Archive for 9月 2009


立派な社会人男性になるために

9月 28th, 2009 — 2:20am

 うそをついてはいけない。
 会社の昼休みに男性ばかりで集まった時、「民主党が与党になった」ことを話題にして、「鳩山ではだめだよ」などとつぶやいているあなた。うそをついてはいけない。もしあなたがぼくと同じ、日本にいる平均的な社会人男性なら、本当は民主党が政権を取った意味合いなんてこれっぽちも分かっていないはずだ。いろいろ知っているふりをしているが、本当はぼくと同じで、正面からの写真だと国会議事堂とタージ=マハールの区別がつかないのは分かっている。何しろぼくらは子供の頃、政治とか経済のことなんて何も関心がなかった世代だ。ぼくらが関心があったのはただ、キン肉マンの新しい必殺技が本当に人間に可能かどうかということだけで、それを桂くんと堀江くんと一緒に体育館のマットでお互いに試してみることだったはずだ。
 民主党のマニフェストだって、「高速道路がただになる」というのと、「子供がいたらお金がもらえる」というところ以外、たいして興味なんてなかったはずだ。それどころかマニフェストがどこの国の料理かと聞かれたら、きっと真顔で「ブラジルじゃないかな。たしか鶏肉の料理のはずだよ」などと答えていたはずだ。少なくとも、ぼくは真剣にそう答えたことがある。
 しかし、立派な大人の男性になるためにはどうやら「政治」と「経済」に詳しくないといけないらしい。ドラクエのすれちがい通信よりも、国会の予算案の方が興味のあるふりをしていないといけないようだ。もちろんぼくもあなたも関心があるのは国が何兆円損したことよりも、駅前の食堂のメンチカツ定食が480円から580円になったことの方なのだが、それは絶対に認めてはならない。何しろ、ぼくらは日本の未来を背負う、社会人男性なのだ。男らしく振る舞い、男らしい会話をしなければならない。
 例えば三、四十台の男性社会人が昼休みに交わすべき理想の会話というのはこうである。

男性会社員A「民主党が政権を取ったから、日本も終わりだな」
男性会社員B「だな。子供手当の財源とか、いったいどこからひっぱってくるつもりなんだ」
男性会社員A「まったくだよ。この不況の時にまた消費税でもあげられたらたまらないよ」
男性会社員B「これからは銀行も頼りにならないから、やっぱり自分で投資していかないとな」
男性会社員A「おれはFXを始めたよ」
男性会社員B「あれ? そういえばFXの前ってなんだっけ」
男性会社員A「たしか電王だろう。その前がブレード。」

 だいたいどの台詞のあとにも、疲れたような溜息を一回ついて、あとは遠い目でたばこを吹かせば完璧だ。どこから見ても、立派な日本の男性社会人である。大事なのは物憂げに見えること。例えそれが本当は「40インチのテレビ、液晶とプラズマのどっちにするべきか」という憂いであっても、外から見れば似たようなものである。
 ただし、注意点はいくつかあるので、気を付けて欲しい。
 まず、昨夜見た「TVタックル」は相手も見ているので、いくらかっこよい意見を番組で聞いたとしても、それをそのまま使ってはいけない。少しひねりを加えて、さも自分で考えたことであるかのように言い直す必要がある。例えば上の会話で会社員Aが「日本は終わりだ」と言っているのは、これは昨夜のTVタックルで「日本の危機です」という意見をアレンジしたものだが、もちろん会社員Aはなぜ「民主党が政権をとると日本が終わるのか」なんて分からない。ただ、男っぽくてかっこいい意見だし、第一、日本が終わったらきっと北斗の拳みたいな世界になるので、それが楽しみなだけだ。もしかしたら民主党が秘密結社で、世界征服を企んでいるのかもしれない——等と想像すると、ちょっと民主党が好きになれそうなので、そう言ってみただけである。
 また、Aはその次の台詞で消費税を例としてあげてるが、これは日本国の幾多ある税金の中で、彼がなんとなく理解できている唯一の税金が消費税だからだ。中学の時にお母さんから教えてもらったので間違いない。100円のチョコを買った時には105円払わなければいけない。なぜ払わなければいけないのかは難しくて覚えていないが、とりあえず100円という値札を鵜呑みにしてはいけないことだけは分かっている。
 一方Bは「投資」という言葉をを使っている。これはとにかく男性が三十代以上になったら口にしないと格好悪い言葉なのだ。ぼくもそのことに割と早く気がついたので、三十代前半からは一文に一回ぐらい「投資」を入れるようにしている。

