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立派な社会人男性になるために

9月 28th, 2009 — 2:20am

 うそをついてはいけない。
 会社の昼休みに男性ばかりで集まった時、「民主党が与党になった」ことを話題にして、「鳩山ではだめだよ」などとつぶやいているあなた。うそをついてはいけない。もしあなたがぼくと同じ、日本にいる平均的な社会人男性なら、本当は民主党が政権を取った意味合いなんてこれっぽちも分かっていないはずだ。いろいろ知っているふりをしているが、本当はぼくと同じで、正面からの写真だと国会議事堂とタージ=マハールの区別がつかないのは分かっている。何しろぼくらは子供の頃、政治とか経済のことなんて何も関心がなかった世代だ。ぼくらが関心があったのはただ、キン肉マンの新しい必殺技が本当に人間に可能かどうかということだけで、それを桂くんと堀江くんと一緒に体育館のマットでお互いに試してみることだったはずだ。
 民主党のマニフェストだって、「高速道路がただになる」というのと、「子供がいたらお金がもらえる」というところ以外、たいして興味なんてなかったはずだ。それどころかマニフェストがどこの国の料理かと聞かれたら、きっと真顔で「ブラジルじゃないかな。たしか鶏肉の料理のはずだよ」などと答えていたはずだ。少なくとも、ぼくは真剣にそう答えたことがある。
 しかし、立派な大人の男性になるためにはどうやら「政治」と「経済」に詳しくないといけないらしい。ドラクエのすれちがい通信よりも、国会の予算案の方が興味のあるふりをしていないといけないようだ。もちろんぼくもあなたも関心があるのは国が何兆円損したことよりも、駅前の食堂のメンチカツ定食が480円から580円になったことの方なのだが、それは絶対に認めてはならない。何しろ、ぼくらは日本の未来を背負う、社会人男性なのだ。男らしく振る舞い、男らしい会話をしなければならない。
 例えば三、四十台の男性社会人が昼休みに交わすべき理想の会話というのはこうである。

男性会社員A「民主党が政権を取ったから、日本も終わりだな」
男性会社員B「だな。子供手当の財源とか、いったいどこからひっぱってくるつもりなんだ」
男性会社員A「まったくだよ。この不況の時にまた消費税でもあげられたらたまらないよ」
男性会社員B「これからは銀行も頼りにならないから、やっぱり自分で投資していかないとな」
男性会社員A「おれはFXを始めたよ」
男性会社員B「あれ? そういえばFXの前ってなんだっけ」
男性会社員A「たしか電王だろう。その前がブレード。」

 だいたいどの台詞のあとにも、疲れたような溜息を一回ついて、あとは遠い目でたばこを吹かせば完璧だ。どこから見ても、立派な日本の男性社会人である。大事なのは物憂げに見えること。例えそれが本当は「40インチのテレビ、液晶とプラズマのどっちにするべきか」という憂いであっても、外から見れば似たようなものである。
 ただし、注意点はいくつかあるので、気を付けて欲しい。
 まず、昨夜見た「TVタックル」は相手も見ているので、いくらかっこよい意見を番組で聞いたとしても、それをそのまま使ってはいけない。少しひねりを加えて、さも自分で考えたことであるかのように言い直す必要がある。例えば上の会話で会社員Aが「日本は終わりだ」と言っているのは、これは昨夜のTVタックルで「日本の危機です」という意見をアレンジしたものだが、もちろん会社員Aはなぜ「民主党が政権をとると日本が終わるのか」なんて分からない。ただ、男っぽくてかっこいい意見だし、第一、日本が終わったらきっと北斗の拳みたいな世界になるので、それが楽しみなだけだ。もしかしたら民主党が秘密結社で、世界征服を企んでいるのかもしれない——等と想像すると、ちょっと民主党が好きになれそうなので、そう言ってみただけである。
 また、Aはその次の台詞で消費税を例としてあげてるが、これは日本国の幾多ある税金の中で、彼がなんとなく理解できている唯一の税金が消費税だからだ。中学の時にお母さんから教えてもらったので間違いない。100円のチョコを買った時には105円払わなければいけない。なぜ払わなければいけないのかは難しくて覚えていないが、とりあえず100円という値札を鵜呑みにしてはいけないことだけは分かっている。
 一方Bは「投資」という言葉をを使っている。これはとにかく男性が三十代以上になったら口にしないと格好悪い言葉なのだ。ぼくもそのことに割と早く気がついたので、三十代前半からは一文に一回ぐらい「投資」を入れるようにしている。

例:「この前、あんまり寒いから投資しそうになったよ」
  「きれいな女の人が歩いていると投資能力があったらいいと思わない?」

 もちろん、「デイトレード」とか「リスクヘッジ」とか「レバレッジ」とか、そういうかっこいい経済用語も好んで使うようにしている。

例:「デイトレードって昔よく飲んでたよな。スポーツとかのあとに」
  「リスクヘッジってパンクやるならいいバンド名だけど」
  「ごめん。おれ、焼き鳥は好きなんだけど、レバレッジだけ苦手なんだよ」

