Archive for 6月 2005


矢野くんのアドバイスがほしい

6月 27th, 2005 — 12:42am

本日、「僕等がいた」七巻まで読破。
赤面率89%を誇る「ハツカレ」より、こっちの方が赤面したのはなぜだろう。
なんというか、まず表紙。表紙がどの巻も微妙にフォグマシーンがたいてあって、マックロクロスケの白いやつみたいなのが画面のあっちこっちに浮いている。その中に主人公と彼氏が立っているわけだが、この演出は三十四歳の男性にはあまりにまぶしい。三十四の男性の目から見た世界はどちらかというとフォトショップのセピアフィルタを「強」でかけたあと、「ぼかし」を三段階ぐらい乗せた世界である。こんなに世界がキラキラして見えたのは、個人的には六年前に輝度がぶっ壊れたLCDディスプレーでやむを得ず一週間仕事をしていた時ぐらいである。一巻の表紙などは金色の野原に朝日のようなまぶしい光が差し込む中、二人がはにかみながら立っている。どこなんだ、そこは? ガンダーラか!? 
でも、考えてみれば初恋なぞしている時には、世界はこう見えていたような気もする。(もっともふられたあとにはフォトショップの「ゆがみフィルタ」で「中心から外に向けて円形状にゆがむ」をピクセル値最大にしてかけたように見えたが。)
ここのところ、少女漫画ばかり読んでいたこともあり、なんだかすっかり頭が柔らかくなってしまって、今や冬ソナでも見ることができうそうな勢いの柔らかさである。
何しろ以下のようなナレーションが恒常的に登場する世界を読んでいるのだ。
「彼と出会ったのはきっと運命。もし違うというならあたしは運命なんか信じない。」
こういう言葉が主人公の心をかすめるたび、スクリーントーンが舞い踊り、21ポイント以上の太ゴシック体で文字が浮かび上がるのである。二週間ほど前に読んだ「最強伝説黒沢(注1)」にも、似たような手法が用いられるところが何度もあったが、こっちのナレーションといったらこんな感じである。
「情念がこもる…! 逃げ場のない熱が積み重なる… 何年も何年も…ヒートアイランド現象っ…! 温暖化! 人生の温暖化! 今じゃそれが進み……砂漠化!」
もし人類が滅んで二百万年ぐらい経って、どこかの宇宙人が地球に発掘に来て、古代遺跡の中からこの二つの作品を発見したら、絶対にそれらが同じ国の、同じ時代の、同じ生物を主人公にした物語だと気がつかないと思う。ギリシア先史時代の文献と日本の古事記だってもう少し共通点はあるだろう。こうなると、どっちも面白いと思える人間の脳の許容力にひたすら感心するだけである。
「僕等がいた」に出てくるヒーロー矢野君はモテモテの高校生男子。スポーツ万能、成績も良く、容姿は端麗で、言うことがいちいちかっこいい。ぼくら一般男子からすると、市中引き回しの上、ハリツケ獄門にしてやりたい存在だが、よくよく読んでみると、矢野くんがそれだけモテる男になれるのもあたりまえで、どうやらこの学校、試験らしきものが年に一回ぐらいしかないのだ。年中文化祭はやっているみたいだし、毎年夏祭りも近所で必ずやるようなのだが、受験勉強らしいものは一切していないところを見ると、極端に偏差値が低いのかもしれない。それならいつも遊んでいる矢野君が試験でいい点をとれるのも合点がいくというものだが、そうなると心配になるのは主人公の女の子のほうである。何しろ、この女の子、第一話からいきなり数学が0点である。たぶん実際に0点をとった主人公というのは、昭和五十年代ののび太以来、漫画界初の快挙なのではないだろうか。——彼との出会いが運命かどうかは分からないが、とりあえず恋愛のことはおいといて、そろそろ受験勉強を始めないと間違いなく近い将来、二人とも人生が「温暖化」すると思う。
でも、そこはぐっと気持ちを呑み込んで、もう一度純情だったあの頃に戻って、素直に永遠の愛を信じてみたいという気持ちにならないわけでもないのだ。ただ、問題はうちの学校には年間六回の試験がある上に、文化祭は一年に一回しかないので、たぶん矢野君ほど主人公にアプローチする機会がないと思うのである。おまけに何らかの病的原因で矢野君のように突然空が見たくなったとしても、屋上は雨漏りのために出入り禁止である。ベランダなんか老朽化して、下手に出たら崩落しかねないので、ロープがはられている。これではどこで主人公が来るのを待っていればいいのか分からない。
おまけにうちの地元の夏祭りは名前が「ばかん祭り」である。ロマンチックという言葉に対義語があるとしたらたぶん「ばかん」だと思うので、そこでもあまりラブラブは期待できない。ほかに空が見えそうなところと言ったら近所のサティの屋上だけだが、ここもよくおばさんが風呂敷広げてぬか漬けを売っているので、微妙に永遠の愛と結びつかない。
矢野君、助けてくれ。現実は厳しい。
(注1)
「カイジ」「アカギ」などを描いている当代きってのストーリーテラー福本伸行が今まで物語界にまったくいない、でも、現実の世界にはやたらいっぱいいると思われる44歳独身のしがない男性主人公を描いた、ある意味衝撃的作品。おそらくこの世で少女漫画から一番正反対の位置にあると思われるマンガで、恐ろしいほどの正確さで独身中年男性の心理を描いているので、少女漫画と並んで女性に逆おすすめ……しようと思っていたのだが、あとから苦情のメールでアドレスがパンクしてもいやなので、やんわりと注の中で紹介するだけにしておきます。

