Archive for 10月 1999


800/驚異の人工知能

10月 29th, 1999 — 3:55pm

はるか昔、パソコンにできたのはこういうカーソルを表示することだけだった。
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高性能なパソコンになると、これを点滅させることもできた。
あと、計算もできた。
3*3=9
これら二つの機能を説明する750ページぐらいの説明書と共に売られていたそんなパソコンでも、ぼくやぼくの周りのインベーダー世代の子供はすぐに飛びついた。(もちろん当時極めて高価なパソコンが買えるはずもなく、店に展示してあるパソコンに飛びついたので、店員にはものすごく怒られた。)
まだファミコンが発売される前の話――「家庭用」のゲームが「ブロック崩し」しかなかった時代の話である。500mhzだとか12GBとかの単位が平気で横行している今のパソコンから比べると恥ずかしくなるような他愛もないものだったが、当時のぼくにとってはまさに夢の箱だった。
今でも忘れられないのが小学生の時に先生に見せてもらった「人工知能」のプログラムである。現在では頻出するこの単語自体が未知のもので、最初に聞いたときにはめまいがするほどSFチックに聞こえたのを憶えている。
とにかく何かパソコンに話しかけてみろというので、ドキドキしながらキーボードで(当然人差し指一本で五分ぐらいかけて)「ゲンキ デスカ?」と打ち込んでみた。
「ハイ」と即座にコンピューターが答える。
ぼくらは一斉に「おーっ!!」である。
「ナマエハ ナニデスカ?」ぼくは興奮気味にすばやく(三分)打ち込んだ。
「ワカリマセン」
「おーっ!!」
「ボクハ ムコウヤマ ト イイマス」
「ムコウヤマハ タベモノデスカ」
「おーっ!!」
「チガイマス」
「ムコウヤマハ イキモノ デスカ」
「ハイ」
「ワカリマシタ ムコウヤマヲ オボエマシタ」
どよめき。しばらくの間、ぼくはコンピュータに名前を憶えてもらったということでみんなの羨望の的だったが、誰かが「ウンコバエ」と入力すると「ウンコバエ ハ ムコウヤマ ト オナジ デスカ」と出たため、後に笑いものになった。
とにもかくにもこれはぼくにとって衝撃的な事件だった。そのパソコンは先生のものだったが、ぼくは人目を盗んではしょっちゅういじりに行っていた。一年の間に「人工知能」に500以上も単語を覚えさせ、プログラムをパンクさせたのがぼくである。結果、当時最先端のプログラムだった人工知能は一年の終わりの頃にはものすごく下品になっていた。先生がみんなの前で人工知能のお披露目をしようと「コウチョウセンセイ ハ ニンゲンです。」と打ち込んだとき、ぼくらによって力強く鍛えられた人工知能は自信を持って「コウチョウセンセイハ ウンコバエ ト ゲロ トハ チガウ シュルイ デスカ?」と聞き返してきた。
ぼくらは翌日、二時間職員室に正座させられた。
まあ、正直なところ、いじっているうちにすぐに人工知能の台詞のパターンが二十種類足らずしかないことには気がついた。でも、ぼくは敢えてそれに気がつかないふりをして、人工知能に夢中になり続けた。今となっては、それがシロウトのぼくでも組める程度の「人工知能」なのは分かっている。でも、そんなことはどうでもよかった。その箱はぼくにとっては触れることのできる「夢の未来」だったのだ。
あれから二十年。ぼくの仕事場であるスタジオには現在五台パソコンが置いてある。あの時の「夢の箱」は五台のパソコンはおろか、図書室に眠っているゲームウォッチにすら負けてしまうようなものになってしまった。人工知能は医療機器を操れるほどかしこくなったし、ぼくらはお茶の間から世界中のパソコンと会話ができるようになってしまった。いったいこの先、どこまで進化していくのか、もはや誰にも分からない。
ただ、不思議なことにぼくがあのボロいパソコンから感じ取っていたまぶしいほどの夢や希望や未来への期待感が今のパソコンからはもう感じられない。パソコンがそれだけ浸透したからなのか、はたまたぼくが年を取っただけなのか……
「ユメ トハ ナンデスカ?」
「タベモノ デスカ?」
「カイトウフノウ カイトウフノウ カイトウフノウ」