 今や、こんな不況の世の中——女の人がどんどん強くなっている時代だからこそ、これからの男性は少しでも威厳を保つようにしなければ、男性の立場はもはや風前の灯火である。「男の人の話って難しくて分からないわ」と女性に言ってもらうためには、とにかく一ミリも分からないニュースでも思慮深くうなずき、聞いたこともない単語でもそれっぽく返答をするしかない。二十一世紀はどうやら男性には難しい時代になりそうだ。三十まで少年ジャンプを読んでいたツケが回ってきたのかもしれない。もしどこかの政党が、うちの政党は少年ジャンプの「努力・友情・勝利」をマニフェストに掲げ、党内の議員全員をジョジョのスタンドの名前で呼びます——とでも発表する勇気があれば、下手したら今の日本はそれだけでその党が大勝しそうで怖い気がする。
 ぼくもいつの間にか、そうして大人の男性になった。もちろん今でも比例代表区が東京二十三区のどこにあるのか分からないけど、それでも五十になるまでには民主党の特徴をちゃんと答えられるようにはなっていたいと思う。——その頃まで民主党がまだ活躍していればの話だが。

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800/赤い袋のやつをくれ

9月 18th, 2004 — 4:29am

普通のやつが見つからない。
どこを探しても見つからない。
ぼくの家の周りにはどう少なく見積もっても半径1キロ以内に スーパーが6軒ある。コンビニに至っては優に20軒は下らない。 にも関わらず、見つからないのである。
普通のキャラメルコーンが。
「いちごマロン味」とか「アップルサイダー味」とかはどうで もいいのだ。ぼくは普通のキャラメルコーンが食べたいのだ。

でも、キャラメルコーンはまだいい方だ。たまに赤い袋の奴を 見かけることがある(たぶん鯨のベーコンを見かけるのと同じぐ らいの確立だと思う) 。
昔ぼくが好きだったチートスというスナック菓子の、一番標準 的なやつなんか、この十年の間、一度も見たことがない。そのく せ、「デラックスチーズ」とか「わさびこしょう」とかいうふざ けた味付けのチートスはあっちこっちに置いてある。しかも、万 が一そのうちのどれかを何かの間違いで好きになったとしても、 次に行ったときにはもうその商品はないし、まるでいやがらせの ように二度と再び未来永劫金輪際、日の目を見ることはないの だ。まるで壮絶な美人局にあったような気分になる。

ポッキーはいつの間にか太くなってるし、おっとっとやアポロ チョコは巨大化してるし、普通の板チョコまでが見当たらなく なってる。いったいどうなっているんだ、お菓子業界!

ぼくの子供時代のお菓子には断固として変わらない根性と意地 があった。たとえば、ぼくが7歳から17歳まで通った近所の駄菓 子屋などは、干支が一回りしても、商品の配列さえ一度も変わら なかった。新製品といえば、十年の間に「アイスクリームガム」 が「新アイスクリームガム」になったのと(ロゴが変わっただ け)、はずれのきなこ飴の大きさが1センチ縮んだことぐらいであ る。
ばばあの後ろの棚にあったプラスチック容器に入っているスル メイカなど、誓ってもいいが、7歳の時から成人するまで位置が 一度も変わらなかった。それも容器じゃなくて、中の商品のスル メの方だ。にもかかわらず、スルメは腐りもせず、色も変わらな いんだぞ! (これは昔のお菓子はみんな抗ガン剤に匹敵する強 力な保存料が目分量で使われていたから。)
こういう根性の座ったお菓子がぼくは好きなのだ。

このような世代に育ち、今、製菓会社の陰謀によって、開けた 瞬間に十秒間だけ懐かしんだあと、何一つ仕様用途がない昔のア ニメキャラのフィギュアを一人頭平均60体ぐらい買わされて、も う二度とひっかかるまいと誓いながらも、また「思い出の昭和な んちゃら」シリーズの収集に踊らされている世代を代表して全国 のコンビニに一言もの申す!

いいか! 季節ごとにころころパッケージが変わって、女子供 に媚びを売るポッキーなどポッキーではない。我々の知っている ポッキーは赤い箱にズバッとPOCKY、これだけで十分なの だ。「秋の新味」もいらないし、一年中期間限定生産もしなくて いい。セブンイレブンだけの限定色もいらん! ましてやおれの 顔より長いポッキーなどなんで買う必要があろうか!

カルビーのポテトチップスは「うす塩」か「コンソメ」だけを 置け。最高に妥協して「フレンチサラダ」までだ! グリーンタ イカレーが食いたいなら、グリーンタイカレーを食う! だから ポテトにグリーンタイカレーを塗るな! だいたいグリーンタイ カレーってなんだ!?