例:「この前、あんまり寒いから投資しそうになったよ」
  「きれいな女の人が歩いていると投資能力があったらいいと思わない?」

 もちろん、「デイトレード」とか「リスクヘッジ」とか「レバレッジ」とか、そういうかっこいい経済用語も好んで使うようにしている。

例:「デイトレードって昔よく飲んでたよな。スポーツとかのあとに」
  「リスクヘッジってパンクやるならいいバンド名だけど」
  「ごめん。おれ、焼き鳥は好きなんだけど、レバレッジだけ苦手なんだよ」

 今や、こんな不況の世の中——女の人がどんどん強くなっている時代だからこそ、これからの男性は少しでも威厳を保つようにしなければ、男性の立場はもはや風前の灯火である。「男の人の話って難しくて分からないわ」と女性に言ってもらうためには、とにかく一ミリも分からないニュースでも思慮深くうなずき、聞いたこともない単語でもそれっぽく返答をするしかない。二十一世紀はどうやら男性には難しい時代になりそうだ。三十まで少年ジャンプを読んでいたツケが回ってきたのかもしれない。もしどこかの政党が、うちの政党は少年ジャンプの「努力・友情・勝利」をマニフェストに掲げ、党内の議員全員をジョジョのスタンドの名前で呼びます——とでも発表する勇気があれば、下手したら今の日本はそれだけでその党が大勝しそうで怖い気がする。
 ぼくもいつの間にか、そうして大人の男性になった。もちろん今でも比例代表区が東京二十三区のどこにあるのか分からないけど、それでも五十になるまでには民主党の特徴をちゃんと答えられるようにはなっていたいと思う。——その頃まで民主党がまだ活躍していればの話だが。

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記憶の収納

9月 18th, 2009 — 12:50am

 ぼくの記憶はどうやら十年単位で整理されているようで、とにかく当面脳に入れておかないといけない事柄――パソコンでいうのならメモリ上にあるデータってことになるのだろうか――を除くと、ほかのすべての記憶は十年ごとに区別された箱の中へと放り込まれている。

 一番近い十年の箱の中身はまだかなり具体的に残っている。例えば、どこかへ出かけたとすると、どこのレストランで何を食べたかまで、よく考えれば思い出せるぐらい詳細な内容が記録されている。もらったものも、かなり些細なものまで誰から何の機会にもらったのかを思い出せる。原稿も十年前までだと、ぱっと見ただけでそれが何を書いたものだったかすぐに頭によみがえってくる。

 ところが十年が経過すると、これらの記憶は次の「10ー20年前の箱」へと移される。こうなると、記憶容量をケチるためか、極端に情報がそぎ落とされるらしい。どこかへ出かけた記憶は場所と、いくつかの印象的なシーンのみに還元され、食べたものなどの細かいディテールはひどく曖昧になってくる。たまに整理に失敗しているのか、ほかのデータと混ざって、二つの思い出がひとつにくっついたりすることもある。さらに圧縮の過程で時々都合の良い解釈が入るのか、ところどころ記憶が美化されていたり、端折られていたりもする。

 もらったものは、相当印象深いものか、極めて大事な人にもらったものぐらいしか思い出せなくなっている。ほかのものは「もらったもの」という大きなカテゴリーでくくられてしまうが、その頃にはたいていそのもらったもの自体、すでに存在していないので、さほど問題はない。

 原稿も十年以上前のものとなると、部分的にいくら考えても自分で書いたことが思い出せないものが出てくる。なんとなくところどころのフレーズに記憶があっても、実際に書いた瞬間の記憶そのものは完全に消失していたりすることが多い。ただし、うっかり深夜に書いて、人目につかないように封印していた詩などに関しては、なぜか克明に思い出せたりするから不思議だ。

 こうしてさらに記憶も二十年を経ると、今度は「20-30年前の箱」に移されるのだが、この段階でかなり多くの記憶がマイクロフィルム化されて、簡単には再生できない状態に圧縮され始める。ほとんどの記憶は象徴的な一枚の写真をアイコンとして見ることができるだけで、中身はその圧縮されたファイルをゆっくり、いろんなことを考えながら解凍しないと出てこない。場合によっては、解凍してもすでに中のデータが壊れていて、大半の内容が消えてしまっていることも多い。

