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遺伝子レベルの誤解

12月 19th, 2009 — 2:00pm

 この季節になると、毎年必ず女性のみなさんに提案したくなることがある。もしあなたが三十代以上の男性で、特に既婚者なら、きっと今、同じことを思っているはずだ。
 クリスマスはいい。もちろん日本人の若者の多くがイエスキリストをパンクロックのバンドだと思っていることを差し引いたとしても、クリスマスはいい。楽しいし、お祭り気分になるし、一年のしめくくりが始まった感を与えてくれる。きれいなイルミネーションを無料で見られるのも悪いことじゃない。
 問題はあの「プレゼント」という悪しき習慣だ。あれがどうにも我々男性には解せない。
 女性に「何が欲しい」と聞くと、「なんでもいいよ」「何もいらないよ」と必ず答えるのに、それを真に受けて自分が心からいいプレゼントだと思っている「電動ドリル&ドライバー92点セット」を贈ったら激怒されるのだから意味がわからない。「なんでもいいよ」と言ったではないか! ましてや「何もいらない」を真に受けて、クリスマス当日に一日中プロ野球の中継をビール片手に見ていたら、それが元で離婚になったりするから実に不可解だ。
 男性というのは誓って言えるが、遺伝子レベルに「プレゼント」「誕生日」「おしゃれ」「インテリア」「掃除」というのがどれも存在しない生き物である。男性が生まれつき持っている遺伝子レベルの知識は「ゲーム」「酒」「好きなプロ野球チーム」と「何も着ていない女性への興味」だけである。

 十数年ぶりに再会した男性同士の会話を聞いたことがありますか? 女性同士がもし十数年ぶりに再会したなら、それはもうさぞかし感動的な一瞬になることでしょう。「元気だった−!?」「変わらないわねー!」熱い抱擁の後、きっと今のお互いの家族構成や、子供の写真などを交換して、若かりし日の思い出話などに花を咲かせるはず。しかし、典型的な男性が十数年ぶりに再会した場合の会話はこんな感じである。

A「よう」
B「よう」
A「ところで、FFの新しいの買った?」
B「ああ。おれまだPS3買ってないんだよ」
A「おれもなんだよ」

 AとBは大学時代に一緒に二年間大学に通い、お互いの家に毎週のように泊まっていた仲で、互いの結婚相手とも面識があり、年賀状では子供の写真も交換している。しかし、彼らが最初に会った時にする会話——それは所詮ゲームの最新作の話で、しかもここでは割愛しているが、このあと二時間、この話が続く。これが男性という生き物の本質なのだ。

 女性のみなさんには冷静に考えてみて欲しい。本当にこんな生き物に「繊細で愛情に満ちあふれた、感動的で、それでいて適切な値段のクリスマスプレゼント」など買ってもらうことを期待するべきだろうか。男性が「繊細なもの」といって思い浮かべるのは、流体軸受けの2.5インチハードディスクである。「感動的なもの」と言われて思い浮かぶのはワールドシリーズのバックネット裏のチケットだ。「愛情に満ちあふれたもの」なんて注文をしたら、それはもう、犬に「もっと金目のものをくわえてこい」と命令するようなものである。

 こんな生き物に指輪とか、ドレスとか、そういう複雑なものを期待するのはいい加減やめようではないか。どうせ指輪はドクロが彫られたものを贈られるのが落ちだし、ドレスは紫のシルクにラメの入った七色の星が全身にちりばめれたものになるに決まっている。しょうがないのだ。我々男性はすべての美意識を仮面ライダーとロボットアニメから学んでいるのだから、指輪でも財布でも、押すと飛び出す仕掛けがいくつついているかでしか、価値が計れない。典型的な男性が着けている腕時計を思い出して欲しい。そう。あのごてごてといろんなスイッチがついた自爆テロの時限装置みたいなあれだ。信じられないかもしれないが、あれは男性は好んで買っているのだ。なぜなら、あれは外観が:

