのアドバイスに合わせてごはん少なめ。豪華にのりたまふりかけ付き。

よい子のみんなはまねをしないでね!

投稿者 向山貴彦 : 20:44 | コメント (0)

画像更新しました

nokkiさんのリクエストにお応えして、大きな画像アップしておきました。
下の記事の完成写真(最後のやつです)をクリックするか、こちらから見ることができます。

投稿者 向山貴彦 : 03:12

2005年03月11日

もりくん弁当の作り方

全国10万人の「もりくん弁当」マニアのみなさま、お待たせしました!
遂にこの日がやってきました。今日と明日は全国的に「もりくん弁当の日」です。
折しも花粉症とインフルエンザうずまく東京の空はどんより曇って、雨もダダぶり。
お弁当にはぴったりの天気です。

昨日深夜に買い出しに行ったイシイのハンバーグを昼頃に準備。
これです。

注:1.5倍のやつでないところがポイントです。

さらに近寄ってみると、パッケージ左下隅には噂の「品質保証番号」が確かにあります。
さっそくこの番号で検索してみたところ、すぐに結果が表示されました。
実際の結果を映像で見たい方はこちらをどうぞ

この情報によれば、ぼくが食べようとしているハンバーグの原材料はトマトペーストとチーズを除いて、ほぼ国内産であることが分かります。感動的な発見です。しかし、その代わり、新たに大きな謎も現れました。

チーズ? どこに?

しかし、まあ脱線しそうなのでこの話題はまた後日。

そして、使われている鶏肉はなんと三種混合。タマネギも二種類が使われているようです。
(どうでもいいことだが、タマネギはどっちも名前がすごくイカス。「ウルフ」と「スーパー北もみじ」!)

まあ、そんなことを言っていても始まらないので、とりあえず調理へ移りました。
調理方法はのりこさんの厳密な指示にしたがって、きちんと鍋で行いました。
電子レンジなどはもってのほかです。


↑証拠写真

きっちり三分をタイマーではかって、さっとお湯から取り出し、レシピどおりに楕円形の弁当箱を用意して、
そこにごはんをきれいに敷き詰めておきました。
まずは汁だけをこのようにご飯に垂らしました。

はっきり言って、汁が少ないです。ぜんぜん行き渡りません。それでもこれで指示通りなので、
おもむろにハンバーグをその上に。

できてしまいました。

じっと眺めてみたのですが……何やら予想以上においしくなさそうです。
というか、半端じゃなくまずそうです。
(きっとぼくの美意識がおかしいのだろう。)
なんとなく間違えてごはんの上にハンバーグを置いてしまったような感じしかしません。
汁が上からかかってないので、早くもハンバーグの表面が乾き始めています。

中学校時代に弁当箱を開けて、この光景が目に映ったら、きっとたまらなく
寂しい気持ちになったと思います。ねこぞうがトラウマになっているのも無理はありません。
事前に想像した時は、彩りは白と赤でけっこうきれいになるのかなあ、と考えていたのですが……
きついです。
かなりきつい色です。
(注:食事中の方は次の一文を読むことは自粛して下さい)
ある体内からの廃棄物質を平たくした状態に似ている気がしてなりません。
「残飯」という言葉が頭をよぎるのを止められません。
そこで、少しでも色どりを与えてあげたくて、完成品の写真にはドクターペッパーを添えておきました。
少しは和らいだでしょうか?


(googleのイメージサーチで単体でこの写真を見た人は、いったいこれがどういう状況だと思うのだろうか?
 何か壮絶な罰ゲームに見えはしないだろうか。……心配だ。)

さて。それから数時間後、実は今ぼくは都内某所でこの弁当を食べ終わったところです。
時間の経過で弁当箱の中になんらかの奇跡的な化学変化が起きることを期待していたのですが、弁当箱を開けてみると、確かに変化はしていました。ハンバーグは表面がかわいて、片側へずり落ち、ちょっといびつな形で弁当箱のふちにもたれかかっていたのです。

ぼくが今まで人生の中で見たあらゆる弁当の中で、これほどやる気のなさそうな弁当をぼくはほかに知りません。不思議です。この弁当をじっと眺めていると、なぜか中学校の時の友達だった桂くんがヤンキーのみなさんにぼこぼこにされて、力尽きて「もう好きにしろや」と地面に寝ころがっている様子が浮かんできます。

