はるか昔、パソコンにできたのはこういうカーソルを表示することだけだった。
] 高性能なパソコンになると、これを点滅させることもできた。 あと、計算もできた。 3*3=9 これら二つの機能を説明する750ページぐらいの説明書と共に売られていたそんなパソコンでも、ぼくやぼくの周りのインベーダー世代の子供はすぐに飛びついた。(もちろん当時極めて高価なパソコンが買えるはずもなく、店に展示してあるパソコンに飛びついたので、店員にはものすごく怒られた。)
まだファミコンが発売される前の話――「家庭用」のゲームが「ブロック崩し」しかなかった時代の話である。500mhzだとか12GBとかの単位が平気で横行している今のパソコンから比べると恥ずかしくなるような他愛もないものだったが、当時のぼくにとってはまさに夢の箱だった。
今でも忘れられないのが小学生の時に先生に見せてもらった「人工知能」のプログラムである。現在では頻出するこの単語自体が未知のもので、最初に聞いたときにはめまいがするほどSFチックに聞こえたのを憶えている。
とにかく何かパソコンに話しかけてみろというので、ドキドキしながらキーボードで(当然人差し指一本で五分ぐらいかけて)「ゲンキ デスカ?」と打ち込んでみた。
「ハイ」と即座にコンピューターが答える。 ぼくらは一斉に「おーっ!!」である。 「ナマエハ ナニデスカ?」ぼくは興奮気味にすばやく(三分)打ち込んだ。
「ワカリマセン」 「おーっ!!」 「ボクハ ムコウヤマ ト イイマス」 「ムコウヤマハ タベモノデスカ」
「おーっ!!」 「チガイマス」 「ムコウヤマハ イキモノ デスカ」 「ハイ」 「ワカリマシタ ムコウヤマヲ オボエマシタ」
どよめき。しばらくの間、ぼくはコンピュータに名前を憶えてもらったということでみんなの羨望の的だったが、誰かが「ウンコバエ」と入力すると「ウンコバエ ハ ムコウヤマ ト オナジ デスカ」と出たため、後に笑いものになった。
とにもかくにもこれはぼくにとって衝撃的な事件だった。そのパソコンは先生のものだったが、ぼくは人目を盗んではしょっちゅういじりに行っていた。一年の間に「人工知能」に500以上も単語を覚えさせ、プログラムをパンクさせたのがぼくである。結果、当時最先端のプログラムだった人工知能は一年の終わりの頃にはものすごく下品になっていた。先生がみんなの前で人工知能のお披露目をしようと「コウチョウセンセイ ハ ニンゲンです。」と打ち込んだとき、ぼくらによって力強く鍛えられた人工知能は自信を持って「コウチョウセンセイハ ウンコバエ ト ゲロ トハ チガウ シュルイ デスカ?」と聞き返してきた。
ぼくらは翌日、二時間職員室に正座させられた。 まあ、正直なところ、いじっているうちにすぐに人工知能の台詞のパターンが二十種類足らずしかないことには気がついた。でも、ぼくは敢えてそれに気がつかないふりをして、人工知能に夢中になり続けた。今となっては、それがシロウトのぼくでも組める程度の「人工知能」なのは分かっている。でも、そんなことはどうでもよかった。その箱はぼくにとっては触れることのできる「夢の未来」だったのだ。
あれから二十年。ぼくの仕事場であるスタジオには現在五台パソコンが置いてある。あの時の「夢の箱」は五台のパソコンはおろか、図書室に眠っているゲームウォッチにすら負けてしまうようなものになってしまった。人工知能は医療機器を操れるほどかしこくなったし、ぼくらはお茶の間から世界中のパソコンと会話ができるようになってしまった。いったいこの先、どこまで進化していくのか、もはや誰にも分からない。
ただ、不思議なことにぼくがあのボロいパソコンから感じ取っていたまぶしいほどの夢や希望や未来への期待感が今のパソコンからはもう感じられない。パソコンがそれだけ浸透したからなのか、はたまたぼくが年を取っただけなのか……
「ユメ トハ ナンデスカ?」 「タベモノ デスカ?」 「カイトウフノウ カイトウフノウ カイトウフノウ」
1999/10/29 |