1、車の計器類に似ている
2、使う必要のない装置が20種類以上ついている
3、名前がロボットの必殺技に似ている
4、なんとなくどこかを押すと変身できそうな気がする

 仮にその腕時計に時間を表示する機能がなかったとしても、おそらく大半の男性は気にも留めない。それよりも0.00001秒まで正確に測れるストップウォッチが着いている方が大事なのだ。もちろん0.00001秒を測る必要があるのなんて、分子レベルの核融合実験中の科学者ぐらいしかいないだろう。でも、関係ない。大事なのは「おれのストップウォッチはあいつのストップウォッチより性能が3桁多い」ことなのだ。

 だから、もしあなたの愛する男性がクリスマスにパソコンのRAMを二枚買ってきて、「これでメモリがMAXになるよ」などと言ったとしても、その離婚届にハンコを押すのをちょっと待ってあげてほしい。きっと彼なりに考えた末の事なのだ。もちろん考えていたのは通勤電車で最新のRPGのレベル上げをやりながら、iPodで「サイボーグ009」のオープニングを無限ループで聞いている間かもしれない。でも、それが彼の「思案」の限界なのだ。そんな生き物とあなたは生涯連れ添うことを約束してしまったのだから、ここはもう素直にあきらめてほしいと思う。
 ただ、どうしても納得がいかなかったら、まあ、その時は昨年もらった電動ドリルが初めて役に立つかも知れない。

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誰かあの中身を

12月 16th, 2009 — 2:28pm

(2007/08/29のmixiの日記より転載)

 実は前から大変気になってました。
 たまに駅で歩いていると、ズボンの股下がひざのちょっと上ぐらいまで下がっている男(たいていちょっとヒップホップ気味)と擦れ違います。普通のズボンでこれだとベルトラインはちょうど股間のあたりに来ているはずなので、シャツの裾をめくればパンツ丸見えになるはずだと思うのですが、実際はどうなってるんでしょうか。普通に考えたらあの位置だとよっぽどきつくベルトを締めないと、すぐにずり落ちてきそうですが、逆にベルトを強く締めたら歩けなくなると思うのですが……もしかしたらベルトから股下までが恐ろしく長いのでしょうか。女の人と違ってヒップで支えるってのも難しいと思うし、サスペンダーででも吊っているのだろうか?
 考え始めると、夜も眠れません。

 たぶんあり得る二十年後の高校生の会話:
高校生A「(今の時代の写真を見て)この人、なんかズボンずりおちてるんだけど。」
高校生B「それ、そういうファンションらしいよ。流行ったんだって。うちの親が言ってた。」
高校生A「いや、これファッションじゃないでしょ。ずりおちてるだけだよ。トイレで上げ忘れたんだって。あり得ないって。」
高校生B「いっとくけど百年前はちょんまげ結ってた国だからね、ここ。」

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九十九回のリアリティー

11月 13th, 2009 — 1:37pm

【事例1】

問題:
ヒーローとヒロインが悪玉に捕まる。ヒロインが生け贄等、あり得ない危険に巻き込まれ、それを縛り付けられたヒーローが為す術もなく見せつけられる。

解決策:
ヒーローは手足を結んでいるロープをたまたま手近にあるもの(ガラスの破片、ライターなど)で切って、土壇場で反撃。ヒロインを救う。

悪玉の反省点:
やっぱりヒーローを捕まえたその場で殺しておけば良かった。

 ————————————

【事例2】

問題:
追い詰められたヒーロー。必死の反撃を試みるも、相手は圧倒的多勢。追い詰められて武器も尽き、いよいよ絶体絶命。現れた悪玉はヒーローに銃を突きつけて自分の手の内をすべて説明したあと、「そろそろ消えてもらおうか」などと吐き捨てて銃を撃とうとする。

