白くなった背表紙

 昔の書店が好きだった。
 今のチェーン店のように、整然とした大きな店内に、まぶしいほどの明かりが降り注いで、いつも最新の書籍だけが入れ替わり立ち替わり消えて行く、そんな書店ではなくて、昔の書店――そう、六畳から十畳ぐらいしかない空間に作り付けの木製本棚が並び、いつまで経っても同じ本がずっと並んでいる、そんな本屋が好きだった。レジの後ろから裏の家につながっていて、その敷居にのれんがかかっている書店。スライド式の安いガラスドアを開けると、石油ストーブの匂いが充満していて、おじいさんかおばあさんがレジの後ろでじっと雑誌なんかを読んでいる、あの昔の書店が好きだった。
 うちのすぐ近くにもそんな書店があった。雑誌やマンガの新刊が多少は入れ替わるものの、下の方の棚はいつも同じ本が並んでいた。ぼくが小学校の間中、ずっと売れ残っていた本もあった。「売れ残り」のラインアップは今でも言えるぐらいだ。楳図かずおの「アゲイン」、水島新司の「銭っ子」、手塚治虫の「ザ・クレーター」、そして作者名は定かではないが少年チャンピオンコミックスの「スーパー巨人」など、実に香ばしい品揃えだった。マンガの棚は窓際にあったので、日が当たって背表紙が白くなりかけていたが、お店のおばあちゃんはそんなことを気にもせず、いつも金魚鉢にエサをあげていた。
 店の隅には回転するラックがあって、そこには「まんが日本むかし話」のペラペラの絵本が入っていた。そのとなりには木の箱を裏返したものに大人用の週刊誌が並べられている。表紙をめくると女の人の裸が載っているのは知っていたが、けっきょく一度もめくる勇気はなかった。
 床はコンクリートの打ちっ放しで、店内の薄暗い蛍光灯は球切れ寸前でよくチカチカしている。明らかにスペースが不足していて、入りきらなかった本は棚の一番上に横にして積まれている。もはや、何が何冊あるのかさっぱり分からない状態だ。ドカベンの5巻があっち、12巻がこっち、34巻が棚の隙間に……と、秩序も何もない。しかも、その秩序のない状態が凍り付いたように何年も続くので、もはや店内は時が止まっているかのようだ。夏は蚊取り線香、冬は灯油の匂いが本のインクとかびた紙の匂いに混ざって、なぜか不思議と安心感のある空間だった。
 中学生になって、高校生になって、気がつけば何ヶ月もその書店に行かないこともあったが、それでも顔を出せば、やっぱり同じマンガがずっと置いてある。もはや背表紙が完全に真っ白で、取り出してみないと何のマンガだか分からなくなっているものもあった。古ぼけた商店街だった書店の周りには、いつしか大きなスーパーが立ち、古いトンネルは立体交差に生まれ変わって、横断歩道も塗り直されたけれど、その書店だけが時間の流れを拒むかのように同じ姿で立ち続けていた。
 大人になって、ある日、車で前を通ると、書店が建物ごと消えてなくなっていた。ぼくは思わず車を路肩に寄せて止め、肩越しに後ろを振り返って、驚くほど跡形もなくなったその場所をしばらく茫然と眺めた。しばらくしてその場所はコインパーキングになって、やがて区画ごと潰され、今は大きなマンションが建っている。おそらくあのマンションに住んでいる人たちは、昔そこに金魚鉢のある本屋があったことを知る由もないだろう。
 けっきょく白い背表紙のマンガたちは最後まであの書店と運命を共にしたのだろうか。——それがとても気になる。もしなくなると分かっていたら、あの白くなった背表紙のマンガを一冊は引き取っておきたかった。そうすれば、あの書店の匂いを、今でも嗅ぐことができただろうに。 

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