その頃、ぼくは両親の仕事の都合でアメリカに住んでいた。アメリカといってもすぐに連想されるニューヨークやロサンゼルスとはほど遠い、テキサス州のど真ん中、基本的に何もないところである。ウェーコという何年か前にとても不名誉な事件で有名になった町だが、できれば「ドクターペッパー」の生まれ故郷という憶え方をしてほしいと思っている。典型的な南部の田舎町で、とにかく広いだけで何もない。庭が東京ドームぐらいある家などざらにある。少し郊外に出ると、家と家の距離が離れすぎていて、冬場などは隣へ砂糖を借りに行く途中で遭難したりするところだ。
当時は普通のアメリカの小学校に通っていたのだが、家から学校までは平気で二十キロぐらいあるので、毎日親が車で送り迎えをすることになる。当然友達は家のそばになど住んでいるはずもなく、だいたい一人で本やテレビを相手に遊んでいた。今から考えてみるとひどく茫漠とした日常だったように思う。
父親の仕事が主に大学関係だったため、住んでいたのはベイラー大学というキャンパスに隣接したアパートだった。向こうの大学は日本のものとは比較にならないほど大きく、それだけでひとつの町として機能するほどの巨大さだ。ぼくにとって、学校のない日の遊び場はいつもそのキャンパスだった。どこもかしこもすべて芝生に覆われて、百年来立っている大木があっちこっちにある、とても美しいところで、暖かい季節はリスがよく走り回っていた。
休日の午前中に母親のくれた1ドル札のおこづかい(当時の感覚で三百円ぐらいだろうか)を持って、宛もなくそのキャンパスに出かけた。黒いアスファルトの地面と緑色の芝生を交互に渡りながら何をするでもなく、そこらのベンチに腰掛けてみたり、木から吊されたブランコを漕いでみたり、華やかなアメリカの大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんの間をすり抜けながら宛もなく歩き回る。当時はまだアメリカも平和で、どの建物もみんな自由に出入りできたので、暑くなったり寒くなったりしたら、適当にどこかへ入れば良かった。たいていの建物には水飲み場があったので、一口水分を補給して、体力が戻るまでロビーか何かのソファで休む。
時間がすごくゆっくりだったのを憶えている。夏場に冷房の効いたロビーで木製のベンチに寝転び、壁に掛かった時計の針が進んでいくのをじっと一時間ぐらい見ていた記憶がある。気が向いたら自動販売機でジュース(当然ドクターペッパー)を買って、お金のあるときはお菓子の自販機からピーナツバターかチーズを挟んだクラッカーも買って、窓から外の様子を見ながらちびちびとそれをかじってはドクターペッパーを飲んだ。もしも人生に完璧な幸せというものがあるなら、それは誰もいない真昼の大学のキャンパスでドクターペッパーを飲みながら、チーズの挟まったクラッカーをのんびりかじることである。一度試してみてほしい。
そうやっている時にずいぶんと多くのことを考えた気がする。未来のことをよく考えた。いつか大人になる遠い日のことを空想して、前に広がっている果てしないほど長い時間に圧倒されていた。あのころは人生が永遠に続くように思えた。小学校の終わりさえもまだ見えないというのに、その先には中学、高校、大学と待っていて、それでもやっと人生の4分の1ぐらいが過ぎただけだというのだ。自分の存在がちっぽけだと感じるのと同時に、なんでもやってできないはずがない気もしていた。――ドクターペッパーの缶の裏にある「スターウォーズ限定フィギュア」の応募要項を読む合間に、そんな気の遠くなる未来のことを考えた。今でもその時、口の中に広がっていたインチキ臭いまがい物のピーナツバターの味はよく憶えている。
そして、夕方になると、決まってぼくはあるところに向かう。キャンパスの中心にあるユニオン・ビルディングという建物で、学生ラウンジのようなところだった。一階には本屋とカフェテリアがあって、大好きな場所の一つだった。たいしてお金はないので何も買えないのだが、一通り本屋の中を散策してから出口のところにあるガムやキャンディーの自動販売機の前で足を止める。ここまでまだジュースもお菓子も買っていない日は、その自販機のレバーをガチャガチャと回してお菓子を買う。小学校の高学年になって、もう少し余計におこづかいをもらえるようになってからは、本屋のとなりのカフェテリアでポテトやホットドッグを買うこともあった。そんな時はずいぶん自分が大人になった気がしていた。
そして、一日のハイライトがやってくる。ぼくはそこまで大事に残しておいたお金を握りしめて、わくわくしながら建物の地下へと向かう。書店の脇についている細い地下への階段はいつもほかのところよりも少しひんやりとしていて、何かしら花のにおいのようないい香りがした。階段を駆け下りると、ボーリング場とビリヤード場があるのだが、ぼくの目当ては違うものである。ビリヤード場の奥に並べられた十台ほどのビデオゲーム機――入ったと同時に両替をして、新しい機械が入っていないか端から順に見ていく。すぐにはお金を入れない。せいぜい三回か四回ぐらいしかできないので、しばらくデモ画面を見て心を満たしたりする。(へたくそだったので実際のゲームは数分で終わってしまうのだ。)いつも最後の25セント玉をなかなか使うことができなくて、三十分ぐらい機械の前を行ったり来たりしていた。
なぜかそのビリヤード場はいつもお客さんがいなくて、たいていぼく一人きりだったので、そこはぼくだけの聖域だった。静かな涼しい地下室で鳴り響くゲームの音が耳に心地よかった。
そんな毎日が漠然と過ぎていったあのころ、時間は永遠に思えた。ぼくはいつまでも小学生で、夏の日の午後は果てしなく続くはずだった。そんな日々を過去と呼んで懐かしむ日が来るなんて夢にも思わなかった。――もうアメリカには十五年間行っていない。それでも今も時々夢の中であの地下への階段を駆け下りるとき、ぼくは相変わらず野球帽をかぶった小さな子供で、右手には1ドル札をにぎりしめていて、まだ見ぬ世界にわくわくしている。なんだ、やっぱりぼくは子供じゃないか、大人になるのなんてまだ遠い先の話じゃないか、おかしいと思ったんだ――と、小さな頭で考えながら。 1999/10/27 |