Archive for 2月 2005


今月の向山(2005/2)

2月 28th, 2005 — 5:07am

【総括】
天候のためか、総じてだるく、ほとんど家で小説を書くか、絵を描くかしていた一ヶ月間。仕事熱心とか、忙しいとか、大人になったから言えることで、十代の時ならりっぱなひきこもり。
【印象的な出来事】
そんな生活なので、当然のように特になし。強いて言えばねこぞうに「ネギま!」という漫画を見せてもらったこと。なんでもけっこう売れている漫画らしい。影がないキャラ(心理的にはもちろん、物理的にもない)に、ヒロイン三十人(まるで区別がつかない)、そして、どこかで見たことのある主人公(某聖書よりもたくさん売れた児童書参照)……マガジンも変わった……。
【おれ的に流行ったもの】
ブログ。
【自分をほめたいこと】
今、こうして更新していること。
【一番反省していること】
健康のためにこの二年間、一本もドクターペッパーを飲んでいなかったのに、人には飲ませようと、なるべくおいしそうに味を解説していたら、ふと気がつくといつの間にか右手にドクターペッパーがあったこと。
【来月の目標】
来月末の同じコラムの「一番反省していること」が「もっと頻繁に更新しよう」にならないようにする。

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自分同人誌

2月 27th, 2005 — 12:31pm

おせじにも上手とは言えないが、子供の頃から絵を描くのは好きだった。ぼくの世代のご多分にもれず、生まれて初めてなりたいと思った職業は漫画家だった。
で、昭和後期生まれの子供なら必ず覚えがあると思うが、文房具屋で本格的なペンとケント紙を買ってきて、次世代の手塚治虫を目指してみたりしたことも記憶にはっきり残っている。
「もし自分にとんでもない才能があったらどうしよう」などと心配しながら、とりあえず1頁描いてみて、冷静にそれを見返してみる。——と、何か変だ。確かに漫画を書いたつもりなのに、ちっとも漫画に見えない。それどころか、下手したら絵にも見えないかも知れない。ひとしきり考えたあと、理由を次のいくつかにしぼった。
1、定規がなかったので枠線を全部手で引いた。
2、なので、すべての直線が酔っぱらったおやじが左手で引いたような状態になっている。
3、もしかしたらこのトーンというやつは糊ではってはいけないのかも知れない。
4、しかも、それしか在庫がなかったという理由で買った花柄のトーンは必要なかったのではないか。
5、でも、せっかくなので、もったいないから主人公のズボンに貼ったのがまずかったかもしれない。
5、とか、いろいろ考える前に、もしかしてこのGペンというやつはインクが入っていないのではないか。
6、そういえばペン入れしたはずなのに、下書きとちっとも変わってないぞ。
と、まあ、今さら考えてもいったい何が悪かったのか分からない。もしかしたらGペンが不良品だったのかもしれない。
とにかくあれから時を経ること二十数年。小説家という職業についているが、いつも漫画を描いてみたいという気持ちはどこかに残っていて、世界堂文具店の前なんかを通ると、ついついGペンを買ってみようか、などと思うことがある。
で、最近家の片隅に埋もれていたパソコンのペンタブレットを発見し、BFCでたかさんがこれを使って絵を描いていたことを思い出し、戯れにそれをつないでみた。で、一日中、夢中で絵を描いてしまった。
しかも、そのあとふと思い立って映像編集ソフトでちょっと編集をしてみると、ぼくの下手な絵でもちゃんと動いて見えるではないか! これがなんかすごくツボにはまって、それからというもの、趣味が絵を描くことになっている。絵と言っても、もちろん漫画である。何しろ手塚治虫&ジャンプ世代の子供である。絵といえば、まず漫画なのだ。
けっきょく近くのアニメショップでアナログの漫画道具も買い込んで、暇を見つけては落書きをしている。(Gペンは売っていたが、相変わらずインクが出ない不良品ばかりだったので、漫画ペンという分かりやすい名前のものを買った。)今、自分が描いている小説のキャラクターなども絵にして遊んでいる。で、そんなことをしているうちに、ふいに人物の顔をどうやって描いたらデッサンが合うのかにも気がついた。そうなると、いよいよ面白くなって、こりゃもう同人誌でも作るかー、とひそかに決心している。
というわけで、近い将来同人誌会場で、場の雰囲気にまったく溶け込んでない30代半ばのおやじが、周りのボーイズラブ本に萎縮しながら、異様に下手な絵で描いた、「童話」か「BFC」か「(新しい作品の題)」のキャラ本を売っていたら、あるいは作者本人かも知れないので、間違ってもそうなのかどうか聞かないでください。
きっと全力で否定されます。

