2002年(時期不明) 【なかったら歴史が変わる】
人類の歴史にもっとも影響を与えた三つの発明がある。電気と、火薬と、そう、携帯電話である。中でも大事なのは三つ目だ。何しろ最初の二つはまあ、なくても日常生活にたいした支障はない。電気がなければナフコで買ってくればすむことだし、火薬なんか夏に花火をする時以外、用途さえ思いつかない。でも、携帯電話!――これはぜんぜん別の話だ。仮にもし携帯電話がなかったらどうなるか考えてみよう。
ぱっと浮かぶだけでもこれだけの弊害が思いつく:
・あまり好きでない友達と出かける時に終始他の人と携帯でしゃべっていることができない。
・最新の着メロがダウンロードできない。
・毎日入ってくる未承諾広告メールのコレクションが途切れてしまう。
・携帯ストラップをつけることころがない。
・せっかく溜まったdocomoのポイントを使えない。
・深夜二時に「カップラーメンのsio味、マジやばいって」というような重要なメールを送り合えない。
・携帯電話の充電器に差すものがない。
もし携帯がなかったら――そう考えるだけで震えが来る人も多いはずだ。「会社の同僚に恵比寿にあるうまい飲み屋を今すぐ聞きたい」などのような緊急事態に、携帯電話がない世界を想像したらどんなに恐ろしいか。いやはや、一分一秒を惜しんで、お互いが今している無駄なことを連絡しあえるなんて、なんといい時代になったものか。
あ、携帯が鳴ってるのでこのへんで。
2002/10/18 【名前も一緒、みんな一緒】
早いもので、「童話物語」が一般に発売されてからそろそろ丸四年が経とうとしています。その前のスタジオエトセトラ版(一般に「旧・童話物語」と呼ばれているもの)の発売からは五年、さらにその「旧版」を書き始めたときからは九年、そして、最初に「童話」のアイディアを中学校の社会科の授業の時に思いついた時から数えると、なんと十七年の時が過ぎてしまいました。
昨日のことのようにも思えますが、やはりひどく遠い昔のようにも思えます。今ではもう自分で書いたという感覚はほとんど消え失せています。
本というのは不思議な物で、書いているときは見ていて気持ち悪くなるほど身近なものなのに、自分の手を離れて、書店に並んだとたんにひどく遠い物になってしまいます。よく「娘を嫁に出すようだ」と表現されることがありますが、どちらかというと、古い友達が遠いところへ行ってしまったような気持ちです。
時々、遠くで活躍している友達の噂を聞いて、ひそかに少し喜んだり、その一方でもう会えない寂しさをかみしめたりしています。
でも、最近、そんな古い友達に久しぶりに会いました。インターネットのサイトを何気なく見ているときに出会った二つの素敵なサイトのおかげです。奇しくも両方とも同じ「童話同盟」というウェブサイトです。最初は関連のあるサイトかと思ったのですが、管理人のお二人に問い合わせた結果、ほぼ同時期に、たまたま同じ名前でサイトを開設したということですから、これも何かの縁なのかもしれません。
ぼくの中ではもう遠い世界へ行ってしまったペチカやフィツが、そこでは生き生きと暮らしていました。「あー、ここにいたのか」と思わず懐かしくて、うれしくて、しばらくモニタを眺めていました。管理人のお二人はとても「童話物語」を大事にしてくれていて、発売から四年経った今もずっとサイトの更新を続けてくれています。サイト立ち上げ直後からどちらのサイトも知っているのですが、会員数も増えて、今ではずいぶん立派なページになっています。
十七年前――あの時生まれた物語は、確かにまだそこで生きていました。 何もできませんが、せめてこの二つのサイトに心からの感謝を込めて、ここで紹介をさせていただきます。これを機会にリンク集にも加えさせていただきました。
管理人のはざまさん、ムラノアケさん、二つのサイトを支えてくれている読者のみなさん、そして、そのほか、この十七年間ずっと童話を見守ってくれていたすべてのみなさん、本当にありがとう。
ぼくは確かにペチカたちの生みの親かもしれませんが、育てたのはみんなです。どうか百年の幸せを。