そうこうしているうちに、たまたま人が近くに寄ってきたので、思わず反射的に弁当箱を蓋してしまいました。
ヘタレと呼んで下さい。でも、ぼくにはできません。ぼくには人前でこの弁当を開けて、まるでそれがごく普通のことのようにこの弁当を食べることができそうもありません。

嗚呼、のりこさん……あなたはこれを会社で食べたのですね。
マジで尊敬します。「師匠」と呼ばせて下さい。
ぼくは……ぼくはできませんでした……。

味?
ああ、そういえばまだ味については説明していませんでしたね。

イシイのハンバーグとごはんの味がしました。


最後に。
この貴重な経験を振り返って、ぼくは今日ひとつ大きな教訓を得ました。
身を持って感じた教訓です。その教訓で、僭越ながら、今日の「もりくん弁当の日」の締めとさせてください。

教訓:
二日連続にしなきゃよかったああああ。明日の夕食ももりくん弁当だあああ。

P.S.
イシイ食品とのりこさんの名誉のために付け加えておきますが、味は普通においしいです。念のため。

投稿者 向山貴彦 : 19:19

もりくんの追伸

実は下の書き込みをしたあと、イシイのハンバーグを買いに行ってきました。
そんな午前三時。すっかりまた夜型の向山です。

近くのコンビニで売っていた記憶があったので、まず立ち寄ってみたら、あるにはあったのだが、手にとってレジに持って行こうとして、見慣れない文字に気がついた。
「1.5倍」。
どうやら1.5倍サイズのハンバーグのようだった。
(最近世間ではなんでも大きくする傾向がある。ったく、プッチンプリンも小枝チョコもみんな大きくしやがって……ふつうのサイズじゃなんでだめなんだ!)

まあ、基本的にサイズが違うだけで中身は同じなのでこれでもいいか、と思った矢先、ふとのりこさんの反応を想像してみた。
これを読んだのりこさんの心の声(推定):「何これ。1.5倍サイズのやつじゃないの。これを同じものだと思ってるの? だめねえ。ぜんぜんこのお弁当の意味が分かってないわ。」

まずい。そんなことを思われてしまったら、サイトの面目に関わる!
仕方ないのでハンバーグは棚に返して、少し遠いけど、24時間営業のスーパーまで買い出しに行ってきた。そこで店内をひとしきり探して、丸大ハムにだまされそうになりながらも、やっと手に入れてきたハンバーグ。「品質保証番号」もしっかり書いてある。食べる前に明日、検索もしてみようと思ってドキドキしている。
ぼくの食べるハンバーグはどこで作られたのだろう?!
(検索して「レバノン」とか出てきたらどうしよう)

そんなわけでもう準備万端。いつでも作れます、「もりくん弁当」!

P.S.
深夜三時のスーパーで見かけたちょっと面白い風景。
女が髪の毛を赤、男が髪の毛を紫に染めて、サンダルにジャージ姿でぐだぐだ買い物しているカップルを発見。どっちもすでにだいぶアルコールが入っていて、下手したらアルコール以外の化学薬品も入っていそうな見事なぐだぐだっぷり。ぼくが傍らでハンバーグをあさっている間に、そのカップルはとなりの干物売り場で何やら言い争っているようだった。なんとなく聞き耳を立てていると、どうやら女の人の方がかなりご立腹の様子。男が持ってきてかごに入れた何かを手に持って、男に向かってどなっている。いったいどんな不健康な会話をしているのかと思ったら、女の人が男の前に明太子のパックを突き出した。
「ふざけんなよ、てめえ。これ着色料ついてんじゃねーかよ!」
「いいじゃねーかよ、どっちだって。」
「てっめえ、不健康だっつんだよ!」
ぼくは思わず、手の中のイシイのハンバーグ四個をそっと隠した。

その後もそのカップル、お総菜コーナーでもうひともめ。
「てめえ、ナポリタンとミートソースの区別もつかねのかよ! あたま悪いんじゃねーのか!」

なんか、たとえようもなく微笑ましかった。

投稿者 向山貴彦 : 03:26

もり君の故郷を訪ねて

しつこいようだけど、今日ももり君ネタで。

以前から、イシイ食品がすごいがんばっていることは知っていたのだが、昨日ひさしぶりにイシイ食品のサイトを訪ねて行ったら、前よりも一層気合いの入った会社になっていた。添加物なしの無添加調理は以前からだったが、さらに「品質保証番号」というすごい制度が導入されていた。ハンバーグをはじめとするすべての食品にそれぞれ個別番号が振られていて、その番号で問い合わせると、その商品単体の製造場所から製造ラインの行程、原材料ひとつひとつの産地までを瞬時に調べられるというシステムだ。

