Archive for 10月 2009


加湿器メーカーの陰謀

10月 28th, 2009 — 11:00am

(2007/9/30のmixiより転載改変)

ネットの通販サイトを一時間以上探し回ってしまった。
見つからないのである。加湿器の交換用フィルタが。

毎年のことになるが、これには大変腹が立つ。
加湿器を使っている人なら分かると思うが、だいたいシーズンごとに加湿器のフィルタはカビだらけになってしまうので、どうしても買い換えが必要になる。プリンタのインクと同じぐらいの頻度で交換しないといけないものなのに、これが大型量販店でもめったに売っていない。シーズン初期のある一定期間、多少置いてあることもあるが、たいていはそのシーズンの新機種のものばかりで、旧機種のものは皆無といっていい在庫状況なのが基本だ。

そんなわけで毎年暖房器具の必要性が出てき始める頃、加湿器のフィルタを探し歩くのだが、加湿器そのものが古くなっていってるせいもあって、見つけるのが年々難しくなっている。ましてやうちでは三種類のメーカーの加湿器を使っているため、三つとも在庫のある店を見つけるのが至難の業になってきた。

特にエレファントマークの会社のものはよせばいいのにフィルタが二種類に分けられている。このうちカテキンフィルターとかいう何をしているのかも分からない輪っかが総じてどこも在庫切れなのである。 たぶんエレファントマークの社員たちが給湯室でいれたお茶の葉の絞りカスをプレス機にかけただけのものだと思うのだが、「必需」と書いてあるので仕方なく探し回る。

仕方なくyahooショッピングを見て回り、楽天を調べ倒し、ヨドバシ、ビック、ムラウチと大きい家電店も全部調べたが、けっきょく三種類とも在庫のある店舗はゼロ。やむを得ず、三店舗にバラバラに注文するはめに……。
しかも、それでもひとつは入荷未定という始末。
ふと、いっそ加湿器を新しいのに買い替えた方が早いんじゃないかという考えが頭をよぎったが、それこそメーカーの狙いなのではないかと気がついて、意地でもフィルタを注文することにした。

頭の中でこんな会話が聞こえてきたからである。

某サ○ヨー電機工場にて:
現場主任「工場長、この加湿器のフィルターの生産数って本当にこれでいいんですか?」
工場長「そうだよ。何か問題があるかね。」
現場主任「しかし、これからシーズンなのに月産30コってひどくないですか?」
工場長「いいんだよ。フィルタ簡単に買えたらみんな新しい機種買い替えてくれないだろ。だいたい加湿器なんて、新機種ったって、そんな変わるもんじゃないんだからさ。」
現場主任「しかし、それじゃあまりにも――」
工場長「バカだなあ。十年も同じ加湿器使われてみな。我々加湿器部門なんかつぶれちゃうだろ。もともと掃除してもすぐ目詰まりしちゃうようには作ってるけどさ、それでもしつこく使うやつがいるのよ。だからフィルタ買えなくしてんだよ。」
現場主任「しかし、30はいくらなんでも――」
工場長「言っとくけど、これなんていい方だよ。五年前の機種のフィルタなんか年間5個しか作ってないんだから。しかも、そのうち一個はうちの事務所で使ってるから。」
現場主任「そういえばあの機種いつも目詰まりしますね。そろそろ買い替えた方が。」
工場長「ばか。もったいないだろ。さあ、仕事仕事。」

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ペプシあずき

10月 24th, 2009 — 10:36pm

 今日、ペプシあずきを飲んだ。
 そして、飲みながらちょっと想像してみた。

 もし乗っていた飛行機が墜落して、無人島に自分だけがたどり着いて、飲み物が何もないという極限状態だったとする。そこに飛行機の貨物だった箱がひとつ、運良く浜辺に漂着する。箱の外には「ペットボトル/飲料」の文字。喉はからからだ。おそらく狂喜して箱を開けるだろう。
 で、入っているのがペプシあずき50本。
 ほかに飲み物はない。来る日も来る日もペプシあずき。朝起きてペプシあずき。おなかが空いてもペプシあずき。唯一の娯楽がペプシあずき。寝ても覚めてもペプシあずき。
 人生がペプシあずき。

