コルク栓。
かすかなアルコールの芳香が残るコルク栓。 掌で何度か転がしてみる。コルク栓はいびつな形をしていたので、不規則に手の中を動き回った。長い間、ベッドの天板にもたせかけていた背中がすっかり汗ばんでいる。窓からは十月の涼しい風が入ってきて、部屋は冷たくなっていたが、不思議と体はほてっていた。
一キロほど離れた海岸から、かすかに潮の香りが漂ってきていた。聞こえるはずはなかったが、波の音も聞こえる気がする。 ベッド脇のテーブルには、栓を抜いただけで一口も飲まれていないワインボトルが置いてあった。さっきまでは外気との温度差で瓶の表面にびっしりとついていた水滴も、すでに乾いて、ラベルだけが残った水分で波打っている。
――波。また波の音が聞こえた。 「ごめんね。」 すぐ隣で、こっちに背中を向けてカズ君が横たわっている。左手にコルク栓を握ったまま、もう一方の手でカズ君の髪をすいてみた。
カズ君は何も返事をしない。彼は会った時からずっと無口だった。何を言っても、頷くか黙っているかだけで、たまに二言三言しゃべると、その度に、ああこんな声なんだ、と思うくらいもの静かな人だった。
ワインボトルの横には小瓶が置いてあって、その中にはきれいな赤い粒がたくさん入っていた。小瓶を目の高さまで持ち上げて、ジャラジャラと中身を振ってみてから、それを元の位置に戻す。
それからゆっくりと毛布を体から払いのけて、コルク栓を持ったまま立ち上がり、小さなアパートの台所へ向かった。台所のカウンターの上に、手に持っているのと同じワインのコルク栓をたくさんつなぎ合わせたものがある。コルク栓は一端が太く、一端が細かったので、ぴったりくっつけて並べていくと、いずれ円の形になる。円になったら、鉢置きに使うつもりだった。
大学に入ったころから作り始めたコルク栓の輪っかは、もうほとんど完成していた。壁にぶら下げたマーカーペンを取って、コルク栓に今日の日付を記入してから、それを円の切れ目にはめてみる。少しきつかったが、無理に押し込むと、コルクの輪は完成した。
透き間に接着剤を流し込んだ後、コルクの輪を持って、サツキの鉢植えが置いてある窓へ行って、サツキの前にしゃがみ込んだ。コルク栓の一つ一つには全部ペンで日付が記入してある。一番古いものが、二年前の九月十一日――初めてカズ君を見た日だった。それから今日まで、何かの記念日がある度に、新しいワインのボトルを一本開けては、その栓を集めるようになった。やがてそれで鉢置きを作ることを思いついた。小さくていびつなコルク栓でも、たくさん集めれば立派な土台になることを自分に証明したかったのかも知れない。
ちらっとベッドのカズ君を見たが、カズ君は同じように向こうを向いたままである。 しばらくコルク栓の表面をなで続けてから納得して、やっとサツキの鉢を鉢置きの上に移動することにした。長い間楽しみにしていた瞬間だったが、なぜか思っていたほどの感動はない。――鉢植えにサツキを選んだのは、名前が自分と同じだったからだ。それに横に伸びて、不思議な花の付き方をするのが印象的で可愛く思えたのである。
しかし、サツキは放っておくとむやみやたらに枝葉を延ばす花だった。そのため、鉢に留めておくには小まめに枝をはらってやる必要があった。すぐにとても面倒な花だと気づいて後悔したが、その時にはもう手遅れだった。それでも鉢からはみ出さないように、毎週末、少しずつ枝葉を払い続けて育ててきたのだが、サツキはもう好きだった最初の姿とはかけ離れてしまっていた。
コルクの鉢置きにサツキを置いて手を放すと、サツキの鉢は安定せずに少し傾いてしまう。直そうとして重心をずらすと、今度は反対側へ傾いた。何度か様々な位置に変えてみたが、どこへ動かしても、鉢は静止してくれなかった。何度やってもだめだった。
諦めて、傾いた鉢をボーッと見つめる。鉢か、サツキか、鉢置きか、どれかがいびつなのだろう。全部かも知れない。 しばらく床にしゃがみ込んだまま、傾いた鉢を見ていて、ふと我に返った。時計を見ると思ったよりもずいぶん時間が経っている。時計が間違っているのかと思ったが、足のしびれが時間の経過をよく物語っていた。ちゃんと立ち上がれずに壁につかまって、やっとダイニングテーブルの椅子の一つに腰掛けた。
麻痺した足に感覚が戻ってくると、ジーンとしびれて痛かった。 波。また波の音が聞こえる。 しびれを洗い流しに波がやって来る。 しびれたままの方がいい。
痛いのは嫌いだ。 波の音を聞きながら、しびれた足で立ちあがって、部屋の片付けにとりかかった。手始めに流しにためていたお皿を洗って、タオルで水気を拭きとってから、それらを食器棚にしまい込んでいく。ついでに食器棚のガラスについた手垢もスプレーでこすり落としておいた。テーブルの上を拭いて、カウンターのほこりもはらい終わった頃には、波の音が少し大きくなっている。耳をふさいでみたが、音は消えなかった。仕方なく、とりあえず掃除を続ける。幸い掃除機をかけ始めると、その音がいくらか波の音をかき消してくれた。
ひと通り片付けがすむと、静かに鏡台の前に座って、少しやつれた自分の顔を眺めてから、うすい化粧を始めた。服もよそ行きのものに着替える。波の音がその間中、耳の奥で聞こえている。――海、そんなに近くないのに、と思った。
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