Archive for 2月 2001


究極のスパゲティーソース

2月 16th, 2001 — 3:12am

長年、究極のスパゲティトマトソースを作ろうと四苦八苦しています。今、現在の途中経過のレシピを掲載しておきます。ひまーな時にでも作って感想教えてください!あー、スパ大好き!


【材料】

イタリア産トマトの水煮缶詰 一缶(400g)
タマネギ 中1個
ニンニク 2カケ(ひとつスライス、ひとつみじん切り)
オリーブオイル 大さじ5杯
にんじん 2/3本
生バジルの葉 数枚
セロリ 1本
ローリエ 1枚
小麦粉 10g
ブイヨン 1個(7)
ウスターソース 小さじ1
レモンの絞り汁 小さじ1
赤ワイン 180cc
砂糖、塩、粗挽きこしょう


1 玉ねぎ、人参、セロリ、バジルの葉はみじん切りしておく。
ニンニクは薄くスライスする。
ポルチーニ茸はぬるま湯につけておく。
固形スープは砕いておく。
トマトは皮をむいて、種を取っておく。(汁を捨てないように)
2 鍋を熱し、オリーブオイル大さじ4を入れ、ニンニクと
ローリエを入れて炒める。(焦がさないように気をつけて)
香りが出てきたら玉ネギを入れ、薄茶色になるまでじっくりと炒める。
にんじん、セロリを加え、火が通るまで絶えず木べらでかき混ぜながら
じっくり炒める。(約8分)この間、絶対に焦がさない!
3 水気が出てきたら、少し火を弱めて、野菜が茶色くなるまで
更に8~10分炒める。
4 小麦粉を炒めるように少しずつ加えてから、にんにくを取り出す。
(分かるものだけでいい)
5 赤ワインを加え、強火にして鍋底からしっかり混ぜて
アルコールを飛ばす。
6 トマトを加え(汁も)、焦がさないように煮詰めていく。
トマトが煮詰まったらバジルを加える。
7 砕いたブイヨンとウスターソース、ポルチーニの戻し汁
(本体はまだ)を加える。
8 アクが出なくなるまでアクをとる。
9 20分程度煮詰めたらローリエをとる。
10 バジルを加え、全体がトロリとなるまで30~70分煮詰める。
木べらで時々かき混ぜる!
汁気がなくなるまで煮る。
11 別のフライパンにオリーブオイルを敷き、みじん切りにしたニンニク   (一片)を炒め、みじん切りにしたポルチーニを加え、火を止めてから   レモン汁を加える。
12 11を10に加え、一煮立ちさせたらほんの少し
砂糖、塩、こしょうの順で味を調える。

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火曜だけは何もない3

2月 9th, 2001 — 3:11am

最初のCM抜きに成功すると、次の難関は1時間目の終わりである。すべての番組は10時を回ったところに普通より長い、五分以上のCMが入るのである。これをきちっと見きって調整しないといけないのだが、オープニングと違ってこちらはランダム要素がないので、作業自体は慣れれば簡単なものだった。ただ、ひとつ大変な罠にさえかからなければ。
当時、洋画の裏でやっていたサスペンス系二時間ドラマはこの長いCMの間に多くの視聴者がほかのチャンネルをちょっと見て回ることを熟知していた。特にぼくら中学生は15秒以上じっとしていると脳死してしまう ので、必ずチャンネルを変えた。そこでテレビ局はちょうどこの長いCMの入る時間帯の裏を狙って、毎回女性のシャワーシーンを挿入してくるのである。ぼくらはそれがぼくらの「CM抜き」の芸術を壊す悪魔のささやきだと知っていたが、なぜか、どういうわけか、必ずチャンネルを変えてしまうのだった。そして変えたが最後、そのためだけに雇われた女優(当時は「シャワー要員」と呼ばれていた)の露わな乳に目を釘付けにされ、ジェイソンが再び現れるシーンに間に合わなくなってしまう。
こうした様々な障害をくぐり抜け、無事にすべてのCMを抜き終わり、もうCMが入らないと分かっている10時35分を過ぎると、ぼくらは勝者の溜息をつき、充実感と共にゆっくりとリモコンを置いた。この最後の十五分だけは無条件に映画を楽しむことのできる貴重な時間なのだ。万が一、この間に誰かが間違えてリモコンを踏み、ビデオを消してしまったりした場合、その人間がぼくでない限り、確実に警察沙汰になる事件に発展していた。