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ひとことワンパラ001

2月 25th, 2005 — 8:46pm

マイナスイオンというのは、マイナス思考の人が放つ気のことだと思っている人に会いました。

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雪の夜に思ふ

2月 25th, 2005 — 1:19am

大雪の東京から生中継でお送りしています、本日のワンパラ。
現在の東京はこんな感じです。

たくさん雪が降ると不便なことばかりで大変なのに、同時にセンチメンタルで楽しい気分になるのはなぜなんでしょう。
ただ珍しいからだけなんでしょうか。
いや、たぶんそうなんですけど。
(何しろ北国の人とか間違っても「今日は雪だから楽しいな」などと思うことはないと思うし。)
ただ、大事なのはその「珍しい」ってとこなんじゃないでしょうか。
確かに東京にはそうそう雪は降りません。降ったとしても、積もるのは年に一、二回あるかないかというレベルです。もちろん屋根が潰れるほど積もることもないし、よほどの雪でも数日でだいたい幻のように消えてなくなります。でも、だからこそ雪の降った年や、雪の降った日は何年たっても思い出すことが出来るのでしょう。
雪に備えのない関東では、大雪が降るというのはちょっとした非常事態なので、そういう日はハプニングも起きやすく、さらに記憶に残りやすくなります。しかも緊急事態下——特に大雪のように、「誰のせいでもない天災」がその原因だと、人間はけっこう無条件に助け合うことができるみたいです。雪で困っていると、ぜんぜん知らない人が助けてくれて感動したり……なんていう経験がある人も少なくないのではないでしょうか。だからなのか、あとでふりかえってみると、雪の日は「大変だったけどいい思い出」という場合が割と多い気がします。
振り返ってみると、ぼくが住んだことのあるのはいずれも雪の少ない地方なので、本当に小さかった頃まで遡っても、たくさん雪の降った日は全部思い出せる気がします。ただ面白いのは雪を見ている時の気持ちや、周りにいた人や、冷たさや静けさという感覚はかなり明確に思い出せるのに、その場所がどこなのか思い出せないものがけっこうあります。
雪がたくさん降った時の風景がどこも似たようなものだからなのかもしれません。どんな国も、どんな町も、どんな時代も、けっきょく雪が降ってしまえば、みんな似たような景色になってしまう。悩みも、苦しみも、雪が降っている間だけはただの「雪の日」になってしまう。
窓から庭一面に降り積もった新雪を見渡していると、なんとなく塗り損なった塗り絵を誰かが夜のうちに消しゴムできれいに消してくれたような気がして、見慣れた塗り絵をまた塗り直してみるのも悪くないな、とひそかに思う、そんな雪の日。

