多忙の正体
なんか、昔に比べて忙しい……なのに 、ぜんぜん充実感がない。そんなように感じている人はきっとぼくだけではないと思う。こと同世代の三十台の人なら、ちょうど平成に入った頃からなんとなく毎日がめまぐるしく過ぎていくようになって、最近では生きている感覚そのものが乏しくなっている人も多いのではないだろうか。
原因は何だろう。
今、見ているこのインターナットというもの――これと携帯電話……いわゆる「ネットワーク」というやつが諸悪の原因なのは間違いないと思う。昔なら仕事が終わっても夕方ならもう書類を届ける方法なんてなかったわけだから、気楽に明日まで待てばよかった。その間は言い訳が立つので、気楽に家に帰って横溝正史の「悪霊島」か何かをテレビで見ながら、ビールの一杯も飲んでてよかった。
アナログ・ローテクの時代だと、人間の能力に社会のネットワークがついていけなかったので、そこに生まれる誤差が「休み時間」――もしくは「心の余裕」になっていた。その時には逆に「もっと早い方法があれば」「もどかしい」と思っていたのだろうが、結果的に「世界の動く時間」よりも一歩先を行っている気になれたので、それが自信になり、充実感も生んでいたのだろう。
ところが携帯電話とネットメールがある今、家に帰ってテレビをのんびり見ていたら怠け者になってしまう。「なんでメールで書類を送らなかったのだ!」とどなられる。そして、もしメールを送ったら、その書類が添削されて一時間ぐらいで送り返されてくるので、その晩のうちにもう一仕事増えてしまう。手書きと郵送の時代なら少しぐらいのずれは「仕方ない」で片づけられていたが、パソコンとメールの時代になった今、1ミリの誤差でもクリックひとつで直せるものは、直さないと「怠慢」となってしまう。
かくして、「悪霊島」を見る時間はどこかへ消えた。そして、より大事なその「悪霊島」を見ながら「今はもう夜でどうにもならないから、休んでてもしょうがないよな」という精神状態も消えてしまった。
思えば、昔はビデオを一台買うのも大イベントだった。特にビデオが普及し始めた当時中学生だったぼくは、それこそ最初のビデオデッキは巻き戻し音でテープがどの位置にあるのか判別できるほど、徹底的に使い込んだ。知らない機能なんて何もなかった。今でも型番が言えるほど愛していた。
しかし、今のビデオデッキはその時のものの100倍はいろんな機能が搭載されているが、ぼくにできるのはせいぜい録画、再生とイジェクトぐらいだ。説明書は開いてもいない。買った時以来デッキに「giga search」といううたい文句のシールが貼ってあるが、それが何かさえ分からない。自分のビデオに搭載されているものなのか、宣伝なのか、それさえも分からない。そして、使いこなしていないことに若干の良心の呵責もひそかに感じている。
ビデオだけではない。DVDも、パソコンも、パソコンに入っている無数のソフトも、それどころかコタツや炊飯器にも無数に機能がついているが、どれひとつとして完全にマスターできていない。いつか勉強しようと思っているうちに何年もが過ぎ、そのうち壊れてしまって買い替えることになり、買い替えた機械がまた前の奴の250倍ぐらい機能がついていたりするので永久に追いつかない。
そうこうしているうちに、いつの間にか自分の家がまったく把握できていない場所になっている。10%ぐらいしか理解していない機械に囲まれ、10%ぐらいしか特典を利用していない会員証が詰まった財布を持ち(もちろん財布に搭載されているマイナスイオン発生ポケットが何かは分からない)、10%しか把握していない携帯電話で10%ぐらいしか本心が伝わらない会話を交わす。
自分がやりたいことを100としたなら、かつてぼくらは技術の限界でその50%しか満たせないことにフラストレーションを感じ、それを100%できる世界を作ればどれくらいすばらしいだろうかと考えた。で、この現在という世界を築いた。しかし、けっきょくはやりすぎたようで、いつしか自分たちの限界を10倍も上回る速度で動く世界を作ってしまっていた。結果、世界に追い越され、ぼくらはその10%も把握できないまま生き続けている。
こうなる前、日本の反対側の端にいる友達とは連絡が簡単にはつかなかった。だから、その友達がどうしているのか心配しなくてもよかった。
夜はすべてのサービスが止まっているので、家で仕事を休んで寝ていても怒られる心配はなかった。
東京から福岡に移動するのは一日仕事だったので、その日は移動だけですませても当然だった。
手紙には返事を一週間以内ぐらいに出せば十分だった。
本が手に入らなかったら何年でも探し続けた。
家の電話なら出なくても留守だと解釈してもらえた。
人間はもともと100km離れたところにいる人とリアルタイムで話すことを想定されて作られてはいない。機能が250もついた機械を一部屋にいくつも置いて管理するようにはできていない。重さ150gの機械で電話、カメラ、メモ帳、辞書、電卓、時計、ゲーム機まで使い分けるようにはできていない。
場合によっては目の前にいる人間を好きかどうかも決められないのが人間だ。そろそろ機械のことは機械に任せて、ぼくらは「悪霊島」の再放送でも観てはどうだろう。
( いや、スカイパーフェクTVをコクーンで録画して、それをLAN経由で観るんじゃなくて。普通に再放送があるまで待ちましょう。何年でも。)
コメントは受け付けていません。 | エッセイ