Archive for 1月 2001


ビデオ黎明期の話

1月 31st, 2001 — 3:05am

ぼくが中学に上がる時、生まれてはじめて我が家にレンタルビデオがやってきた。半年ほど前にビデオを買ったよーじに深く影響されて、親に半年間ねだり続け、期末試験で規定の点数をクリアしたためのものである。(ちなみにその次の試験では点数は元より下がった。)

今となっては信じられないことだが、当時はレンタルビデオというものがまだなかったので、ビデオはもっぱらテレビ録画用の機械だった。最初にビデオが届いて、試しに録画したのが忘れもしない「横溝正史劇場」。わざとテレビを消しておいて、終わってからビデオで再生してみた。家族中、古谷一行がブラウン管に登場すると、奇跡が起こったように狂喜乱舞した。
でも、それはある意味で本当に奇跡だった。一度逃した番組をあとで見ることができる――それはその瞬間までぼくの世界にはなかった概念で、ただのエアチェックという枠を越え、ある意味で過ぎ去った時間を巻き戻すことのできるタイムマシーンのように思えた。かつて小学生の時、大好きだった「コンバトラーV」が最終回を迎えた時、もうコンバトラーが見られない悲しみで泣き明かし、せめて記念に最終回の音声をテープレコーダーにとって、すり切れるまで聞き返したぼくには、ビデオはまさに魔法の箱だった。
その後、よーじ、ぼくに続いてもう一人の映画好きだったやまそう(全員現スタジオメンバー)もビデオを購入するにあたり、ぼくらの中学時代はビデオ漬けになった。当時のビデオテープは一本が平気で4000円とかする時代で、めったに買える代物ではなかった。購入特典としてついてきた空テープと自分で購入した日本の120分テープは宝物で、その限られたスペースに何をとるかは重大な問題だった。標準で録画するなどもってのほかで、三倍以外、考えられなかった。三本のテープに合計で9本の映画が入る。この9本に何を入れるかがその頃の中心的な話題だったぐらいだ。ただ、問題はDVDやHDと違って、ビデオは前から順番に撮っていくので、後ろからしか消していくことができない。したがって、ビデオの頭に録画する映画というのはなかなか消せないので、大変に慎重な選択を迫られた。
この黄金の位置によーじは「スターウォーズ」、ぼくは「ウォーゲーム」を入れていたように思う。今ならどちらでも2980円でマスターを買えるようになってしまったが、あの一本目に入っていた「ウォーゲーム」はぼくにとって、今でもなんとなく特別な存在に思えてならない。

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性別に関する話

1月 27th, 2001 — 3:03am

さっきテレビを見ていたら男性か女性か完璧に区別のつかない方が出ていて、けっきょく性別が分からないまま番組は終わってしまった。最近なんかこういうことが多いような気する。もしかしたら電磁波のせいかもしれない。これを読んでいる方の中にも自分の性別を忘れてしまった人がいるといけないので、次の簡単なテストを載せておこうと思う。


次の話を聞いてどう思うか:
「イタリアの農村部に住んでいるある男は海峡を挟んだ隣の村まで渡るのに、巨大なパチンコを作って、それで自分を向こう岸まで飛ばそうとして現在まで三回、海峡に呑まれて溺死しかけた。しかし、今年もまた挑戦するつもりで、今回はパチンコの瞬発力をあげるのに、牛一頭を跡形もなく消せるほどのニトログリセリンを用いる予定らしい。」

この話に対するあなたの反応:「な、なんで!?」
あなたは女性です。

この話に対するあなたの反応:「すげー奴だぜ!!」
あなたは男性です。

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イシイ食品にエールを

1月 22nd, 2001 — 3:02am

日本で小学生として育った人間なら知らないものなどいないだろう――鍋で袋ごと煮るレトルトパックの「あの」ハンバーグを。独特の甘いトマトソースに浸かったハンバーグやミートボールはどこか切ない子供時代の味がする。個人的には母親が土曜日に働いていたので、半ドンの学校から帰ってくると、よくテーブルの上にイシイのハンバーグが置いてあった。一年中、よくおいてあるのだが、あれだけはまるで飽きるということがなかった。母親もそれをよく知っていたので「あれさえおいとけばだいじょうぶ」というありがたい食品だったのではないかと思う。そんなわけで未だにあれを食べていると、なんとなく土曜日の午後のような気がしてならない。懐かしい味である。きっとあの味をそう感じるのはぼくだけではないと思う。

