Archive for 3月 2005


調子の悪い日のエッセイの書き方

3月 28th, 2005 — 2:15am

悪い癖で、どうしても毎日ワンパラを書いていると、どんどん長くなっていってしまう。
そろそろショートショートを通り越して短編の領域に入ってきちゃってるので、このままでは仕事の合間に上司の目を盗みながら、限界まで縮小したウィンドウでこれを読んで下さっているみなさまにもご迷惑をかけそうだし、今日こそはなんとか短めにまとめようと思っている。何しろこのコラムのタイトル、そもそもが「本日のワンパラ」である。いったいどこがどうワンパラなのかと——自分でもなんでこんなことになってしまったのかと、アーカイブを見返していたのだが、驚いたことに確かに最初の頃は本当にワンパラだったことに気がついた。しかも、第一回はたった四行である。
 それが昨日のワンパラに至っては、ちょっとしたリストラ勧告ぐらいの長さになってしまっている。「シンプル・イズ・ベスト」という言葉にあるとおり、文章は長ければいいというものではない。中学校の時に嫌いな国語の先生が宿題の読書感想文で「何枚でも書いてきていい」というので、いやがらせのためだけに原稿用紙220枚の超大作を持って行ったことがあったが、かえって喜ばれてしまい、非常に不本意だった経験もこの事実を裏付けている。
 そんなわけで、今回はこのあたりで切り上げることにする。もちろんワンパラの長年の読者がすでにお気付きの通り、ただ単に適当なネタが見つからなかったので、こういう方法でごまかした、などということは、断じてない。