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伝説のスタジオ公式飲料

2月 24th, 2005 — 3:15am

*今回は古くからスタジオサイトを訪問してくださっているみなさま以外には少々分かりづらい事柄が多いと思いますので、最後に注をつけてあります。参考にして下さい。
昨日のPSYCHOCATS(*1)の「ねこつう」(*2)に久しぶりにドクターペッパー(*3)の話題が出た。しかも実に哀愁たっぷりの内容だ。夜中に読んでいたら、ひとしきり切なくなった(*4)。
そう。私家版「童話物語」(*5)を作っていた頃、ぼくは基本的にドクターペッパーとドーナツ(*6)とAM/PMの弁当(*7)だけで生活していた時期がある。一ヶ月に亘って、AM/PMの全弁当を網羅した恐ろしい経験は、今にしてみると栄養素が足りないとかいう前に、なんというか、基本的に頭が足りないと思う。
でも、その頃はまだ若さという言い訳があったので、気にもせずセブン(*8)とフライング(*9)と共に近所の自販機へ毎朝ドクターペッパーの買い出しに行っていた。うちの近隣でドクターペッパーを売っている自販機は二つしかない。なので、たくさんの百円玉を持って車でその自販機の前に乗り付け、品切れのランプが点くまでひたすらドクターペッパーを買い続けるのである。よく通りがかりのおばちゃんの視線を三人で釘付けにしたものだった。あの時期、いくら補充しても、夜には必ずドクターペッパーがなくなっているのを見て、自販機の管理人はさぞ不思議に思ったことだろう。
最近昔のデジカメの写真を整理していたら、30缶近いドクターペッパーをテーブルにピラミッド状に積み上げて作業をしているスタッフの写真も見つかった。正気の沙汰とは思えない光景だ。ドクターペッパーのファンでない方にとってはおよそ信じられない話だと思いますが、これ、全部マジです。
ドクターペッパーというのは実に不思議な飲み物で、たいていの人に最初に飲ませると、以下の例のようなものすごい反応をします。
「殺す気か!」 
「おまえコーラにうがい薬入れやがったな!」
「化粧水じゃねーか、これ!」
などなど。
普通これだけ激しい反応を示したものをなかなかあとで好きになるということはありませんが、なぜかドクターペッパーに限っては、不思議なことが起こります。一回目飲んで、二度と飲まないと誓ったあと、数ヶ月たつと、ふいにどこかで偶然ドクターペッパーを見かけたりすると、「あれ? そんなにまずくなかったよな。」とか思ってしまうのです。で、一口飲んだりして「やっぱだめだ。」とか思うのですが、またしばらくたつと「もう一回試してみようか」とか思ったりして、そんなことを繰り返しているうち、はたと気がつくとドクターペッパーをけっこう好きな自分に気がついてしまいます。
恐ろしいことです。
こうなるともういけません。
何しろ独特の味です。代用品がありません。
もう飲むしかないのです。
ぶりき色の赤茶けた缶からあふれ出てくる甘い匂いと炭酸の泡。得も言われぬ黒い液体が喉を滑りおりていく。
ほら。飲みたくなってきたでしょう。
スナック菓子と交互にドクターペッパーを飲み食いすると、人間はなんのために生まれてきたのか分かります。
それにしても、いったいなぜ、あの飲み物はふいに突然飲みたくなるのでしょう。
答えは簡単です。
中毒性薬物が入っているからです。(*10)
{注一覧}
*1
PSYCHOCATSはこちら:http://www.studioetcetera.com/staff/psychocats/
スタジオの黒猫ねこぞうが運営しております。MOBSと違って若干毒がありますのでご注意下さい。
*2
「ねこぞう通信」の略です。ひそかなファンがけっこういます。
*3
関東近県と一部の輸入品店にしか売っていない、コーラの超亜流種。一般的によくオチに使われる。
例:典型的な使用例
「で、最後に残ったのがドクターペッパーだったのさ。」
「これよりひどい味のものっていったら、もうドクターペッパーしかないぞ。」
「おまえと付き合うぐらいならドクターペッパー10缶飲む。」
味や歴史や背景については昨日の「ねこつう」か、過去のワンパラを読んでみて下さい。
*4
下痢だったことも少し関係してるかも。
*5
1999年にスタジオから幻冬舎版に先駆けて限定3000部だけ出版された「童話物語」の初代バージョン。「旧・童話物語」と呼ばれることもある。
*6
主にミスタードーナツの「ツイスト」「ハニーディップ」「シナモンロール」の三種。ちなみにこの時期のスタジオの食器棚はミスドのプレゼント食器が8セット(ティーカップ、マグカップ、ティーポット、お茶碗、お皿3種類、コースター、)が揃っていた。
*7
この時期の「とれたて弁当」は絶対今よりもおいしかったと思う。特に「イタリアンハンバーグ」。今のメニューはどうもいただけない。
*8
現在はウェブデザイナー。公式サイトは「寿少年」。http://flaq.jp/kotobuki/
時々富士でサバイバルゲームやってるので見かけたら撃ってください。
*9
SE。セブンと同じく中学時代からの付き合いのスタッフ。昔はアングラサイトをやっていたが、今はなくなったか、誰にも見つけられない地下深くに潜ったか、どちらか。スタジオのサーバのトラフィックが妙に多いと、どこか誰も目の届かないハードディスクの最下層でフライングが危険なデータを流しているんじゃないかと不安になる。
*10
うそです。

