Category: 出来事


ハロウィンは日本に来たか

11月 5th, 2009 — 7:52am

 近頃、日本でもすっかりハロウィンが定着しつつある。
 10月初旬あたりからお店にはグッズが並び始め、ちょっとオシャレなカフェやショップは軒並みハロウィン仕様に変わり、オレンジと黒の飾り付けに骸骨やカボチャが舞い踊る。きっと、そろそろ我が家にもハロウィンを取り入れたいなと思っている日本人も増えていると思うのだが、「けっきょくハロウィンって何するの?」と思っている人がほとんどではないだろうか。
 最近よくそんなことを尋ねられるのだが、困ったことに本家のアメリカやヨーロッパでもそれが今ひとつはっきりしないので、毎回答えに窮している。

 伝統的には子供たちが仮装し、近所の家から家へ「Trick or treat!(菓子よこさないと化かすぞ)」と言って回って、紙袋一杯の大量のお菓子をもらうのがもっとも一般的な行事だ。アメリカに住んでいた七十年代、ぼくもその列に加わって、十人ぐらいの魔女や狼男やお化けと一緒にスパイダーマンの格好で10月最後の夜は息を切らして走り回っていた。
 まだその頃はアメリカも平和で、知りもしない家のドアのチャイムを鳴らして、片っ端からお菓子をもらって回るのにも抵抗がなかった。ぼくの住んでいた町にはさらにローカルルールみたいなものがあって、ハロウィンの夜の6時〜8時はどこの家も大量にお菓子を用意して、子供が来たらどんな見知らぬ子にもひとつかみのお菓子を袋に放り込んでやるのが約束事だった。当然我が家もお菓子を用意していて、ぼくが外をかけずり回っている間、母親は無限に鳴り続けるチャイムを返事するために、巨大なお菓子の袋を持って、玄関の内側で待機していた。
 窓から外を覗けば、それはもう異様な光景で、住宅街の暗闇の中、いろんな種類の小さいお化けがかぼちゃ型の懐中電灯や蛍光塗料の塗られた緑色の仮面をかぶって縦横無尽に庭を横切っていくのが見える。ものすごく精神年齢の低い宇宙人に町を侵略されたら、きっとあんな感じなのではないかと思う。
 しかし、残念ながら近年は「危険」ということで、trick or treatはどんどん規模が小さくなっている。良く知っている近所の家を親同伴で回るだけでは、どうにもあのtrick or treatのカオスな楽しさは出ない。このままではハロウィンはもっぱら「ソウ」の続編の公開日になってしまうのではないかとハロウィン好きのぼくは心配でしょうがない。

 trick or treat意外にも一応ハロウィンに関連する遊びはいくつかある。apple bobbingというなんとも奇妙なゲームがそのひとつで、水に浮かべたたくさんのりんごを口でくわえて取り出すゲームで、正気を失った人が考えた金魚すくいみたいなものだと思ってもらうと分かりやすいかもしれない。
 お化け屋敷もハロウィンの時期、あっちこっちに乱立する。ショッピングセンターが臨時に作るものから、カーニバルスタイルのものまで、どこの町にもひとつかふたつは出現して、ハロウィン終了と同時に一夜にして姿を消す。ぼくが住んでいたアパートの近くの路地でも臨時のお化け屋敷を大学生たちがやっていて、これが手作りのくせにやたらと怖かった。相手は子供だというのに、大学生たちの手加減のなさっぷりがすごくて、中盤で登場する内蔵がはみ出したまま、鎌を持って追いかけてくる死体などは、ぼくの人格形成に一役かっていたような気がする。
 今でもよく覚えているのは、ハロウィンの翌日にその路地に行くと、路地は何事もなかったかのように元通りの路地になっていて、隅っこの垣根の下に一枚だけオレンジ色の飾りが巻き付いていたことだった。「あれは夢だったのか?」と思うほどきれいに姿を消したお化け屋敷が、余計に長くぼくの心に余韻を残した。