解決策:
間一髪でヒーローの仲間が駆けつける。もしくは親玉とその部下を巻き込むなんらかの天変地異が起こる。ヒーローはそのどさくさに紛れて逃げ出した相手の親玉を追いかけ、一対一で親玉を倒す。

悪玉の反省点:
次からは「わはははは」と笑う前に撃とう。

 ————————————

【事例3】

問題:
親玉がヒーローの家族を人質にとって、ヒーローに武器を捨てるよう要求する。絶体絶命の中、ヒーローは苦渋の選択を迫られる。

解決策:
捕まっていた家族の中でもっとも反撃しそうもない者が勇気を振り絞って反撃。ふいを突かれた悪玉がひるんだ隙にヒーローが悪玉を退治。家族はヒーローの仲間に救出される。

悪玉の反省点:この手の映画を見ていれば分かっていたパターンなのに!

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以上が昭和のアクション映画で極めてよく見られる山場の典型的な三事例。

当時は基本的にこの三つのシーンを20分ごとに入れて、間を何かで埋めればアクション映画として成り立った時代である。しかし、ポスト911の時代、これらのシーンは概ねアクション映画から姿を消した。どうやら同じパターンで何度も倒された悪役たちも、やっと反省点をのみ込んだのか、無意味に人質を取ったり、ヒロインをアグラ=アッパラーの神に生け贄に差しだす、などの無謀な行為に出なくなった。それにヒーローを縛って放置する場合には、周りに何かあからさまにロープを切れるものがあるかどうかもチェックするようになったみたいで、さすがに都合良くガラス片が落ちていることも少なくなった。

今のアクション映画では善人が撃ち殺されたりすることも当たり前だ。ヒロイン自身が撃ち殺されることもそれほど珍しいことではなくなった。作戦は失敗するし、人質は死ぬし、ヒーローは間違えて民間人を撃つ。仕掛けられた爆弾は残り007秒で止まることなく爆発し、テロリストの思惑が成功してしまうことも往々にしてある。
ギリギリのタイミングで仲間が飛び込んでくるという偶然がないことを、今の世界はよく知っている。とられた人質が生きて戻ることはめったにないことも強く実感している。主人公のためだけに天変地異を起こすほど暇な神様がいないということも常識だ。

でも、昭和のアクション映画を作っていた人たちだってそれは分かっていたはずだ。たぶん、百回そういうシチュエーションがあれば、九十九回は助からないことを知っていても、あと一回は奇跡が起こるかも知れないと考えていた。だから、その一回を映画にしていたのではないだろうか。映画とは、そういう希望のあるものだったのではないだろうか。
今のアクション映画はリアリティーを重視する。99%の方を描くことを信条とする。でも、それは果たして本当に正しいことなのだろうか。ぼくらは百回のうち九十九回起こることの方を映画で観たいのだろうか。

毎日のニュースを見ていると、九十九回の方の出来事が連日放送される。これを見ていると、放送されずにすんだ一回の方があることをついつい忘れてしまう時もある。でも、きっと現実の世界でも、「待たせたな!」と言いながらギリギリ駆けつけてくる援軍は今だっているはずだ。「待ちくたびれたぜ」と言いながら、反撃に転ずるヒーローも、まだまだ健在であってほしい。

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モスよ、どこへ行く

11月 8th, 2009 — 2:44pm

ちょっと、みなさん。
最近、とっても気になることがあるんですがいいですか?