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800/当局が狙ってる

10月 27th, 1999 — 3:54pm

先日「陰謀のセオリー」という映画を見て知ったのだが、どうやらぼくらの周りにはたくさん陰謀が渦巻いていて、当局が国民を監視しているらしい。実はこのことにはぼくもだいぶ前から気がついていた。スタジオに年数回の割合で「高橋さん、いらっしゃいますか?」とかかってくる間違い電話が実は当局の調査団であることは明白である。以前にスタジオに外から電話したとき、下2桁を間違えてかけてみると、「高橋です。」という人が出たのだから、その工作の念の入りようはたいしたものだ。四年前の都知事選で投票用紙に「禿げてないやつ」と書いて入れたのがよほど当局の逆鱗に触れたのであろう。
考え始めると、
監視されていると思われる証拠が無数に浮かんでくる。
電話だけでなく、ネット上のぼくの行動も逐一モニターされているはずだ。何しろ定期的に送られてくる着物の通信販売に似せた巧妙なメールなどはぼくが何度断っても必ずやってくる。――さらに不可解なのはPHSの通信中に突然通話が一時的にとぎれる現象が家の周辺で多発することだ。その時には同時に液晶画面に表示されているアンテナのマーク(たぶん電話会社のシンボルではないかと思われる)が突如として消えてしまう。明らかに傍受である。周辺に怪しい工作員がいないかと思って偵察したところ、ぼくの常人離れした観察力が以前は横の電信柱にあったアンテナのようなものが消えていることに気がついた。素早い。ぼくの行動をいち早く察知しての隠蔽工作であろう。敵の巨大さが伺い知れる。
通信傍受法が施行された暁には真っ先にスタジオが傍受の対象とされるはずだ。何しろスタジオは実に多くの犯罪に関わっている。――まずは猥褻画の貯蔵だ。スタジオの書庫には明らかに当局のガイドラインに反すると思われる著作物が最低二冊はある。中でも凶悪なのは「郵便受け」という英語をコードネームに冠した、こともあろうに週に一度の頻度で発行されている猥褻戯画集である。これだけでも見つかれば終身刑は免れないだろう。
さらに恐ろしい告白をせねばならない。我がスタジオでは猥褻画の貯蔵に勝るとも劣らない重大な国家的犯罪が行われている。言葉として書くのすら恐ろしいが、当スタジオの全員が薬物を服用しているのだ。しかも、それはスタジオに大量に常備されているという始末だ。極めて強力なこの薬物は一旦服用するとわずかな間に意識が朦朧として、瞬く間に睡眠状態へと導かれる。しかも、薬物の種類は一種類ではない。「ルル」や「コルゲン」などという怪しい外人名がつけられた薬品が無数にあるのだ。
おそらくここまで悪質な犯罪になると、当局も逮捕を考えず、直接始末を考慮し始めているだろう。このことは先日最寄り駅の構内でぼくが通る場所をあらかじめ予想した上、ゲロに見せかけた潤滑剤が散布されていたことでも裏付けられる。もしもとっさに背後にいた巨漢のおばさんに変装した工作員にしがみつくという機転を利かせていなければ、おそらく足を滑らせたぼくは、あの時にコンクリートの床で絶命していたはずだ。恐ろしいのは事前に注意をそらすため、わざわざぼくの愛読する雑誌の発売日を選び、尚かつX地点直前のキオスクの目立つ場所にその雑誌を展示していたことである。考えてみれば、キオスクの店員のしゃべり方もどこか不自然であった気がする。
こうなれば誰も信じることはできない。自分の身は自分で守るしかない。古くからの知り合いであるスタッフですら安心はできない。何しろすでに当局の手によって本人は消され、替え玉がその代わりを務めている可能性があるからだ。事実、最近スタッフの一人の顔の輪郭が微妙に変化したのをぼくは見逃していない。当局はぼくの観察能力をみくびっているが、顔の輪郭だけでなく、そのスタッフの体型が微妙に変わっていることもぼくは見抜いている。明らかに以前より下腹と太股が大きい。そして、自らの観察力に驚嘆さえ覚えるが、彼の食事の好みが変わったことすらぼくは瞬時に見破った。以前は淡泊な食事が中心であったのに、近年、彼は脂っこいものを好むようになった。体型や輪郭が変化したのも時期的に重なるので、別人であることはまず間違いない。
そして昨日、当局から最後通告が来た。赤いまがまがしいハガキには多額の上納金を納めない限り、三日後にぼくのライフラインを停止するというあからさまな脅迫文が記載されている。
絶望的な状況だが、ぼくはこの事態にさえ一抹の希望を見い出すことに成功した。今まで謎だった当局の前線基地を発見したのである。やつらも今度ばかりは油断したようだ。と、いうのもその赤いハガキの裏にやつらのシンボルマークがいくつか掲載されていたのである。これらのマークはどれも近くで見たことがある。以前から変に思っていたのだ。何しろこれらのマークを冠した店舗にはすべて共通の暗号「24」が併記されているからである。この数字が何を意味するのかはまだ分からない。しかし、残された最後の希望はこの暗号の解読にある。残り時間はあと三日――ぼくは最後まで戦うつもりだ。