コメントは受け付けていません。 | エッセイ

消えていく伝統文化に関して

3月 27th, 2005 — 2:21am

 今時ラブレターなんて書いている人はいるのだろうか。
 ラブレターファンとしては、そのうちラブレターという存在そのものがなくなってしまうのではないかとひそかに危惧している。
 何しろ、今はメールという便利なものがある。しかも携帯へのメールだとすぐに届くし、まず確実に本人しか読まないし、字数も制限されているので、むだに長くなってしまう心配もない。愛の告白にこんなに適しているメディアというのもほかにないだろう。
 メールのなかった時代だとこうはいかなかった。中学生ぐらいの男の子が同級生の女の子に告白しようと思うと、とりあえずラブレターぐらいしか方法がなかったのである。何しろ携帯電話どころか、子機もない時代なので、電話をすると相手の家族全員が揃って「ザ・ベストテン」を見ているお茶の間とかにかかってしまうのだ。しかもそういう時、出るのは決まって相手の親父である。すでにビールが二杯ぐらい入って、いい具合に出来上がっている親父に、「すみません○子さん、いますか」とか聞くと、あからさまにいやなトーンで「どちらさまですか」と聞き返されてしまう。なんとか震える声で「同じくクラスの向山といいます」と返事をすると、親父に「○子は寝てます」と言われて切られるのが関の山である。仮に切られなかったとしても、続くのは「おーい、○子。なんか男の子から電話だぞ。(「男の子」のところに強いアクセント)」と家中に響く声でのアナウンスであって、出てきた女の子は恥ずかしくて話せるような冷静な精神状態ではなくなってしまっている。これではもはや告白など絶望的だ。
 だから、電話で告白などという無謀なことはさすがにしない。ラブレターの出番である。
 しかし、ラブレターを書こうとして、最初に中学生男子が気がつくのは、自分がまともな手紙など今まで一通も出したことがないということだ。いったいどんな紙に何と書いていいのかさえ分からない。とりあえずここで、男子がやってしまう典型的な失敗例が三つある。
1、両親の机から「竹の香」などといった名前の、何を書いても遺書に見えてしまう渋い便せんをとってくる
2、雑貨店で自分のイメージとかけ離れたかわいい便せんを買ってくる
3、手近なノートのページをやぶりとる
 ちなみに成功例などない。この三つの失敗例のどれをやるか、だけである。
 やっと便せんを手に入れたとしても、次の難関は書くタイミングだ。何しろ普段は「おれは女になんか興味はねえ」と言っている手前、妹や母親にラブレターを書いている最中に見つかったら素直に自害するしかない。なので、当然書く時間に選ばれるのはみんなが寝静まったあとの丑三つ時ということになる。
 これが致命的である。すでに立派な大人になっている男性の方々は身を持って知っていることと思うが、深夜にラブレターを書くというのは自殺行為である。何しろ外には星降る夜空、ラジオからはラブソング、頭は眠気と疲れでハイときている。こういうときにはともすれば平気で「ぼくは君の愛の海で溺れる悲しい難破船さ。」というような、後に高校卒業まで「難破船」というあだ名になってしまう原因となる文を平気で書いてしまえるからだ。しかも、その時はそれを読んで、自分であまりの美しさに泣いてしまったりするから余計にタチが悪い。
 そんなわけで、友達に見られたら命に関わるようなラブレターが出来上がるのだが、問題はそのあとにやってくる最大の難関——相手にどうやってその手紙を渡すか、である。
 切手を貼ってポストに投函するのがなんといっても簡単だ。大人だったら名簿業者に数万円払って買わなければならないデータも、中学生なら連絡表の住所の欄に普通にのっている。ただ、問題は郵便はたいてい午前中か早い午後に届くものなので、祭日でもなければ、本人よりも先に親が受け取る可能性が高いことだ。そしたら次に学校の授業参観などで相手の母親とうっかり顔でも合わせた日には「あー、うちの○子にラブレター出したでしょう。○子もう、はずかしがっちゃてねー。あのひよこの便せんかわいいのにねー。」などと隣の教室まで聞こえる声で言われたりして、残りの学生時代をひきこもりとして生きることを余儀なくされてしまう。
 ラブレターを出すのも頭の悪い中学生男子という生き物には大変な試練なのだ。
 そして、それだけ血のにじむような苦労をしても、そのラブレターはけっきょく女の子の友達の家で、チョコフレークと一緒に回し読みされ、鼻から血が出るまで爆笑されるのがオチである。「な、な、難破船って、ちょっと……だめぇ……死ぬぅぅうううう」
 そういったことを考えると、携帯メールのなんと便利なことか。以上のような恐ろしいことをすべて避けられる上、返事が返ってくるかどうか心配しながら過ごす魔の一週間を味わう必要もない。唯一のマイナス点と言えば、相手の女の子がそのメールをクラス中にccで転送してしまい、それを受け取った性格の悪い友達が全文を掲示板にあげてしまった結果、その日のうちに掲示板が3万ヒットしてしまったりすることぐらいだ。
 今はもう、ラブレターなどという時代ではないのかもしれない。
 高校生の女の子がプラダのバッグを持って買い物をしているような時代である——今さら愛の難破船がそうそう駆け巡ることもないだろう。でも、ドキドキしながら「ひよこのピーチャ」の便せんに書いたラブレターは、やはりデジタルデータでできた十行ほどのメールとは比較にならない価値がある。特に十年ぶりに帰省して、実家の部屋の机に残っていた薄茶色くなった便せんを見つけた時の感動は言葉では言い表せないものになるだろう。
 そう。次の朝起きて、出す前に一度ラブレターを読み返し、すんでの所で正気に戻って、出すのをやめたのだった。良かった。本当に良かった。
 もしこれがメールだったらきっと今でもあだ名は「難破船」に違いない。

コメントは受け付けていません。 | エッセイ

うちの父親の名前はジョー(マジ)