 中にはいくつか、ほかよりははっきりと残っている記憶がある。この二十年の間、何度か繰り返し再生してきたものだ。中学時代の楽しい思い出などは何度も思い出して、その頃の仲間と話したりしているので、解凍も比較的手慣れていて、思い出しやすい。ただ、あまりにも何度も圧縮解凍を繰り返しているため、変質も激しくて、一部、大げさに改ざんされている記憶などもある。

 そして、三十年。

 どうやらここがひとつの区切りのようで、ぼくの場合、ほとんどの記憶はこのラインを越えると消去されていく。――もっとも、本当には消去されていないのだと思う。ただ、頭の中の倉庫の一番奥深く、幾重にも重ねられた荷物の下敷きになり、ほこりをかぶって、ほとんど見えなくなっているだけなのだろう。それでも現実的に取り出すのは至難の技だ。

 そんな消去された記憶にたまに出会うことがある。

 疲れて、眠って、眠りの世界の奥深い底で、積み重ねられた記憶の箱の中を彷徨い、大昔の箱のひとつに迷い込むことがある。そこではもう名前も忘れていたと思っていた人たちや、とうの昔になくしたものたちがぼくの帰りを待っていてくれる。時の止まった倉庫の、箱の中の片隅でずっとその時の姿のまま、待っていてくれたのだ。眠りから覚めるまでの束の間、その頃のように言葉を交わし、時間を過ごして、それが永遠に続くかのように思えても、朝の光と共に無情に消えてしまう。

 そんな日の朝は少しだけはっきりと「20-30年前の箱」の中身が思い出せる。そして、本当には消えたのではなく、ただ今のことが大切すぎて、少し奥の方にしまっているだけなのだということに気がついて、ほっとしている。

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九月のかき氷は倍おいしい

9月 13th, 2009 — 11:47pm

「人生は自らの手で切り拓くものだ」
ジョージ・ワシントンの言葉である。
ケネディだったかもしれない。いや、もしかしたらアレクサンダー大王かも。「はじめの一歩」の鴨川会長だったかもしれない。最悪、ぼくが今考えた言葉かもしれない。
とにかくこの言葉に従って、今年からはもうかき氷の季節が過ぎるのをただ憂いの中で過ごすのをやめることにした。「意思あるところに道あり」(力道山の……いや、キン肉マンの言葉だったかも)の通り、待っているだけでは人生は始まらない。ということで、我が家ではついに今年、かき氷器の購入に踏み切った。
ネットで散々検索して、一時は業務用のかき氷器の購入も真剣に検討したが以下の四つの理由により断念した。

・ブランドものの自転車ぐらいの値段
・ブロックの氷を製氷会社からいちいち購入する必要がある
・そのブロックの氷を一回で使い切らないといけない(約40杯分)
・台所に置くと、代わりに電子レンジか炊飯器を処分しなければならない

個人的には些細な問題ばかりだと思ったのだが、奥さんに反対されたので、やむなく業務用は見送った。仕方なくあっちこっちのネットショップのカスタマーレビューを調べ回って、けっきょく強く奨められていた「アイスロボ3」という製品を某ショップから購入した。
届いてからというもの、起きてすぐに氷を削って食べる「朝かき氷」からノドが渇いた時に食べる「プレーンかき氷(シロップ抜き)」まで幅広く活用している。昨日はコーヒーとかき氷を混ぜてフラペチーノを作り、その前は練乳をかき氷と混ぜてラクトアイスを作ったりして楽しんだ。
そして、ついに完成した我が家手製の白桃のシロップ!をかけたかき氷があまりにおいしかったので、もう一度だけここにすべての人に繰り返しておきたい。
「人生は自らの手で切り拓くものだ」
マイク・タイソンの言葉である。

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夏の終わりの憂鬱

9月 10th, 2009 — 2:31pm

夏が終わり、九月に入って、少しずつ気温が涼しくなり始めるこの季節、いつも寂しくなる。

暑かった夏の終焉……迫り来る秋の予感……町からも少しずつ明るい色が姿を消し始める。

青とか、黄とか、赤色102号とか。

そう、町からかき氷が消えて行くのである。かき氷だけではない。「氷製品」すべてが次々に店頭から消えていく。自他共に認める日本一の氷好きとしては、かき氷、フラッペ、フラペチーノ、フローズン、スムージー、スノーコーンなどの氷系甘味があらゆるところで売られる夏が一年で一番のパラダイス。

しかし、理不尽なことにその季節は長く続かない。たいていは七月と八月だけである。なんのいやがらせなのか、どこの店も示し合わせたように九月一日にいきなり氷製品の販売を中止する。それもたいてい何の予告もなく!