そして、ビスコをビニールパックで売るな! ちゃんと箱で売 れ! ただでさえ病院のおやつに出るようなお菓子にさらに胚芽 加えてもっとヘルシーにするんじゃない! これも箱は赤だ! なんで赤の箱をみんなそんなに嫌う! 赤でいいじゃないか!

「小枝」は伸びるな! 伸びるんじゃない! あれは長くて5セ ンチまでだ! 立てて売られている小枝チョコなんてごめんだ! そして、栗をねりこむな! 知らずに食って、腐ってるのかと 思うだろ!

「カール」! 何が「博多めんたい味」だ! そんなもの「う まい棒」が三十年前からやってるんだよ! 「うすあじ」と「チ ーズ」以外の味を抹消しろ! そしてカールおじさんに虫取り網 以上の小物を持たせるな! おじさんはコスプレなんかしたくな いんだよ! おじさんは「チーズ味」の緑の袋の隅に小さく乗っ ていたい謙虚なキャラなんだよ! 我々はあの素朴なおじさんが 好きなんだよ!

チロルチョコ! てめえの親戚はもう見飽きた! 本物出てこ い! いつからバナナとか抹茶味みたいな軟弱な味になったんだ よ、おまえはよ! チロルっていったらコーヒーだろう、コーヒ ー!

ついでに冷蔵コーナー!「ぷっちんプリン」のでかくないやつ はどこにあるんだ! 何か国家的な陰謀なのか、あの大きさは? 後ろの棒がでかすぎて「ぷっちん」っていわないんだよ! 折っ たら「ぼきっ!」ってなるんだよ! いやだろうが、そんな「ぷ ちんプリン」!

コカコーラ!! C2? C2ってなんだ? 未来から来た液体金属 の殺し屋か? おれのコーラに余計な数字をつけるな! カロリ ーをいちいち表示するな! 健康を気にするぐらいならそもそも コーラなんか飲まんわ!

菓子パン! 最近けっこううまいんだよ! コンビニの菓子パ ンがうまいはずないだろう! 工夫するなよ! ローズネット クッキー以外は全部まずくていいんだよ! (まあ、これはいい か。)

はあはあはあはあ……。
とにかく! とにかく、ほかは許すからこれだけは約束してく れ。たとえどんな異常気象が日本を襲っても、ブッシュ政権がま た今回もインチキをして当再選しても、プロ野球が1リーグ8チ ーム制になっても、どうかどうかチョコフレークだけは置いてい てくれ。そして、できればあの軽薄なアルミの袋じゃなく、昔の 食べにくい箱に戻してくれ。
後生だ。

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800/森さんだって気になる

5月 19th, 2001 — 3:23am

今日ふと思い立って懐かしい友人の名前でネットを検索してみると、中学校以来会ってないその友人がどこの大学で何を勉強したかが分かってしまった。つくづくすごい世の中だと思った。それでその時、ふと思ったのだが、こうやってネットを情報集めて回るロボット型の検索エンジンを逆に利用すれば、けっこう罠をはっておくことも可能だなと思ってしまった。

例えば、ここに意味もなく「森内閣」と書いてその横に「好き」などという言葉を添えておくと、この組み合わせが同じページ上で見つかることが極めて稀なこともあり、もしも本人が検索したら一発でこのページに当たると思う。あるいは今こうしている間にも日本のどこかでは同時に森さんもこれを読んでいるかもしれない。そして使い方は良く分からなかったけど、とりあえずIT講習会の記念品でもらったパソコンにしがみつき、ドキドキしながらここを読んでいるはずである。

すみません、森さん。
もう一度「嫌いじゃない」あたりで挑戦してみて下さい。
まあ、その場合もここのページがヒットしてしまいますが。

(今、森さんはブラウザのバックボタンを連打してフレッシュアイの検索画面まで戻り、必死に「小泉」「田中」「嫌い」でand検索をしているところである。)

そんなことを打っているうちにさらに思い付いたのだが、例えば好きな相手がいるのに、告白できないそんなあなたなら、こんなのはどうだろうか:どこからもリンクのはってないページに好きな人の名前を十回書いて、その下にその人宛のラブレターを書いて、適当にネット上に放置しておく。そのうちどこかの検索エンジンが拾ってくれるはずなので、あとはいつの日か、本人がその検索エンジンで自分の名前を検索する日を待つ。もし彼氏/彼女が大変な有名人でなければ、おそらくトップにヒットするはず。ほんの少しの可能性に赤い糸をかけてみる。そんな他力本願のネット告白はどうでしょう?
ただし、相手の名前が「広末」「宇多田」とかだった場合、ヒットしても76298件目あたりになると思うので、まあ、相手が存命中に訪れることはないと思いますが。

(今、「森さん」「好き」「赤い糸」で検索していた森さんが、またこのページにたどり着いてパソコンを壁にたたきつけて壊したところである。)