3月 24th, 2005 — 11:06pm

ぼくの父親は面白い人だ。
子供の時からおぼろげにそう感じていたが、会わせる人会わせる人がみんな「面白い人だねえ」と言うので、たぶん間違いないと思う。こういうパターンでありがちなのは、「子供だけは父親の良さが分からない」というやつだが、ことうちの父親に関しては、そんなこともない。息子から見ても見逃しようがないほど、あからさまに面白い人だからだ。
うちの父は酒も煙草もやらないし、悪い遊びと言うことに一切興味がない。還暦などとっくに過ぎているが、遠くから声をかけると子供のように走って近づいてくる。ほっとくとすぐに木に登ったりとか、畑を耕したりとかしていて、暇さえあれば山道を何時間も散歩している。誰も停めないと、時々そのまま隣の県まで歩いて行ったりしてしまう。
大学の先生という仕事柄もあるが、家にいる時はほとんど英文学の詩集(それもロマンチックなやつ)を読んでいて、たまに会ったぼくの友達に「人間はやっぱり愛だねー」などと突然話し出す変な人だ。
それでいて若い時には戦後の混乱期にGHQで働き、やがて戦争してた相手国家のアメリカに留学して、以降二十年以上日本に戻ってこなかった無茶な人生を送っている過去もある。そして、おそらく父親の世代で、息子の所にiMacから定期的にメールを送ってくるような人間は父親だけだと思う。息子のぼくにもまったく正体が分からない。
父親の世代の楽しみといえば、普通は公園でゲートボールをしながらおにぎりを食べたりすることだ。しかし、うちの父は大好物がマクドナルドのビッグマックである。たまに実家に帰って外食することになると、ぼくはヘルシーにそば屋に入ろうとするが、父親はビッグマックを食べたがる。そしてビッグマックと一緒にポテトとコーラのLを頼む。
まことしやかに子供を集めて、「私は一昨日、散歩の途中に霊を見た」と語り始めるような人である。しかも、本人が自分の話を信じているのだから、尚更面白い。母がスーパーにおつかいに行かせると、豚肉と牛肉や、レタスとキャベツの区別がつかず、結果的に向こう十年分ぐらいの味噌を買ってきてしまうような人だ。小学校の授業参観に来て、子供たちが誰も手を挙げなかった質問に、教室の後ろからなんの疑問もなく「はい」と手を挙げるような人である。しかも、その答えを間違えるような人だ。
確かに愉快な人だ。我が親ながら、ほかにこんな人はいないな、と思う。
ひとつだけ欠点をあげるとすれば、何かの拍子に「文学」について話し始めてしまうと、相手が誰であろうと、相手が聞いていようといまいと、死後十日経った死体であろうと、決してやめないということぐらいだ。「そんなのたいした欠点じゃない」と思う方は、ぼくの友達の誰でもいい、聞いてみてほしい。みんな、目がうつろになるまで話に付き合わされた経験が一度や二度はある連中ばかりだ。
うちの父に出くわした時のために、注意事項をいくつかあげておこう。
【注意点1・質問をしない】
(どんなに英米文学からはなれたことでも、質問の答えはすべて英米文学に関連して答えられるので、どんなささいなことも聞いてはならない。悪い例:「父ちゃん、次の電車いつ来るの?」「息子よ、それはいい質問だ。人間はみんなあるべき場所で来たるべき電車を待っているのだ。」「いや、父ちゃん、中央線の快速のらないと遅れるから。」)
【注意点2・質問に答えない】
(父親の授業に出席中の学生にとって、これはかなり難しいことかもしれないが、目を合わせないようにするとか、万が一目があったら腹膜炎を起こすとかして、逃げ切ろう。悪い例:「それじゃ、一番前のあなた、あなたにとって「夢」というのはなんですか?」「えっと……将来結婚して幸せな家族を作ることかな。」「そうです。英語では夢のことをdreamといいます。これはそもそもラテン語で……(以下二時間略)」  良い例:「それじゃ、一番前のあなた、あなたにとって「夢」というのはなんですか?」「先生、今母が危篤だと電話があったので帰ります。」)
【注意点3・会話の中に外来語を使わない】
(父の前では基本的にはさんまの正月ゴルフの「英語禁止ホール」と同じように振る舞うのが良い。万が一も英語をひとことでも使うと、その単語の語源を紀元前まで遡って説明されてしまう。悪い例:「先生、フライドポテト食べますか。」「あなたは今、フライドポテトとこれを呼びましたが、これは英語ではfrench friesといって、そもそも19世紀に移民文化が……(以下二時間略)」)
もしそれでも万が一捕まってしまったら、逃げる手段として以下の三つの方法だけは記憶しておいてほしい。この三つの方法以外では逃れることは不可能だからだ。
非常脱出手段1:なんらかの内蔵疾患を起こす
非常脱出手段2:三親等以内の家族に危篤になってもらう
非常脱出手段3:話が終わるまで幽体離脱する
そんなぼくの父親だが、生まれてこの方三十四年、「こうしろ」「ああしろ」と言った説教をされた記憶がほとんどない。たいていぼくが何かを相談したら、無条件でぼくの意見に大賛成し、全面的に応援してくれる(もちろん二時間半チョーサーについて語ったあとにだが)。また、大学教授を何十年もやっている今でも、まだ学生たちよりもよほどたくさん毎日勉強している父だが、ぼくに「勉強しろ」といったことは今まで一度もない。フロストの詩に関する解釈のアドバイスは軽く百時間ぐらいは聞いているが、それでも人生に関する押しつけがましい意見はひとことも発したことがない。
そんな父親が昔ひとつだけアドバイスをくれたことがある。
たったひとつだけなので、異常によく記憶に残っているのだが、それがあまりに英米文学とか、大学教育からかけ離れたアドバイスだったので余計印象に残っているのだろう。
それはこんな内容だった。
「結婚する相手だけはよーく選べ。それだけで人生は幸せになれる。」
中学校の時に聞いたこともあって、意外な内容に少々面食らってしまったが、今考えると、これほど的確なアドバイスはほかにないと思う。人間はけっきょくどこで何をどうするかではなく、それを誰とするかですべてが決まるということなのだろう。
それを聞いたあと、ぼくは父親に逆にこう聞いてみた。
「じゃあ、父ちゃんは今幸せなのか?」
父は自信たっぷりに言い切った。
「ああ、幸せだ。幸せだとも!」
ぼくはいつか年を取ったら、こんな大人になりたいと思う。