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800/遠い国の思い出

10月 27th, 1999 — 3:53pm

その頃、ぼくは両親の仕事の都合でアメリカに住んでいた。アメリカといってもすぐに連想されるニューヨークやロサンゼルスとはほど遠い、テキサス州のど真ん中、基本的に何もないところである。ウェーコという何年か前にとても不名誉な事件で有名になった町だが、できれば「ドクターペッパー」の生まれ故郷という憶え方をしてほしいと思っている。典型的な南部の田舎町で、とにかく広いだけで何もない。庭が東京ドームぐらいある家などざらにある。少し郊外に出ると、家と家の距離が離れすぎていて、冬場などは隣へ砂糖を借りに行く途中で遭難したりするところだ。
当時は普通のアメリカの小学校に通っていたのだが、家から学校までは平気で二十キロぐらいあるので、毎日親が車で送り迎えをすることになる。当然友達は家のそばになど住んでいるはずもなく、だいたい一人で本やテレビを相手に遊んでいた。今から考えてみるとひどく茫漠とした日常だったように思う。
父親の仕事が主に大学関係だったため、住んでいたのはベイラー大学というキャンパスに隣接したアパートだった。向こうの大学は日本のものとは比較にならないほど大きく、それだけでひとつの町として機能するほどの巨大さだ。ぼくにとって、学校のない日の遊び場はいつもそのキャンパスだった。どこもかしこもすべて芝生に覆われて、百年来立っている大木があっちこっちにある、とても美しいところで、暖かい季節はリスがよく走り回っていた。
休日の午前中に母親のくれた1ドル札のおこづかい(当時の感覚で三百円ぐらいだろうか)を持って、宛もなくそのキャンパスに出かけた。黒いアスファルトの地面と緑色の芝生を交互に渡りながら何をするでもなく、そこらのベンチに腰掛けてみたり、木から吊されたブランコを漕いでみたり、華やかなアメリカの大学生のお兄ちゃんお姉ちゃんの間をすり抜けながら宛もなく歩き回る。当時はまだアメリカも平和で、どの建物もみんな自由に出入りできたので、暑くなったり寒くなったりしたら、適当にどこかへ入れば良かった。たいていの建物には水飲み場があったので、一口水分を補給して、体力が戻るまでロビーか何かのソファで休む。
時間がすごくゆっくりだったのを憶えている。夏場に冷房の効いたロビーで木製のベンチに寝転び、壁に掛かった時計の針が進んでいくのをじっと一時間ぐらい見ていた記憶がある。気が向いたら自動販売機でジュース(当然ドクターペッパー)を買って、お金のあるときはお菓子の自販機からピーナツバターかチーズを挟んだクラッカーも買って、窓から外の様子を見ながらちびちびとそれをかじってはドクターペッパーを飲んだ。もしも人生に完璧な幸せというものがあるなら、それは誰もいない真昼の大学のキャンパスでドクターペッパーを飲みながら、チーズの挟まったクラッカーをのんびりかじることである。一度試してみてほしい。
そうやっている時にずいぶんと多くのことを考えた気がする。未来のことをよく考えた。いつか大人になる遠い日のことを空想して、前に広がっている果てしないほど長い時間に圧倒されていた。あのころは人生が永遠に続くように思えた。小学校の終わりさえもまだ見えないというのに、その先には中学、高校、大学と待っていて、それでもやっと人生の4分の1ぐらいが過ぎただけだというのだ。自分の存在がちっぽけだと感じるのと同時に、なんでもやってできないはずがない気もしていた。――ドクターペッパーの缶の裏にある「スターウォーズ限定フィギュア」の応募要項を読む合間に、そんな気の遠くなる未来のことを考えた。今でもその時、口の中に広がっていたインチキ臭いまがい物のピーナツバターの味はよく憶えている。