何を隠そう、ぼくはモスバーガーの大変なファンです。
正直に言いますが、昔はそうでもなかったんです。何しろ子供時代にアメリカでマクドナルドを大量に食わされたもので、初めて両親とモスに入った時には、何も考えてない小学生男子だったこともあり、「ハンバーガーにテリヤキソース? なめんなよ」みたいな感じでした。

二年間ぐらいは「モスバーガーなんてにせもののハンバーガーだぜ」みたいな男子特有の根拠のない意地を張ったりしていたのですが、小五の時に友達四人とモスに入った時、残りの三人が全員テリヤキバーガーを注文したあげく「やっぱりテリヤキが一番うまいよな」っていう話になって、流れ的にテリヤキバーガーを頼まざるを得なくなりました。渋々食べてみると、「なんだこれは? うまい。うますぎる」と思い、瞬間的に立場を翻しました。(←これも小学生男子の大きな特徴。)しかも、その次に両親とモスに行った時には「モスでテリヤキバーガーを食べないなんて正気じゃないね」みたいなことを平気で言って、創業以来自分はモスでテリヤキバーガーしか食べてないような顔をその後ずっとしていました。

十代で入院した時も、退院したらやりたいことリストのトップにあったのは「モスバーガーでテリヤキバーガーを食べる」だったし(二番目は「小僧寿司の手巻きの鉄火巻きを破裂するまで食べる」)、大学生の時には昼ご飯の三回に一回はモスバーガーですませていました。蒟蒻ドリンクに驚愕し、野菜の産地をいち早く表示していることに感銘を受け、ある時期はスパイシーチリドッグ以外食べられない体質になったこともあります。

この三十年間、モスはいつもぼくの味方でした。そして、ぼくはいつもモスの味方でした。

しかし。しかしですよ。解せないんです。
解せないんです、最近のモス。
去年ぐらいからでしょうか。どんどんいろんな変更がされていって、その度に首を傾げることばかり。最近はだんだん同じ店なのかどうか心配になってきているほどです。
以下、ぼくが解せないモスの「変更点」を列記してみました。

・蒟蒻ドリンクがなくなった
(モス畑シリーズが消えたあとも、これだけはずっと残っていたのに今さら何故? ひそかなファンはきっとぼくだけではなかったはず。)

・山ぶどうスカッシュがなくなった。
(代わりに白ぶどうソーダなるものが加わっているが、どっちみち似たような飲み物なら聞き慣れたあの名前をメニューに残しておいて欲しい。)

・ビーフパティが合い挽き肉になった。
(まずいわけじゃないけど、どうもマックのソーセージマフィンのソーセージのような味がする。それに以前のふわっとした食感に比べて、少し固めになった気がする。)

・テリヤキソースが味噌風味になった。
(これもまずいわけじゃないけど、かつてのテリヤキソースも選択肢として残して欲しい。あと、新しいバージョンのソースは前よりも飽きやすい気がする。)

・ハンバーガー、チーズバーガーの値段を下げるためにパティがマック並に薄くなった。
(不況で値段を下げたいのは分かるけど、モスのおいしさの基本はやはりふわっとしたパティなわけで、これでは本当にマックみたいだ。しかもそれならマックの方がおいしいし、安いので、意図を理解できずに苦しむ。)

・スパイシーシリーズがなくなって、代わりにハラペーニョソースでお茶を濁した。
(あのハラペーニョのおいしさはやはりソースでは代用はできない。これもコスト削減だとは思うけど、スパイシーシリーズがもう食べられないのは悲しすぎる。)

・コーラがペプシネックスになった。
(ぼくはダイエット系飲料の人工甘味料の味が大嫌いなので、これはとても解せない。)

・ライスバーガーのカルビ焼き肉が近隣に見当たらない。
(これはぼくだけの問題かもしれないけど、前は扱っていた店も辞めてしまった。もしかして徐々にフェイドアウトしている?)

・メニューを水増しするためか、意味もなくダブルバーガーの嵐になっている。
(基本のハンバーガーの厚さを半分にして、ダブルバーガー類ばかりメニューに増やすことに矛盾を感じているのはぼくだけだろうか。というか、モスでこういう「メガマック」みたいな「大盛りメニュー」ってそんなに求められていないような気がするのだけど。食べてますか、みなさん?)