コメントは受け付けていません。 | エッセイ

心臓もとまるような話

3月 23rd, 2005 — 3:28am

心電図を取るのが苦手だ。
というのも、あの装置にはひとつ大きなトラウマがあって、それが未だに克服できないのである。
中学生の時、学校での集団検診ではじめて心電図というものをとることになった時、ぼくは「心電図」がどんな検査なのか、当日までよく分かっていなかった。ただ、字面からして、なんとなく心臓にプラグでも差し込んで、電気でも送りそうなおぞましいイメージがあったので、妙に緊張だけはしていた。
ひとこと誰かに「心電図って何?」と聞けば良さそうなものだが、それは中学生男子をやったことのない人の意見である。一度でも中学生男子を経験したことがある人なら、そんなことをすればすぐに「おまえ、怖いんやろ」と言われて、根も葉もないおぞましい嘘を教えられ(例:「心電図って鼻の穴から小型カメラを突っ込んで、内側から肛門の写真を撮る検査に決まってるだろ」)、まさかとは思いつつも汗だくになって順番を待たなきゃいけない上に、そのあと卒業まであだ名が「でんず」に確定してしまう。そんな目に合うぐらいなら、どんな恐ろしい検査であろうと、黙って受けた方が絶対にましというものだ。
そんなわけで、五時間目の終わりぐらいに前の順番のやつが保健室から戻ってきて、次はぼくの番だと教えられた。もう、全身冷や汗だらだらで心電図を取りに保健室へと向かったのだが、頭の中では太いケーブルが鼻に差し込まれるところがぐるぐる回っていて、やる前から鼻の穴が痛くてたまらなかった。
保健室につくと、いつもの優しい保健室の先生ではなく、ボブサップのお母さんのような人が白衣を着て待ち受けていた。もう朝からずっと心電図ばかりとっているからなのか、思いっきり機嫌が悪く、ぼくが保健室に入っても「そこに横になって」とひとこと言うだけで、何やら怪しげな機械をいじりはじめていた。得体の知れない無数の吸盤のようなものと、放射能汚染で巨大化した洗濯ばさみのようなものがジャラジャラその手元でゆれている。ぼくの緊張はもはや限界に達していた。
周りにほかの中学生男子が誰もいないことをしっかり確認してから、蚊の鳴くような声でおばちゃんに訪ねた。
「これって痛いんですか?」
ボブサップのお母さんは一回ぼくの方を見て、珍しい生き物でも見るかのようにまゆをしかめてから、黙って準備に戻った。簡易ベッドの上に腹を出して横になった時点で、もう完全にまな板の上である。潔く針金のように緊張して、死刑執行を待つしかなかった。ボブサップ母はそのぼくに、事務的な手つきで吸盤と洗濯ばさみをとりつけ、泣きそうな顔をしているぼくの表情がよほど面白かったのか、しばらくこっちを見下ろしていたあと、ひとことつぶやいた。
「そんな緊張せんでええよ。」
その言葉に一瞬気がゆるみかけたのも束の間、おばちゃんが何気なく付け足した。
「でも、電気流すから、これ一個でもはずれたら死ぬから。」
おばちゃん、真顔でそう言い終わると、表情ひとつ変えずに心電図の機械のスイッチを入れた。
その瞬間のぼくの表情を見せてあげたい。
何しろ足についている方の洗濯ばさみなんか先っぽがちょっとはさんであるだけで、今にもはずれそうなのだ。もう、息を必死に止めて、まぶたがぴくぴくしている状態で、ベッドの上で硬直していた。頭の中では「なんでそんな危険な検査をこんな学校の保健室で片手間にやってるんだ!」という凄まじい怒りが込み上げてきたが、とにかく動いたら命が危ないのだ——声ひとつ出せない。で、そんなことをしているうちに右手のせんたくばさみがゆっくり倒れ始めてきて、ぼくは思わず悲鳴をあげそうになった。
おばちゃん 「こら。動くなて言うただろ。焼け死んでもしらんで。毎年この検査で全国で何人も死んでるんだからな。」
「だったら、そんな適当にハサミとめんなよ、ばばあ!!」と心の中で叫んだが、もしこの人の機嫌を損ねたら、次に目がさめたら焼死体になってるかも知れない。もうひたすらだまって耐えた。でも、そんな状態でうまく心電図が計れるはずもなく、おばちゃんはぶつぶつ文句を言いながら「じっとしてろな。これあんまり長いこと電気流していると、心臓が破裂してしまうからな。」と無表情で言う。
前略、ボブサップのお母さん……今だから突っ込ませていただきますが、どうか冗談は冗談らしい口調で言って下さい。
その事務的な口調で言われても、ミドリムシ以下の知性しかない中学生男子には冗談だと分かりません。
あの時、自慢じゃないですが、ぼくは本当にちょっともらしましたよ。
あの日以来、二十年以上経った今も、どうもあの心電図というやつをつけられると、おばちゃんの淡々とした口調がどこからともなく聞こえてきて、決まって看護士に「緊張してますか?」と聞かれてしまう。で、そのたびに右足の洗濯ばさみがちゃんとついているかどうかを、しっかり確認してもらって、あとは運を天に任せて祈っている。
だから心電図の結果、いつも「いやに脈が速い」と必ず診断されてしまうのも、とても不本意な話だ。