 楽しかったのは学校や家で、親や先生がみんなで作ってくれた手作りのお化け屋敷だった。トイレットパーパーの搬出用ダンボール(超巨大)をドラッグストアからもらってきて、それをガムテープで貼り合わせて、家の中に小さな立体迷路のようなものを作り、そこを子供たちが一人ずつ順に通るのが主流のやり方だった。ダンボールの入口には黒とオレンジのカーテンがかけられ、中にはところどころにかぼちゃのランタンが置いてあるけど、かなり薄暗い。子供がおそるおそるその中を進んで行くと、ダンボールに切り込みを入れた外側から、狼のグローブをはめたお父さんがふいに手を突っ込んでくる。
 ドバン! ギャーッ! で、ダンボールの中は走り回る足音でちょっとしたパニックとなり、外で待っている子供たちもそれを聞いて連動したように叫び始める。こうなるともう、いやでもハロウィンムード最高潮である。ダンボールの床にはわざとスポンジで作った段差があったり、小さな扇風機が生暖かい風を送り込んできたりと、けっこう凝ったミニお化け屋敷だった。もう少し周りの子供たちが大きくなったら、うちのスタジオでもぜひこれをやってみようと思う。あの時、ぼくに軽いトラウマを食らわしてくれた近所の大学生たちの熱意を見習って、それはもう本気の本気で怖い奴を。

 そんなわけで、その前準備として、今年は小さくハロウィンパーティーをしてみた。実に二十年ぶりのハロウィンだろうか。「絶叫仮面」のチビキャラたちをあしらったお菓子の袋と、1200円で買ってきた電池式のジャック・オ・ランタンだけのささやかなハロウィンだけど、まあ、何事もはじめの一歩から。

ハロウィン

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妹の結婚式

12月 20th, 2003 — 3:53am

妹が今年、結婚した。
これで五歳下(季節によっては六歳下)の妹に大学入学、卒業、就職に続いて、結婚でも先を越されたことになる。そろそろ兄というのが恥ずかしくなってきたので、来年ぐらいからは弟になろうかと思っている。それが法律的に許されないなら、今度から続柄の欄には「もと兄」と書くことにする。
まあ、そんなことはどうでもいいのだが、先月妹の結婚式に出席していろいろなことを考えさせられた。横浜の港が見える丘公園の近くの、もうこれでもかというぐらい結婚式をあげるにふさわしい教会での式だったのだが、どのくらいふさわしいかというと、近隣一円の全商業施設が連動して一律結婚事業なしでは生きていけないように結託しているぐらいふさわしいところだ。
日本だとはとても思えない異国情緒あふれるところで、妹と新郎のゆんぼは実に幸せそうな式を挙げた。(途中、気温9℃ぐらいしかない寒風吹きすさぶ中、肩むき出しの花嫁衣装でオープンカーに強制的に乗せられて、けげんな表情で町行く人々に見られながら式場をあとにした時以外は、少なくても幸せそうだった。)この結婚式、ホテルなどでよく見かけるゴンドラ、ケーキカット、スモーク、シャンパン、二人の顔入りの絵皿に代表されるような豪華絢爛な式というわけではなかったのだが、本当によく計画されたいい式だった(コート二枚着ていても寒い気温でのオープンカー以外。くどいけど。)。パンフレット、招待状から式場への地図まで、すべて新郎新婦の文字通りの手作りで、迷いに迷った末の引き出物も、ウルトラ凝ったポップアップの絵本というひねり付きだった。
正直、商業出版なんぞ生業にしていることもあり、何もかもを手作りで――しかも、プリンタは使うものの、大部分の作業をアナログで――やることには少し不安を感じていた。どうしても少し寂しい感じになるのではないかと考えてしまったのだ。妹も旦那さんのゆんぼも器用で賢い二人ではあるが、格別デザインの知識があるわけでもないので、ちぐはぐなものになりはしないかと余計な心配をしていたのだ。
結果から先に言うと、妹の方が圧倒的に正しかった。開けると小さな教会の絵がしっかりポップアップで立ち上がる、シンプルでかわいい招待状を妹はゆんぼと協力して人数分作っていた。はさみとカッターと定規だけで作ったのだろうから、おそらく相当な手間と時間がかかったはずだが、そのおかげで、一目見てどれくらい心を込めて行われる式か、一瞬で分かる招待状になっていた。皮肉なことに式の間に配られたものの中でもっともみそぼらしいのは、唯一商業印刷で刷られた教会側が用意したプログラムだった。
式のほかの部分もほとんどが手作りで、全然要領を得ないところなどもあったが、それ全部を含めて、思い出に残る立派な式だった。けっきょく終わってみて帰り道、スタジオへ戻る車を運転しながら、ぼくはなんだかとても難しいことをとても簡単に解決する方法をこの式から学んだ気がしてならなかった。正直、それがどういうことかはまだよく分からないのだけど、少なくてもものすごい機材とものすごい予算は、時として問題を大きくするだけで、必ずしも解決へ向かわせるわけではないことを痛感させられた。
子供の時から教えることよりも教えられることの多い兄妹関係だったが、今回もけっきょくまた教えられてしまった。しっかり「向山の2003年に学んだことノート」につけておこうと思う。
一、本当に「いいもの」とは、時として技術や予算や完成度とまったく関係ないところにある。
一、結婚式でロールスロイスのオープンカーに乗るのだけはやめよう。たとえそれが強制的なオプションとして無料でついてきても。
一、もしどうしても乗せられるなら、花嫁衣装には南極越冬隊の標準装備を採用しよう。
2003年、冬。
妹の結婚式に参加して、そんなことを思った弟(もと兄)だった。
ちゃーらん、結婚おめでとう。PS
「新興開発住宅地(妹がそこに移り住むために新しく郵便番号ができたようなところ)」に新居をかまえた妹の毎日だけが少し心配である。写真を見せてもらったが、写真の風景だけから判断するに、不動産屋も宣伝にずいぶん困ったと思う。「ああ、この物件ですか。いい物件ですよ。駅から十分。(ジェット機で。)自然が豊かで(時折熊に襲われる)、となりとも離れていますから(天体望遠鏡の倍率最大でおぼろげにとなりの家の屋根の一部が見える)テレビの音が気になりませんよ(たぶん核戦争の音も気にならない。)それにこれからの場所ですからね、将来が楽しみですよ(次の氷河期のあととか)。きっと近々発展しますよ(上水道が開通する。下水道は2010年ごろを予定)。絶対お奨めの物件です!(空襲警報発令時の集団疎開などに)」

