Archive for 8月 2004


はがき一枚でできること

8月 26th, 2004 — 4:28am

職業作家になってから今年で五年。小説を書き始めてから三十 年。最近になってけっこう作品の感想をもらえるようになりまし た。口頭に始まって、メール、ハガキ、封書と届く形もさまざま です。
ネットオークションで何気なく買い物をしたら、領収書と一緒に「BFCの続き楽しみです」という手紙が入っていたリして、 買ったのがアダルトビデオとかじゃなくて、本当に良かったと 思ったりもしますが、とにかく感想をもらうほどうれしいことは ありません。

出版界に関わる前に一読者だった時、何度か感動した本の作者 に感想の手紙を出そうとして、やめたことがありました。理由は 簡単です。「どうせ何百枚ももらってるのに、わざわざぼく一枚 の感想が増えたって別にうれしくもないよな。」そう思って、途 中まで書いた便せんを捨ててしまったことがありました。 もしか したら、ぼくと同じようなことを考えた経験のある方は多いので はないでしょうか?
でも、これが大間違い。

作家になって五年。自分でも恥ずかしいぐらい、感想が来るの がうれしいです。ほとんどの感想は二度読み返すぐらいうれしい です。いい感想をもらった日は、そうでない日の2割り増し幸せ で生きられます。

「でも、それって何十枚とかもらってうれしいということです よね?」と、この前聞かれました。
それもちがいます。
一枚でもはしゃぎます。「面白かった」っていう意見がある
と、一行でも大喜び。「あのシーンがよかった」って書いてある と、わざわざそのシーンを読み返したりしています。

感想の意見を書いたあと、「私一人の意見なんて関係ないと思 うのですが……」と付け加える方がけっこう多いのですが、実は けっこうたった一人の意見に左右されることがあります。少なく ても、ぼくは過去二回、実際に一通のはがきの意見で大幅にスト ーリーを修正したことがあります。
こうして感想に一喜一憂する自分を見ていると、言葉の大切さ を何より思い知らされます。「ありがとう」や「ごめんなさい」 の持っている計り知れない力をなめちゃいけないと感じずにはい られません。
時には百万円のお金よりも「ありがとう」ひとことの方が価値 があると思います。
事実、かつてすごく辛い思いをして完成した本が発売されたと き、書店に並んでいるのを見ても、原稿料をもらっても、少しも うれしくなかったのですが、たった一枚「書いてくれてありがと う」というハガキが届いた瞬間、それまでの思いがどうでもよく なったことがあります。

これにはさすがに自分でも正直びっくりしました。たった一言 の「ありがとう」で、そんなに喜べるなんて信じられませんでし た。顔も知らない人からのありがとうひとつ。そんなんでいいの か、おい>おれ! とあきれて自分に問いかけたら、怖いぐらい 素直に「あ、いいや」と思えてしまって、二度ビックリ。

自分の生き方を探して小説を書いている人もいると思います。 芸術的な価値を求めて書いている人もいると思います。でも、そ の瞬間、ぼくは自分がなんで書いているのかはよーく分かりまし た。

コメントは受け付けていません。 | 向山貴彦, 小説

ワンパラベストを更新する

8月 20th, 2004 — 4:27am

お恥ずかしい話ですが、実に三年ぶりに「ワンパラベスト」の コーナーを更新しました。2001年半ばからつい先日書いた分まで のワンパラをまとめて掲載したのですが、数はそんなにありませ ん。というのも、長年このサイトを見てくださっている方の多く がよくご存知のとおり、ぼくが更新をさぼっていたからです。
あ、はい。いいわけはあります。
忙しかった、というありきたりのやつが。
でも、やはりいいわけは所詮いいわけで、本当はさぼっていたという方が正しいに決まってます。
一応書いた分だけはハードディスクの片隅にまとめてとってお いたので、今日アップするのにひととおり読み返してみました。

2001年はちょうど「ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単 な英語の本」を作っていた年で、てんてこまいに忙しい時期でし た。後半は特にアメリカ同時テロの時期とも重なり、なんだか身 の回り、世界、ともに混沌としていた記憶があります。