コメントは受け付けていません。 | エッセイ

ブタ子さんの到来

3月 21st, 2005 — 1:31pm

たかさんからARTokyoで話題をさらった「ブタ子さん」ハガキもらいました。
みなさんにも楽しんでほしくて、期間限定でアップしておきます!
さらにブタ子さんの活躍が見たい方はたかさんの絵日記に、
本日ブタ子さんの四コマ漫画があがってます!
ブタ子さんハガキはこちら!

コメントは受け付けていません。 | お知らせ

春よ、いいかげんな春よ

3月 20th, 2005 — 8:18pm

眠い! 眠いぞ!
春! こら! 貴様のせいか!
なんか眠くて、だるくて、あんまりものを考えられないぞ!
こんな状態で文章なんて書けるか!!
くそー、気持ちよく花粉ばっかりまきやがって……
だいたい、春……おまえ昔はそんなやつじゃなかったはずだ。
もっといいやつだったぞ、おまえは。
おまえが遊びにくるとおれは喜んだもんだ。
それが今じゃなんだ。
花粉とか、インフルエンザとか、自律神経失調とか
ろくなおみやげを持ってきやしない。
昔は新学年とか、入学祝いとか、新しい友達とか
もっといろいろいいもの持って来てくれただろう。
おまえ、いつからそんなやつになったんだ。
だいたい、おまえ最近ちょっとルーズすぎるぞ。
来たのかと思ったら帰るし、まだ来てないのかと思ったら
もう来てるし。こっちは準備もできやしない。
来るなら来るで、もっとはっきりしてくれよ。
何?
変わったのはおれの方だって?
な……何、言ってるんだよ。おれは昔からこうだよ。
まったく、眠いなあ……。