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無題

10月 5th, 2001 — 3:47am

今、世界はとんでもないことになっています。
「報復」の名の下に大量殺戮が行われようとしています。人がたくさん死ぬことになります。子供もたくさん死にます。そして、世界中がそれを支持しています。誰がなんと言おうと、こんな世界は狂っています。
どんな理由があっても人殺しはいけない。それは道徳がどうのこうの、とか、正義がどうのこうのとかではなく、それがルールだからです。人殺しでは決して何も解決されません。ぼくらはそれを学ぶために歴史を勉強しているはずです。

残念ながら、たぶんもうこの事態を止めることはできないでしょう。
だから、ここに来てくれている十代のみんなにお願いがあります。

これから起こる恐ろしい出来事をどうかその目でしっかりと見ていて下さい。きれいに編集された影像ではなく、その裏で見せられない地獄のような惨状が起きていることを想像してみてください。どんなにナイーブだといわれても、見知らぬ人が死んでいくことや、それをやってしまった人たちがいることに心を痛めてください。「関係ないよ」と強がる人間ではなく、素直に泣いて悲しむ人間でいてください。
そして、「武力行使の永久放棄」を憲法に掲げている国に住んでいることを誇りに思って下さい。学校の歴史の時間に学ばないといけないのは年表の年数や、歴史上の人物の名前では決してありません。これから起こるようなことが歴史です。どうかその目ですべてを見ていて下さい。
このサイトでは説教臭いようなことは書かないと自分に誓ってきました。だから、今回だけ特別です。二度とこんなことは書きません。今のこの事態はそれほど異常なことなのだと気がついて下さい。ぼくからみんなへのたった一回の心からのお願いです。
煙草なんかいくら吸ったっていい。学校なんか行かなくてもいい。勉強なんかくそくらえだと思ってもいい。だけど、どうか人が傷つくことにだけは敏感な人間でいてください。
どうか、どうか、どうか……

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ラスト1行が大事

10月 2nd, 2001 — 3:50am

この前、こんな風景を見た。

池袋の雑踏。少し寒い秋の日の夕方。
お店のショーウィンドウから外の通りを見ていると、頭上に核兵器を食らったような髪型の十代の若者二人が横断歩道の信号待ちをしていた。周りに立っている何人かのサラリーマンはみんな怪訝な顔でその二人を見ている。そこに池袋に似つかわしくないおばあさんが通りがかる。足が不自由なのか、片手には杖を持っているのだが、おばあさん、うっかり杖をはなしてしまう。すかさずそれを拾ったのが核兵器の片方。ぶっきらぼうに一言も言わず、おばあさんにその杖を差し出す。サラリーマン数人はぴくりとも動いていなかった。