 それでも、これを好きになれるだろうか。

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座右の銘2009

10月 22nd, 2009 — 8:45am

(2009/1/28のmixiより一部改稿)
相変わらず世界中で人間がケンカをしている。
「戦争」や「欲望」や「偏見」に、「論争」や「理論」で立ち向かっても、ましてや「武力」や「圧力」で対抗しても、ただただ終わらない悪意のループになるようにしか思えない。 それよりも、「楽しいもの」、「心温まる話」、「本当に夢中になれる遊び」、そして「美しい芸術」がたくさん生まれることで我々は生き延びていけるのではないだろうか。
「遊び」と「エンターテインメント」と「アート」が最後には「悪意」に勝つ、とぼくは信じたい。

いくつかそんなぼくの気持ちを代弁してくれるような言葉がある。
メモ代わりにここに一覧にしておこうと思う。

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「CALAMVS GLADIO FORTIOR (ペンは剣よりも強し)」

あまりに有名な文言。ぼくが通った大学のモットーでもある。
そうであってほしいと心から願う。

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「重いカルチャーをオモチャーという」
ナムコが80年代にファミコンのソフトの広告に使ってたコピー。
ユーモラスだけど、なぜか今も心に残っている。

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「想像は知識よりも強い
 神話は歴史よりも正しい
 夢は事実よりも重たい
 希望は経験に勝る
 笑いは悲しみを癒す
 そして、愛は死よりも強い」

フルジャムの六箇条。ぼくの座右の銘。(日本訳はぼくのバージョン)

 ――――――――――――

「Here’s to the crazy ones.
 The misfits.The rebels.The troublemakers.
 The round pegs in the square holes.
 The ones who see things differently.
 They’re not fond of rules.
 And they have no respect for the status quo.
 You can praise them, disagree with them, quote them, disbelieve   
 them, glorify or vilify them.
 About the only thing you can’t do is ignore them.
 Because they change things.
 They push the human race forward.
 While some see them as the crazy ones,
 we see genius.
 Because the people who are crazy enough to think
 they can change the world, are the ones who do.

 クレイジーな人たちがいる。
 反逆者、厄介者と呼ばれる人たち。
 彼らをクレイジーという人もいるが、私たちは天才だと思う。
 自分が世界を変えられると、本気で信じる人たちこそが、
 本当に世界を変えているのだから。」

アップルのThink Differentキャンペーンのナレーション。
日本語は要約。ただの広告にこれほど感動したのはあとにも
先にもこの作品だけ。

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「けっきょく最後は人間、心出るよ」

ある有名な落語家の名人が亡くなる前に弟子に
「どうしたらいい芝居ができるか」という質問に対して
残したアドバイス。
テレビで一度聞いただけで、残念ながら名前も憶えていないのだが、
以来何かにつけて思い出す言葉。
年々、その意味を実感させられている。

 ――――――――――――

「みんなが右隣の人に親切にしてあげれば、みんなが左隣の人に親切にしてもらえるのにね」

うちの母の言葉。

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近況報告2009/10

10月 18th, 2009 — 4:10pm

 ワンパラ再開にお祝いや応援のメール、ありがとうございました!
 なかなか返事が出来ずに申しわけありません。
 ほぼすべてのメールの最後に「新作、いつまでも待っています」と書いて下さってるみなさまの優しさに感謝です。中には「十年でも二十年でも待ちます」「私が死ぬまでには出して下さい」「だいじょうぶです。ちゃんと覚えています」というような、悲しくなるほど気を使ってくださっている方もいて、はい……オバマ政権が終わらないうちには出したいと思います。

また「以前に書いていた『超能力少女もの』とは『絶叫仮面』のことか?」——という質問も大変多くいただきましたが、これは違います。沙月の特殊能力といえば、主に人智を越えたファッションセンスぐらいのものなので。

「超能力少女もの」というのは現在も書き続けています。当初の予定より三倍ぐらい長くなってしまっていて、まだしばらく終わる見込みが立っておりません。すみません。どうも並行して書いていた「小学校六年生男子」が主人公の小説の方が先に完成しそうな気配です。ほかにも並行して書いている作品がありますので、どれから陽の目を見るかはぼくもまだはっきり分からない状況ですが、分かり次第、みなさまにこのページで一番早くお知らせしますので、よかったらたまに覗きに来てください。十年はかからないと思います。たぶん。

また、モンスターハンターの同人誌についても何件か問い合わせをいただきました。
まだ若干部数が余っていますので、リクエストがほかにもあるようなら期間限定で通信販売の形も考えたいと思います。