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ハツカレでオツカレ

6月 25th, 2005 — 12:38am

久しぶりのワンパラのお題目——本日は「少女漫画」。
まず最初に叱咤されることを覚悟で書くが、ぼくは十代の頃、基本的に少女漫画をバカにしていて、ほとんど読んでいなかった。ジャンプ全盛時代に育ったものだから、マンガといえば、近所の番長を倒すところから始まって、最終回では全宇宙を統治する暗黒生命体と戦う主人公が出てくるものしか読んでいなかったのである。
読んだことがある少女漫画といえば、妹が持っていた「天よりも星よりも」と「BASARA」、それにおきまりの「BANANA FISH」ぐらいである。公平に見て、確かにこれらは当時も面白いと思っていた。——しかし、女の子なら即座に気がつくと思うが、これらはどれもどちらかといえば少年漫画よりの少女漫画。いわゆるドジでおっちょこちょいな普通の女の子(異様なほどかわいいことを除けば)が、無体臭・微性欲の背の高い黒髪の男子と初対面では悪印象を受けながらも、次第に惹かれ合い、やがて2巻から3巻の間のどこかで登場する髪の色が白い、少し悪っぽい男と三角関係になっていくコテコテの少女漫画ではない。
(緊急注:日本中の女性を敵に回す前に早めに断っておきますが、ぼくは今ではピーチガールのサエがペラペラになっているイラストをうろ覚えで書けるほど当時のことを反省しています。だから、その剃刀をポストに入れる前にもうちょっとだけ読み続けてください。)
確かにひどい偏見で少女漫画を見ていたことは認めざるを得ないが、これはある意味仕方がないことだとも思う。何しろ十代の男に少女漫画の世界観を受け入れろと言っても、土台無理な話である。何しろ、出てくる男性にことごとく一切感情移入ができない。それどころか、男性にすら見えない。宇宙人でももう若干共通点がありそうなほど甚だしく自分たちと異なる生物が、ヒロインに「男の子ってみんなこうなんだー」と言われるのを見ていると、火炎放射器でホワイトベタで塗られたサラサラヘアーを一本残らず焼き払いたくなる衝動にかられるのだ。
どこがそんなに違うか分からない方のために、具体的な違いの例をいくつか下にあげておいた。
【男子の悩み】
少女マンガの世界:彼女とうまく分かり合えない
現実:スーパーマリオの4-4がクリアできない
【男子の照れた時の行動】
少女マンガの世界:はにかみながら、「まいったなあ、かなわないや」とか言う
現実:無視して走って逃げ去り、一生嫌われる
【男子に起きる「うれしい出来事」】
少女マンガの世界:好きな子と両思いになれる
現実:ホームランバーが二回続けて当たる
【女子に嫌われる男子の行動】
少女マンガの世界:悪口を言う、喧嘩をする
現実:げっぷ、ゲームばかりする、盗撮
とにかく少女漫画に出てくる男子高校生に比べたら、スターウォーズのチューバッカの方がずいぶん親近感を憶えることができた。当時のぼくらからすると、少女漫画の世界はハリーポッターがリアルに思えるほどのファンタジーだったのである。だから、当然冷静に評価などできるはずもなく、主人公の目の中にいくつホワイトの点があるかを数えるぐらいしか楽しみを見いだせないでいた。
それから時を経ること十数年。
ねこぞうが少女漫画を山のようにスタジオの書庫に置いているので、数年前から読むものがなくなると、よく大量に少女漫画を抱えて二階に上がり、何時間も読みふけるようになった。「NANA」「彼氏彼女の事情」「ピーチガール」「恋愛カタログ」など、生半可な巻数じゃないものも片っ端から読破してしまった。恥を忘れてカミングアウトするが、今現在は「ハツカレ」と「ハチミツとクローバー」を読んでいる最中である。(注:男性のみなさんは今のところを何気なく読んでいると思いますが、ここは笑うところです。)