どうわどうめい
(管理人:はざまさん)
小説にイラストに人気投票にテーマ別BBSと、実に多彩な内容で、優しさあふれるページ。宮山が危機感を感じるほどみんな絵がうまいです。
童話物語同盟
(管理人:ムラノアケさん)
お絵かき掲示板に「好きな台詞アンケート」など、ユニークな内容で「童話」をいろんな角度からとらえてくれているページ。
2003年末 【妹の結婚式】
妹が今年、結婚した。
これで五歳下(季節によっては六歳下)の妹に大学入学、卒業、就職に続いて、結婚でも先を越されたことになる。そろそろ兄というのが恥ずかしくなってきたので、来年ぐらいからは弟になろうかと思っている。それが法律的に許されないなら、今度から続柄の欄には「もと兄」と書くことにする。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが、先月妹の結婚式に出席していろいろなことを考えさせられた。横浜の港が見える丘公園の近くの、もうこれでもかというぐらい結婚式をあげるにふさわしい教会での式だったのだが、どのくらいふさわしいかというと、近隣一円の全商業施設が連動して一律結婚事業なしでは生きていけないように結託しているぐらいふさわしいところだ。
日本だとはとても思えない異国情緒あふれるところで、妹と新郎のゆんぼは実に幸せそうな式を挙げた。(途中、気温9℃ぐらいしかない寒風吹きすさぶ中、肩むき出しの花嫁衣装でオープンカーに強制的に乗せられて、けげんな表情で町行く人々に見られながら式場をあとにした時以外は、少なくても幸せそうだった。)この結婚式、ホテルなどでよく見かけるゴンドラ、ケーキカット、スモーク、シャンパン、二人の顔入りの絵皿に代表されるような豪華絢爛な式というわけではなかったのだが、本当によく計画されたいい式だった(コート二枚着ていても寒い気温でのオープンカー以外。くどいけど。)。パンフレット、招待状から式場への地図まで、すべて新郎新婦の文字通りの手作りで、迷いに迷った末の引き出物も、ウルトラ凝ったポップアップの絵本というひねり付きだった。
正直、商業出版なんぞ生業にしていることもあり、何もかもを手作りで――しかも、プリンタは使うものの、大部分の作業をアナログで――やることには少し不安を感じていた。どうしても少し寂しい感じになるのではないかと考えてしまったのだ。妹も旦那さんのゆんぼも器用で賢い二人ではあるが、格別デザインの知識があるわけでもないので、ちぐはぐなものになりはしないかと余計な心配をしていたのだ。
結果から先に言うと、妹の方が圧倒的に正しかった。開けると小さな教会の絵がしっかりポップアップで立ち上がる、シンプルでかわいい招待状を妹はゆんぼと協力して人数分作っていた。はさみとカッターと定規だけで作ったのだろうから、おそらく相当な手間と時間がかかったはずだが、そのおかげで、一目見てどれくらい心を込めて行われる式か、一瞬で分かる招待状になっていた。皮肉なことに式の間に配られたものの中でもっともみそぼらしいのは、唯一商業印刷で刷られた教会側が用意したプログラムだった。
式のほかの部分もほとんどが手作りで、全然要領を得ないところなどもあったが、それ全部を含めて、思い出に残る立派な式だった。けっきょく終わってみて帰り道、スタジオへ戻る車を運転しながら、ぼくはなんだかとても難しいことをとても簡単に解決する方法をこの式から学んだ気がしてならなかった。正直、それがどういうことかはまだよく分からないのだけど、少なくてもものすごい機材とものすごい予算は、時として問題を大きくするだけで、必ずしも解決へ向かわせるわけではないことを痛感させられた。
子供の時から教えることよりも教えられることの多い兄妹関係だったが、今回もけっきょくまた教えられてしまった。しっかり「向山の2003年に学んだことノート」につけておこうと思う。
一、本当に「いいもの」とは、時として技術や予算や完成度とまったく関係ないところにある。
一、結婚式でロールスロイスのオープンカーに乗るのだけはやめよう。たとえそれが強制的なオプションとして無料でついてきても。