ローソンのかき氷も、武蔵野茶房の氷パフェも、鯛焼き屋のつぶつぶイチゴ氷も、ミスドのフルーズンも、みんな9月になると突然消える。しかも、どこの店もまるでかき氷器が仇のように、すぐに取っ払って、その場所に必ず肉まんの蒸し器か、おでんの鍋を置く。そしてこの憎き調理器具たちは秋、冬はおろか、春の終わりまでかき氷器の場所を占領し続けるのだ。コンビニに行って中華まんの機械を見ると、いつも怒りがふつふつとわき上がってくる。「おまえさえいなければ……おまえさえいなければずっとかき氷が食べられるのに……」

そんなわけで九月は毎年少し悲しい。毎度お馴染みのミニストップのハロハロ……案外傑作だったミスドのフルーズン……一度だけ食べた名古屋の名店のかき氷……みんな、もう今ではいい思い出……

仕方ないので、前々から目を付けていた家庭用電動かき氷製造器「アイスロボ3」を購入して、しばらくはこれでやりすごそうと思う。いつか、日本人が自らの過ちに気がついて、肉まんを法律で排除し、年中無休でかき氷を販売し始めるまでは。



<本日はフォントの大きさを調整しようと努力した結果、改行とインデントができなくなってしまいました。二つが同時にできるように引き続き頑張ろうと思います。>

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MOBS4.0 α版、設置完了!

9月 9th, 2009 — 3:54am

こんにちわ、みなさま!
おひさしぶりです。向山です。

絶叫仮面の発売と、スタジオ・エトセトラの トップページの本格的なリニューアルに伴い、MOBS&CO.も新たにWordPressというソフトを使って作り直すことになりました。

問題がひとつあります。
まったくと言っていいほど、ぼくはWordPress の使い方が分かりません。正直に言うと、WordPressが何かもよく分かっていません。ウェブエンジニアのセブンが「今はみんなこれを使ってるんだよ」と教えてくれたので、「それは使わねばならん」と使い始めただけで、セブンがうそをついていて、実は世界中でこのソフトを使っているのがぼくだけという可能性も若干ながらあり得ます。

でも、時代はやはりブログらしいし、いつまでも前時代的なページを公開していては「向山はもう時代についていってないんだな。所詮おじさんだからな。もう縁側で囲碁でもやってろよ」とか思われてしまいそうなので、意地でもWordPressで作ることにしました。

最初に今までのデータを全部こちらに移植しようとがんばりました。データをまとめて移す便利な機能があったので、楽勝かと思ったのですが、「便利な機能はたいてい失敗する」という科学の法則に基づいて、まったく一行も移植できませんでした。なので、けっきょく手作業で全部の記事を移植し始めたのが……

……半月前のことです。
予定では三日ぐらいで新しいサイトを作り上げるつもりだったのですが、そこから二週間——未だに改行すらちゃんとできません。フォントのサイズの調整もうまくいきません。ヘッダやフッダを入れるのなんて夢のまた夢。このまま、解説書片手にやっていたら公開する頃には年金が降りそうです。

でも、早くサイトをオープンしないと、どこにもワンパラを書く場所がないので、恥を忍んで、このままα版として公開してしまおうと思います。これから少しずつ少しずつ、WordPressを勉強する度にページがまともになっていくと思いますので、よかったらしばらくは暖かい目で見守ってやって下さい。

当面の目標はこの読みにくい文字をなんとかもう少し読みやすくすること。
セブンによると、そのためにはどうやら「スタイルシート」というものをいじらないといけないらしいのですが、それが何なのか、今のところ全くの謎です。おそらく東急ハンズに行けば売っているものではないかと思うのですが、まだ近くのスーパーしか調べていません。(「クッキングシート」ならありました。)

果たして、MOBSはちゃんと行間がきれいに空くようになるのか? この小さすぎる文字が適切な大きさになる日は来るのか? そして、イラストひとつないこのサイトをMOBSと呼んでいいのか?

などなど、そんなサスペンスをはらみながら、MOBS&CO. ver4.0アルファ版、本日スタートです。

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