その時、こんなことを考えた。

次の日の会社。あの場に居合わせたサラリーマンの一人。
社食で同僚と昼食をとっている最中。「まったく近頃の若者はおかしな服装ばかりして、敬語もしゃべれないし、目上に対する態度も悪い。ほんとにけしからん。」ほかのものも一斉にうなずく。ちなみにお互いに知らないが、このうちの一人はOLと不倫中で、一人はこの三年間一度も娘と会話をしたことがなく、一人は会社の金で煙草を買っている。だが、髪型は七三で、上司にはこれでもかという丁寧な言葉遣いで、会社のマニュアル通りの礼儀作法もマスターしているので、大変立派な大人である。若いときにはひそかにヒッピーファッションをしたこともあったが、そんなこととは関係なく、今の時代に十代として生まれていたら、間違っても金髪になんかしていないだろうと自信のある大人たちだ。

この話の教訓。

NTT DOCOMOの窓口は待たせ過ぎる。

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国際情勢肝試し

10月 2nd, 2001 — 3:48am

今やると、本気で怖い肝試し。

・アフガン七泊八日。
・牛の目玉食べ放題。
・米軍基地の前で爆竹。
・友達に小麦粉を郵送。
・中近東、空の旅。
・飛行機の中で紙吹雪。
・ニューヨークでダイハードシリーズ上映。
・吉野屋でケイレンのまね。
・ブラックユーモアの嫌いな人にこのページを見せる。
・この時期にこういうネタをサイトのトップに書く。

それにしてもこうして並べると、笑うしかないね、もう。
がんばれ、世界!

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出来事が教訓に追いついていない

7月 11th, 2001 — 3:37am

昔はけっこう他人との勝ち負けが気になった。
競って負けたりするととても惨めな気持ちになったり、不公平だと運命の神を呪ったりも
した。自分に勝った人間はいつも勝ってばかりいるような気がして、とても劣等感を感じたりもした。
ところが人間を三十年もやっていると、まんざらそうでもないことに気がつく。勝つこともあれば、負けることもある。勝ち続ける人間もいなければ負け続ける人間もいない。そして、もっと大事なことは、誰かに対して優位や劣位だと感じていたことも、数年後には得てして立場が逆転していることが多いと言うことである。
立場は必ず逆転する。これがぼくの習った大きな教訓だった。
だから勝ったときにおごっていたら、必ず後で恥をかくし、負けたときに格別落ち込んだりすねたりすると、次に勝ったとき、あまりおおっぴらに喜べなくなってしまう。それよりも、言い意味でも悪い意味でも、人生はどこからでも逆転が可能だということを自分に言い聞かせておく方が賢明だ。
こんなことを朝から考えたのは、今まで格闘ゲームでさんざんいたぶっていたねこぞうに、ここのところソウルキャリバーで100連敗ぐらいしているためである。
落ち込んではいけない。
――いいや、年のせいじゃない!
そう。人生は絶えず立場が逆転するのだ。
また必ず勝てる時が来る。
たぶん。

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大阪を日本の首都に

6月 22nd, 2001 — 3:33am

大盛況のかおぞう個展があるというのに、先週末は大阪に行くことになっていたので、けっきょく最終日まで行けそうになく、ちょっと申し訳ない気持ちなのですが、大阪に行くついでについに行ってきましたUSJ!!

本当は半日だけのつもりが、あまりにおもしろかったので、最後の日に無理やり予定をずらして、一睡もしてないというのに、朝一番からもう一度行ってきたぐらいに楽しくて、だーい感激!思わず口調が十代の女の子になっちゃうほどるんるん。ウェブじゃなかったら、文字まで丸文字になっちゃってるかもしれないほど最高。(本来ここにハーとマークが入るが、マックの改行コードでハートマークを打つとウィンドウズで文字化けするのでパス)
一旦家に帰ったら、おそらく二度と倉庫から出すことがないようなおみやげまでたくさん買い込んで(例:バックトゥザフューチャー・ミニスケボー)、まだ心は半分大阪に残っています。今回大阪、はじめて行ったのですが、都会にも関わらず温かい町で、道を聞いたらみんな教えてくれるし、あたりまえのように屋台のおじさんがたこ焼き一個おまけしてくれるし、ホテルのフロントの人は親切だし、何よりもUSJはあるしで、本当にいいところでした。