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読まないと大変なことになるぞ

2月 22nd, 2005 — 1:02am

十代のみなさんは驚くかもしれないが、大昔、テレビにはリモコンというものがついてこなかった。
じゃあ、どうやってチャンネルを換えていたのかというと……はい。そのまさかです。
いちいちチャンネルを換えるために、立ち上がって、テレビまでいって、換えていたのである。
今から考えると、信じられないことだ。今のようにCMのたびにチャンネルを換えていたら、それこそテレビを見るのが反復横跳び運動みたいになってしまうので、立派なダイエットになるかもしれない。
 
だから昔の人はあまりチャンネルを換えなかった。たとえ高木ブーが想像を絶する滑り方をしても、刑事ドラマの犯人が放送開始後5分で分かってしまっても、がまんしてその番組を見ていた。何しろチャンネルを換えるにはテレビまで歩いていかなければならない。そんな体力を使うぐらいなら、そもそもテレビなんて見やしないというものだ。外で走り幅跳びでもした方がましである。
ところが、そこにお茶の間の救世主——そして、テレビ局の悪夢の元凶——リモコンが登場した。このリモコンがほぼすべてのテレビについてくるようになると、もはや昔のような悠長な番組作りなんてしていられなくなった。番組開始から最初のCMまでになんとか視聴者をつかまえておかなければリモコンの電波がとんでくる。
そこで80年代には、テレビ局のスタッフみんながいっしょうけんめい面白い番組を作ろうと努力した。脚本で工夫し、演出で工夫し、司会で工夫して、とにかく興味を引くこと、関心をとらえることに必死だった。ドラマはコマーシャルの入る手前やあとに山場を持ってきて客を確保し、歌番組は無理にでもジャニーズのアイドルを出演させ、サスペンス劇場には必ず売れない女優のシャワーシーンが入った。思えばいい時代だった。
ところが、90年代後半からテレビ局は「面白さ」に変わる、もっと効果的な視聴率の取り方を発見してしまった。
昔のテレビは「面白いから見てね」というのが定番だった。ところが、最近のテレビでは、いつの間にかこの文句が「見ないと損をします」という脅し文句に変わってしまった。ニュース番組でも、バラエティ番組でも「インフルエンザの脅威」「花粉症の恐ろしさ」「北朝鮮の陰謀」「テロの危険性」と、番組ごとにどれだけ我々が危ない社会に住んでいるのかを、逐一思い出させてくれる。たった一件の通り魔事件が起きると、「我々の住む町ももう安全なところではなくなってしまったんですね」とあおり、あたかも普通に生きていて、いつ見知らぬ人に刺されてもおかしくないかのように司会者が振る舞う。でも、実際には増えたとはいえ、そんな事件は相変わらず数えるほどしか起きていない。確率的には雷に当たって死ぬ危険性の方がおそらく高いだろう。
昔はこういう番組の最後には「しかし、このようなケースは特種であり、決して恐れる必要はないかと思います」などと付け加えていたものだった。それが今では 「あなたも例外でない」、「誰でも危険性がある」というのが番組のサブタイトルのようになってしまっている。それを見ていると、なんだか世の中どんどんおかしくなっているようにも思えるが、通り魔事件も、残忍な犯罪も、インフルエンザも、ほかの伝染病も、そう……戦争だって全部昔からずっとやっていることばかりだ。チャンネルを換えるのにいちいちテレビまで行ってがちゃがちゃしていた時代から、ずっとである。ただ、それらの情報の中から「思いやり」が消えてしまっただけなのだ。そして、代わりに「恐怖」が加えられた。
テレビの番組だけではなく、CMも、本も、映画も、その他の商品も、みんなお客さんを脅してつかまえるのが現代の商品戦略の常である。「これを買わないと損をする」「これを持っていれば恥ずかしくない」「あなただけがまだ持っていない」……こういう文句があっちこっちに氾濫している。そして、その結果、現代人はみんなが何かにトラウマを抱え、何かにびくびくして暮らしている。ぼくもその一人だ。
リモコンがなかった時代、内緒で11PMを見ていて、いつ親が入ってくるかにびくびくはしていたが、それでも今のように不用意に通り魔や花粉症に怯えて暮らすよりはいささかましだったような気がする。それが今はいつも何かに怯え、苛立ち、焦って生きている。果たして、それはぼくとぼくの周りだけの話だろうか……?
あの時代へ巻き戻すためのリモコンが見つからない。