しかし、料理を自分でするようになった今、そんなハンバーグの存在もすっかり頭の片隅にいっていたのだが、つい先日、夕ご飯を作る時間がなくてコンビニで何か買って食べるしかない状況というのがあった。コンビニの弁当はまだ食用にはほど遠いので、何か食べられそうなものを探していると、ふと「イシイ」のハンバーグが目についた。「でも、体に悪いんだろうな。保存料とかいっぱいで」と思って迷っていると、以前はなかったある文字が四角に囲まれて堂々とパッケージに記載されていた。
「無添加・無着色」
びっくりして裏側の原材料を見てみると、確かにコンビニ弁当やインスタント食品でおなじみの「phなんとか」とか「酸化なんとか剤」などのおよそ食べ物に入っていてはいけなそうな方程式のような名前の物質がひとつも入っていない。
さっそく買って食べてみたが、味は昔のままで、相変わらず絶妙のおいしさだった。昔からこうだったのかずっと考えていたのだが、先日偶然にもある新聞に「イシイ」の社長のインタビューが載っていて、謎が解けた。
記事に寄れば、イシイの社長(名前は忘れたが、おそらく石井ではないかと思う)は雪印などの食品の異物混入を嘆かわしく思っていて、自分たちの作る食品が特に子供向けなこともあって、今後は一切の添加物を使わない方針でやっていくことを決意したという。このために、添加物なしで作るのが不可能なコンビニ弁当などの分野からわざわざ撤退したそうだ。
ぼくは思わず拍手した。ぼくらの子供時代を支えてくれたイシイのハンバーグは今またぼくらの味方であろうとしている。たかがレトルトのハンバーグと思うかも知れない。でも、共働きで子供にほとんど食事を作ってやることを放棄した今の母親たちに代わって、「おふくろの味」を作っているのはこういった食品会社なのだ。「おふくろの味」
から一切の添加物を排除したイシイ食品にぼくは心からエールを送る。

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東京に雪が降った

1月 21st, 2001 — 3:00am

現在、深夜の四時。久しぶりにこの時間に起きている。
しかも、今、家に帰り着いたところ。本日は某所にて打ち上げに参加。ひとしきり騒いで楽しんで帰ってきたところだが、騒いでいるうちに外では雪が10cmぐらい積もっていて、一歩外に出ると路面が凍っていた。とにかくうかつにブレーキを踏むとスリップするので、ゆっくり徐行で首都高速を帰ってきた。

途中、通行止めになっている新宿出口、無人の外苑、そして人気のない環八、さらには真っ白の五日市街道と、かなり珍しいものをいろいろと見ることができた。うっすらと雪の積もった深夜の東京は、とても同じ町だとは思えなかった。すべてが雪が閉ざされたら、もはや東京も山口も区別が付かない。――ふと、「ああ、半世紀前はここはいつもこんな感じだったんだろうな」などと考えてみた。
今日だけはスタジオの横の幹線道路にもトラックの轟音が響かない。通りがかる酔っぱらいの声も聞こえない。外はまるで死に絶えたかのように静かだ。そして、まっしろだ。もう疲れて眠たかったが、少し無理をして二階の窓を開け、外を眺めてみた。
風は冷たいが、澄んでいる。いつもの排気ガスの臭いがしない。
束の間の東京の休息。
東京に雪が降った夜。

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深夜の買い物競争

1月 18th, 2001 — 2:59am

この前、深夜に近くのコンビニまで買い出しに行って、ふとそのコンビニにはファクシミリ用紙が売っていることに気がついた。「珍しいものを売ってるな」と思って、「コンビニでもけっこう場所によって売ってるものが違うな」と考えたとたん、ある突拍子もないゲームが頭に浮かんだ。

場所は日本の町ならどこでもいい。最小限、コンビニが各町内にひとつぐらいあることが条件。参加者は人数によって何グループかに分ける。理想としては1グループに三人ぐらいだろうか。それぞれのグループが最低一台ずつずつ車と携帯電話を持っていなければならない。
どこかを「本部」と定め、最初に全部のグループが「本部」に集まる。ここでそれぞれが白紙の紙を一枚渡される。 制限時間は1時間。この1時間の間に各グループは 町に散り、なるべくあまりコンビニで売っていそうもないものを売っているコンビニを探し回り、ひとつだけ珍しいと思う商品を先ほどの紙に書き留める。
1時間後、「本部」に集合した全グループはお互いに書いてきた商品名を交換し、よーいドンでそれを探しに行く。この際の制限時間は町の広さやコンビニの数、参加者の人数などで調整しないといけないだろうが、まあ、三時間ぐらいが適当と思われる。
無事その賞品が買えたら即、「本部」へ急行。最初に本部にたどり着いたグループが優勝である。
ゲームのスタート時間を深夜にした場合、店はコンビニに限定する必要はないかもしれない。深夜営業の店全般が対象でもおもしろいだろう。ポイントはいかに「真夜中に買えそうもない品物」を見つけてくるかである。東京周辺だと深夜でも探せばほとんどなんでも売っているので、かなりおもしろいはずだ。
この「真夜中の買い物競争」、いかにも現代の遊びらしくてよいと思うのだが、いかがなものだろうか? ちなみにうちの近くのコンビニには「パワーリスト」を売っているところが本当にある。