そして、夕方になると、決まってぼくはあるところに向かう。キャンパスの中心にあるユニオン・ビルディングという建物で、学生ラウンジのようなところだった。一階には本屋とカフェテリアがあって、大好きな場所の一つだった。たいしてお金はないので何も買えないのだが、一通り本屋の中を散策してから出口のところにあるガムやキャンディーの自動販売機の前で足を止める。ここまでまだジュースもお菓子も買っていない日は、その自販機のレバーをガチャガチャと回してお菓子を買う。小学校の高学年になって、もう少し余計におこづかいをもらえるようになってからは、本屋のとなりのカフェテリアでポテトやホットドッグを買うこともあった。そんな時はずいぶん自分が大人になった気がしていた。
そして、一日のハイライトがやってくる。ぼくはそこまで大事に残しておいたお金を握りしめて、わくわくしながら建物の地下へと向かう。書店の脇についている細い地下への階段はいつもほかのところよりも少しひんやりとしていて、何かしら花のにおいのようないい香りがした。階段を駆け下りると、ボーリング場とビリヤード場があるのだが、ぼくの目当ては違うものである。ビリヤード場の奥に並べられた十台ほどのビデオゲーム機――入ったと同時に両替をして、新しい機械が入っていないか端から順に見ていく。すぐにはお金を入れない。せいぜい三回か四回ぐらいしかできないので、しばらくデモ画面を見て心を満たしたりする。(へたくそだったので実際のゲームは数分で終わってしまうのだ。)いつも最後の25セント玉をなかなか使うことができなくて、三十分ぐらい機械の前を行ったり来たりしていた。
なぜかそのビリヤード場はいつもお客さんがいなくて、たいていぼく一人きりだったので、そこはぼくだけの聖域だった。静かな涼しい地下室で鳴り響くゲームの音が耳に心地よかった。
そんな毎日が漠然と過ぎていったあのころ、時間は永遠に思えた。ぼくはいつまでも小学生で、夏の日の午後は果てしなく続くはずだった。そんな日々を過去と呼んで懐かしむ日が来るなんて夢にも思わなかった。――もうアメリカには十五年間行っていない。それでも今も時々夢の中であの地下への階段を駆け下りるとき、ぼくは相変わらず野球帽をかぶった小さな子供で、右手には1ドル札をにぎりしめていて、まだ見ぬ世界にわくわくしている。なんだ、やっぱりぼくは子供じゃないか、大人になるのなんてまだ遠い先の話じゃないか、おかしいと思ったんだ――と、小さな頭で考えながら。

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モナリザもびっくり

10月 24th, 1999 — 12:27am

今日、おもしろいものを見た。 昔からまがいものというのはいっぱいあって、ドンキーコングの全盛期にはクレージーコングがあったし、最近ではiMacにはe-oneがある。しかし、今日見つけたのは傑作だった。何しろ遠くから見たときにはどう見ても都内に無数にある超有名高級喫茶店にしか思えなかった。近づいていくにしたがって、どうしても名前が微妙に変な気がし始めたのだが、それにしてもそっくりなので本当にそばに行くまでは目の方を疑っていた。ううむ。すごい。ここまで来るとパクリにも気合いを感じる。たまたまデジカメを持っていたので、その目でとくとご覧あれ。(東京近郊にお住まいでない方:首都圏に極めてたくさん店舗をかまえる高級喫茶店チェーンにこれとまったく同じもので名前が微妙に違うものがあるんです。)