先ほど実際のその検索サイトを見てきたが、どうやら「農薬使用状況」「アレルゲン」まで調べられるようで、正直感動した。 ふつう隠しておきたくなる要素を堂々と、しかも商品別に公開しているというのは、よほど製品に自信がある証拠なのだろう。

何がかっこいいかって、こういうことを知らないところでやっているというのがが実にかっこいい。関心のない消費者からすれば、ハンバーグはただのハンバーグ——別に燃えないゴミにならない材質でパッケージを作っても、リン酸ナトリウムが添加されていなくても、品質表示番号があってもなくても、味が変わるわけではないので、気がつかない人は一生気がつきもしないだろう。

しかし、こういったことをするためには当然かなりの研究費用、設備投資、人件費、そして社員の努力が必要となるはずである。下手をしたら、ただ利益を減らすだけの行為になりかねない。どうせ同じお金を使うなら、派手なタレントを雇う宣伝費や、色鮮やかな新パッケージのデザインにでも使いたいと思うのが当然であろう。それをこの会社はあえてお客さんの安全のために使っているのだ。

イシイ食品さん、ごめんなさい。ぼくは子供の時、貴社のハンバーグをバカにしていました。
てっきり原材料がかまばこか何かだと思っていました。
頭の中の食品別カテゴリー表でも「精肉」ではなく「スナック」ところに分類していました。
てっきり駄菓子屋で売っている、「イカ」の絵が描いてあるのに、実は原材料がメルルーサしか入っていない甘酸っぱい「鱈シート」と同じようなものだとばかり思っていました。
本当にごめんなさい。

よく漫画やドラマで悪いやつだと思っていたキャラが、実はいいやつだと分かると、特別感情移入してしまうことがあるが、子供の時「どうせ体に悪い、しょうもない食べ物だろう。だけど好きだからしょうがないや。」と思っていたものが、実はそうでもないと知った時、またイシイのハンバーグが少し好きになった気がする。

なので、イシイ食品への謝罪と敬意を込めて、スタジオでは明日3月11日と3月12日を公式に「イシイのハンバーグ@もりくんの日」と定め、その両日は夕食をもりくん弁当とします。(もちろんのりこさんのレシピどおりの作り方できちんと作らせていただきます。)それをドクターペッパーと共にイシイ食品と、のりこさんと、もりくんへの感謝の気持ちを込めて食べることとします。
お弁当がちゃんとレシピ通りにできていたかどうかは明日、写真をここにはりますので、すみませんがのりこさん、厳重に確認をお願いします。

よろしかったらみなさまも週末にいかがですか? なんたって無添加ですよ。
シリアル番号もついてることだし。

投稿者 向山貴彦 : 01:06

2005年03月08日

もり君弁当の話題、拡大中

ねこぞうのとこも只今、「もり君」一色。

投稿者 向山貴彦 : 21:32

規制するならまずニュース番組から

どうやらまたゲームが悪者にされるらしい。
今日のニュースによると、大阪府が「残虐ゲーム」を規制する方針を検討していて、他の都道府県にもそういった動きがあるのだとか。いくつかの重大な事件を起こした少年少女たちが暴力的なゲームをやっていたから、というのがその主旨である。

すげえ、というのがぼくの正直な感想だ。

今時、ゲームをしたことのない小学生や中学生などほとんどいないのに、「加害者がゲームをやっていた」というのが規制の理由になるというのはすごいことだと思う。それだと、「加害者は空気を吸っていたので、加害者の行動は空気のせいだと思われる」と言っているのとさして変わらない。「残虐」というのがどこまでのことを指しているのかは分からないが、こういう曖昧な線引きで行われる規制がうまくいった試しというのは古今東西、人間の歴史を振り返ってみても、一度だってない。何を「残虐」と感じるかなど、恐ろしいほどの個人差があるはずだ。——動物愛護団体から見れば、普通の食事風景だって、この世のものとも思えないほど残虐な光景に見えかねない。(個人的にはスーパーマリオがぼこぼこピカチュウを踏みつけているところを見たときには「うわー、無惨やなあ」と思ったが、たぶん「スマッシュブラザーズ」は大阪府の規制対象には入らないのではないかと思う。)