おかげで先日「おとなファミ通」なる雑誌に載っていた「男も面白いと思う少女漫画特集」をめくっていたら、紹介されるまでもなく、すでに掲載作品の半分ぐらいを読んでいることが判明。もう自分でも感心するやら、呆れるやら。
さっきも上のパラグラフでマンガのタイトルを入力している時、「彼氏彼女の事情」を「彼カノ」、「恋愛カタログ」を「恋カタ」、「ハチミツとクローバー」を「ハチクロ」と反射的に書いてしまい、我ながら成長したものだと思ったりもした。
少女漫画は面白い。
ほかのどんなジャンルのエンターテインメントとも違い、独特のノリと、奇妙な既視感があり、やたらと読者と作者の距離感が近いのも不思議だ。最近の作品は加えてテーマ性や社会性を強く持ったものも多く出てきている。男でも爆笑できるほど面白い場面も数多く登場する。少なくても、少年漫画に見劣りするなんてことは決してない。
何よりも、我々男性にとって、少女漫画はすべての女性が子供の頃からどのくらい日常的に悩んだり、考え込んだり、些細なことにも努力しているのかを思い知らせてくれる、最高の教科書である。
ぼくがほぼ一日の大半の思考を「ゼビウスの四面のスペシャルフラッグの出現位置」に費やしていた頃、同じクラスの女子がどんなに複雑で豊かなことを考えていたかに、今さらながら驚いている。当時、同じ班の女子から「男子は気楽でいいよね」と言われて反論したことがあったが——すみません。気楽でした。今にしてみれば、たぶん女子のみなさんが目が覚めて顔を洗い終わるまでに行う思考の量ぐらいで、ぼくらの一日分をまかなえたと思います。
いったい何をしていたのか、十代のおれよ、と今は心の底から後悔している。そんなに女の子にもてたかったなら——そんなに女の子の考えていることを知りたかったなら、なぜもっと少女漫画を読まなかったんだ! 「女の子が男の子にとってほしい理想の行動」の全パターンが網羅されている貴重な資料がこんなにあるのに、ボムの「モテる男になって今年の夏こそ彼女ゲット特集」で紹介されているフェロモン香水の購入を真剣に検討している場合か!
なぜ一度で良いから「ハツカレ」を読まなかったんだ! (まあ、もちろん当時まだ描かれていなかったという些細な問題もあるのだが。)
いいか、十代のおれよ:
女の子と二人きりになった時にどう声をかけていいか分からなくて、さんざん迷った末に 「つかぬ事をお伺いしますが」って話しかけたことがあっただろう。それじゃ通りがかりの武士だろ! そういう時に使える台詞なんか、どの少女漫画を開いても百万通りぐらい載っていたのに、なんで 「つかぬ事をお伺いしますが」なんだよ! この大たわけが! 今書いてても恥ずかしいわ! とりあえず「もてない」と嘆く前にせめて「愛してるぜベイベ★★」ぐらい読んでおけって言うんだ!
今なら自信を持って言えるが、敢えて、すべての男性に少女漫画を薦めたい。
ベジータがスーパーサイヤ人になれるかどうかをぼくらが真剣に心配していた頃、同じ年齢の女性たちは「どうやったら本当に好きな人と分かり合えるか」みたいな話を読んでいたのである。これでは百年かかっても女性に適わないはずである。せめて今からでも遅くないので、とりあえず「ハツカレ」あたりをとっかかりに、底知れぬ少女漫画の世界を覗きに行こうではないか。
そしたら、少なくても通りがかりの武士にはならなくてもすむはずだ。
(追伸注:ただし、もしあなたが普段ワンカップ大関を片手に無精ひげを生やしているような三十代のおじさんなら、「ハツカレ」を買う時には上下を「週間朝日」で挟んで渡し、あからさまに娘へのプレゼントだと思われるように、赤い包装紙でギフトラップしてもらうぐらいの配慮は必要だ。中学生の時に「アクションカメラ」を買った思い出がよみがえるかも知れないが、ことはもっとはるかに深刻である。何しろぼくが書店のカウンターに座っていて、もし自分と同じようなやつが「ハツカレ」既刊六巻を全部抱えてうれしそうにカウンターに現れたら、間違いなく通報すると思う。)