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喫茶店など夢のまた夢

10月 23rd, 1999 — 12:17am

秋だねー。
今日の小平市は外の風がとても気持ちのいい日だった。葉っぱが木から落ち始めて、日もどんどん短くなって、どこか理由もなくもの悲しく、昔のことを考えてしまう季節なのだけど、今の時期がぼくは一年で一番好きだ。
この季節に外を歩いていると、よく思い出すのは小学校の帰り道。家が割と遠くて、近所に友達がいなかったので、たいてい一人で道草しながらとぼとぼ帰っていた。お金は持ってはいけない規則だったので、もちろん一文無し。よくジュースの自動販売機に温かい珈琲が登場したのを見て、「飲みたいなあ」と思いながら帰っていた。今は温かい缶珈琲は好きなだけ買えるようになったが、もう、あのゆっくりとした時間には決して帰れない。


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おれは好き第五回/ドクターペッパー

10月 13th, 1999 — 12:10am

このコーナーでしょっちゅう登場しているので、名前を憶えた方も多いかと思われる炭酸系毒物飲料。よく「喉シロップみたい」とか「コーラと梅酒を混ぜたような味」とかいろいろ言われるが、だまされたと思って何回か飲んでみてほしい。なしでは生きられなくなります。嘘か本当かは分からないが、コーラよりはずっと体にいいらしく、ニキビもできないとか。まあ、日本では関東圏しか売ってない上、よくまずい飲み物の代名詞として用いられるぐらいなのでメジャーになるのは難しいかもしれないが、それでもおれは好き。

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おれは好き第四回/ページメーカー

10月 12th, 1999 — 12:09am

DTPと言えばクオークエクスプレス。これはもう出版界の常識。なのに、ぼくは頑なにページメーカーを使い続けている。なぜか?――まあ、平たく言うと理由なんかない。ただ、最初にそっちを買ったからで、それもただ、そっちの方が安かったからだ。強いて言えば箱とかのデザインセンスがぜんぜんいいからか。――しかし!!ここに来てページメーカーにこだわるのもあながち無駄ではなくなってきた。アドビがページメーカーの後継ソフト「インデザイン」を発表したからだ。「インデザイン」の別名は「クオークキラー」!その名の通りのシロモノだ。だから、今なら声高々と言える。ページメーカー、おれは好き!!

アドビの新製品「InDesign」日本語版がもうすぐ発売される2000年末。けっこう時間が経ったんですねー。

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おれは好き第三回/下関見聞録

10月 11th, 1999 — 12:06am

何か知らない人はここを見よう。とにかく更新されない。企画は適当。デザインをしようという気持ちは皆無。でも、作っている本人である大ちゃんの人柄がにじみ出ていて、妙な味がある。スタッフ全員でことあるごとに更新を求めているのだが、本人は「やるやる」と言いながら忘れているので、ぜひ「更新希望」というメールをやつのところに送りつけてほしい。とにかく、なんだかんだ言ってもこのページ、おれは好き。

その後リニューアルした「しもけん」は頻繁に更新される人気サイトになりました。

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おれは好き第二回/魚肉ソーセージパン

10月 10th, 1999 — 12:05am

まず、これが何かという問題だが、70年代以前に生まれた人なら見当がつくと思う。かつてソーセージと言えばマトンとか魚肉とかその他得体の知れない原材料がてんこ盛りに入ったあのピンク色の物体のことだった。あれをパンにはさんでパン粉をつけてきつね色に揚げたパンがかつては「ソーセージパン」だったのである。もちろん、今のような「シャウエッセン」などといったものはない。おせじにもうまいといえるようなシロモノではないのだが、おれは好き。

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おれは好き第一回/ツイスト

10月 9th, 1999 — 12:03am

ツイスト。――なぜかあまりどこにも置いていない。あの大きさ、あの甘さ、あの砂糖のツヤ。どこをとっても非の打ち所のないドーナツだというのに、 どういうわけかあまり見かけない。そりゃ、確かに生地も味もハニーディップと一緒だ。いや、色も歯触りも同じだと言ってもいい。平たく言うとただのねじ曲がった大きいハニーディップだ。わざわざ置く必要はないという意見もあるかもしれない。でも、みんなは見逃している。あの上に乗っている「黄色いつぶつぶ」を!――二番煎じと言われてもおれは好き。

最近、そのツイストがうちのミスドから完全に消えてしまいました……。

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