今ではすっかり忘れられているが、こういう動きは昭和の後期にもたびたびあった。
当時は漫画が「悪書」だと言われていた。漫画を子供に読ませない親もいっぱいいた。学校で漫画を禁止しているところさえあった。今となっては信じられないことだが、ドラえもんでさえ、悪書とされたことがある。ぼく自身、小学校の時、クラスの先生が学級会の席で「うる星やつら」を名指しして「良くない本だ」と言っていたのをはっきり憶えている。
(先日、中学校の図書室に行く機会があって、本棚にたくさん漫画が並んでいるのを見て驚いた。どうやら漫画の罪はぼくが知らないうちに「無罪放免」になっていたらしい。)

テレビもポピュラーな敵役だった。
テレビを見過ぎるとバカになる。テレビを見過ぎると、人とコミュニケーションがとれなくなる。
テレビから有害な電磁波が出ていて、長く見ていると目が潰れる、骨が弱くなる、ガンになる、痔になる、頭に毛が生える……最近ちっともこういった批判を聞かなくなったが、この役目はインターネットに移ったのだろうか?

もちろん、アニメも、ビデオも、ロックミュージックも、バンド活動も、登場した時は全部、悪の温床として一度は取り上げられた経験を持っている。文化はすべてそうだ。本でも、音楽でも、宗教でも、全部最初まで遡ってみれば、世間に受け入れられる前に一度はたたかれたものばかりである。

老いていくことへのたまらない理不尽さからか、人はなぜか大人になると、自分の世代のためではない新しい文化に対して敵意を抱くようになる。規制をする側の人間は得てして、その文化に触れたこともない人間なので、理不尽な事態が起きて当然なのだ。

確かにゲームだっていい面ばかりではない。悪い面もある。でも、それはどんなメディアでも同じだ。悪いだけのメディアなんていうものはあり得ない。どんなメディアにも、「いい作品」と「悪い作品」があるだけなのだ——ちょうどどんな人間でもいいところと悪いところがあるように。
それを自分で見分け、自分で選べるようにすることが「教育」だったはずである。学校が本来の役目を果たしているなら、取捨選択は子供たち自身に任せてもいいはずなのだ。

「教育」がうまくいかなくなったら「規制」をする。
大人のやることはいつの時代でも変わらない。
ゾンビの頭をふっとばすだけの「残虐」ゲームよりも、そんな思想の元で子供たちが育つことの方が、ぼくは何十倍も恐ろしく感じる。

さて、もう少しピカチュウでも踏んでこようか。

投稿者 向山貴彦 : 20:01

2005年03月07日

のりこさんに捧げるワンパラ

*今日のワンパラは掲示板(MOBS&FRIENDS)におけるのりこさんのあまりに心打たれる書き込みに呼応したものとなっています。お手数ですが、まずはそちらを読んでみてから、続きを読んで下さい。

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「もり君弁当」。
この内容を呼んでいたねこぞうが、さっきふいに「もり君って私だ」と気がついていました。

なんでもねこぞうは学生時代、お母さんが塾の運営で忙しくて、あまりお弁当を作ってもらえなかったらしく、その不満をお母さんに伝えたところ、翌日お弁当を持たされたという。はりきってお弁当を学校で開けたところ、中にごはんとレトルトのハンバーグが一個だけ入っている衝撃的なものが見えてしまったたらしく、あわててバン!とふたを閉じたらしい。当時のほかの同級生の弁当というのは色とりどりのものだったそうなので、少女心としては当然のことかと思われる。