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絶対役に立たない英語講座001

6月 20th, 2005 — 1:53am

誰もがきっと中学校や高校でいやというほどたくさんの英単語が載っている単語帳を渡されて、それを「全部憶えろ」という無茶な要求をされたことがあるはずだ。そして、その単語帳はどう好意的に見ても、東京の基本住民台帳ぐらいの厚さがあって、ぬか床の上に置いておけば、いい漬け物石になりそうな重さである。正常な人間はこういうものを渡されると、それを全部憶えようなどとは思わない。正常な人間はその重さを利用して、それを渡した人間を撲殺のが普通の反応である。
にも関わらず、多くの日本人の青少年少女はなんの反論をすることも許されず、ある一国で話されている全部の単語が載った本を、六年間ほどで丸暗記させられるハメになる。単語帳の最初の単語を見ると、なんかabroadという、発音さえできそうもない妙な単語が載っている。実は普通の生活をしている限り、アメリカ人でも人生に数回お目にかかれるかどうかの単語だが、問答無用でまずそれから憶えさせられる。困った話である。本当はそんなことに使っている頭などないのだ。そんなよゆうがあったらとなりのクラスの山田明子の血液型と誕生日でも憶えるか、鉄拳5のコマンド表の残りを全部憶えなければならないのである。
だから単語帳に意味もなく長い単語が出てくると、脳の容量が圧迫されることへの怒りすら感じる。なんで英語はこんなに長い単語がいっぱいあるのか! いったい一番長い単語ってどのくらい長いんだ!?
……と、いうわけで大変長い前振り、失礼いたしました。
みなさんこんにちわ。「絶対役に立たない英語」の時間がやってきました。
私、講師のアブロード向山です。
今日の疑問はズバリ「英語で一番長い単語って何?」です。
(注:現在受験中で最後の一滴まで記憶容量を活用しないといけない受験生のみなさん、このコラムはあなたの残り少ない脳の使用容積を意味もなく消費する危険性があります。ただちにこのサイトを閉じて、代々木ゼミナールのページへでもとんでください。ここにはあなたのためになる情報は2バイト文字一文字分さえありません。)
この質問、たいていのアメリカの小学生に聞いてみれば、すぐ正しい答えを教えてくれます。というのも、アメリカの小学校では、この雑学は必ず誰か友達から早い段階で教えられる有名な知識なのです。だから自分の名前を正しくスペルできないような子供でも、けっこう答えを知っていたりします。
で、その答えなのですが、これは解釈によって二つあります。
一つ目の答えはSupercalifragilisticexpialidocious(スーパーカリフラジリスティックエクスピアリアドーシス)で、34文字です。
これは一般名詞ではありません。
それどころか、本当は言葉でさえありません。
メリーポピンズというアメリカの有名な児童文学に登場する魔法の呪文です。
ただ、この呪文、あまりにも有名で誰もが知っているため、辞書によっては載せている場合があるので、そういった辞書を基準に考えるなら、これが正解になります。
でも、どんな辞書にでも載っていて(大きめに辞書に限りますが)、尚かつ意味も持っているもっとも長い英単語というと、Antidisestablishmentarianism(アンタイディスエスタブリッシュメンテアリアニズム)が最長だと言われています。政治用語で、詳しいことは分からないのですが「教会と州の分離」みたいなことを指すようです。イギリス国教会の会議などでは現在もよく出てくる単語らしいので、間違いなく本物の言葉です。
この単語、なぜかやたらとアメリカでは人気が高く、本来の意味を知っている人はほとんどいないにも関わらず、この単語をフィーチャーした歌やサイトまであります。クイズなどでもよくこれを「スペルしろ」というような問題を聞きます。
そんなわけで「絶対に役に立たない英語講座」でした。
また次回も忘れた頃に無駄な知識でお会いしましょう〜!