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笑っていいともは一人で見ると途方もなく寂しい

2月 21st, 2005 — 12:28pm

受験中のみなさん、忙しい時に読んでくれてありがとう。
掲示板へのメッセージやメール、とてもうれしかったです。
ぼくはいろんな事情により、大学受験は普通の人よりも四、五年遅れてやりました。おまけに一浪もしているので、けっきょく同世代の人が卒業する頃に入学することになって、同級生もみんな五つ下の妹と同い年か、それ以下だったので、かなり浮いた受験生でした。どこの受験会場でも必ず学生バイトと間違えられたりして、おまけに不動産屋で物件紹介してもらう時に偽学生だと間違えられて、わざわざ問い合わせの電話をかけられたりもしました。
だからなのか、その時期ってのはけっこう良く記憶に残っています。
遅ればせながら大学受験することになり、はじめて一人で上京したのですが、一年目はあえなく玉砕。かすりもしませんでした。しばし日本の教育システムを離れていたせいか、「けっこう受かるんじゃないか」ぐらいに軽く考えていたのですが、いやー、忘れてました。日本の受験が世界一シビアなのを。
ぼくは選択教科は世界史だったのですが、一年目に受験した時は答えはおろか、問題の意味が分からないものだらけで、答案が配られた時にはしばし茫然としてました。周りからはカリカリ何か書いている音がするし、「コーヒー豆の伝来を通して、インド史を語れ」みたいな何を言っているのかよく分からない問題に、みんなこんなに答えられるものなのかと、もうそれだけでびびってしまい、その後の数時間、何をしていたのかも良く憶えていません。
なんとか小論文で挽回しようとはりきったのはいいのですが、「ペース配分」ということをまったく知らなかったので、しなくてもいいのに、いつもの癖でネタを最初にだめだしして、ねりなおして、構成を考えていたら、数行書く前に試験が終わってしまいました。
というわけで一年間は東京で浪人生活を送りました。当時東京に住んでいる知り合いは皆無で、唯一横浜に住んでいたフライング(面倒なので説明ははぶきますが、スタジオのスタッフで、中学時代に「空を舞った」ことがあるので、こういう名前になった男です)ぐらいしか遊び相手もなく、彼も仕事が忙しかったので、まあ一月に一回も顔を合わせれば多い方でした。だから一年間ほとんど家で一人で勉強して過ごしました。世界史を暗記するために部屋の壁一面に「ドゥームズデイブックの序文」とかマニアックな世界史の知識(今はいっこも思い出せません)を張り巡らせた部屋でくる日もくる日も参考書読んでいたので、頭が変になりそうでした。
ある日、ふと気がつくと自分がここ数日声を発していないことに気がつき、しゃべり方を忘れてないか、一人で発声練習したりしてました。一年も終わりに近づき、冬になってくると、来年もこの生活だけはいやだなと心から思うようになり、去年の軽い気持ちから一転して、すごく暗澹たる思いが募ってきました。で、勉強してても集中できないので、久しぶりに町の様子でも見に行くかと外に出てみると、なんとその日はクリスマスイブ。
本気で忘れていました。
当時、家の周りにはコンビニもない場所だったので、本当にクリスマスだと気がつくまで、何月何日だということをきれいに忘れていました。というのも、その頃のぼくの日付の数え方は「あと○○日」だけだったからです。
で、駅前の喫茶店に入って、窓からぼーっと外を眺めていました。カップルがやたらとめだって、みんな楽しそうに腕を組んでマフラーを巻いていて、なんとなく華やかです。対してぼくは起きたままのジャージ姿に無精ひげで、一人だけクリスマスに忘れられたような雰囲気です。
ぼくは生来おまつり好きですし、イベント物はその年まで必ず何か行事に参加していたような人だったので、こういう形でクリスマスを傍観するのははじめてでした。ふと、今頃友達や家族は何をしているのだろうと考えると、寂しくなりました。たった一年の間にずいぶん世界が変わってしまったような気がして、ショックでした。と、同時に人間は一年もあれば、生活も、考え方も、何もかも変わってしまう動物なのだということにも気がついて、不思議でした。
あの時、喫茶店の窓から見た風景は今でも頭にこびりついていて、「寂しい」という言葉で必ず思い出す人生の一場面になっています。ただ、それは今考えるに、あまりいやな寂しさではありません。何かを漠然と待っている、若者独特の寂しさでした。いつかくると信じている「未来」を、ぼくはあの喫茶店で待っていました。
その日から受験まで一月間、なんだかいろんなことを考えました。その時、必死に憶えていたアレクサンダー大王と、カメハメハ大王とか、ラ王とか、の区別すら今となってはつきませんが(うそです。たぶんどれかはラーメンだと思います)、その頃考えた人生のこと、友達のこと、将来のこと、生き方のことは、今も根強くぼくの中で生き続けています。
あれから十年以上経って、年号ひとつ思い出せない知識をたくさん詰め込んだ受験とはいったいなんだったのかと思い出すにつけ、「ああ、あの一月分の考えのためだったんだな」と思ってみたりしています。
受験勉強ははっきり言ってしまえば、あんまり人生の役にたちません。でも、いっしょうけんめい取り組めば、その経験の裏には生涯を支える教訓や思想やレッスンが隠れています。受験の結果も大事ですが、本当に最後に残るのは、きっとそのかけがえのない時間だけです。
日本中の合格発表結果待ちのみなさま、グッドラック!
だいじょうぶ。世界はまだ終わらないよ。