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800/男の厨房2 —さらに準備編—

5月 17th, 2001 — 4:01pm

以前からこのコラムを読んでいる熱心な方は、すでに「基本編」を読んで、すっかり台所を片づけ、調理の準備が整った頃だと思う。(「基本編」は半年前に書いた。)そこで次のステップだが、まずは食材を買いに町に出よう。当然料理など小学校の家庭科の授業で作った豚汁(それも失敗した)以来していないあなたは食材をどこで買うのか知らないはずである。安心してほしい。世間に数ある「料理の基本」を唱える本は、すべて生まれたときから本能的に掃除機のかけ方を知っているような生物である女性に向けて書かれているので、男性には不向きだ。そこで当コラムは本当に男性に役立つよう、「料理の基本の基本の前の準備に必要な常識」のところから始めるので、「パルスフライヤー」がゲッターロボの武器だと思っているあなたでも大丈夫である。
まず食材別にどこで買うかを確認していこう。
とりあえず日本人なら何はなくても米である。白米さえあれば、あとはなんとでもなるというものだ。その米だが、これは米屋に売っている。
この時点でこのコラムを読んでいる女性読者は溜息をついて肩をすくめているが、男性の読者の半分はひそかに焦っているはずだ。米屋? そんなもの見たことないぞ? どこにあるんだ、そんなもの?
安心してほしい。当コラムはそんなあなたのレベルを想定して書かれているので、当然米屋の場所も紹介しよう。米屋は「果実のさかもと」と「丸大フーズ」の間、コインランドリーから道を挟んだ向かい側にあるので、すぐに「中央通り商店街」に行こう。
米屋に着いたらそこであなたはまた戸惑うはずだ。米はどんな単位で売っているのだ? 粒か? 店の親父に「米くれ」と言うだけでは笑われるのではないか? この店の中に雑然と置かれている堆肥の袋のようなものはなんだ? 肝心の米はどこだ? そして、なんでプラッシーは米屋でしか売っていないのだ?
周りに散乱する堆肥の袋には「あきたこまち」とか「ささにしき」という名前が書かれていることからも分かるように、これらは明らかに米ではない。おそらく相撲取りか何かだ。開けてみても、中にはあなたが二年三ヶ月の間置いておいたラーメンの汁に発生していた虫によく似た固い小さなつぶつぶが入っているだけで、あなたがいつも牛丼屋で頼んでいる米とはどう考えても違うものだ。ここは迷わず奥の棚へ進もう。米屋の奥のほこりをかぶった棚には親父が北海道旅行で買ってきたくまの置物と並んで、白いプラスチック製の弁当箱のようなものが積まれているはずだ。ひとつ手にとってみよう。「サトウのごはん」と書かれていれば間違いない。ちゃんとビニールの透明の部分から中に入っているごはんが見えるはずだ。今度こそ間違いなくあなたが知っているご飯だ。先ほどの偽物とは似ても似つかないしろものである。そう、米とはこうして売られているものなのだ。
米を手に入れたら、次はおかずである。ここで行き先を自由に任せるとあなたは迷わずほかほか弁当に入って「おかずのみ」を注文するであろうが、今回は「料理」である。おかずも自分で作らなければいけないのだ。――しかし、それは「五大基本調味料」が塩、醤油、マヨネーズ、ケチャップと味の素だと思っているあなたにはあまりにも難解な課題だ。万が一にも肉と野菜などバラバラに買ってきて調理しようものなら、ボツリヌス菌で中毒死するのが関の山である。そこであなたが買い物をする際、キーワードとなるのは「レトルト」「インスタント」「冷凍」の三つの言葉である。基本的にはこのうちのどれかが記載されている食材を選ぶようにしよう。
さて、ここまでの行程を完璧にこなせたら(女性読者へメモ:すでに半分は脱落している)、さっさと家に帰ろう。帰り道にパチンコ屋に立ち寄って、炎天下の路上に刺身を放置して二時間打って帰るのは好ましくない。家に着いたら食材は冷蔵庫に入れるべきである。この時、どの食材を冷蔵庫に入れて、どれを入れないのかの判断は難しい。特に野菜や果物に関してはラベルも貼ってないので、間違えてネギの代わりにニラを買ってきたようなあなたには到底判断は不可能だ。しかも、それを刻んでざるそばのつゆにたっぷり入れて食べたのに、けっきょく気がつかなかったあなたはもはや問題外だ。そこでこのコラムでは冷蔵庫に入れる食品と入れない食品を見分けるための簡単な表を用意しておいた。次の三つのステップに従って区別してほしい。

ステップ1:食品を三日間、玄関に放置する。
ステップ2:三日後に様子を見る。
ステップ3:腐っている場合、それは冷蔵庫に入れるべき食品。

この方法の優れているところはどのみちステップ1はやっているはずだからである。あとは次の二つのステップを実行すれば、確実に冷蔵庫に入れるべき食品が判明する。さて、いよいよ調理に入りたいところだが、時間になってしまったので、調理編はまた次回。ただし、その頃には今回買った野菜を使うのは大変冒険になるので、くれぐれもご注意を。