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火曜だけは何もない2

2月 8th, 2001 — 3:10am

そんなわけで夜の九時は戦いの幕開けだった。各番組の独自のオープニングが流れる頃には、ぼくらはリモコンを片手にテレビの前でスタンバっていた。戦いは既に始まっている。当時のビデオは録画ボタンを押すだけでは、テープの止まっている位置と若干ずれたところから録画を始めてしまう。きれいにつなぐためには一旦再生して一時停止し、録画ボタンを押した後、一時停止を解除しなければならなかった。問題はこの一時停止状態が五分続くと、機械が勝手に解除してしまうことだった。
映画本編は解説者のトークの後に始まるのだが、このトークの長さが毎回違った。今はなき淀川さんなどは途方もなく長くしゃべることもあるので、一時停止が三分を越えた時点で一旦解除し、作業をやり直さなければならなかった。ジョグダイアルのようなものがない当時のビデオでは、素早く細かい調節をするのは至難の業だったが、ぼくらはそれぞれ自分の愛機の微妙な癖やボタンを押してから画面が止まるまでのタイムラグ(約0.007秒)まで熟知していたので、人間の限界ぐらいの速度でそれを行うことができた。しかし、脈略なくいきなり本編にいってしまったりする淀川さんはよくぼくらが調整中に本編を始めてしまい、最初の数秒を撮り逃すこともしばしばあった。こうなると、なぜかもうどうでもよくなって、テレビを消してしまったりした。完璧主義者のぼくらには、一部の欠けた作品など絶えかねるものだったのだ。(後にほとんど全部の放映作品が大幅にカットされていたことに気がついたが、それとこれとは話が別だった。)
最初のスタートがうまくいったとしてほっとするのも束の間、視聴者の興味を引くために、番組は最初の30分ほどは敢えてCMを挟まない。このため、おもしろい映画などだと、ついこの期間に映画に夢中になってしまい、うっかり最初のCMを抜き忘れてしまうのだった。これは本当に屈辱的なことだったため、よく怒りからこたつの布団にギャラクティカ・マグナムを打ち込んだりして自分を戒めていた。

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火曜だけは何もない1

2月 7th, 2001 — 3:10am

中学時代、ぼくらの午後九時は戦闘開始の合図だった。
レンタルビデオなどそうそう借りることのできない当時、唯一映画を手に入れる方法はテレビのロードショーを録画することだった。まともな映画館もない下関っ子のぼくらが観ることのできる映画は、絶えずテレビ局の人たちが何を放送してくれるかにかかっていた。次回予告に登場する新作に一喜一憂し、二週間先まで放送内容の分かるテレパルの発売日にはコンビニで飛び跳ねた。「ピラニア2―殺人魚フライングキラー―」だと狂喜乱舞し、「ローマの休日」だとふてくされて寝た。
とにかくまだ高価だったビデオテープの本数が限られていたので、保存する作品は厳選せざるを得なかった。ただ、レンタルビデオもない当時、まだ中学生のぼくらは放送される映画のほとんどが初めて観るものだったので、実際に観るまで、それがいい映画かどうかさえ分からなかった。だが、一方で取り損なえば次にチャンスが来るのは何年先か分からない。とにかく何はともあれ撮ってみるしかなかった。
これだけ聞けば、別にそう大変なことに思えないだろうが、問題はここからである。テレビのロードショー番組が二時間なのに対して、広告やオープニングなどを抜けば、実質の放送時間は1時間30分から45分になる。この15分から30分がぼくらにとっては死活問題だった。何しろ120分テープに三倍で撮っているのだから、三本分の映画をCMカットすれば、下手したら四本目を撮れるかも知れないのだ!これは米大統領選の結果よりもずっと大切な事実だった。

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レンタルビデオ黎明期の話

2月 6th, 2001 — 3:06am

ぼくが中学生の頃はまだレンタルビデオというものがポツポツと現れ始めた頃で、今となっては信じられない話だが、二泊三日で2500円とかとられるシロモノだった。これはもう借りるのもかなり気合いが必要で、当時の映画好き仲間のよーじややまそうと事前に打ち合わせし、全員で公平にお金を出し合って協議の上、作品を選んだ。この協議はいつも慎重に行われ、どの作品をどこで借りるかは当時のぼくらにとって、核拡散条約の何倍も大事なことだった。何しろ貴重な小遣いの中の800円である。くだらない映画でも借りようものなら三日は落ち込んでしまう。

そんなわけで、協議が物別れに終わることも多かった。「死霊のしたたり2」と「悪魔の毒毒モンスター」のどちらがより優れた作品かもめたりするのである。なぜ「ゾンゲリア」の良さが分からないかで殴り合いのケンカになったこともあったし、「1000人の狂人」を借りたら宦官してやると脅し合いになったこともある。逆に決定権を委ねられたときには責任は重大だった。うっかりつまらない映画でも借りて帰った日には半殺しにされかねない。一度やまそうがぼくらのお金で「マニアック」という名前そのまんまの恐怖映画を借りてきたときには、はっと気がつくと両方の拳がやまそうの血で染まっていたこともあった。
とにかく借りる人数が多ければ多いほど折半になる金額も少ないので、クラス中のやつに「レーザーバック観ない?」などと新手の新興宗教のような勧誘をして回ったこともあった。結果的に「チャンピオン鷹」を狭い部屋で8人ぎゅうぎゅう詰めになって観たりすることになるのだが、それはそれでけっこう楽しかった。みんななかなかお金を出してくれなかったので(ある特定の種類のビデオの際には大変お金の回収率がいいこともあったが、この場合には誰が借りに行くかで骨肉の争いになった)、ビデオを一本借りるということは当時のぼくらにとってかなりの大イベントだったのだが、そんなレンタルビデオも百円玉数枚で借りられるようになり、今ではうっかり観ずに返すことさえ珍しくなくなった。おかげで恐怖映画ばかり好んで観ていたぼくらも幅広く様々な映画を観ることができて、今ではぼくも「ハロウィン3―魔女の季節―」を世界一の映画だとは思わなくなった。

追記
やまそうへ;
やっぱり「悪魔の毒毒モンスター」より「死霊のしたたり2」の方がましだと思うぞ。

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