白い夜空

(2007/1/27のmixiより転載)

今日もごみを出しに行くために真夜中にスタジオの庭を横切る。

燃えないゴミを回収に来る業者は、時々午前八時前にやってきたりするので、仕方なく寝る直前に軒先のネットの中にゴミ袋を入れておくのである。これをするのがだいたい午前二時から三時ぐらいの真夜中。当然外は真っ暗である。

大きなゴミ袋をぶら下げて、足早に庭を横切る。なぜ足早かというと、面倒でわざわざジャンパーを羽織ったりしていないため、真冬なのにパジャマオンリーだから、とにかく寒いのである。この格好で外にいられるのはせいぜい一分。その間にすばやく庭を横切り、ゴミ袋を置いて、動物にやられないようにネットを上からかぶせ、ダッシュで家まで戻ってこないといけない。なかなかにサスペンスのある一分間だ。でも、実を言うと、透き通るように冷たい空気が肌を刺す感じを、ぼくはあまり嫌いではない。なんとなく束の間、意識がひどく冴え渡る感じがするのだ。
昔からどうもぼくは夏より冬の方が好きな子供だった。心も体も伸びきってしまう夏よりも、変に緊張感が一本通った冬の方が何もかもリアルに感じられたからかもしれない。

もちろん気温だけではない。冬の静けさも好きだった。いかに東京とはいえ、冬の深夜はさすがに人通りもほとんどない。昼間は車と自転車と排気ガスで埋まっている道路も、まるで人間が滅んだあとの世界のように静かで気持ちがいい。思わず道路に寝転がってみたくなる衝動に駆られたりするが、さすがにそれをやるには36はちょっとムリのある年齢だ。

そして、あまり寒くない夜はゴミ袋を置いたあと、ごく短い間、そのまま夜空を見渡してしまうことがある。この瞬間はぼくにとってちょっと特別な時間なのだ。最初に東京に引っ越してきた十五年前にも、そうやってふと夜空をスタジオの庭から見上げたことがあった。そして、思わず声をあげるほど驚いたことがある。

遠く東の空が、何やら明るいのである。時間は午前二時を回ったところで、どう考えても夜明けにはまだほど遠い。しかし、明らかに遠くの空は白んだように明るいのである。最初は何かの錯覚かと思ったが、数日後のごみの日にもまた東の夜空が同じように明るく白んでいた。

そのあまりに異様な明るさが気になって、もしかしたらその方向に深夜でもやっている巨大なスタジアムか何かがあるのかと思い、わざわざ地図を広げて調べてみたりもしたが、それらしきものは何もなかった。しかも、スタジアムというような規模の明るさではない。見える限り、東の空の端から端までが明るいのである。異様だった。ただ、内心とてもうれしかった。もともとぼくは暗闇が大嫌いなので、夜というのは得意な時間帯ではない。だから夜中でも空が明るいというのは、一人で上京してさびしかったぼくには、なんだかとても心強く感じられたのだった。
いったいなんでかさっぱり分からなかったが、とにかく小平の空は夜中でも明るいということが、変に安心感をもたらせてくれたのである。

あれから十五年。今日も東の夜空がうっすらと明るい。今はもう、あれが都心の上空で新宿のネオンや照明が雲に映し出されて起こる現象だということは知っている。言ってしまえば、あの光は東京という巨大な文明社会が作り出した幻のようなものである。いったい夜空をあれだけ明るくするには、どれほどの灯りをともせばいいのだろうか――考えただけで恐ろしくなる。

でも、当時のぼくは夜中でも明るいところがあると知って、何度も車に飛び乗って、あの明るい場所の下へ向かいたいという衝動にかられた。独りぼっちで寂しくて仕方のない夜、あのうっすらと明るい空はぼくの心をたまらなく引きつけた。あれが新宿あたりの光だと知ってからは、実際に夜中に出かけて行ったこともあった。そして、何をするでもなく、新宿の西口のビル街を深夜に散歩した。きっと今なら警察に停められてしまうだろうが、あの頃はまだそういうことを誰も気にしていない時代だった。

今日も東の空が明るい。ぼくはごみを出して、ついつい空を見上げてしまう。でも、もうあの下へ行きたいとは思わない。あの光がまやかしでしかないことを今はよく分かっている。それに、昔ほど暗闇も嫌いではなくなった。

震えるように身を縮めて、足早に玄関へ戻る。東の空を目指して車を走らせなくても、寝てしまえば朝にはすべてが明るくなっている。ならば今は寝よう。あの下には今日も眠らない人たちがたくさんいるのだろうが、ぼくはもう明日の朝のごみを出し終わったので、寝てもいいのだ。

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