コメントは受け付けていません。 | エッセイ

大草原の小さな家2005

3月 20th, 2005 — 12:42am

本日、久しぶりに妹のちゃーらん(BFCの三色辞典の編纂担当者)が旦那様のゆんぼと一緒にスタジオにやってきた。去年長女が生まれたのだが、その長女とぼくを会わせてくれるためだ。というのも、この半年というもの、BFC終盤の忙しさも手伝って、まるっきり妹と顔を合わせる機会がなかったのである。兄として、まったく恥ずかしい話だ。
もうちょっと頻繁に遊びに行きたいところなのだが、何しろ妹が結婚後に移り住んだところがなかなか遠くて、車で行くにも、電車で行くにも、ちょっとした覚悟がいる。どのくらい遠いかというと、妹が引っ越す前は本当に何もないところだったらしく、妹が住むことになったので、新しく郵便番号がついたというところだ。
旦那さんのゆんぼに「インターネット通じそう?」って聞いたら、ゆんぼ曰く「今はまだなんにもないんですが、私たちが引っ越すまでには、電線を引いてきてくれるって言ってました。」
最初にそれを聞いた時には、まあ、冗談だろう、と思っていた。
「今度遊びに行くよ」って言ったら、夫婦揃って「なんにもないよ。本当に何もないからね。驚かないでね。」と念を押すので、ぼくも気軽に「大丈夫、驚きゃしないよ」と答えておいた。
……ごめん。
驚いた。
最初に驚いたこと。
家を出発する時にカーナビ(去年買ったばかり)に住所を打ち込んだら、液晶画面が何もない茶色の画面を表示したこと。
ナビを使い始めて半年、見たことのない画面だったので、壊れたのかと思った。
よほど何もないところでも、関東である。車で行けるような範囲の住所を打ち込めば、たいていはいろんな道が交差している、ガソリンスタンドやファミレスなども点在する地図が表示されるはずである。長野の山奥のペンションを入力した時でさえ、もっとずっとカラフルな画面が表示された。
なのに、いったいどうしたことだろう。妹の住所を打ち込むと、妹が住んでいる新築のアパートのあるはずの場所に、数百メートルに渡って、建物はおろか、道一本ない真っ茶色の画面が。
妹の話をすっかり忘れていたぼくは、画面が絶対狂ったのだと思って、ボタンをあれこれといじり回してみた。すると、ふいに地図が北へスクロールした。しかも、何度も押してしまったのか、スクロールは止まらず、1キロぐらい北へ動き続けると、何やら液晶画面に見覚えのある線が。
道である。妹に聞いていた高速道路のようだった。
首を傾げてもう一度住所を入力すると、また例の真っ茶色の画面が出てくる。やっぱりおかしい。
ナビの地図は最新のものである。と、いうことは地図を信じれば、一年前までここは何ひとつ地図に載るものがないような場所だったことになる。いくらなんでもそんなはずはない。しかも、「地点確認」というボタンを押すと、「この場所には住所がありません」と言われる。
「なんだよ、このナビ。壊れてるじゃないか!」
これでも、ぼくも東京に住んで十一年目である。いくらなんでもそんなことを信じられるはずがない。なので、やはり地図DVDのバグだろうと考えて、適当に出発した。
ゼンリン関東道路地図製作者のみなさま、すみません。
本当でした。
高速道路を降りたら一面、何もない場所に出た。辛うじて最近できたばかりっぽいコンビニが一件だけ建っていたので、そこで車を停めて、妹に電話して目印を聞いたら「そんなものない。うちが一番の目印だ」と言われる。なので妹が迎えに来てくれるのを待って、妹の先導でアパートに向かったのだが、確かに周りには何もない。しかも、そこからさらに何もない方向へ曲がり始める。怖々と後ろから車でついていくと、やがて道だけで区切られただだっ広い荒野みたいなところに出た。
妹の家は1キロ手前からでもすぐに分かった。なんだか高速道路の建設に反対して、一人だけ十年ぐらい立ち退きに反対している家みたいに、二階建てのアパートが一軒、ぽつんと平原の真ん中に立っていた。図画の宿題で自分の家の周りを描けという宿題が出たら、このアパートに住んでいる子供は画用紙の真ん中に横に一本線を引いて、その上に長方形をひとつ描くだけですむから便利だろうな——とその時考えたりもしたが、それは妹には言わなかった。
しかし、アパートはとてもきれいなアパートで、中も過ごしやすくおしゃれに飾られていたので、しばらくくつろいでいるうちにすっかり周囲の状況を忘れていた。日も暮れて、おなかも空いてきたので、「喫茶店でも行こう」と提案したら、妹とゆんぼが何やら真剣に悩み始める。二人であれこれ相談を始めた。どうも車で行ける範囲内に存在する喫茶店が存在しないらしい。ひとしきり考えたあと、妹が手を打って言った。
「ああ。そう言えば、あっちに製菓学校があったよ。あそこのロビーで学生さんが焼いたお菓子売ってた。」
ごめん。ちゃーらん。あの時は言えなかったけど、
それ、喫茶店じゃないと思う。
けっきょく家でパスタでも作ろうという話になり、さあ、買い出しへ——ということになって、妹に「この近くのスーパー教えて」と聞いたら、ひとこと。
「ない。」
「ないわけないだろう。」と、ぼく。
「あ、そうだ。そういえば、来年できるって言ってた。」
「……。」
そんなわけで驚きっぱなしの妹宅訪問だったのだが、普段、騒音と公害のダブルパンチを食らいながら、震度3までだと地震が分からないような道路沿いに住んでいるぼくには、妹の家は天国のように思えた。おまけにスタジオはモニタがみやすいように、日が入ってこない作りになっている。一日中、温かい日差しが差し込んでいる妹のところと大違いだ。聞けば、そこはかなり有望な新興住宅地で、今後はどんどん発展していきそうだとも言う。どうやら大型店舗の出店も続々決まっているようだし、妹の子供が大きくなる頃にはきっと今の風景が遠い昔の景色に思えるほど変わっていることだろう。
それか、妹がとても悪質な不動産屋のおやじにだまされているか、どっちかだと思う。