・今年の夏にやっていたミスドとのコラボ。モス側のコラボ商品「ドーナツバーガー」を大変期待して食したところ、パティの真ん中に穴が空いているだけという体たらくなメニューだった。
(昔のモスなら絶対ぎょっと驚くようなアイディア商品を出してくれたはずだと思う。なぜバンズにハニーディップを使うぐらいの冒険をしなかったのか、実に解せない。)

・最近の売りの「国産ハンバーグサンド」の中途半端な内容が解せない。
(それならいっそ匠シリーズを残した方が特徴的で面白かったのではないだろうか。)

ひとつひとつはたいした変化ではないのですが、この二年間で積み上がったこの数々の変化によって、最近ぼくはなんとなくモスバーガーに入る時、昔と少し違う店に入る感覚になってしまっています。大不況の時代。企業もいろいろ工夫しないと生き残っていけないのは重々分かるのですが、愛するモスがどんどん違うものになっていくのを見ていると、いてもたってもいられません。

英語に「壊れていないものを直すな」ということわざがあります。少し固くなった合い挽きのパティを食べる度、そんな言葉が頭をかすめて溜息が出るのですが、それはぼくだけなのでしょうか。

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近況報告2009/10

10月 18th, 2009 — 4:10pm

 ワンパラ再開にお祝いや応援のメール、ありがとうございました!
 なかなか返事が出来ずに申しわけありません。
 ほぼすべてのメールの最後に「新作、いつまでも待っています」と書いて下さってるみなさまの優しさに感謝です。中には「十年でも二十年でも待ちます」「私が死ぬまでには出して下さい」「だいじょうぶです。ちゃんと覚えています」というような、悲しくなるほど気を使ってくださっている方もいて、はい……オバマ政権が終わらないうちには出したいと思います。

また「以前に書いていた『超能力少女もの』とは『絶叫仮面』のことか?」——という質問も大変多くいただきましたが、これは違います。沙月の特殊能力といえば、主に人智を越えたファッションセンスぐらいのものなので。

「超能力少女もの」というのは現在も書き続けています。当初の予定より三倍ぐらい長くなってしまっていて、まだしばらく終わる見込みが立っておりません。すみません。どうも並行して書いていた「小学校六年生男子」が主人公の小説の方が先に完成しそうな気配です。ほかにも並行して書いている作品がありますので、どれから陽の目を見るかはぼくもまだはっきり分からない状況ですが、分かり次第、みなさまにこのページで一番早くお知らせしますので、よかったらたまに覗きに来てください。十年はかからないと思います。たぶん。

また、モンスターハンターの同人誌についても何件か問い合わせをいただきました。
まだ若干部数が余っていますので、リクエストがほかにもあるようなら期間限定で通信販売の形も考えたいと思います。

コメント欄についても、いくつかリクエストをいただきました。ありがとうございます。でも、コメント欄を解放してしまうと、すぐに「アナタの前髪を回復させてみせます」というメールや、名前も知らない女の人から「貴男限定のサービス」を受けられるサイトへのお誘いが大量に届いてしまって、特に前者の方は一瞬心が揺らぎそうになる悲しい自分がいるので、当面はコメントは閉鎖したままでいこうと思っています。すみません。なので、もし何かありましたらこちらからメールをお願いします。

それではみなさま、引き続きワンパラをどうぞよろしく!

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もしも25年前にタイムスリップしたら

10月 15th, 2009 — 6:07pm

(2008/3/6のmixiより転載)