一、もしどうしても乗せられるなら、花嫁衣装には南極越冬隊の標準装備を採用しよう。
2003年、冬。
妹の結婚式に参加して、そんなことを思った弟(もと兄)だった。
ちゃーらん、結婚おめでとう。PS
「新興開発住宅地(妹がそこに移り住むために新しく郵便番号ができたようなところ)」に新居をかまえた妹の毎日だけが少し心配である。写真を見せてもらったが、写真の風景だけから判断するに、不動産屋も宣伝にずいぶん困ったと思う。「ああ、この物件ですか。いい物件ですよ。駅から十分。(ジェット機で。)自然が豊かで(時折熊に襲われる)、となりとも離れていますから(天体望遠鏡の倍率最大でおぼろげにとなりの家の屋根の一部が見える)テレビの音が気になりませんよ(たぶん核戦争の音も気にならない。)それにこれからの場所ですからね、将来が楽しみですよ(次の氷河期のあととか)。きっと近々発展しますよ(上水道が開通する。下水道は2010年ごろを予定)。絶対お奨めの物件です!(空襲警報発令時の集団疎開などに)」
2003年末 【多忙の正体】
なんか、昔に比べて忙しい……なのに 、ぜんぜん充実感がない。そんなように感じている人はきっとぼくだけではないと思う。こと同世代の三十台の人なら、ちょうど平成に入った頃からなんとなく毎日がめまぐるしく過ぎていくようになって、最近では生きている感覚そのものが乏しくなっている人も多いのではないだろうか。
原因は何だろう。
今、見ているこのインターナットというもの――これと携帯電話……いわゆる「ネットワーク」というやつが諸悪の原因なのは間違いないと思う。昔なら仕事が終わっても夕方ならもう書類を届ける方法なんてなかったわけだから、気楽に明日まで待てばよかった。その間は言い訳が立つので、気楽に家に帰って横溝正史の「悪霊島」か何かをテレビで見ながら、ビールの一杯も飲んでてよかった。
アナログ・ローテクの時代だと、人間の能力に社会のネットワークがついていけなかったので、そこに生まれる誤差が「休み時間」――もしくは「心の余裕」になっていた。その時には逆に「もっと早い方法があれば」「もどかしい」と思っていたのだろうが、結果的に「世界の動く時間」よりも一歩先を行っている気になれたので、それが自信になり、充実感も生んでいたのだろう。
ところが携帯電話とネットメールがある今、家に帰ってテレビをのんびり見ていたら怠け者になってしまう。「なんでメールで書類を送らなかったのだ!」とどなられる。そして、もしメールを送ったら、その書類が添削されて一時間ぐらいで送り返されてくるので、その晩のうちにもう一仕事増えてしまう。手書きと郵送の時代なら少しぐらいのずれは「仕方ない」で片づけられていたが、パソコンとメールの時代になった今、1ミリの誤差でもクリックひとつで直せるものは、直さないと「怠慢」となってしまう。
かくして、「悪霊島」を見る時間はどこかへ消えた。そして、より大事なその「悪霊島」を見ながら「今はもう夜でどうにもならないから、休んでてもしょうがないよな」という精神状態も消えてしまった。
思えば、昔はビデオを一台買うのも大イベントだった。特にビデオが普及し始めた当時中学生だったぼくは、それこそ最初のビデオデッキは巻き戻し音でテープがどの位置にあるのか判別できるほど、徹底的に使い込んだ。知らない機能なんて何もなかった。今でも型番が言えるほど愛していた。
しかし、今のビデオデッキはその時のものの100倍はいろんな機能が搭載されているが、ぼくにできるのはせいぜい録画、再生とイジェクトぐらいだ。説明書は開いてもいない。買った時以来デッキに「giga
search」といううたい文句のシールが貼ってあるが、それが何かさえ分からない。自分のビデオに搭載されているものなのか、宣伝なのか、それさえも分からない。そして、使いこなしていないことに若干の良心の呵責もひそかに感じている。