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ちょっと変わった映画のジャンル

6月 17th, 2005 — 11:15pm

話が二重三重に入り組んでいて、「夢の夢はまた夢」みたいなストーリーの映画を観たことはありませんか?
いくら考えてもラストまでどうなるのかさっぱり分からず、およそ一番最後の最後になって、当然だと思っていた世界観が根底からくつがえされるというどんでん返しが用意されている……そんな映画。「実は執事が犯人」とか、そういう小さなどんでん返しではなく、「自分が常識だと思っていたことがそうではなかった」というようなスケールでストーリー全部を一瞬にして覆してしまう映画のことです。
こういった映画のジャンルを、英語では「マインド・ファック(mind fuck)映画」と呼んでいます。
二つ目の単語の方を観れば、これが上品な呼び名でないのは一目瞭然ですが、この表現はなんとなくすごく言い得ていて妙だと男うので、個人的にすごく気に入っています。
知っている方も多いと思いますが、もともと「fuck」は男の子が中学校ぐらいになるとどうしようもなく興味を持って、朝から晩までそのことしか考えられない行為を指す単語なのですが、何十年も好まれて使われるうち、単語の意味そのものがぼやけてしまって、今では「fuckする」というのは「めちゃくちゃにする」という意味の方が圧倒的に強くなっています。「怒り」や「ヤケクソ感」を表すのに大変便利な単語で、文章のどこにでも、何度でも入れられるので、柄の悪いアメリカの人なんかだと、怒ってる時は全文節の頭に入れちゃう人もいます。
このことから分かるように、mind fuck映画とは、観ているうちに観客の頭の中をぐちゃぐちゃにしてしまうような映画のことです。
「世界全部がひっくり返るオチ」といえば、近年ではシックスセンスがすぐに浮かぶ人も多いと思いますが、あれは厳密にはmind fuck映画とは言えません。「びっくりするオチがついたスリラー」、という方が正しいと思います。真のmind fuck映画とは、観ているうちに「もう勘弁してくれー!」となるようなもので、よくできた作品はまるで白昼夢のようなイメージで脳に焼き付いてきます。だから精神的に弱ってる時や、自律神経失調の人にはおすすめできませんが、二時間の間、頭をぐちゃぐちゃにシャッフルされたい人や、ややこしいミステリーがたまらなく好き!という人には大おすすめのジャンルです。
とりあえず今までのぼくが観た「面白い!」と思うmind fuck映画をリストアップしておきましたので、興味のある方がいたら、ぜひレンタルしてみてください。悪い夢が見られますよ。
【ジェイコブス・ラダー】
ベトナム帰還兵の主人公が国に戻ったあと、町中で奇妙な出来事や、恐ろしい悪夢に遭遇する。戦場で使った化学兵器の副作用によるもののようだったが……。とにかく気持ち悪いのに美しく、幻想的なシーンが何度も登場して、観客を主人公の悪夢の奥深くまで連れて行ってくれる映画。その果てに待ち受ける恐ろしい結末には、途中で多くの人が気がつくだろうが、それでも戦慄せずにはいられない。
【オープン・ユア・アイズ】
トムクルーズによって「バニラスカイ」としてリメイクされた映画のオリジナルがこれ。プレイボーイの主人公は、ある日、しつこくつきまとってくる女性と共に、自動車事故に巻き込まれる。目が覚めると、端正だった顔立ちは歪んだものに変わり、人生はめちゃくちゃになっていた。夢と現実の境界線が分からなくなる、浮遊間のある映画。「バニラスカイ」の出来も決して悪くはないが、あらゆる点でこのオリジナル版を強くすすめる。同監督の「アザーズ」も、形式的にはゴシックホラーだが、実はなかなかのmind fuck映画。
【アイデンティティ】
嵐の夜に辺境のモーテルに取り残された十人の人々……やがてひとりひとり、何ものかによって殺されていく。アガサクリスティーの「そして誰もいなくなった」のような話だが、オチは正に現代ならではの複雑などんでん返しに支えられていて、ただのミステリーだと思っていたら、力一杯足元を救われる。
【セッション9】
潰れた巨大精神病院の解体作業にかり出された主人公たちは、有毒のアスベスト材を連日はがしているうちに、だんだん意識が混濁していく。そして、やがて意味の分からない不思議なことが起こり始め、スタッフの一人が死体で発見される。実際に霊が出るという噂の廃病院で泊まり込みのロケを行い、キャストが精神薄弱になってしまった曰く付きのmind fuck映画。何しろセットではないので、バックの背景が異様な存在感を持って迫ってくる。脚本は正直ここで紹介しているほかの作品に比べると若干弱いが、雰囲気のためだけでも観る価値あり。
【ファイトクラブ】
ブラッドピット主演のアクション映画かと思ってみたら、さすがに「セブン」の監督だけあって、その正体はものすごくエキセントリックなmind fuck映画。脚本は多少強引に感じられるが、それを補ってあまりある完成度。このラインアップの中では、それでもまだまともな印象を受ける映画だと言えよう。
【フレイルティ】
主人公は男の子二人。ある日、突然神からの啓示を受けたという父親が、近所の普通の人を拉致してきて「悪魔だから殺す」と言い始める。明らかに正気を失っている父親だが、少年たちは逆らうことが出来ず、言われるがままに無実の人間の殺害に加担することになってしまう。加速していく狂気が行き着く果てが怖すぎる。ラストは若干やりすぎ感が否めないのが残念なところ。
【サイレントヒル2】
これは映画ではなくてゲームなのですが、あまりに良くできたmind fuckものなので、番外編として入れておきました。何年も前に死んだ妻から、突然届いた一通の手紙。そこにはかつて旅行に行ったサイレントヒルの町で「あなたを待っている」というメッセージが……。ハリウッドの最上質のシナリオにも負けない、緻密で衝撃的な脚本が秀逸なゲーム。あとにも先にも、ビデオゲームのラストで涙が止まらなかったのはこの作品だけです。
ほかにもたくさんあるのですが、紹介しきれないので、思い出せるだけ下に連ねておきます。現実が嫌になった時などの逃避場所にぜひご活用下さい。もしここに載っていないいいmind fuck映画を知っている方がいたら、ぜひ教えてください。お願いします!
【その他のmind fuck映画】
スパイダー
ドニー・ダーコ
エンゼルハート
メメント
バタフライ・エフェクト
ビデオドローム

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名前……なんだっけ?