……こんなことになるんじゃないかと、ふと思ってみた。

    *************

ぼく「二十五年後の世界からやってきました!」

過去の人「はっ?」

ぼく「いや、だから2008年からタイムスリップしてきました」

過去の人「恐怖の大王とか来て、2000年問題で人類絶滅してるだろ。2008年に人間なんていないって」

ぼく「いや、普通にいますよ。2000年にも何も起きなかったし」

過去の人「うそつけ。本当だって言うんなら2008年がどうなってるか言ってみろよ」

ぼく「そのまんま東が宮崎県の知事やってます」

過去の人「おまえ、うそつくにしてももうちょっとましなうそないのか」

ぼく「カリフォルニアの州知事がアーノルドシュワルッツネッガーです」

過去の人「それこそ人類全滅するだろ」

ぼく「大阪の府知事が横山ノックだったこともありました」

過去の人「どんな未来だよ、それ」

ぼく「みんな、一台ずつ電話持ち歩いているんですよ」

過去の人「重くてしょうがないだろ、そんなの。だいたいそんなにどこに電話するんだよ」

ぼく「いや、メールって言って、短い文章をお互いに送るんです」

過去の人「電話すりゃいいじゃん。電話持ってるんだから」

ぼく「いや、メールするのが楽しいし、便利なんですよ」

過去の人「何の文章送るんだよ」

ぼく「いや、まあ……何してるの?……とか」

過去の人「はあ?」

ぼく「そういう世界なんですよ。みんな自分の日記を世界中に公開したりしてるんです」

過去の人「なんで?」

ぼく「いや、楽しいじゃないですか」

過去の人「今日はハンバーグ食べました、とかか? 誰が読むんだ、それ?」

ぼく「そう言われると……」

過去の人「なんかおかしな世界から来たんだな、おまえ。気の毒になるよ」

ぼく「……そうですね。このままここにいていいですか」

過去の人「いいよ。ちょうどひょうきん族、もうすぐ始まるし。中国製の冷凍餃子でも食うか? 」

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九月のかき氷は倍おいしい

9月 13th, 2009 — 11:47pm

「人生は自らの手で切り拓くものだ」
ジョージ・ワシントンの言葉である。
ケネディだったかもしれない。いや、もしかしたらアレクサンダー大王かも。「はじめの一歩」の鴨川会長だったかもしれない。最悪、ぼくが今考えた言葉かもしれない。
とにかくこの言葉に従って、今年からはもうかき氷の季節が過ぎるのをただ憂いの中で過ごすのをやめることにした。「意思あるところに道あり」(力道山の……いや、キン肉マンの言葉だったかも)の通り、待っているだけでは人生は始まらない。ということで、我が家ではついに今年、かき氷器の購入に踏み切った。
ネットで散々検索して、一時は業務用のかき氷器の購入も真剣に検討したが以下の四つの理由により断念した。

・ブランドものの自転車ぐらいの値段
・ブロックの氷を製氷会社からいちいち購入する必要がある
・そのブロックの氷を一回で使い切らないといけない(約40杯分)
・台所に置くと、代わりに電子レンジか炊飯器を処分しなければならない

個人的には些細な問題ばかりだと思ったのだが、奥さんに反対されたので、やむなく業務用は見送った。仕方なくあっちこっちのネットショップのカスタマーレビューを調べ回って、けっきょく強く奨められていた「アイスロボ3」という製品を某ショップから購入した。
届いてからというもの、起きてすぐに氷を削って食べる「朝かき氷」からノドが渇いた時に食べる「プレーンかき氷(シロップ抜き)」まで幅広く活用している。昨日はコーヒーとかき氷を混ぜてフラペチーノを作り、その前は練乳をかき氷と混ぜてラクトアイスを作ったりして楽しんだ。
そして、ついに完成した我が家手製の白桃のシロップ!をかけたかき氷があまりにおいしかったので、もう一度だけここにすべての人に繰り返しておきたい。
「人生は自らの手で切り拓くものだ」
マイク・タイソンの言葉である。

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MOBS4.0 α版、設置完了!