で、のりこさんの書き込みを見て、ねこぞうがひとこと。
「あれを見られていたのか……」

まあ、もり君の正体はともかくとして、とにかく、この書き込みに、ぼくは大いにハートを揺さぶられた。ぼくの頭の中で浮かんだイメージは、きちんと化粧して、会社の制服を着た若い女性が、昼休みにおもむろにイシイのハンバーグの乗った弁当を取り出し、周囲の目を気にすることなく、それを優雅に食べる姿である。すぐ横ではドトールで買ったコーヒーを飲んでいた山田部長(仮名・推定年齢43歳)がこの光景を口をつけたカップごしに見ながら、「ただ者ではない」と感じ、向かい側でウィンナーをたこの形に切ってきた弁当を食べている同僚の杉田さん(仮名・推定年齢24歳)は思わず自分のこびた弁当が恥ずかしくなり、うつむいてしまう。
みなさんはどうか分からないが、ぼくはこれはかなりかっこいいと思う。冷静な文体で書くことでもないかと思うが、今の言葉で言うなら「萌え」だ。

実はちょうどそういうキャラクターを書こうとして、どうもうまく書けないで困っているところだったので、なんとなくとても励みになった。やはり想像力を限界まで駆使しても、現実にはかなわないものだ。仮にこういうシーンを思いついて実際に書いたとしても、その弁当の名前を「もり君弁当」にするのは、おそらく二百年ぐらい考え続けても無理だと思う。

もりくん弁当。
実にいい響きだ。

実はうちの実家でも昔、「そぼろごはん」の正式な名称が分からず、母親が内藤さんという人が前に作っているのを見たことがあるという荒唐無稽な理由から、そぼろのことを「内藤さん肉」と呼んでいた。当時小学校低学年のぼくは、さすがにちょっと変だなとは思いながらも、当然のようにそぼろのことをそう呼んでいた。(衝撃の真実はある遠足の日、同級生のほりえくんがそぼろごはんを遠足に持ってきた時に、極めて不本意な形で判明した。当然ぼくのそれから半年間のあだなは「内藤さん」である。)
とにかくこの種のネーミングには何か打ち震えるものを感じる。ましてや、その中身が中身である。のりこさんにはぜひとも永くこの弁当を食べ続けてもらいたいものである。

今後はスタジオではこの種の弁当のことを公式に「もり君弁当」と名付け、永久に未来へ伝えていくことで、のりこさんの「毒を食らわば、皿はもちろん、おかわりまで」のあっぱれな心意気と、こんなことが自分のまったくあずかり知らないところで未来永劫語り継がれているとは思いもしないだろう「もり君」の功績を称えていきたいと思う。いつか子供が出来たら、ある日、突然「もり君弁当」を学校に持たせ(できれば羞恥心がある程度備わった中学生ぐらいになってからの方がよいと思われる)、「なんだよ、あの弁当! 友達の前で恥かいたじゃないか!」と帰ってきて激怒する息子/娘に、マハトマ・ガンジーのような悟りきった口調でこう告げようと思う。
「息子(or娘)よ。おまえは恥ずかしかったかもしれない。でも、のりこさんはうらやましかったんだ。」

まあ、たぶん子供はぐれるとは思うが。

PS
ちなみにイシイのハンバーグはかなり気合いの入った社長が作っているらしく、無添加らしい。(詳しくは昔のワンパラ 2001/01/22日のものを参照)どう考えてもジャンクだろうという、こういう食い物を無添加にしようという社長の心意気にも乾杯。

投稿者 向山貴彦 : 12:47

2005年03月06日

あなたの知らなくていい歴史 part2

ケンタッキー。
それは本当に素敵な響きの言葉でした。
時々テレビで「that old kentucky home〜」という牧歌的なカントリーのメロディーにのせて、熱々のチキンがコーンとポテトと共に山盛り、赤と白のチェック柄のテーブルクロスの上に並べられた光景を、いつも10インチのテレビの前で、20円のベビースターラーメン(チキン味(涙))をかじりながらみとれていたぼくにとって、いつの日かその店が実際に近くにできるのが夢でした。

もちろん今となってはあのカーネルとかいう善人面したじいさん(白い服をいつも着ているやつに本当に心の白い人間はいないと昔国語の先生が言っていた)が「健康的」だと言って食わしていたチキンが、実は胃に穴を開けそうなほど濃いラードと、ブロイラーが摂取した抗生物質が含まれているのは分かってはいるのだが、それでも思い出の中のチキンの色は色あせません。たとえ「無数のハーブ」のほかに「無数の添加物」が入っていようと、ケンタキーフライドチキンという名前が奏でる音は、何か特別な楽しい響きを持っていました。