6月 14th, 2005 — 11:04pm

あるなしクイズ。
次のものにどれも全部あるもの、なーんだ。
エレクトーン
セメダイン
ウォークマン
どれも「科学戦隊」を上につけると、スーパーヒーローのチームに見える?
うーん、惜しい! でも、残念ながらはずれだ。
そう。答えはどの製品も「使われることのない本当の名前」がある——が正解!
この三つの名前、ともすれば忘れてしまいがちだが、本当はどれも登録商標であって、一般名詞じゃないのだ。
だから、厳密にはヤマハ製以外の「エレクトーン」は電子オルガン、または電子ピアノと呼ぶのが正しい。でも、音楽の先生でさえ、普通にカワイの電子ピアノを「はい、そこのエレクトーン動かして」と言っているのが現実だ。それはそうだ。今時子供用のSF番組でも「電子」などという単語は使わない時代である。「電子オルガン」という単語が現実社会で使われることがあるとしたら、レトロミュージックを売りにしたアマチュアバンドのバンド名ぐらいだろう。
ましてや、「セメダイン」などはさっきからずっと考えているのだが、どうしても本当の名前が浮かんでこない。「瞬間接着剤」? いや、これは「アロン・アルファ」の方だ。「セメダイン」って本当はなんと呼ぶのが正しいのだろう? 「科学のり」? ——いや、これじゃ人造された手巻き海苔みたいだ。
おそらくちゃんとした名称もあるのだろうが、ぼくらにとってあの「プラモデルを作っている時、しばらくあけっぱなしにしていたら、抽出口が固まってしまい、何をしても出てこないので、力一杯踏んづけてみたら反対側の端が破裂して、学級会のプリント三枚を着脱不可能な状態にした黄色い半液体」は「セメダイン」以外の何ものでもない。
そして、「ウォークマン」は間違いなくソニーの商品名だが、この一世を風靡した機械も、ついに本当の一般名称を知られることなく、今や黄金期を終えようとしている。たぶん「小型携帯録音再生装置」とか、中国語のような複雑な漢字名があるのだろうが、友達のウォークマンを指さして、「おっ、それってビクターの新しい小型携帯録音再生装置じゃない?」という人は極めて珍しいと思う。せっかくデジタルミュージックプレイヤーという、いささか言いやすい名前のものに生まれ変わろうとしていた矢先、iPodの登場で、再び本名を忘れられてしまいそうなので、実に名前に恵まれないジャンルといえるだろう。
ジャンル別に言うなら、変化と刷新が著しい食品業界もこういった「名なし商品」がよく目につくジャンルである。味の素、味ぽん、ケロッグ、お茶づけ海苔、カップヌードルなどが代表的な例だが、中にはうちの母のようにレトルトカレーはすべて「ボンカレー」、きゅうりの漬け物は全部「キューちゃん」と呼ぶような人だっている。何しろうちの母にとって、80年代以降、音楽をやっている男性三人のグループはすべて「TMネットワーク」だし、サングラスをかけている芸人は全員「タモリ」だ。父に至ってはテレビに出ているすべての男性は「ビートたけし」という名前できれいに統一されている。
こういう「あだ名」が「正式な名前」にとって変わった例でも、今まであげたように社会的に認知されているものはまだいい。名前には時々家族の中で勝手に発明されて、さもそれが世界中に通用するかのように豪語されているものというのがある。大人同士の家族なら、そういうものを使うのもありだろう——しかし、世の中のことを何も知らない幼児に、それが辞典に載っている世界標準の呼称のように教えるのはどうだろう。
そう、うちの両親に言っているのだ。
悪気がないのは分かっている。しかしだ。——しかし、こんな場面を想像してみてほしい。
小学校六年生の昼休み。すでに羞恥心もすっかり出来上がっている男子生徒が一人。ドッジボールではりきりすぎて膝小僧をすりむき、痛いのを我慢して保健室へやってきた。そこには保険の当番だった同じ組の女子生徒二人が救急箱を持って待っている。——いったいこの「女子」という不可解な生き物はなぜこういつも「くすくす」笑っていられるのか謎に思いながらも、じっと膝が消毒されるのを見守っていると、女子の一人が赤チンを塗るための綿棒を見つけられないらしく、うろうろし始める。そして、どうにも発見できないので、もう一人の女子に聞く。「ねえ、あれどこだっけ?」と言いながら、その女子は綿棒をつまむ形に指を上げて、苛立たしげに繰り返す。「ほら、あれ! なんて言ったっけ!」
どうやら「綿棒」という言葉が出てこないらしい。タイミング悪いことにもう一人の女子もその単語が浮かばなかったらしく、二人揃ってうなり始める。実は綿棒の束は救急箱の陰に隠れていて、ちょうど男子の位置からしか見えないのだ。それで、とっさにその方角を指して、自信を持って、何ひとつ疑うことなく、男子は幼少の頃より家族の中で言い伝えられてきたそのいにしえの名前を呼んだ。
「ほら、あそこにあるよ、耳くちゅくちゅ。」
クラスの男子に黙っていてもらうために、その日、ぼくははじめて人前で土下座した。
いつになるか分からないが、ぼくが親になったら子供には正しい日本語を使おう——その時、心にそう固く誓った。だから、そろそろ準備のためにこれからはウォークマンを見る度、「小型携帯録音再生装置」と呼ぶようにしようと思う。周りの人にいくら「味の素とって」と言われても、「え、この化学調味料のことかい?」と断固として返事をする訓練をしなければならない。だから、今これを打っているのも、マックではない。これは「パーソナルコンピュータ」なのだ。そして、さっきから飛び回っている蚊を退治するためにつけたのは「ベープマット」ではなく、「電子蚊取り線香」だし、その蚊にかまれたあとに塗っているのは「かゆみ止め」であって、断じて「ムヒ」などではない。何よりもその「ムヒ」……もとい「かゆみ止め」を塗るのに使った先っぽが丸くなっている棒は、天地神妙に誓って「耳くちゅくちゅ」なんかであってはならないのである。

