拝啓 カオリ様 アラキ様

 暑中お見舞い申し上げます。
燃え立つような緑が森々を覆い、多少もやがかった青と照りつける白が 大空を満たしています。まばゆいばかりの盛夏です。この暑さと湿気の ために心の砦である思考は焦点を失い、ついつい神々の侵入を許しがち になります。たしかまわりで蝉が盛んに鳴いていたはずでしたが、時折 耳鳴りと区別がつかなくなったりするのです。雨が待ち遠しい。

 この度、交換写真レターに参加させて頂くことになりました。アラキさん、はじめまして。特にお題を頂いたわけではありませんが、写真というものに関して自分の中でもやとしている思いを少し綴ってみたいと思 います。「いい写真家の写真には”多くのもの”が写しこまれている」、 以前そのようなことを言った人がいたのです。その人はまたこんなようなことも言ったのです。「もう一歩近づいて、撮りたいものが見る人に明確に伝わるようにしなさい。」けれどもぼくはいまだによく分からないでいるのです。物事の本質を徹底的につきつめていく。その先に何が見えるのか、あなたには何を見る力があるのか、そういう問題についてその人は語ろうとしていたのでしょうか。ぼくなりの模索として、赤と黒、あるいは青と黒のモノトーンということを考えてみたことがありました。色彩の単純化、建造物の輪郭と空、背景の処理、影の奥深さ。本質のみをあの長方形の中に収めるのだとかたひじ張っているうちに、何が一体本質だったのか、何を一体本質だと信じたかったのか分からなくなりました。あの人が言いたかったことは、本質とは本当は”多くのもの”から成り立っているんだよということだったのでしょうか、それとも本質なるただひとつのものに近づこうとすればするほど、”多くのもの”が覆い被さってきてにっちもさっちもいかなくなるのだよということだったのでしょうか。たとえ後者なのだとしても、ぼくたちはしかしそんな歩みそのものの重たさに感応して、素晴らしいと感じたりするのかもしれません。





 旅ということについて何か書かなければなりません。 トウキョウの旅、 その延長線上にあったヨーロッパの旅、いずれも当時の自分にとっては 避けるすべもない必然的な旅であったと思います。そして同時に、ある時期に終わるべくして終わらなければならなかった旅だとも思います。 いつまでも同じところに留まっていられるほど、のんきな気分にはなれないのです。そんなふうにしていろいろな類いの旅を積み重ねて人の一 生は出来上がっていくということなのかもしれません。

 カオリさんは8月18日にイタリアへ旅立たれるのだとお聞きしました。 目的はいろいろとおありでしょうが、「人間の研究」をテーマのひとつ に是非入れて頂きたいと思うのです。カオリさんがどのような”人間” と出会い、どのように”人間”と向き合い、どのようにして”人間”との折り合いをつけ、そして新しく産まれてきた感性と感情をどのように表現されるのか、とても楽しみです。ここでいう”人間”とは抽象的な存在かもしれませんし、具体的な存在かもしれません。身近な他人かもしれませんし、遠い他人かもしれません。あるいはカオリさんご自身なのかもしれません。はなむけに。

 敬具

 フジワラ

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