コメント欄についても、いくつかリクエストをいただきました。ありがとうございます。でも、コメント欄を解放してしまうと、すぐに「アナタの前髪を回復させてみせます」というメールや、名前も知らない女の人から「貴男限定のサービス」を受けられるサイトへのお誘いが大量に届いてしまって、特に前者の方は一瞬心が揺らぎそうになる悲しい自分がいるので、当面はコメントは閉鎖したままでいこうと思っています。すみません。なので、もし何かありましたらこちらからメールをお願いします。

それではみなさま、引き続きワンパラをどうぞよろしく!

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もしも25年前にタイムスリップしたら

10月 15th, 2009 — 6:07pm

(2008/3/6のmixiより転載)

……こんなことになるんじゃないかと、ふと思ってみた。

    *************

ぼく「二十五年後の世界からやってきました!」

過去の人「はっ?」

ぼく「いや、だから2008年からタイムスリップしてきました」

過去の人「恐怖の大王とか来て、2000年問題で人類絶滅してるだろ。2008年に人間なんていないって」

ぼく「いや、普通にいますよ。2000年にも何も起きなかったし」

過去の人「うそつけ。本当だって言うんなら2008年がどうなってるか言ってみろよ」

ぼく「そのまんま東が宮崎県の知事やってます」

過去の人「おまえ、うそつくにしてももうちょっとましなうそないのか」

ぼく「カリフォルニアの州知事がアーノルドシュワルッツネッガーです」

過去の人「それこそ人類全滅するだろ」

ぼく「大阪の府知事が横山ノックだったこともありました」

過去の人「どんな未来だよ、それ」

ぼく「みんな、一台ずつ電話持ち歩いているんですよ」

過去の人「重くてしょうがないだろ、そんなの。だいたいそんなにどこに電話するんだよ」

ぼく「いや、メールって言って、短い文章をお互いに送るんです」

過去の人「電話すりゃいいじゃん。電話持ってるんだから」

ぼく「いや、メールするのが楽しいし、便利なんですよ」

過去の人「何の文章送るんだよ」

ぼく「いや、まあ……何してるの?……とか」

過去の人「はあ?」

ぼく「そういう世界なんですよ。みんな自分の日記を世界中に公開したりしてるんです」

過去の人「なんで?」

ぼく「いや、楽しいじゃないですか」

過去の人「今日はハンバーグ食べました、とかか? 誰が読むんだ、それ?」

ぼく「そう言われると……」

過去の人「なんかおかしな世界から来たんだな、おまえ。気の毒になるよ」

ぼく「……そうですね。このままここにいていいですか」

過去の人「いいよ。ちょうどひょうきん族、もうすぐ始まるし。中国製の冷凍餃子でも食うか? 」

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ソースにまつわる話

10月 11th, 2009 — 4:06am

ワンパラを休載していた期間、一時期mixiにごく身内に向けて書いていた日記があるのですが、そのうちの一部を時々こちらで再掲載させていただこうと思います。今回は最初の一回。もちろん新しいワンパラも書き続けます。

 *******

(2007/11/22の日記より)