ビデオだけではない。DVDも、パソコンも、パソコンに入っている無数のソフトも、それどころかコタツや炊飯器にも無数に機能がついているが、どれひとつとして完全にマスターできていない。いつか勉強しようと思っているうちに何年もが過ぎ、そのうち壊れてしまって買い替えることになり、買い替えた機械がまた前の奴の250倍ぐらい機能がついていたりするので永久に追いつかない。
そうこうしているうちに、いつの間にか自分の家がまったく把握できていない場所になっている。10%ぐらいしか理解していない機械に囲まれ、10%ぐらいしか特典を利用していない会員証が詰まった財布を持ち(もちろん財布に搭載されているマイナスイオン発生ポケットが何かは分からない)、10%しか把握していない携帯電話で10%ぐらいしか本心が伝わらない会話を交わす。
自分がやりたいことを100としたなら、かつてぼくらは技術の限界でその50%しか満たせないことにフラストレーションを感じ、それを100%できる世界を作ればどれくらいすばらしいだろうかと考えた。で、この現在という世界を築いた。しかし、けっきょくはやりすぎたようで、いつしか自分たちの限界を10倍も上回る速度で動く世界を作ってしまっていた。結果、世界に追い越され、ぼくらはその10%も把握できないまま生き続けている。
こうなる前、日本の反対側の端にいる友達とは連絡が簡単にはつかなかった。だから、その友達がどうしているのか心配しなくてもよかった。
夜はすべてのサービスが止まっているので、家で仕事を休んで寝ていても怒られる心配はなかった。
東京から福岡に移動するのは一日仕事だったので、その日は移動だけですませても当然だった。
手紙には返事を一週間以内ぐらいに出せば十分だった。
本が手に入らなかったら何年でも探し続けた。
家の電話なら出なくても留守だと解釈してもらえた。
人間はもともと100km離れたところにいる人とリアルタイムで話すことを想定されて作られてはいない。機能が250もついた機械を一部屋にいくつも置いて管理するようにはできていない。重さ150gの機械で電話、カメラ、メモ帳、辞書、電卓、時計、ゲーム機まで使い分けるようにはできていない。
場合によっては目の前にいる人間を好きかどうかも決められないのが人間だ。そろそろ機械のことは機械に任せて、ぼくらは「悪霊島」の再放送でも観てはどうだろう。
( いや、スカイパーフェクTVをコクーンで録画して、それをLAN経由で観るんじゃなくて。普通に再放送があるまで待ちましょう。何年でも。)
2003年(時期不明)【マジやばいって】
どの時代にもその時代の誉め言葉というのがあるらしい。今の主流は「やばい」だ。「それ、マジやばくね?」というように使う。
ぼくらの時代は「渋い」だった。とにかく何を見ても「しぶー」と言って感心してみせた。
ここ十年ぐらい女の子に愛用されているのが「かわいい」だ。これはもはや定番化しつつある。誉める対象がアフリカから買ってきたマサイ族の戦士の人形でも「かわいー」で通すのが基本だ。
逆に男の子の「かっこいい」というのも普遍的な誉め言葉で、こちらは対象がキティちゃんの人形でも「キティかっこええ」と使ったりする。
これらはどれも元の意味はもうほとんど持っていない言葉たちだ。その時代の価値観で「いい」ものを表すために生け贄として捧げられた言葉たちである。
思えばずいぶん昔、ぺちゃんこにつぶした学生鞄に「めっちゃ渋いな、それ」と言って感動していた自分がいる。
どこがどう渋かったのかさっぱり思い出せないが、とにかくあの時の価値観では確かにあの鞄は「渋かった」のだ。その「渋さ」は明らかに今これを打ちながら飲んでいる緑茶のそれとは違うものだが、でも、その時はその言葉でしか表せない何かがぺちゃんこの鞄にはあったのだ。
得体の知れない風体の五人組のバンドのポスターを指さして興奮気味に「こいつら超やばくね?」と騒いでいる若者を見ながら、そんなことを考えてみた。ぼくにはもはやなぜラッパズボンをはいた禿頭の男や、アフリカ系アメリカ人の日本版のような人たちがそれほど渋いのか分からなくなってしまったが、きっと彼らにはさぞかし「やばい」ものなのだろう。
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