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徳川埋蔵金よりは現実的

2月 19th, 2005 — 11:50am

今、アメリカで「A Treasure’s Trove」という名前の絵本が売れている。
これは「宝探し」のお話なのだが、ただのお話ではない。さすがアメリカとしか言いようがないが、本の内容の中に隠されたヒントを元に、全米12箇所に12個の本物の金貨が隠されているというのだ。しかも、その金貨を見つけた人は金貨に書いてある情報を元に作者へ連絡すれば、それぞれ世界にひとつしかない、効果で希少な宝石をもらえるという。
すでに複数の調査サイトが立ち上がり、何万という人が金貨を探して謎解きをしているが、どうやら2005年2月19日現在、まだ一枚も発見されていないらしい。
本は手に入れていないのだが、先ほど宝探しサイトに立ち寄ってきた。そこには最新の発見情報として「どうやら13枚目の金貨というものが存在するらしい」というのが記載されていた。
詳細は分からないが、宝探しにもともとものすごく興味のあるぼくとしては、このツボをついたディテールは見事にヒットした。もし今住んでいるのがアメリカだったら、きっと向こう一月ぐらいは金貨探しの旅に出ていることだろう。
実は前にぼくも似たような企画を考えたことがあったのだが、いろんな理由から実現は難しいように思えた。そんな経験からこの本の作者に聞いてみたいと思うことがいくつかあったりする。
1、誰でもすぐに思うことだろうが、「宝」をあらかじめ用意するための資金はどうしたのだろう?
   (印税はあとからしか入ってこないし、売れなかった場合のリスクがすごい。)
2、説明には「金貨は埋まっていない。誰でも行くことの出来る(個人の私有地ではないところ)、危険のない場所に、何も開けず、何も持ち上げずとも手に入れられるところにある」と書いてあるが、そんな場所がそうそうあるのだろうか? 何しろそういう場所なら、本を見ていない人が偶然発見したり、捨ててしまったりしそうなものだが、未だに一枚も見つかっていないということは、やはりそういうところがあるということなのだろう。しかも、その場所はヒントからピンポイントで特定できる場所でないといけない。「何々ショッピングモールの中」という程度のヒントでは金貨一枚を見つけるのは不可能だし、その情報が出たとたん、モールに人が殺到してパニックになりかねないので、そのへんも配慮しているはずだ。おまけにそういった商用施設の場合は、その施設のオーナーに許可をとらなければならないだろうから、その人物の周りから情報が漏れてしまう危険性だってある。教会やお墓のような場所は宗教にうるさいアメリカでは使えないだろうし、「誰でも入れる」ということだから、入場料をとるような美術館、博物館、遊園地などもだめだ。いったい十二枚もどこに隠したのだろう?
3、説明には「謎を解くには特別な知識はいらない、観察力と推理力がすべて」とある。しかし、そういうタイプの謎で、これだけの人が情報交換しながら探しているのに、一枚も見つからないということがあるだろうか? 一番考えられるのはなんらかの暗号を本の中にちりばめておくことだが、それにしてもサイト総出で数千人単位で推理されると厳しいように思う。
うーん、分からない。正直、金貨の場所よりも、こっちの方が謎だ。
で、こちらの謎も金貨と共に明らかになると思われるので、今現在、ぼくも金貨が発見されるのを心待ちにしている大勢の一人なのである。