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変わった趣味もいろいろ

1月 17th, 2001 — 2:56am

世の中にはいろいろと変わったものを好きな人たちがいる。
ふた裏についたアイス。カプリコの下のところにたまったチョコレート。鮭の皮。チュッパチャップスの棒の周りに残った飴。消し炭のように焦げた焼き肉。梅干しの種の芯。ぼくの知り合いに一人、「つぶつぶみかんジュース」の「つぶつぶ」が好きで、網で分離して食べていた人すらいる。

ぼくの好きな変わった食べ物は「冷えた弁当」である。
と、いってもこれは広すぎる定義だ。
どんな弁当というわけではないのだ。
中学生の時にうちの母が作ってくれた家の弁当の冷えたやつが好きだった。
普通、弁当でいえば、誰もが冷えているやつよりは温かいやつを選ぶだろう。「ほっかほっか亭」や「ほかほか弁当」といった大手チェーン店のネーミングが何よりの証拠である。今まで「ひえひえ弁当」とか「さめざめ弁当」という名前の弁当屋を見たことがないから、おそらく温かい弁当を好む傾向の方がはるかに多勢だと考えても問題はないと思われる。
しかし、ぼくは昼休みに食べる母の冷えた弁当が大好きだった。
冷たくなって、少し粘りけの出た白米。
肉汁の出ないソーセージ。
柔らかくなったトマト。
衣はしなびて、肉は固くなった一口カツ。
なぜかと聞かれれば分からない。ただ、誰もがまずいと思うこの組み合わせがぼくの味覚にはひどくよく合っていた。一時期など家で食べるご飯もわざわざ弁当箱に詰めて、冷ましてから食べていたほどだ。
理由?――理由は、ない。
あなたが時々ないしょでプリンに醤油をかけて、ウニの味だと思って食べているのと同じである。

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ぼくの暴走行為

1月 16th, 2001 — 2:55am

三十分ほど前の話。

一方通行の道を何気なく車で走っていると、警察が検問をやっていた。とっさにシートベルトをしているかどうか確かめて、ちゃんとしていたので気にすることなく普通に前を通り過ぎた。
さらに百メートルほどいくと、もうひとつ検問があって、いきなりそこの警察官に車を停められた。何も違反をしていないのに、いったいどういうことかと思って止まると、警察官が真顔でぼくに言う。
「スピード違反です。」
「スピード違反!?」
ぼくはほとんどアクセルも踏まずにごく普通に走っていただけである。
「そんなスピード出してないはずですが――」
と、いうと、警察官の方も違反者全員にこう言われているのだろう、あからさまに申し訳なさそうな顔で「いや、ここ30キロなんですよね。」
車を普通に運転している人なら誰でも分かると思うが、30キロという数字は現実的にその速度で走っていたら、後ろからクラクションを鳴らされるような速度である。しかも、その道というのは信号もない直線道路で、一方通行の道、歩行者の歩くところもある――実際には30キロで走る人の方が珍しい。そんなわけだから、警察の車両の中には何人もの違反者が釈然としない顔で切符を切られるのを待っていた。
一方、そこから角をひとつ曲がった道路では車高の低いスポーツカーが少なくても80キロぐらいの速度で駆け抜けていく――次々に時速45キロなどの「スピード違反」で捕まっていくぼくらを尻目に。
切符を書きながら、警察官もその様子が気まずいのか、終始反対方向を見ていた。きっと彼らも矛盾しているのは分かっているのだろう。全員がどことなく後ろめたそうにしていた。

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頭の良くなる薬

1月 15th, 2001 — 2:53am

岡山の病院の入院初日、ぼくは頭痛がひどくて、とりあえず頭痛薬をもらえないかと病棟のナースステーションに頼んでいた。しばらくして看護婦さんが病室に現れ、ぼくに真顔でこう聞いてきた。