 今、昼ご飯にとんかつを食べていてふと思った。このかけているブルドッグのとんかつソース。味も容器もぼくが小学生の頃からほとんど変わっていない。コンビニでは新製品のほうが既製品よりも多く並んでいる昨今、三十年以上、何も変わらずに同じであることは、もうそれだけでよほどの価値があるのではないかと思う。
 このソースのボトルは思えば、三十年、ぼくの人生の至るところに登場している。
 子供の頃、我が家では親がウスターソース派で、とんかつソースというのを使ったことがなかった。ところが小学校に上がったぼくが給食でとんかつソースを食べて感激したことにより、向山家にはじめてトンカツソースという文化が流入した。以降、とんかつソース派とウスターソース派の二派に別れた我が家は、フライものの日、絶えず激しい言い争いになった。
 トンカツソースを教えてくれた小学校の給食。
 コロッケとかフライ(主にくじら)の日には給食室からとんかつソースがまるまる一本上がってくる。これを順番に回して、少しずつかけていくのだ。しかし、目盛りや目安があるわけではないから、公平感などポケモンの糞にも満たない小学生のやること――当然、最初の方の子供は多くかけ、最後の方の子供は涙を呑むことになる。しかも、席が固定されていたクラスではいつも得をするやつと損をするやつが決まっていて、理不尽極まりない制度だった。
 昭和というのはそういうアバウトなことが平気でまかりとおる時代で、ガキ大将っぽいやつは先にソースを奪って大量にかけ、いじめられっ子はソースなしでコロッケを食べていた。しかも、本人たちも、周りの連中も、先生すらも、それがあたりまえだと思っていたふしがある。世の中というのはそういうものだった。ソースをたくさんかけられる子供になりたかったら、強くなるしかなかったのだ。
 小学校高学年の時にはこのソースをめぐって問題が起きた。
 例によって、ソースをフライングゲットしようとした体育会系のFくんがクラスの中でも一番発言力のある女子、Tさんの順番に割り込んでソースを奪ったため、一気にソースボトルのつかみ合いが勃発した。
 激闘の最中、哀れソースボトルはキャップがはじけ、ソースの大半が床にこぼれた。この時点でソースをすでに使用していた子はわずかに一列。大半の子はソースが宙を舞った瞬間、その日の自分のカツはそのまま食べることになるのを悟った。いきなり泣き始める女子あり、Fくんと殴り合いになる男子あり、一列目のソースを奪おうとする者あり、床のソースをすくおうとするものあり、もう一瞬で教室内は阿鼻叫喚である。先生がかけつけて騒動を収めるまで、クラスは一時期配給を受け損なった難民キャンプの様相を呈した。
 十代の後半、入院した時には塩分制限を受けて、ソースを使うことができない時期が一年ぐらいあった。ぼくの入院していた病院の患者は大半が塩分制限を受けているのに、なぜか売店では堂々とソースが売られていて、それをこっそり買ってベッド脇の棚に隠している入院患者があとを絶たなかった。時々、看護師に持ち物チェックされている人までいた。さながら麻薬取調官のように、看護師のお姉さんが棚の中を調べ尽くし、ソースや醤油などを没収している光景があっちこっちで見られた。
 ぼくは自分でこそ「密輸」をしなかったが、となりのおじさんにソースを分けてもらったことは何度かあった。ぼくらの間では禁断の味だったそのソースのことを、看護師にばれないように、当時ぼくらは「ブツ」と読んで、隠語で取引をしていた。「ブツ」一回分と引き替えに、ぼくは家から送ってもらったチョコボールをよくおじさんに横流しした。
 東京で一人暮らしを始めてからはしばらくソースが家にない暮らしが続いた。何しろとんかつソースを使うような料理を作ることなど皆無である。そういったものは外で食べるので、家にソースを置いておく必要がなかった。あるのはせいぜいほかほか弁当で余分についていたソースのパックぐらいのものだった。
 二十代後半になって、再び自分で料理を作ろうと考えた頃、久しぶりにスーパーでソースを買った時のことを覚えている。おそらく上京してから、初めて買ったソースだと思う。関東にもまったく同じブランドのものが売っていることにちょっと喜んだ記憶がある。
 台所の戸棚にソースのびんが置いてあると、なんとなく落ち着く。ちゃんと生活をしているのだという気がしてくる。醤油や味噌、砂糖や塩はさすがにふつうにあった。マヨネーズなども案外買っていた。ただ、ソースだけはなんとなく余裕がなければ買わない調味料だったように思う。とんかつソースの横に、さらにウスターソースが並んだ日には、やっと人間らしい生活に自分が戻れたことを実感した日であった。
 今、こうしてソースをかけながらそんなことをふと考えた。
 もし、毎年のようにソースの味やパッケージが変わっていたら、こんなように記憶に残っていただろうか。
 同じものが同じ風景の中にある。
 あたりまえにあるものが、あるべきところにある。
 その価値が分かるようになるまで、このソースが変わらぬ姿で存在してくれていたことをただありがたく思いながら、今、とんかつを食べている。