2002年に入って、「世界一簡単な英語の本 」も発売になって ゆっくりできるなと思っていたら、すぐにBFC BOOKSを始めるこ とになって、これまた2001年に輪をかけてめまぐるしく、何を やっていたのかも明確に記憶していない一年です。この時はもう このサイトのことも完全に忘れるほど時間に追われていました。

2003年も2002年と仕事のペースはあまり変わらなかったのです が、前の年よりは少し慣れたこともあって、周りを見る余裕が ちょっとだけできました。で、ふと気がつくと、このサイトの最 終更新日が半年以上前――気にはなっていたのですが、どうして も手をつけるだけの精神的余裕がなくて、けっきょくほとんど更 新せずじまいになっていました。

そして、今年になって、やっと少しずつ更新を再開しています が、まだまだ一ヶ月ぐらい更新が停まっていることもあり、反省 することしばしばです。

正直に言えば、この間、何度かサイトの停止、あるいは閉鎖も 考えました。でも、そのたびにサイトを立ち上げた頃のことを思 い出して、もう少しだけ続けてみようと思い留まることを繰り返 して、ここまできました。

このサイトを最初に作った1999年ごろ、ぼくはまだ作家として デビューもしていない学生で、作品の感想をもらう手段がこのサ イトを通してしかありませんでした。
何度か涙がこぼれるようなメールをもらったことがあります。 くじけそうな時によく励ましのメールもいただきました。みん な、よく憶えています。どれもこのサイトがあったからできた経 験でした。
このサイトも、ここに書かれていることも、いってしまえば、
みんなインターネットという架空の世界に浮かぶ虚構な空間に過 ぎません。でも、ここは同時にやはり、ぼくにとって、確かに存 在する大事な場所でもあります。

「童話物語」の冒頭に出てくるクローシャ大陸の詩に「誰も知 らない どこにもない だけど人がたくさん住んでいる場所」と いうのがあります。
ぼくにとってのこのサイトは、きっと、そんなところです。

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私信ですみません

8月 12th, 2004 — 4:23am

実は二日ほど前にメールで懐かしい方からメッセージをいただきました。昔、いっしょうけんめい自主製作映画を撮ろうとしていた時期にたぶん、よく遊んでいた友達だと思います。(「だと思う」というのは、実は差出人が書いてなかったので、文面からの憶測でして。)あまりの懐かしさにすぐメールを返信したのですが、相手側がdocomoのアドレスで、尚かつ迷惑メールの防止のための「指定着信外拒否設定」にしているものと思われ、メールは戻ってきてしまいました。(もしこれを読んでいたら、また連絡下さい。待ってます!)
中学校の頃の友達で、たまにこうして十年とか二十年ぶりにメールをくれる方がいたりすると、本当にうれしくなる時があります。普段はけっこうメールやインターネットというメディアに疑問を感じていたり、時にこれが今の社会をだめにしている現況ではないかと疑ってみたりすることもあるぼくですが、そんな時は素直にこの「ネット」という存在に感謝しています。おそらくインターネットがない時代なら、二度と再会しないままだった人、一度も会うことなく人生を終えた人――がけっこうぼくの人生にはいます。
人生も三十を過ぎて、十代という時期が前世のように感じられる昨今、古い友達からのメールはまるで過去からの便りのように思えます。数行のメールでも、小さな宝物のようです。
擦れ違った数え切れないほどの人。一人一人ともう一度話せたらどれほど面白いだろうと思うことがあります。中学校の時に本気で殴り合った同級生……顔の記憶もおぼろげな初恋の女の子……よく対立していた先生……通っていた駄菓子屋のばあちゃん……いつか新宿の雑踏でゲームの話で盛り上がった見知らぬ学生たち……お金をなくしたのを見つけてくれた警察官……みんな、どこかで何かをして生きているという単純であたりまえのこと……でも、それを一通のメールで確認できるだけで、明日を生きていく元気が出てくる気がします。
そうだ。みんな、どっかでがんばっている。
ぼくもがんばろう。そう素直に思えます。
もし、向山貴彦にこの人生のどこかで擦れ違った人で、憶えていてくれる人がいたら、いつでも気軽にメールを下さい。その時、殴り合ったやつでもいいです。言葉を交わしただけの人でもいいです。今、どうしているか教えてください。きっとインターネットはそんなことのためにあるのだと思うんです。

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