「頭、悪いんだって?」
一瞬、耳を疑った。その時にはまだ十代後半だったが、短い人生でもさすがにこれほど面と向かってそんなことを聞かれたことはなかった。
「あ……いや、その……なんていうか、人並みぐらいだと思うんですが……」
「おかしいわね。すごく悪いって聞いたんだけど。」
「あ――そ、そうなんですか。」
ショック!そうか。ぼくってそんなにばかだったのか。知らなかった。たしかまだ血液検査しか受けていないのに、それで分かるぐらいだからよっぽどの馬鹿なのだろう。
看護婦さんはカルテを見ながら、
「ここにそう書いてあるよ。」
落ち込んで待っていると、次に担当の医者がやってきた。
「君だろ、頭悪いの?」
「あ、いや、その……」
「頭、よくなる薬あるよ。」
「本当ですか!?」
正直、そんなすごい薬がもう発明されているなんて知らなかった。
「うん。飲むかね?」
「そりゃもうぜひ。」
これで受験も余裕で通るかもな、と思ってドキドキして薬を待っていたぼくのところに、その日の夕食と一緒に赤い文字で「頭痛薬」と書かれた袋が配られた。頭が良くならなくて残念だったけど、ちょっと安心した。

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入院していた頃

1月 13th, 2001 — 2:50am

昔、岡山の病院に半年入院していた頃があったのだが、人生でこんなに寂しいときもなかった。何しろその病院と来たら、岡山の市内から山ひとつ越えた、人里離れた県道沿いにあり、近くにほかにあるものが少年院と精神病専門の施設ぐらいだった。腎臓の専門ということでわざわざ治療を受けに行ったのだが、岡山にはそれまで足を踏み入れたこともなかったので、周辺200キロ四方ぐらいに知り合いが一人いない。そこに入院した時に地ならしをしていたとなりの土地に、退院する頃には10階建てのビルが建っていたので、どれくらいの時間、一人だったか想像してもらえると思う。

けっきょく、その病院では少しも体はよくならず、その時期が大変な無駄に思えて長い間後悔したが、年を取るにしたがって、必ずしもそうではなかったことに気がついた。とりあえず朝から晩まで暇なので、考える時間は有り余るほどあった。夕食がその日の最大のイベントになるような生活なので、一時間が想像を絶するほどに長い。もうこれでもかというぐらい、いろいろなことを考えた。――そして、日常的に知っている人が亡くなったり、その家族が泣きはらした目をこすりながらすれちがったりしていくところほど、考えるのに適したところもない。
同じ棟には生まれて以来、その棟から一歩も出たことのない小学生の女の子もいた。生まれつき腎臓がないので、病院から出ることができないのである。看護婦さんの話では、生涯をここで過ごすことになるかもしれないという。
ぼくはその頃まで何も考えず、ただ毎日をダラダラと遊びほうけている中学生だった。(もっともそれも人生では大事なことだったと思う。)そのぼくの目に映った病棟の現実はひどく残酷なものだった。後に東京や大阪の病院にも転院して、さらにひどい世界があることを思い知らされたが、それと比較しても、岡山で最初に受けた衝撃は生涯忘れられないものとなった。苦しむためだけに生まれてきたようにしか思えない人たちがたくさんいた。なんのためにこんなことが許されるのかがまったく分からなかった。
正直に言うと、今でも分からない。
ただ、あとに残る人たちに見送られながらあの病院を去ったとき、ぼくはたぶん大人になり始めたのだと思う。生きてるんだから生きなきゃ、とその時、何度も自分に言い聞かせた。

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800/原子力万能時代の幻影

1月 11th, 2001 — 2:48am

子供の時にアメリカで見た「スパイダーマン」のアニメーションの主題歌を実に二十五年ぶりに聴いた。これもネットとMP3のおかげである。実はどんな歌だったかはほぼ完璧に忘れていたのだが、とにかくすごくかっこいい歌だったことだけはしっかり憶えていた。ダウンロードしてワクワクしながら再生してみると、こんな歌詞の歌が始まってしまった。

スパイダーマン、スパイダーマン
蜘蛛と同じことはなんでもできる
どんな大きさの蜘蛛の巣も張れる
ドロボウだってハエみたいに捕まえる
気をつけろ! スパイダーマンがやってくる!

彼は強いの? もちろんさ!
だって放射性の血が流れてるんだ!
蜘蛛の糸で空を舞うの?
上を見てご覧!

スパイダーマン、スパイダーマン
ヘイ、マン! 蜘蛛男がやってくるぜ。

さて、この話の教訓はなんでしょう:
・思い出は思い出にしておく
・アメリカ人の作詞は狂っている
・「放射性の血」ってただの血液ガンじゃないのか
・一問一答式の歌詞はやめよう
・やっぱりMP3は違法だ

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