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一日ドラクエをしていた話

2月 17th, 2005 — 6:00am

知る人ぞ知る、うちのスタジオ内の人気老舗サイト「下関見聞録」の「日々の足跡(通称ひび足)」に、久しぶりのMOBS連日更新を祝した温かい応援のメッセージをいただいたりしてます。実はぼく、このサイトの管理人で、十代の頃からの付き合いであるたこすけ氏のページのファンです。
で、そこでこう書かれたわけです:「彼のとこではここのようにドラクエを一日していたというような話題を書くわけにはいかないだろう」。
伝統的に我々の身内ではこういったことは挑戦として受け止める慣習があるので、例に漏れず、今回は意地でも、一日ドラクエをしていた話を書くことにする。
多くの方がご存知の通り、去年、ドラクエの最新作がプレステ2で発売された。
それでも最近はぼくも少しは大人の振りをしているので、3が発売された時のように前日の深夜から近所のゲーム屋の前に仮設テントを張って待ったりはしなくなったが、正直発売日が近づくに連れ、気になっていた。もともと1の発売の時にジャンプでやっていた「早解きコンテスト」に発売後71時間目クリアの記録で応募したぼくである(結果的には惜しくも入賞は出来なかった。もう少し早く「たいようのいし」を見つけていれば……!!)。完全3Dで、動かすアニメみたいになった最新作に興味がわかないはずもない。実際の発売日当日にも知り合いが誰も話題にしないのを見て、ものすごく苛立って、つい会議の途中に「おまえらだって、本当はみんなドラクエのことしか考えてんだろ! 何、発売日知らないようなすかした顔してやがる!」と怒りそうになったが、あとで聞くと事実その通りだったので、逆に呆れた。某T氏などは(本人の名誉のためにここでは彼の職業しか書かない。彼の職業:BFCのイラストレーター。)、その朝こっそり新宿によって、実はその時カバンの中にはすでにドラクエが入っていたことが後に発覚している。
かくいうぼくもみんなの前で「もうドラクエでもないだろ」と言っていた手前、おおっぴらに買えず、ねこぞうの名前でamazonから買ったりとかしていた。仮にプレイしてるところを見られても、あくまで仕事上の興味でやっていると言い張るつもりだったのだが、発売日当日に届かないのを知ると、ひとしきり我を忘れて抗議の電話をamazonにかけ、危なく近所のTSUTAYAで別に一本買いそうになったりもした。
さて、いざ実物が届くとすぐにプレイ開始。翌日提出するBFCのあとがきがあったので公式には39度の熱があって、ベホイミも効かない状態ということにして(なぜかこの完璧な言い訳がすぐにばれた)、その日は一日中ねこぞうとああじゃこうじゃ言いながらひたすら冒険の旅をした。でも、難しいんです、これが。
1を光の速度で解いた栄光の歴史も今は昔。あの頃は出てくるモンスター全部のHPやら憶えていたのですが、今は何か敵が出現するたびにねこぞうに「これ前も出たっけ?」と聞いて、「さっきの敵もこいつだっただろ」と突っ込まれる始末。ルーラで戻ろうと思っても地名がぜんぜん思い出せないので、得体の知れない場所にとんでしまい、惨殺される。あげくに仲間の名前が覚えられず、五分に一度ぐらい女キャラの名前を間違えてしまう。(これ書いている今も思い出せない。)「ブブカにベホイミをかけるんだ、ねこぞう!」「ブブカって誰!?」
で、けっきょくドルマゲスっていうやつが最終ボスだと思って、力の限り戦い尽くして三人戦死状態でやっと勝利を収めたのに……どうしたわけか、終わらねえ。なんかブブカ(仮名)が変だし。あわててすでにクリアした人に聞くと、あっさり「そいつ最初の中ボスみたいなもんだよ。おれのパーティーならワンターンで倒せる。」
あえなくそこで挫折して、そのままです。3で全モンスターの持っている宝箱を調べるために連続一週間ほぼ24時間、すでにクリアしたゲームをやり続けていた中学生のぼくと、同じ人間とはとても思えません。
そこで最後に担当編集者より一句。
「ドラクエを やるひまあったら ゲラくれよ」
おそまつ。