コメントは受け付けていません。 | エッセイ

恐るべき国民病

3月 18th, 2005 — 2:43am

だじゃれという、習慣が日本にはある。
若い時は誰しも、五十代の中年男性が「しゃれたシャレだねー」などとのたまっているのを聞いて、殺意を抱いたことがあると思うが、不思議なことに三十を過ぎると、何か遺伝子レベルで変化が起きるのか、脳下垂体あたりから直接海馬にだじゃれが送られてくるようになる。
ぼくはその恐ろしい変化を経て、当年で四年目となるが、じわりじわりとだじゃれが身近になっていくのが体の内側から伝わってくる。まだ実際に若い女性の前で「それドイツんだ? オラんだ。」というような破廉恥な台詞を言うには至ってはいないし、会話の最後にあの恐ろしい、身の毛もよだつ表現——「なんちゃって」を使うこともかろうじて抑えられているが、にもかかわらず、体内のだじゃれ遺伝子が日に日に力を増していってるのが分かるのだ。
というのも、昔はおじさんのだじゃれで周りみんなが「しーん」となっているような時、当然のようにぼくも「うわあ、おもしろくねえ」とか思っていたのだが、最近そういうシチュエーションで三回に一回ぐらい、ふと戸惑うときがある。みんながしらけているので、一応合わせて静かにはしているのだが、その一方で心の中は激しく動揺していたりする。「あれ? 今のけっこうおもしろかったんじゃないか。つまんなかったかなあ?」などと思っている自分がいるのである。
恐ろしい。
いったいぼくの血液の中で何が起きているのだろう。
いつから「布団」と「吹っ飛んだ」の間に一抹のユーモアを見い出せるようになったのだろう。
もしかしたら、そのうち自分でも気がつかないうちに、だじゃれを言ってしまうようになるのかもしれない。
しかも、さらに……ああ、言うのも恐ろしい……さらに、そのだじゃれに自分一人だけ笑ってしまうようになるのかもしれない。
これはもう立派に国民病だと思う。三代生活習慣病のひとつに加えて早急にワクチンを研究開発してもらいたい。一刻も早くだ。そうでなければすでに発症しているぼくら三十代は、一人、また一人とあの越えることのないと思っていたおじさんの壁を越え、決して帰ってくることのできない恐ろしい領域に踏み込んでいってしまうのだ。
そう。「巨峰サワー」を頼む時に、恥ずかしげもなく「お姉ちゃん、巨乳サワーひとつね」と言ってしまえる、あの領域に。
そんなことになる前に早くワクチンで楽チンに——
ああっ。だめだ。