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映像の向こうの現実

10月 9th, 2009 — 4:58am

 昭和の映画を観ると、邦画でも洋画でも、その現実感に圧倒される。日常的な町の風景でも、スターシップ・エンタープライズのコクピットでも、スクリーンの向こうに確かにそれが存在する感覚がある。どんな荒唐無稽な内容の映画であっても、そこに映っているものは、ある瞬間、確かにどこかに存在していた風景だという、揺るぎない安心感がある。たとえそれがセットであっても、確かに存在していたはず。ものに重さがあって、影がある。今にして思えば、これはあたりまえなことだった。
 それが演技であっても、撮影用のセットであっても、その映像に映っているものはたしかに存在したものだった。もちろん編集で合成されていることもあった。でも、それでさえ、ただ別々に撮影されただけで、存在するものには違いなかった。ゴジラもエイリアンも、機械だったり着ぐるみだったりはしても、映像に映ったからには、確かに何らかの形で存在していたはずなのだ。
 役者もそうで、たとえ大統領でも、宇宙人でも、戦国武将でも、少なくともその衣装を着た人間は存在していた。それはあたりまえすぎて、当時は思いもしないことだったが、実は大変な安心感をぼくらにもたらしていたような気がする。
 そんな映像の世界にCGが生まれてそろそろ四半世紀。最初はタイトル画面ぐらいでしか使われていなかった技術が、今では映画のあらゆるところに用いられている。背景をCGで作っていた頃はまだ良かった。やがて、乗物や怪物がCGとなり、避けられるぬことであるように、役者にもCGが用いられるようになった。結果、昔では考えることもできなかったような凄まじい映像や、見たことのない世界を作り出すことができるようになったけど、その一方で映像から現実感がどんどん薄れていった。
 もはや映画の中には重力も天気もない。人間は何メートルでもジャンプできるし、どんな体勢でも着地できる。朝も夜も関係ない。光の色なんて編集段階でいくらでも変えられる。その気になれば全部のシーンを昼間に撮影して、夜の映画を作ることだって可能だろう。屋内、屋外も関係ない。どこで撮影しようが、背景はあとで何にでも変えられる。それどころか、実際のところ、俳優も舞台も、カメラすらもいらない。まったくのゼロからでも、もはや映画は製作可能だ。
 今の映画の画面は虚構の固まりだ。そこに映っている背景はおろか、人間すら本物かどうかを絶えず疑って映画を観ないと行けない。そこに現実の重みは存在しない。ただ恐ろしく精巧な紙細工が、数秒数千万円で高速に動き続けている。おそらく今から百年ぐらい経って、今の時代の映画を見返したら、多くの映画はそれがいつの時代、どこの国で、なんのために撮影されたか分からなくなるのではないだろうか。
 最近、映画館にいる時、よくこんなことを思う。
 地球が絶滅したあと、どこかの宇宙人が地球の調査に来て、誰かの映画のコレクションを発見する。最初に見るのが「パイレーツ・オブ・カリビアン」。彼らは思うだろう。なんとも奇妙な世界だと。しかし、次に観る映画はマトリクスだ。これは違う国の映画なのか、あるいは違う時代なのか? そして、なぜ地球人というのはこうも生命観が稀薄な存在なのか?
 あまりにも今の映画に慣れていると、昔の映画を観ると、そこに映っている現実感に圧倒されることがる。まるでどこかの街角にカメラを備え付けて、それで道行く人を撮ったかのような生のリアリティー。空気まで感じる記録。
 映画だけでなく、ぼくらのこの目も、今は同じように現実感がない映像を見ているのではないだろうか。ネットの映像、テレビの風景、携帯からの声、便利な乗り物の窓から眺める、流れていくだけの触れない風景。例えばよくできたオカルト映画を観たあと、少し周りが不気味に見える。明るく前向きな映画を観たあとは世界が輝いて見える。だったら虚構に満ちた映像を毎日見続けるぼくらの目には、この世界はどう映るのだろう。
 そう思うと、少し怖くなる。

――――――――――――
【おしらせ】
「宮山麻里枝」さんというのは、スタジオのスタッフ宮山香里の実のお姉さんで、ドイツの映画監督さんです。ぼくも個人的に仲良くしてもらっている素敵な女性監督なのですが、彼女の最新作「赤い点」がまもなく東京の二つの映画祭で公開されます。映像の中に「現実を納める」ということがどういうことで、それがどんなに素晴らしいかということを、近年ぼくに思い知らせてくれた作品です。世界中ですでに先行公開され、大絶賛されています。お近くの方はぜひどうぞ!(詳細はこちらまで
「絶叫仮面」のアニメで少し協力してもらったことをきっかけに、今後、麻里枝さんとスタジオでの共同製作作品も出てくるかもしれません。どうかお楽しみに!

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