決めました。
これからはぼくの中では日本の首都は大阪です。

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成人男性、ネズミの国に行く/4

4月 7th, 2001 — 3:19am

言うまでもなく、取材というのは膨大なデータが必要である。したがって、いやいやながら多くのアトラクションを利用せざるを得なかった。このへんの努力にはわれながら感服する。何しろ公正な取材を期すため、ものによっては二度、三度とさえ乗ったほどである。園内の屋台のほとんどの食べ物も試食してみた。また、よりネズミの国らしいものを取材できるよう、プレーンのワッフルと、ねずみ顔のワッフルがあった時などは後者を頼む配慮も忘れなかった。(注文例:「ちがう! ミッキーの方! ドナルドじゃなくて! あとストロベリ-ソースたっぷりね。」)おみやげも当然もっとも売れている菓子類を中心に、「ねずみの手形焼き菓子」「くま饅頭」「あひる新世紀チョコ」「女ねずみ卵菓子挟み焼き」などを購入した。もちろんこれらは取材目的に購入したものなので、大変辛いことだが、大半は自分で食べねばならない。また、保存用の資料として切符、切符入れ、案内、当日予定表、地図、各種領収書、並びにおみやげの容器と飲み物のコップなどは風化を防ぐビニールに入れて保存してあるので、いつ何時でも取り出して思う存分取材することができる。
我ながらこのような完璧な取材を果たしたことに感心するが、これだけで終わらないところがぼくの完璧主義のすごいところだ。一度の取材で満足せず、二度、三度と繰り返し取材をしてこそ、より正確なデータを得られるというものだろう。秋には「ねずみの海」もできるし、大阪には「国際撮影所」も開いたと言うし、当分は取材が忙しくなりうそうだ。
いやー、まったくめんどくさい。

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成人男性、ねずみの国へ行く/3

4月 6th, 2001 — 3:18am

ほかにも取材の成果はあった。
肝臓が悪そうな肌色をしたくまを園内でよく見かけたが、どうやらそいつは観光客相手にはちみつのおけに入ったポップコーンを売って荒稼ぎしているようだった。この原価7円ぐらいしかかかっていそうもない菓子になぜか人だかりが出来ている。ぼくが子供の頃によく衛生意識なんてくそくらえという出で立ちのおやじが近所に売りに来ていたポンポン菓子と、
一見まるで変わりないように思えるその食べ物を、いったいなぜ全員がこれほど並んで買うのか調べる必要があるとぼくは考えた。そこで人々の列に並んで30分、やっと買う順番が回ってきたので、より厳正な取材を行うためには多くのサンプルが必要であると判断し、ストラップとケースのついたものを四樽購入した。四樽も買っている人間はよほど珍しいらしく、注目を集めてしまって取材であることがばれるのを懸念し、うち一樽は素早くその場で平らげた。
まあ、黄疸の出ているくまが作ったにしては上出来な味だったとだけ言っておこう。

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成人男性、ねずみの国へ行く/2

4月 5th, 2001 — 3:17am

そもそも勘違いしている人もいると思うが、ぼくがあんな極寒の横なぶりの雨の日に無理してネズミの国に出かけたのは、決して行きたくて仕方がなかったのではなく、ああいった日なら混雑を避けて、実りある取材が出来ると考えたからである。予想が外れ、震えるような気温の中で何時間も列に並ばされたときに怒っていたのも、順番が来るのが待ちきれなくていらだっていたのではなく、国内がかつてない経済危機に陥っている時にこんな低俗な娯楽に興じる日本国民の未来を憂いていたからにほかならない。
実際、取材は実りのあるものだった。
閉園直前に無理して乗ったウェスタン鉄道などは吹き付けてくる嵐のような暴風と、鼻水が凍るような気温に助けられて、本気で15世紀の西部で襲撃されているようなリアリティーがあった。後ろのカップルが用意された景観に見向きもせず、命からがら抱き合って必死に寒さに耐えていたのも、生命に対する危機感さえ感じさせるすばらしい演出だった。最後のトンネルに入って、気温がいくらか上昇した瞬間のみんなの安堵の歓声などは不時着に成功したジャンボ機の機内にも似た感動を与えてくれたものである。参加者全員が一刻も早くアトラクションが終了してくれることを祈りながら耐えている姿というのも実に珍しく、参考になった。

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