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引きこもり稼業の健康法

6月 14th, 2005 — 2:49pm

日曜日に身内ばかり十人で、仲良しのゆうちゃんの帰国祝いをした。
あまり準備をする時間がなかったこともあり、今回はホットドッグパーティー。これならソーセージを買ってきて焼くだけなので、時間がかからない——と、思ったのだが、やはりそれだけじゃつまらない、という「大げさ好き」の虫が騒ぎ始め、どうせ焼くなら炭火で焼こうと、庭の倉庫にしまいこんであるスモーカーを引っ張り出してきて、燻すことにした。
前の日に炭を用意して、朝一番でスモーカーに火をおこし、無事に庫内の温度が「適正」の位置まで上がったので、安心して買い出しに出た。お客さんが到着する三十分ぐらい前に戻って、さあ焼き始めようかなとスモーカーの蓋をとったところ、中が冷たい。「うわっ!」と思って、釜の中の炭を見たら、どうやら早くも燃え尽きてしまったご様子。やはり激安スーパーの6キロ500円の炭を買ったのがいけなかったらしい。
点火剤もほとんど尽きていたので、残っている木片などを駆使して、なんとか再び着火。煙に巻かれて涙ぐみながら、かろうじて焼き始めることができた。来たお客さんには食べ始めるまでにしばらく待ってもらうことになったけれど、それでもどうにか無事にホットドッグパーティーをやり終えることができた。
仕事が仕事なこともあって、最近ではこういう催しでもないと、大勢の人に接する機会がなくなってきている。よく健康の秘訣としてあげられるものに「規則正しい睡眠」「適度な運動」「バランスの取れた食生活」などがあるが、本当はもうひとつこれに「たくさんの人との接触」というのを入れるべきだと思う。もちろん接触するとストレスになる人間関係というのもたくさんあるけれど、身内だけでワイワイガヤガヤやるのは本当に心の栄養になる気がする。
「快眠・快食・会話」——現代を生き抜くための三大鉄則。
来てくれたみなさん、本当にありがとう。またいずれ集まりましょう!

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サンドイッチマンの思い出

6月 12th, 2005 — 12:07am

先ほど台所で手作りのチリを作っていて、ふと子供時代の家庭科実習を思い出した。
実は男子にあるまじきことなのだが、家庭科は当時から大好きで、しかも大得意だった。包丁で野菜を切るのも、味付けをするのも、あまり習った憶えがないのに、なぜかうまくできた。だから小学校時代のぼくの一番栄誉ある瞬間は、女子を含めたクラスの誰よりもサンドイッチを切るのがうまいことが判明して、全員の分を代わりに切って回ったことである。その年の学年末の文集には、「サンドイッチマン」という、今考えるとぜんぜん違う職業の人として紹介されていた。
確か、「向山は日本一のサンドイッチマンだ!」という言葉を誰かがぼくの紹介のところに書いてくれていたと思う。その時はとてもうれしかったのだが、きっと五十歳の同窓会か何かにこの文集が出てきたら、いったいぼくは当時何をしていたのか、たぶん自分でも思い出すのが不安になると思う。
実際、男子の技術工作セットよりも、女子の裁縫箱の方が好きだったし、昆虫採集なんかよりも、リリアンの方がよほどやってみたかった。(もっとも、そんなことを口にしたら、卒業までずっとあだ名が「リリアン向山」になっていたはず。)三十分以上電池を入れてたら発熱し始めるラジオや、座ると壊れる椅子を作るよりも、絶対豚汁やロールケーキを作る方が楽しいと思った。
だから、中学に入って、男子は家庭科を選択できないことを知った時のショックはかなりのものだった。あまりのショックで技術の授業なんて受ける気にならなかったので、よく実習の時には作業をほったらかして、はんだごてでヤマソーのズボンを焼いたりしていた。
それにしても、今考えてみると、小学校の家庭科で習ったことはけっこう良く憶えている。掃除機のあて方とか、出汁の取り方とか、レモンの絞り方とか、ぞうきんの縫い方とか、今でも使っている知識がけっこう多い。今の小学校ではどんな感じで授業が行われているのかは知らないのだが、「ゆとり教育」だろうと、「詰め込み教育」だろうと、あれは絶対に削ってほしくない授業だと思う。
さらにふと思い出した。
……そういえば、アメリカの小学校にも家庭科があった。
アメリカの小学校は一年も行っていないのだが、その時受けた何回かの調理実習のメニューがすごかったので、鮮明に記憶に焼き付いている。小学生のぼくでも「変だろ、これは」と思う内容だったのだが、アメリカの同級生たちはなんら疑問を感じていなかったような気がする。
家庭科への万感の思いを込めながら、最後にそのアメリカの学校の「家庭科」で作ったものベスト3を紹介して終ろうかと思う。
1、アイスクリーム
……そもそもこれは調理といえるのだろうか。 一時間ほど生クリームを攪拌させて、バニラアイスクリームを作らされた憶えがある。この間、ぼくらがやっていたことというのは、代わる代わるハンドルを回していただけなのだが……。
2、ホットドッグ
ソーセージを焼くだけ。アメリカ人は大ざっぱなのでパンを温めようともしない。少し賢いゾウガメでもできそうなこの調理を、しかも、うちの班は確か失敗したような気がする。
3、わたがし
もはや「調理実習」といえる限界ギリギリのところ。先生がどこかの店から借りてきたわたがしの機械を設置して、みんなで棒にわたがしをまきつけたり、となりの女の子の髪にわたがしを編み込んだりしながら、一時間を過ごした。しかも、授業の最後に採点された気がするのだが、いったい何を採点したのだろう。未だに謎。

