Archive for 7月 2001


90年代までレコードを聞いていた理由

7月 18th, 2001 — 3:42am

最近、カセットテープはMDに、ビデオテープはDVDに、ポケベルは携帯に、すかいらーくはガストに、と、約ひとつ関係ないものも混ざったが、世の中がどんどん進化している。十年前の品物がすでにどこにも売っていないものになることなど、昭和の時代には考えられなかった現象である。

時代が移ろい変わり、どこの街角でも見かけたものが、いつしかどこにもないものになってしまっている。初代ファミコン、βビデオ、たまごっち、厚底ブーツ、ダイエー。――まだ消えてないのもあるが、とにかく消えそうなのは確かである。

やまんばメイクのコギャルの皆様も、近頃かなり絶滅の危機に瀕しているので、政府も早急に保護に乗り出すべきだろう。民主党などはできもしない改革を掲げるより、いっそそっちの方を政策にした方が票を集められるかもしれない。

いずれにしろ、こういう移ろいゆく時代を見ていて、ふと思い出してしまうのが、今からもう二十年近く前になるだろうか――レコードがCDにその座を奪われた時のことである。今から考えてみると、あの辺りからすべてが急激に進化し始めたような気がする。


当時のぼくは流行には大変うとい、わんぱくな中学生男子だったので、CDどころかレコードプレーヤーもやっと買ったばかりだった。「将来の夢」の欄に「公務員」と書くような今の中学生男子と違って、当時の中学生男子は底知れないほどバカだったので(当時の中学生男子は「将来の夢」の欄を見ても「将来
」という漢字が読めなかったので、空白にはラーメンマンの絵を描いていた)流行を追うほど頭の回転が速くなかったのである。

だから、ぼくがCDというものの存在に気がついたのは、久しぶりにレコード屋に行って、棚の半分が得体の知れない銀色のディスクに変わっていた時である。音楽好きの友達に聞いてみると「おまえ、遅いよ」とバカにされたので、つい悔しさから「そんなもん流行るもんか」と言ってしまい、つい勢いで「俺は絶対買わないね
」と宣言してしまった。

もう、どのくらい当時の中学生男子が頭が悪いかというと、このくだらない一言の約束のために、90年代に入るまでアナログのレコードを聞き続けるほど当時の中学生男子はバカだった。

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新聞広告

7月 16th, 2001 — 3:41am

読売新聞をご購読の皆様、東京の方は15日の朝刊を、地方の方は16日の朝刊をご覧ください。2面に「童話物語」の大きな広告が掲載されています。文庫が累計15万部を突破したということで、お祝いに出版社が出して下さいました。報告が遅れてすみません。
ぼくも今ひとつ日付に自信がなかったので、今日、遅れて知りました。あまりに大きな広告でびっくりしましたが、それ以上にあおり文句にある「天才少年
」というのにひっくり返ってしまいました。
「天才」はもちろん、「少年」も無理があるし。
しかし、何はともあれ、こんな素晴らしい広告を出してくださった幻冬舎さんに心からの感謝を! 本当にありがとうございます!
そして、わずか2000部の旧版から、ハードカバーを経て、「童話」がここまでくるのを支えてくれた多くの読者の皆さんへ、本当にありがとう!
「童話物語」はみんなの作品です。

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クローシャらしい単語

7月 12th, 2001 — 3:39am

Psychocatsで現在「童話物語」校正中の話が載っている。
これはみんな本当の話で、「童話」のハードカバー版発売の時にわざわざ日本語の専門家としてねこぞうにスタッフに加わってもらった最大の理由である。「童話らしい」単語とそうでない単語を見分けるというのは、実はけっこう大変な作業で、ねこぞうがあげている分かりやすい例以外にも無数に迷った単語はあった。
例えば何かの折りに使った表現で「海のように深い」というのがあった。一見、読み飛ばしてしまうあたりまえの表現なのだが、よくよく考えるとクローシャには「海」がない。「水地」ならあるのだが。
海関係ならもっとややこしいのは、アロロタフ山のシーンに出てきた「海抜」という言葉や、アルテミファで書いた「海峡」という名称。そこまで神経質にならなくてもいいか、と思ったのですが、ねこぞうが気がついてしまったのをきっかけに変えました。そうなると、もうどんな小さなことでも気にせざるを得ず、最後は何人もでしらみつぶしの単語探し。
「ジャンプ」「神」「梅雨」「来月」「週末」「屋台」「春のような」「午後」「赤信号」「タワー」「金貨」「ロック」「毎週」などがどんどん消えていった。(理由は全部わかるかな?)でも、「チョップ」だけは本当に何がいけないのか分からず、ねこぞうに絶対消すように注意されたにも関わらず、抵抗した。「だって、日本語にないじゃん、チョップ! 『手刀を入れた』
じゃ変だろう! クローシャの人だってチョップぐらいするだろう!」けっきょくもめた末にスタッフに「チョップって変か?」と聞いて回ったら、答えをもらう前に爆笑されたので、答えを聞く必要もなくなった。ほかにも吊り橋のロープの部分をなんと呼ぶのかなどで編集者も交え、大論戦もやったが、今となれば全部いい思い出である。
まだまだ逃したものもあると思うので、もし発見したら掲示板にでも報告して下さい。
お礼にチョップでも。

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出来事が教訓に追いついていない

7月 11th, 2001 — 3:37am

昔はけっこう他人との勝ち負けが気になった。
競って負けたりするととても惨めな気持ちになったり、不公平だと運命の神を呪ったりも
した。自分に勝った人間はいつも勝ってばかりいるような気がして、とても劣等感を感じたりもした。
ところが人間を三十年もやっていると、まんざらそうでもないことに気がつく。勝つこともあれば、負けることもある。勝ち続ける人間もいなければ負け続ける人間もいない。そして、もっと大事なことは、誰かに対して優位や劣位だと感じていたことも、数年後には得てして立場が逆転していることが多いと言うことである。
立場は必ず逆転する。これがぼくの習った大きな教訓だった。
だから勝ったときにおごっていたら、必ず後で恥をかくし、負けたときに格別落ち込んだりすねたりすると、次に勝ったとき、あまりおおっぴらに喜べなくなってしまう。それよりも、言い意味でも悪い意味でも、人生はどこからでも逆転が可能だということを自分に言い聞かせておく方が賢明だ。
こんなことを朝から考えたのは、今まで格闘ゲームでさんざんいたぶっていたねこぞうに、ここのところソウルキャリバーで100連敗ぐらいしているためである。
落ち込んではいけない。
――いいや、年のせいじゃない!
そう。人生は絶えず立場が逆転するのだ。
また必ず勝てる時が来る。
たぶん。

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