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800/原子力万能時代の幻影

1月 11th, 2001 — 2:48am

子供の時にアメリカで見た「スパイダーマン」のアニメーションの主題歌を実に二十五年ぶりに聴いた。これもネットとMP3のおかげである。実はどんな歌だったかはほぼ完璧に忘れていたのだが、とにかくすごくかっこいい歌だったことだけはしっかり憶えていた。ダウンロードしてワクワクしながら再生してみると、こんな歌詞の歌が始まってしまった。

スパイダーマン、スパイダーマン
蜘蛛と同じことはなんでもできる
どんな大きさの蜘蛛の巣も張れる
ドロボウだってハエみたいに捕まえる
気をつけろ! スパイダーマンがやってくる!

彼は強いの? もちろんさ!
だって放射性の血が流れてるんだ!
蜘蛛の糸で空を舞うの?
上を見てご覧!

スパイダーマン、スパイダーマン
ヘイ、マン! 蜘蛛男がやってくるぜ。

さて、この話の教訓はなんでしょう:
・思い出は思い出にしておく
・アメリカ人の作詞は狂っている
・「放射性の血」ってただの血液ガンじゃないのか
・一問一答式の歌詞はやめよう
・やっぱりMP3は違法だ

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現代日本語講座

8月 10th, 2000 — 2:30am

ポンポロポンパンポンポン。こんばんわ。おなじみ『現代日本語講座』の時間がやってまいりました。今日も講師は私、「死語二十」がお送りいたします。
さて、日本語も文語やら口語やらに分かれて(例:文語「極めて秀逸」 口語「超すごーい」)いろいろとややこしかった時代に比べるとずいぶん便利になりました。最近では特定の地方においては敬語すらも廃止しようという運動が起きています(例:ラフォーレ原宿)。
こうして日本語も便利に進化していく昨今、日本語という言語体系そのものの変革が求められてきています。より自由度の高い活用が加わり、文章構造の根本が覆されてきています。例えば疑問系というのはかつては 何かを聞く時にしか用いることのできなかった構文でしたが、現在ではどのような形でも用いてもいいわけー?
そして、このような新しい言語文化には新しい単語が必要になっています。 ひとつの単語でより多くの意味を持ち、汎用性の高い言葉の使い回し。現代ではすでにこのような単語がいくつか登場しています。例えば、以下の典型的な若者の会話をみてみましょう;


何かの爆発に巻き込まれたような髪の毛と、アスファルトで顔を洗ったような化粧をしている著しく人類からかけ離れた女子高生1(以下若者1):「っていうか、マジかわいくないこれ?」
何かの爆発に巻き込まれたような髪の毛と、アスファルトで顔を洗ったような化粧をしている著しく人類からかけ離れた女子高生2(以下若者2):「マジかわいい」

ここでこの二人は何を見てこれを言っているのでしょう。
はい、そこの四十代の男性の方。えっ?人形?ぶーっ。残念でした。
それは七歳までの話です。
はい、次の方。絵本?
それはあなたの淡い希望ですか?そんなはずはありません。
ほかにありませんか? ピカチュウのグッズ?おしい!
答えは「友達がガンジス川に旅行に行った際に買ってきた邪神アウスウヌスが魚の頭を食いちぎっている木彫りの像」です。
このように現代では「かわいい」という単語は従来の意味以外にも 「しぶい」「かっこいい」「いかしてる」「運がいい」「山田花子が好き」など実に様々な意味を含む言葉となっています。大変便利な言葉なのでさっそく今日から活用するようにしましょう。
今ひとつどう使っていいか分からないという方に、サラリーマンでの活用例を下に載せておきました。

頭の固いあなたの上司(団塊の世代):「この一万人の社員の人生をかけた経営の再編計画について何か具体的な意見を聞かせてもらえるかな?」
あなた:「超かわいい」
上司:「誰か、救急車。」

それではまた来週!!ポンポロポンパンポンポン。
「現代日本語講座」でした!