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ひとことワンパラ004

6月 9th, 2005 — 10:28pm

深夜に倉庫で本を探していたら、ずっと前に倉庫にしまい込んだ、とっくに止まっているはずの「ドラえもん目覚まし時計」が突然、例の声で「やっと起きたね」とつぶやいた。本気で心臓が止まるかと思った。調べてみても、動いた形跡がない……。うわああああああああああああああああ。

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(残念ながら)嘘のような本当の話

6月 5th, 2005 — 7:58pm

 まったくもって、やってられません。
 面白い物語を書こうと思って、いっしょうけんめい頭をひねり、一ヶ月かけてある「不思議な事件」を思いついて、「うむ、面白そうだ」と思いながらふとブラウザでYahoo!ニュースを開いてみると、「全国のガードレールに25000件以上の謎の金属片」なんていう記事が載っているのが目に入る。
どう冷静に考えても、ぼくの考えた「不思議な事件」の百倍ぐらい不思議である。
というか、ここまで突拍子のない話を小説にしてしまうと、いくらうまく理由付けをしても、かえって嘘くさくなってしまうというものだ。「25000件? 作者バカだなあ。200件ぐらいにしとけばまだリアルなのに。」なんていう読者の声が聞こえてくるようだ。
でも、現実には200件ではなく25000件なのである。
 あり得ないような新しい凶悪犯人像を作ってみよう、なんて思ってちょっと現代風の変わった殺人鬼を考えて満足していると、ニュースで自分のことを「王子」と呼んでいる、想像を絶するようなキャラが逮捕されている。しかも、あっちこっちで何年にも渡って、執行猶予中に監禁事件を働いているとだという。こんなに長くこの犯人が野放しになっていた原因というのが、ひとつの役所がもうひとつの役所にファックスをし損ねたことが原因だというのだから、あり得ない。
これがもし物語だったら、読者のほとんどが「その前に逮捕されるだろう」と突っ込むだろうし、「ファックス送り忘れちゃった」なんてオチを出したら出版社に「金返せ」電話殺到である。そもそも編集者が一言「向山さん、いくら役所でも半年ファックス届かなきゃ問い合わせるとかしますよ。あり得ません。」と言われてボツになるのが関の山である。
そうかと思うと、実の娘のわいせつ写真を仲間に写メールしていた父親がいる。
……書けません。こんなキャラ。書きたくないし、書こうと思っても、犯人の心理ががさっぱり分かりません。いったいどういう動機を出せば、こんなおぞましい蛮行を説得力あるものにできるのか、お手上げです。「ハンニバル」の生みの親のトーマス・ハリスでも、「こんな人いませんよ」と否定しそうだ。
また、こんなシーンを想像してほしい。ハッキングもののミステリーで主人公が校内のネットワークに侵入して、パスワード入力画面にぶつかる。ハッカーたちは頭を付き合わせて考える。一人が言う。「校長の名前じゃないのか?」「ああ、そうだよ。パスワードって言ったら校長の名前だよ。」
——いいえ、断じてそんなことないでしょう。今では暗号化された13桁とかのパスワードが普通の時代。
この時点で全読者、「いくらなんでもそんな安易なパスワードの学校、今時ないだろ!」と本を壁に投げつけるはずです。
まあ、現実にはあるんですけどね、北海道に。
9/11のテロ事件が起きてからこっち、もはや毎日のニュースで起きていることの方がよほど小説の世界よりもフィクションに思えてならない。国連決議も無視した、嘘の動機で始まった戦争で、なんの罪もない市民が毎日死んでいるのに、もはやそんなニュースになれて、「また自爆テロか」と思える異常な世界を、ぼくはとても小説で描く自信がありません。
9/11以前にもし「ダイ・ハード4」でハイジャックされた飛行機が高層ビルに突っ込んで、ビルが半分に折れて崩れるシーンを撮ったら、観客のほとんどは「やりすぎ」といって笑い、専門家はこぞって「飛行機をビルに突っ込ませるなんて至難の業で、普通は不可能」と批判するだろうし、別の建築家は「今の近代高層建築は飛行機が突っ込んだぐらいで根本までくずれませんよ」と一笑に付すに違いない。さらに映画を見に行ったほとんどの人は、いくらテロリストでも、自分の命ぐらいは惜しいと思うに違いない、と考えるのではないだろうか。
北朝鮮の拉致問題……脱線事故……集団ネット自殺……
AERAの記事の方が、SFマガジンよりも信じがたい時代である。
何を書いても、現実の衝撃に及ばないこんな時代。せめて物語の中では一抹の正義と、かすかな希望を失わずにいたいとは思うものの、Yahoo!ニュースで目を疑うような記事を読むたび、果たしてどこまで自分がその「希望」を信じることができるのか、毎日不安に思っている。
何しろぼくが子供の頃にはゾンビと一緒に踊り、チンパンジーを飼っていた、世界最高のロックスターが、今や宇宙人みたいな顔で幼児虐待の容疑で裁判にかけられているのだ。そんな冗談のようなニュースを毎日見させられていると、時々、本当にフィクションなんてまだ必要なんだろうかとさえ、思えてしまう。

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