コメントは受け付けていません。 | エッセイ

ひとことワンパラ002

3月 17th, 2005 — 1:12pm

チョコボールの期間限定製品「大豆」を冷やかしで買ってみた。おいしかったので驚愕した。

コメントは受け付けていません。 | ひとこと

あの日のシーモールに

3月 15th, 2005 — 2:16pm

ぼくが中学生だった頃の下関で「じゃあ、今日買い物に行こう」と言ったら、どこに行くのかは言わなくてもよかった。行くところがひとつしかないからである。
シーモール下関。
下関駅前にぼくが小学校低学年の頃に出来たこの大型ショッピングモールは、ぼくの人生のある時期、思い出のほとんどを独占している場所だ。大丸とダイエーと百店舗以上の小売店が合併した形で生まれたこのデパートは、できた当時にはまだ全国的にも珍しいほどの大型店舗で、小学生のぼくにはまるで終わりのない迷宮のように広く感じられた。
実際、シーモールの中は構造がけっこう複雑で、小学校の高学年まで、行くたびに見たことのないセクションに出くわしたりしていた覚えがある。それからも近くのビルなどと連結して、今ではさらに大きくなっているデパートだが、都会のごみごみした百貨店と違い、なんとなく気さくで使いやすく、帰省したときには喜んで買い物に行っている。
今では下関で買い物をするなら、ほかにもいろいろ選択肢があるが、やはり買い物といえばシーモールである。
小学校のランドセルから、季節季節のお祝いの品物、ほとんどの私服、大切な人へのプレゼント、毎日の食卓に並ぶごはんの材料……何もかもをぼくはこのデパートで買ったり、買ってもらったりした。
はじめて女の子と出かけた場所もシーモールだった——もっとも、それは班か何かの買い出しだったが。それでも、女の子と一緒にデパートの中を歩いていると、なんだかとても大人になった気分で、何もかもがいつも以上に華やいで見えた。女の子が立ち寄ったり、関心を示したりする店があまりにも自分と違うのも、衝撃的なことだった。(女の子の関心のある店:クレープ店、アクセサリーショップ、各種洋服店。 ぼくの関心のある店:ゲーム屋、本屋の漫画コーナー、駅のゲーセン)その日まで、ぼくはカエルの形をした1200円もする鉛筆立てを実際に買う人間はいないと思っていた。「服なんかどれでもおんなじだよ」とか「ちょっとゲームするから待ってて」とか、言ってはいけないこともひととおり言わせてもらって、たくさん勉強もさせてもらった。
もう二十年以上昔のことだが、今でもシーモールの回廊を歩いていると、その日の自分の気持ちをかすかに思い出すことが出来て、なんとも切ない気分になる。あの時代、ぼくと同じ世代の下関出身者の多くは、きっと多かれ少なかれ、シーモールにはそういった思い出が詰まっているはずだ。
だからなのか、時々寝ている時に不思議な夢を見る。
今からいったい何十年後、あるいは何百年後なのか、ぼくなのか、ぼくじゃないのか分からない人が、とっくにつぶれて廃墟になっているシーモールの中を歩き回っている夢だ。人は誰もいない。薄暗くて、ぼろぼろに壊れたシーモールの中を
、その夢の中ではゆっくりと歩き回っている。足元や戸棚に残って、散らばっている商品はどれもぼくが買ったことのあるものばかりだ。その夢の中でしか思い出せないようなものもたくさんある。
夢の中のシーモールはいろんな時代のシーモールが混ざっていて、つぶれた店も元通りの位置に並んでいる。
ただ、どこにも人はいない。シーモールの外まで出られた試しがないので、世界全部が滅びてしまったのか、シーモールだけが廃墟になったのかは分からない。でも、悲しい。とてつもなく悲しい。
ぼくはシーモールに行くと、よく噴水広場のベンチに座るのだが、夢の中でもそのベンチに座っている。今までシーモールで見たいろんな映画や催し物のポスターが、時代も順番も関係なく貼りつめてあって、広場の片隅には福引きのカウンターがほったらかしでほこりをかぶっている。その福引きの機械は見覚えがある。ぼくが小学校三年生の時に一等が当たった福引きの機械だ。
でも、今はもう誰もいない。店員も、お客さんも、一人もいない。
音楽もアナウンスも止まって、静寂が広い店内に響いている。
あの日、一緒にここを歩いた女の子はどこで何をしているのだろう。
あの頃、ここを満たしていた賑やかさはいったいどこへ消えてしまったのだろう。
そう思いながら、廃墟のロビーに座っている。
そんな夢を見て起きた朝にはたまらなく下関に帰りたくなる。
でも、ぼくが帰りたいのはきっと1980年代の、あの日の下関なのだろう。
何もかもが輝いて、未来がまだ永遠に続くかのように思え——女の子という生き物がこの世にいるのだということを少しずつ気がつき始めていた、あの日のシーモールに。
どんなに帰りたくても、決して帰れない、あの遠い日のシーモールに。

コメントは受け付けていません。 | 未分類

Back to top