若者1:「っていうか、一回しか出てこないし。」
若者2:「もー、超うざい。」

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800/セコムは何をしていた

7月 28th, 2000 — 2:24am

人生で一番恥ずかしいことを即答できる人も珍しいと思うが、ぼくはできる。
今を遡ること十五年前。あれは高校受験のために一人で上京した時のことだった。新宿にあるホテルに泊まっていたぼくはどういう理由かで その時、とても上機嫌だった。(大方、部屋にエッチなビデオでもあったのだろう。)部屋の鍵を棒のところで持って、くるくる回しながら鼻歌を歌って、どこか外に夕ご飯を食べようと部屋から出るところだったと思う。
廊下に足を踏み出した瞬間、うっかり鍵を放してしまい、鍵はぼくの手元から数メートル離れた廊下の向こう側に飛んでいってしまった。「あれ」と思って一瞬立ち止まったのだが、ちょうどタイミング良く部屋のドアが背後で閉まり、自動ロックがかかってしまう。まだこの時には大変なことが起きているのを気づかず、ぼくは落とした鍵を拾おうと前へ出ようとしたのだが、何かにズボンを後ろからつかまれて動けなかった。
「ん?」と思って振り返ると、ズボンの尻がしっかりドアに挟まっている。何度かひっぱってみたが、どうしてもとれない。しょうがなく鍵の方を取ろうと思って、足を伸ばしたが、こっちも1メートル弱届かない。
部屋は12階か何かで廊下には誰もいなかった。急速に顔が赤くなっていく。ものすごく自分が間抜けな状態になっていることに気がついた。ちょっと人に説明ができない。
ただ、今にして思えば、この時、恥ずかしくても人が通るのを待って鍵を取ってもらえばよかったのだ。しかし、当時のぼくはまだ恥も外聞もある男子中学生。しかも受験シーズンで館内は同じ中学生も多い。
もしかわいい女の子でも通ったら:「すみません。自動ロックにケツを挟まれて動けないんです。そこに落ちてる鍵とってもらえませんか。」
死んでもできねえ。
ベルトをはずしてそれでバシバシ鍵の近くをたたいて鍵を引き寄せようとしているぼくに、ふと悪魔の声が耳元でささやいた。
ズボン脱げばいいじゃん。
一瞬考えたが、廊下には人はいない。ズボンを脱いで鍵をとってドアを開けて中に入るのに1分もいらないんじゃないだろうか。その時にはすごくいい考えに思えた。それでいそいそとチャックを降ろして、ズボンから片足を抜いたのだが、ドアが挟んでいる位置が厄介で、もう片方がなかなか抜けなかった。強引に引き抜こうとして不自然な体勢で足をひっぱっていたら、突然ふくらはぎが激しくつった。同時に足は抜けたのだが、痛みでぼくは思わず廊下に転がってしまった。あわてて筋肉を伸ばそうと部屋のドアに足の裏を押しつけて、ギューッとやっていたその時、廊下の端のエレベーターが開いて、外人の夫婦が下りてきた。
その瞬間、外人夫婦の目に映ったホテルの廊下の様子:怪しい男が下半身パンツだけで廊下の真ん中に横たわり、片手にベルトを持って、苦悶の表情で足の裏をドアに押しつけてエビぞっているところ。(しかも、 そのドアからはなぜかズボンがぶら下げられている)外人夫婦は目を丸くしながら大急ぎで自分たちの部屋に駆け込んでいったのでぼくもあわててその場から逃げた。したがって、その後、警備員が 来たのかどうかなどは分からないのだが、ただひとつ自信があるのは、あの外国人の夫婦はきっともう日本に来ることはないだろう、ということだけである。