9月 9th, 2009 — 3:54am

こんにちわ、みなさま!
おひさしぶりです。向山です。

絶叫仮面の発売と、スタジオ・エトセトラの トップページの本格的なリニューアルに伴い、MOBS&CO.も新たにWordPressというソフトを使って作り直すことになりました。

問題がひとつあります。
まったくと言っていいほど、ぼくはWordPress の使い方が分かりません。正直に言うと、WordPressが何かもよく分かっていません。ウェブエンジニアのセブンが「今はみんなこれを使ってるんだよ」と教えてくれたので、「それは使わねばならん」と使い始めただけで、セブンがうそをついていて、実は世界中でこのソフトを使っているのがぼくだけという可能性も若干ながらあり得ます。

でも、時代はやはりブログらしいし、いつまでも前時代的なページを公開していては「向山はもう時代についていってないんだな。所詮おじさんだからな。もう縁側で囲碁でもやってろよ」とか思われてしまいそうなので、意地でもWordPressで作ることにしました。

最初に今までのデータを全部こちらに移植しようとがんばりました。データをまとめて移す便利な機能があったので、楽勝かと思ったのですが、「便利な機能はたいてい失敗する」という科学の法則に基づいて、まったく一行も移植できませんでした。なので、けっきょく手作業で全部の記事を移植し始めたのが……

……半月前のことです。
予定では三日ぐらいで新しいサイトを作り上げるつもりだったのですが、そこから二週間——未だに改行すらちゃんとできません。フォントのサイズの調整もうまくいきません。ヘッダやフッダを入れるのなんて夢のまた夢。このまま、解説書片手にやっていたら公開する頃には年金が降りそうです。

でも、早くサイトをオープンしないと、どこにもワンパラを書く場所がないので、恥を忍んで、このままα版として公開してしまおうと思います。これから少しずつ少しずつ、WordPressを勉強する度にページがまともになっていくと思いますので、よかったらしばらくは暖かい目で見守ってやって下さい。

当面の目標はこの読みにくい文字をなんとかもう少し読みやすくすること。
セブンによると、そのためにはどうやら「スタイルシート」というものをいじらないといけないらしいのですが、それが何なのか、今のところ全くの謎です。おそらく東急ハンズに行けば売っているものではないかと思うのですが、まだ近くのスーパーしか調べていません。(「クッキングシート」ならありました。)

果たして、MOBSはちゃんと行間がきれいに空くようになるのか? この小さすぎる文字が適切な大きさになる日は来るのか? そして、イラストひとつないこのサイトをMOBSと呼んでいいのか?

などなど、そんなサスペンスをはらみながら、MOBS&CO. ver4.0アルファ版、本日スタートです。

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ありがとうございました!

6月 3rd, 2008 — 11:50pm

6/1のモンスターハンターオンリーイベント、大盛況のうちに無事終了しました。
主催者の方々がとても丁寧で、アットホームな気持ちの良いイベントでした。参加できて、とても光栄でした。「クエストくじ」というくじびきでグッズの当たる仕掛けを用意していたのですが、ありがたいことに180枚のくじと、同じ数のグッズは、開始から二時間で完売してしまいました。本当にありがとうございます。そして、くじがなくなってしまったあとに来場してくださったみなさま、申しわけありませんでした。
「手でものを売る」ということはとてもいい経験になりました。
これでイベント関係はしばらく打ち止めになるかもしれませんが、また機会があれば参加したいと思います。
あ、大丈夫です。ちゃんと小説は書いていますので!