そのケンタッキーがやってくるのです。駅前に第一報の看板が立ってから、もうそのことしか頭になかったのですが、当時のぼくは花も恥じらう小学校高学年。世間体(主に五人ぐらいの同学年の友達によって構成される社会的グループのこと)を気にして、そんな些細なことに興奮している姿など見せられません。実は開店前の工事中に記念写真を撮りに行くほどケンタッキー開店に執着していたのですが、友達に「ケンタッキー駅前にできるんだって、知ってた?」などと聞かれると、「へー、そうなんだ」という確実に閻魔に舌を抜かれそうな嘘を真顔でついていました。

だから、開店当日も本当は朝から——いえ、うそです。まだちょっと大人の照れが入ってしまってます——もとい、二日前から並んで待っていたい気分だったのですが、さすがに格好悪いので、開店時間にもまだ家で待機していました。(靴をはいて、財布を待って、玄関前でいつでも走り出せる体勢で。)というのも、もし開店前の店に当然出来ているできている行列に知り合いでもいると、お互いに気恥ずかしいものがあるからです。(知性が実際に備わっているもうひとつの性別のみなさんは今これを読んで「なんで? 別にいいじゃない」と思っているかも知れませんが、それが十代男子というものなのです。)で、限界まで我慢すること三十分。あわてて家を出て、駅前へとバスで向かいましたが、途中で奇妙な渋滞に遭遇して、すごくいやな予感が脳裏を走りました。

下関はこんなところでは渋滞しません。
普通は。

駅前に近づくに連れ、何やらいつもよりも人が多い気がします。特にぼくが向かっているのと同じ方向に。
いや、まさかいくらなんでもチキン屋が開店するぐらいで……と思った瞬間、恐ろしい行列が目に入りました。百メートルはあろうかという駅前を通過して、見えなくなるまで人が並んでいて、何やら警察だか、ガードマンだか分からない人がちらほら整理に出ています。そして、「チキン完売しました」という背筋の凍るプラカードを持っている人が。

この時、開店からまだ一時間ほど。

ぼくはあまりのショックに、バスから降りることができず、そのまま駅前を通過してしまいました。
記憶が正しければ、確かそのあとも一ヶ月近く、チキンはいつも閉店まで持たずに完売していました。いつ行ってもお祭りの会場のような混雑ぶりでした。特にクリスマスの時期はひどく、知らない老人が見たら第二次オイルショックが起こったのかと思いかねない騒ぎです。

そんな時代も今は昔。
下関には、今ではマクドナルドもケンタッキーもミスドもモスバーガーも何軒もあります。あの駅前のケンタッキーの横にはスタバもできてしまいました。ほかの多くの日本の町と同じく、もはや東京とさほど違いはありません。二十四時間営業じゃないセブンイレブンが何件か残っているようなおちゃめな側面もまだ多少はありますが、基本的にケンタッキー到来に沸いたあの町の面影はもうありません。ジャスコの二階のかき氷とアメリカンドッグの店もとっくにつぶれました。ジャスコそのものがつぶれました。

今の下関の小学生はたぶんケンタッキーに特別憧れはないと思います。下関だけでなく、日本のどこへ行っても「マクドナルド」へ連れて行ってやると言われて、万博がうちにやってきたようにはしゃぐ小学生など見つからないと思います。

「ケンタッキー下関1号店、今期オープン」という一枚の看板がもたらしてくれた半年間の幸福。あれはいったいなんだったのでしょう? 時代が変わっていく中で生まれる数々の矛盾の狭間に、束の間、光り輝く夢のような瞬間だったのかも知れません。
すべての夢は残念ながらいつか覚めます。でも、目をつむると、今でもあのケンタッキー到来の熱気と興奮はぼくの胸の中で確実に生きています。チキンの残り数を心配しながら並ぶ人々の後ろで、ニャッとほくそ笑むカーネルの意味深な笑みと共に。

投稿者 向山貴彦 : 17:38

2005年03月04日

あなたの知らなくていい歴史 part1

こんばんわ。社会科の時間です。
今日は「地方都市におけるファーストフード業界侵攻の歴史」をテーマにお送りします。司会進行は私、30代半ばで臆面もなくハッピーセットをイートインする向山「ロナルドマクドナルド」貴彦が務めさせていただきます。