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800/遠い国の思い出2 カーニバルの夜

7月 7th, 2000 — 4:00pm

道はどこまでもどこまでもまっすぐで、じっと前を見ていると催眠術にかかったように眠くなる。前の町で買ってもらった本も読み終え、妹とずっと車内でやっていた「道路標識探しゲーム」にも飽きて、ぼくはただ国道脇に建てられている無数の看板が後ろへ後ろへ流されていくのを眺めていた。両脇の平野に見るものがそれぐらいしかなかったからである。
時は七十年代の中頃、場所はアメリカ中東部のどこか。ぼくは母が中古屋で買いたたいた安物のステーションワゴンの荷台に妹と二人で寝ころんでいた。荷台にはマットレスが敷き詰められて、生活に必要なものはだいたい揃っていた。なんのためにどこに向かっているのかは、まだ小学生だったぼくには分からないことだった。分かっていたのは、ただ両親の仕事の都合でぼくらは二ヶ月ぐらい、このステーションワゴンで寝泊まりしながら全米を横断しなければならないということだけだった。その時点でもう数週間が経過していたように思う。最初はワクワクしていたぼくと妹もこの生活にとうに飽きて、早くテレビのある家に帰りたくて仕方がなかった。車のカセットレコーダーはぼくが日本から唯一持ってきたテープである「センチメンタル・ジャーニー」を無限ループで再生していて、とっくにすり切れたカセットの音はたくさん雑音が混ざっていた。
町と町の間には本当に何もなかった。うっそうとした森か、荒涼たる平野か、広すぎる畑だった。たまに得体の知れないサンドイッチの店とかがあって、「ビリーボブのアメリカナンバーワンバーガーズ」などという嘘臭すぎて誇大広告にもならないような看板につられて昼食を取ったり、ぼくと妹の機嫌があまり悪くなると、機嫌取りに母が道路脇に点在する怪しい観光施設に入ってくれたりした。これらの観光施設というのは小学校の購買部にも劣るような経済観念で営業しているどうしようもない所ばかりだったが、どれも当時のぼくにはとても楽しいものに思えた。「巨大蛇センター」や「奇跡の鍾乳洞」などという立て看板を見てときめかない子供などいるはずもない。たとえ、それが五秒で偽物と分かるようなものであっても。
食事はそういった怪しい施設か、でなければたまたま通りがかった町のファーストフード店で食べていた。栄養的にはいささかまずいのは言うまでもないが、小学生のぼくにとっては理想の食事だったので、こと食事に関しては満足だった。母が時々「こんな食べ物ばかりじゃかわいそうだから」と言って、スーパーで買い込んだ食料を使って、道路脇のピクニックエリアとかで火をおこしてご飯を作ってくれたが、何がどうかわいそうなのかまったく分からなかった。罰当たりなことに、ぼくは母親が苦心して作ってくれたみそ汁よりもマクドナルドの方がずっと好きだったので、かえってそういう気遣いを迷惑に思っていたぐらいだ。
でも、今思い出すと、その炊き出しというのが最高だった。うちの母というのはアメリカで豆腐が売られていない時代に、豆腐を食べたい一心からまったくの独学で大豆から豆腐を作っていたような強者である。母はカウボーイハットと蛇革のブーツを履いているようなごつい男たちを後目に、あっという間に集めた枯れ木とマッチでたき火を作ってしまう。で、日本から持ってきた貴重な味噌でアメリカ野菜の怪しいみそ汁とかを屋外でさっと作るのだ。ぼくらはそれとおかずにスーパーのハム、漬け物代わりにピクルスをかじってよく夕飯を取った。実は当時すごく嫌だったのだが、不思議なことに、今ではあの炊き出しが一番楽しい思い出として記憶に残っている。
名前も知らない町の、そのまたはずれの方――今なら怖くて車も停めることができないような自然公園のキャンプ場。夕暮れでゆっくり落ちていく日の光の中で刈った草の匂いが立ちこめ、巣に戻る鳥のシルエットと鳴き声が頭上の赤い空を横切っていき、ぼくらは火に集まってくる虫を払いながら紙皿とプラスチックのフォークで食事をとった。たまに近所でキャンプをしているアメリカ人と食べ物を交換したり、みんなでたき火の周りに集まって話をしたりもした。時間がとても長く感じられた。大きな湖で水浴びをしたり、誰かが置き忘れていった野球のボールで父親とキャッチボールをしたりもした。なぜ、あの当時、あの生活よりもテレビの方が大事に思えたのか、今のぼくにはもう分からない。
でも、ひどい目にもいろいろあった。
夜中にデパートの駐車場に車を停めて寝ていたら、いつの間にかパトカーに包囲されていたり、車のエアコンが故障して雪の夜に凍死しそうになったり、夜中に森の一本道を通っている最中に母親が壮絶な睡魔に襲われたため、眠ってしまわないように何時間も妹と二人で歌を歌わされたり……外の方がましなぐらい汚いモーテルにも何度となく泊まったし、両親が仕事の交渉をしている間、完璧に何もないロビーで数時間待たされたり、えらい人の家に夕食に呼ばれたらそこの家が強力なベジタリアンで、当時野菜嫌いだったぼくは精神の境界線を踏み越えそうになったりもした。
半年ほどの間に数え切れないほどたくさんのものを見たが、ほかの何よりも忘れられない光景がひとつある。
それはそんな生活も終わろうとしていたある日のことだった。ぼくはなんらかの理由でとても不機嫌だった。日本の友達とぜんぜん連絡がとれないことが特にこたえていた。ぼくは困る両親にかなりひどく「帰りたい」とごねてみせた。きっと両親の方がぼくよりもずっと帰りたかっただろうと思う。母親は「もうちょっとだから我慢して」とぼくに頼んだが、ぼくは大泣きしてふてくされてしまった。あまりぼくが騒ぐのでその日は予定を変更して、近くのモーテルに泊まることになったぐらいである。モーテルについてもぼくの機嫌は一向に直らず、夕食も食べずにぼくは落ちこみ続けた。子供心にも親が悪いのではないことは分かっていた。親を困らせたいというわけではなかった。ただ、日本ではもう進級のシーズンだった。自分だけがなんの行事にも参加できず、取り残されているような気がして、涙を止めることができなかった。こんな誰も知らないところじゃなくて、友達のいっぱいいるところに帰りたかった。「ドクタースランプ」のアニメが見たかった。
一旦泣き疲れて寝てしまったぼくを夜遅く、両親が起こしに来た。ねぼけたままのぼくを父親が抱いて、家族四人でモーテルの近くの広場まで外を歩き出したのである。こんな夜中ではもう店も全部閉まっていて、何もすることがないはずなのに、ぼくはいったいどこへ自分たちが向かっているのかが不思議で仕方がなかった。道は真っ暗で、町は寝静まっていて、その中を歩いていると余計に暗い気持ちになった。
また泣き出しそうになった時、その闇の中から突然楽しそうな音楽が鳴り響いてきた。一気に目を覚ましたぼくは父親に降ろしてもらうと、突如として目の前に姿を現したまぶしい世界にあっけにとられた。
町の片隅にカーニバルがやってきていたのだ。何もない暗闇の中に孤島のように浮かび上がった電飾の群れと派手なテント。頭上を見上げると、大きな観覧車が回っていた。会場は昼間のように明るくて、この時間でもたくさんの人が出入りしていて、わたがしやリンゴ飴の屋台が所狭しと並んでいた。ぼくにはそのどれもが初めて見るものだった。
胸が躍るような光景が至る所にあったが、一番感動したのはその昼間のような明るさだった。この数ヶ月間、日が暮れると真っ暗な車の中で寝なければいけなかったぼくにとって、闇夜にも関わらず、昼間のように明るいその場所は奇跡のように思えた。怖いと思っていた夜がそこではぜんぜん怖くなかった。色とりどりの電飾と飾りに囲まれて、そこだけが夜でも明るかった。
今でもその明るさはよく憶えている。そして、何かいやなことがあると、あの風景が自然とよみがえってくる。夜の闇の中の華やかなカーニバル。人間は夜をこんなに明るくすることができるのだ。光がなければ自分で作ればいい。そして、光を作れば、そこには明るい笑いが自然と集まってくる。
その夜、ぼくは幸せはたくさんのお金ではなくて、ふいにやってくるカーニバルと、そこへつれていってくれる人がいることだと知った。カーニバルは翌朝には次の町へ移動してなくなっていたが、ぼくの中ではあの日のカーニバルは今も色あせることなく続いている――まぶしいほどの明るさと共に。