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この季節になると思い出すこと

2月 16th, 2005 — 2:48pm

2月。受験シーズン。
全国の受験生の皆さん、生きておられますでしょうか?
寒いし、受験だし、親はノイローゼ気味でうんざりしている頃だと思いますが、「きっとこの会場でこんなに勉強してないのはおれだけだろうな」と思っている人が八割ですから、気にせず突き進んでください。受験直前なのにとなりの席で余裕カマしてiPod聞いている、模試でA判定もらってそうな彼も、大丈夫、実は音楽なんかまるで聞こえてません。「もしここがだめなら、すぐにあっちのB日程受けて、新宿のホテルをキャンセルして池袋に移って」と考えながら、いつまでたっても温かくなってこない指先で鉛筆がちゃんと持てるかどうか心配しているところです。
はい。十五年ぐらいまえのぼくです、それは。ただし、iPodはまだ出ていなかったのでウォークマンですが。
ぼくらの受験シーズンも悲喜こもごもでした。
志望校に受かったやつ、受からなかったやつ、滑り止めも落ちちゃったやつ、受験日に風邪引いて受けられなかったやつ、補欠合格で繰り上がった人、繰り上がらなかった人、一浪、二浪、三浪……けっきょく就職した人……受験日に間違えてうちに遊びに来てた大ちゃん……などなど実に様々な運命に弄ばれた数年間でしたが、あれから十五年が経った今、それが全部どういう思い出になっているかというと……
ほとんど全部がぐちゃまぜになって、まあ、そんな時期があったね、ということで概ね落ち着いています。
自分以外の親しい友達が、誰がどこに受かったとか、正直もう忘れかけています。
あと十年もすれば、記憶はもっと曖昧になると思います。
あの時はたくさん勉強して、模試でも常に上位にいる人がえらい人に見えました。でも、今はその人の名前も思い出せません。代わりに憶えているのは、受験日当日、試験開始前にみんなが緊張している時、おなかが痛くなった女の子を受験時間に遅れる覚悟で医務室へ連れて行った人のことです。ぼくのすぐ後ろに座っている女の子でした。
ぼくは恥ずかしながら、立ち上がって手伝うことができませんでした。第二志望校だったので、もし時間に遅れて落ちたらという不安を感じて、他人の腹痛よりもそっちの方がその時は重大に思えました。きっと、十年も経てばそんな小さな罪悪感も消えて、受かった喜びだけが残るはずだと受験後、自分に言い聞かせていました。
実は、ぼくはあの試験を受かったのかどうかも今、憶えていません。
でもあの時、苦しんでいる女の子に受験会場でただ一人手を差し伸べた人に、女の子が見せた感謝の顔は頭に焼き付いています。 そして、その時、良心の呵責で目をそむけていた、自分をはじめとする他の受験生たちの顔もよく憶えています。あのあと、ずいぶん長い間、あの二人が受かったかどうか気になっていたのですが、今これを書いていて、ふと気がつきました。
それこそ、本当にどっちでもいいことなんだろうな、と。
受験は大事です。そして、とっても大変です。
そうじゃないなんて、絶対に思いません。
でも、一見結果しか大事に見えないこの人生の大イベントで、肝心の結果が思い出せないことに驚いています。
本当に不思議なものです。
受験生の皆さん、体にだけは気をつけて。
良い結果を祈っています。
でも、それは試験の結果ではなくて、この時期が人生に与える結果です。
今、日本で一番大変な毎日を送るみなさんにどうか幸運を。
十年後、「笑い話として受験を振り返る会」でお会いしましょう。

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