1980年以前の我が国を振り返ってみると、まだごく一部の大都市圏をのぞいて、ファーストフード店といえば、ジャスコの二階のゲームコーナーのとなりにあるアメリカンドッグとやきそばとかき氷の店「ハッピーパーラーのぶ」ぐらいしかない黎明期でした。この頃はまだファーストフードという言葉そのものにもほとんど馴染みがなく、ホットドッグというと、衛生管理を睡眠学習で会得したような汚いパン屋で時折売られている、魚肉ソーセージの入った揚げパンとかのことでした。この魚肉ソーセージ、なんとか肉に似せようと、中途半端に赤色102号でいっしょうけんめいそめてあるのですが、何分、もとはメルルーサとか怪しい白身の魚なので、せいぜいピンク色にしかなりません。この「俺はソーセージだ。誰がなんと言おうとソーセージだ」という感じに言い張っているピンク色がなんとも哀愁深い食べ物でした。

とにかくハンバーグとハンバーガーにまだはっきり区別がついていなかった時代です。外でコーヒーを飲むといったら、溶かしたキャラメルのように甘いUCCの缶コーヒー一択の時代です。現代ではもはや健康食品に分類されつつあるビスコやカルピスが体に悪いとされて、なかなか買ってもらえなかった時代です。「今日は久しぶりに手料理にしよう」と言っている主婦が、いつものお総菜ではなく、冷凍食品を買って帰るような今の時代から比べると、それはもう不便で不便でしょうがない時代です。何しろ「うる星やつら」がPTAから「不健全で教育上、問題のある図書」に指定されるような時代です。今なら、「うる星やつら」など下手したら文部大臣推薦図書になりかねないものだから、どのくらい昔かわかろうものです。

そこで、今回はある典型的な地方都市、山口県下関市へのファーストフード流入の経過を例にとって考えてみることにしましょう。参考文献はただひとつ:「おれのおぼろげな記憶(2005年初版)」ですので、多少の誇張や甚だしい間違いなどもどうか御了承下さい。

まず最初にやってきたのが「ロッテリア」である。これは下関初の大型複合施設「シーモール」の正面玄関脇にオープンしたもので、当時テレビのCMでしかそういう文化を知らない下関の人々は、即この店のことを「マクドナルド」と呼び始めた。

その頃の典型的な小学生の会話:
相手「おい、今日帰りにマクドナルドいこうぜ。」
ぼく「えーっ! マクドナルド下関にできたの?」
相手「何言ってんだよ、前からあるじゃん、シーモールに。」
ぼく「あれ、ロッテリアじゃないの?」
相手「あ、そうだっけ? じゃあ、とにかくマクドナルドで待ってるよ。」

そんなわけでこの時期のロッテリアはよく「ビッグマック」とか「チキンマクナゲット」とか、謂われのない理不尽な注文を受けていた。

ちょうどその頃、父親の大学で交換留学のために日本にやってきた外人さんからこんなことを聞かれた。「町からちょっと離れたところに「コケバーガー」という名前の店があるんだが、あれは本当にコケなのか」。確かめに行くと、確かにあった「コケバーガー」。英語ではmossはコケという意味で、厳密にはsがひとつ足りないのだが、mosという別の単語が存在しないため、同じ意味にしかとれないのだ。当時、未だ見果てぬマックへの夢を心に抱いていたぼくにとって、この新しい店の「しょうゆ味のハンバーガー」はあまりにも受け入れられないものだった。今は「テリヤキバーガー」はぼくの個人的ベスト1バーガーになってしまったが、とにかくその時は「これはハンバーガーではない」と自分的に結論を出してしまった。

この時期、実はもうひとつひっそりとオープンしていたお店があった。
今では知らない人のいない「ミスタードーナツ」である。
どういうわけか、下関ではこのミスドがかなり早い時期から進出していた。そして、地元住民の文化にまるでなじめず、「なんか甘い」という想像を絶する理由で嫌われ、数年で敢えなくつぶれてしまった。この時のミスド側のショックがよほど大きかったのか、その後、ほかのお店が全部出店したあとも、ミスドだけは世紀が変わる頃まで下関に来ることはなかった。きっと、ミスドの新規出店会議でよくこんな会話がされていたに違いない。