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祭りのあと

7月 7th, 2000 — 2:07am

二が月ぶりの「800」です。以前アメリカに住んでいた頃の話を書いたら割と評判がよかったので、同じ路線でもう一本やってみました。日本ではとても珍しいと思うのですが、けっこういろんな国でよく見られるのが「移動カーニバル」というやつ。まあ、なんてことはない、遊園地をひっぱった旅芸人のやるドサのことなのだが、(犯罪者が逃亡する絶好の隠れ蓑) 子供心にはこれがけっこうジャストヒットする。
日本でも縁日が来ると、ぼくはいつも興奮していた。
基本はあれのスケールのでっかいやつ。折り畳んだ観覧車をトラックに積んで町にやってくる。
賞品のおもちゃが十年ぐらい前に製造中止になったものばかりなので、明らかに勝つのは不可能だと分かる射的とか、時々事故で何人か死ぬけど、これといってニュースにもならない乗り物とか、挙げ句の果てには集団食中毒を年中起こしている屋台とかがあっちこっちに出回っていて、それが全部きらびやかな電飾で飾られている。そのうさんくさい怪しさと、やけくそな装飾が10歳以下にはこの上なく楽しく思えるのだ。だから、占い屋のおばさん「千里眼のジェニー」ととうもろこし焼いているおばさんが同一人物だということもまるで気にならない。大人になった今、あれがサーカスや劇団で使ってもらえなくなった三流芸人を集めて小銭稼いでいる一種の出稼ぎだということが分かってしまって悲しいが、子供の時には世界で一番素敵なものに見えた。(もしこの頃にディズニーランドに いってたら、たぶんまだそこにいると思う。)南部の田舎町なんかになると、近隣1000キロ以内にこれといった娯楽施設のない町なども余裕であるので、そんな町に住む子供たちには正に一年に一度の夢の数日なのだ。そして、これは世界中どこでも一緒だと思うのだけど、祭りが終わって、人々が去ると、あとには途方もない寂しい静けさだけが残る。
そして、その静けさの中で子供たちは大人になっていく。

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書けなかったルール

4月 16th, 2000 — 1:43am

800の「人生のルール」で何らかの理由でボツになった案(理由を考えてみよう!):

・下痢とくしゃみはもっとも起きてほしくない時に発生する。
・成功は失敗の母。
・締め切りの前の日はシステムクラッシュが起きやすい。
・寝る前はエッチなことを考えていると安眠できる。
・み○もんたは一度息の根を止めるべきだ。
・藤○プロは版権にうるさい。
・基本的に女の人はきれいなホモセクシャルが大好きだ。

・男は世界一それが苦手だ。
・何を書いてもなんらかの差別になる。
・もてたい時には絶対もてない。
・もてたくない時には気持ち悪いほどもてる。
・男は頭が悪い。
・いや、ほんとに。
・女性の考えていることを推測するのは無駄だ。
・ものすごく無駄だ。
・分かった試しがない。
・いっそ、さいころでも振って決めた方がいい。
・「機嫌いい」「さみしい」「ケーキ食べたい」とか書いてあるやつ。
・えい。
・あ、「バカじゃないの」が出ちゃった。

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