若い社員「渡辺部長、この下関って町、けっこう大きいのに、なんでうちってここだけ支店出さないんですか。」
昔を知るベテラン社員「いいんだよ、あそこは。」
若い社員「でも、となりの八幡とかにも出してるのに、なんで……」
昔を知るベテラン社員「(ちょっと苛立って)しつこいね、君も。いいんだよ、あそこは。」
若い社員「でも、一応市場調査とかしてみようかと……」
昔を知るベテラン社員「(急にキレる)うるせえな! あの町はいいんだよ! あそこは魚しか食ってないからなんにも分かっちゃいねえんだ……くそー、くそー。(苦い思い出を思い出しながら、下関を地図上でぐりぐり塗りつぶし始める。)」

多分最近急速に何店舗もミスドができたのはきっと渡辺部長が定年退職になったからではないだろうか。今では下関でもドーナツ文化はよく馴染んでいる。

そして、八十年代半ば、下関の文化を根底から揺るがす大事件が起きる!
ケンタッキー下関駅前店の開店である。

(つづく)

投稿者 向山貴彦 : 20:19

2005年03月02日

直木賞よりロジャーマータフ

ホラー、ファンタジー、ミステリー、SF、ラブコメ……と、物語にもいろんなジャンルがあるが、日本国内では今ひとつ認知度の低いジャンルがひとつだけある。それは「バディーもの」である。国内にもそれなりにこのジャンルの作品でヒット作は出ているのだが、おそらくそれらをすべてひとつのジャンルとして分ける習慣が日本にはない。でも、このジャンルはアメリカでは一番有名な物語のパターンであり、実はぼくが個人的に大好きなジャンルのひとつでもある。

バディーを英語で書くとbuddyとなる。これは大まかに訳すと「相棒」というような意味になる。
ただ、実際に「相棒」の英語訳としてもっとも適切なのは、すでに半分日本語化している「partner」という単語の方だと思われるので(実際、「相棒」よりも「パートナー」という外国語の方が、おそらく日本でも使用頻度も高いのではないだろうか。日本語ファンとしては実に嘆かわしい現実だ。)、じゃあbuddyとpartnerの違いは何かというと、buddyにはより親しみが込められているように思う。

ただ、その親しみは「親友」(best friend)という言葉が抱えているような甘っちょろい感覚ではなく、お互いの良い所だけでなく、悪いところもすべて見てきた上で、それでも認め合い、たまに殺し合いになりそうな大げんかをしながらも、なんとなく腐れ縁でペアになっている相手のことを指す。日本語で一番近い単語を探すなら、少々スラングになってしまうが、「ダチ」とか「ツレ」というような言葉になってしまうだろう。

もう説明しなくてもすでにお分かりかと思うが、「buddyもの」というのは、そういった腐れ縁の二人の人物が互いに反目しながら、究極的には助け合い、危機を乗り越えていく「あの類」の映画のことである。

buddyものはハリウッド映画では基本ジャンルのひとつだ。特にアメリカの警察の刑事は単独行動が許されておらず、必ず相棒とペアで動くため、刑事映画のほとんどがバディー映画か、それに近い形となっている。むしろ、一匹狼の刑事ものというのを見つけるのが難しいぐらいである。ぱっと思い浮かぶのは「ダーティーハリー」ぐらいだが、あれは個人の刑事が敵目がけてバズーカを撃つようなむちゃな話なので、そもそもリアリティーは二の次だ。

刑事物で有名なバディーものといえば、なんといっても「リーサルウェポン」のシリーズだ。相反する性格の刑事二人が無理やりペアを組まされ、最初は反目し合いながらも、やがて互いに理解を示し、究極的にはお互いを信じるようになる……という絵に描いたようなバディーものだ。べたべたと言われればそれまでだが、このシリーズの第一作はかなり好きな映画の一本で、今でもよくDVDで見返す。特典映像見たさでわざわざアメリカからリージョン違いのスペシャルバージョンを個人輸入したほど好きだ。

で、なんでこんな長い前置きをしているかというと、実は今、バディーものを書こうとしているからで、そう……次の物語は「超能力少女もの」である上に「バディーもの」でもあるのだ!(←自分でも書いていてはずかしかったので、大声を出してごまかしてみた。) もうこの時点で、直木賞の候補からは間違いなくはずれてると思う。

向山貴彦、三十四歳。子供の時は同級生の後頭部にギャラクティカマグナムを放っておりました。
まだまだまじめな文学作品は当分書けそうもありません。

投稿者 向山貴彦 : 03:12