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あの日のシーモールに

3月 15th, 2005 — 2:16pm

ぼくが中学生だった頃の下関で「じゃあ、今日買い物に行こう」と言ったら、どこに行くのかは言わなくてもよかった。行くところがひとつしかないからである。
シーモール下関。
下関駅前にぼくが小学校低学年の頃に出来たこの大型ショッピングモールは、ぼくの人生のある時期、思い出のほとんどを独占している場所だ。大丸とダイエーと百店舗以上の小売店が合併した形で生まれたこのデパートは、できた当時にはまだ全国的にも珍しいほどの大型店舗で、小学生のぼくにはまるで終わりのない迷宮のように広く感じられた。
実際、シーモールの中は構造がけっこう複雑で、小学校の高学年まで、行くたびに見たことのないセクションに出くわしたりしていた覚えがある。それからも近くのビルなどと連結して、今ではさらに大きくなっているデパートだが、都会のごみごみした百貨店と違い、なんとなく気さくで使いやすく、帰省したときには喜んで買い物に行っている。
今では下関で買い物をするなら、ほかにもいろいろ選択肢があるが、やはり買い物といえばシーモールである。
小学校のランドセルから、季節季節のお祝いの品物、ほとんどの私服、大切な人へのプレゼント、毎日の食卓に並ぶごはんの材料……何もかもをぼくはこのデパートで買ったり、買ってもらったりした。
はじめて女の子と出かけた場所もシーモールだった——もっとも、それは班か何かの買い出しだったが。それでも、女の子と一緒にデパートの中を歩いていると、なんだかとても大人になった気分で、何もかもがいつも以上に華やいで見えた。女の子が立ち寄ったり、関心を示したりする店があまりにも自分と違うのも、衝撃的なことだった。(女の子の関心のある店:クレープ店、アクセサリーショップ、各種洋服店。 ぼくの関心のある店:ゲーム屋、本屋の漫画コーナー、駅のゲーセン)その日まで、ぼくはカエルの形をした1200円もする鉛筆立てを実際に買う人間はいないと思っていた。「服なんかどれでもおんなじだよ」とか「ちょっとゲームするから待ってて」とか、言ってはいけないこともひととおり言わせてもらって、たくさん勉強もさせてもらった。
もう二十年以上昔のことだが、今でもシーモールの回廊を歩いていると、その日の自分の気持ちをかすかに思い出すことが出来て、なんとも切ない気分になる。あの時代、ぼくと同じ世代の下関出身者の多くは、きっと多かれ少なかれ、シーモールにはそういった思い出が詰まっているはずだ。
だからなのか、時々寝ている時に不思議な夢を見る。
今からいったい何十年後、あるいは何百年後なのか、ぼくなのか、ぼくじゃないのか分からない人が、とっくにつぶれて廃墟になっているシーモールの中を歩き回っている夢だ。人は誰もいない。薄暗くて、ぼろぼろに壊れたシーモールの中を
、その夢の中ではゆっくりと歩き回っている。足元や戸棚に残って、散らばっている商品はどれもぼくが買ったことのあるものばかりだ。その夢の中でしか思い出せないようなものもたくさんある。
夢の中のシーモールはいろんな時代のシーモールが混ざっていて、つぶれた店も元通りの位置に並んでいる。
ただ、どこにも人はいない。シーモールの外まで出られた試しがないので、世界全部が滅びてしまったのか、シーモールだけが廃墟になったのかは分からない。でも、悲しい。とてつもなく悲しい。
ぼくはシーモールに行くと、よく噴水広場のベンチに座るのだが、夢の中でもそのベンチに座っている。今までシーモールで見たいろんな映画や催し物のポスターが、時代も順番も関係なく貼りつめてあって、広場の片隅には福引きのカウンターがほったらかしでほこりをかぶっている。その福引きの機械は見覚えがある。ぼくが小学校三年生の時に一等が当たった福引きの機械だ。
でも、今はもう誰もいない。店員も、お客さんも、一人もいない。
音楽もアナウンスも止まって、静寂が広い店内に響いている。
あの日、一緒にここを歩いた女の子はどこで何をしているのだろう。
あの頃、ここを満たしていた賑やかさはいったいどこへ消えてしまったのだろう。
そう思いながら、廃墟のロビーに座っている。
そんな夢を見て起きた朝にはたまらなく下関に帰りたくなる。
でも、ぼくが帰りたいのはきっと1980年代の、あの日の下関なのだろう。
何もかもが輝いて、未来がまだ永遠に続くかのように思え——女の子という生き物がこの世にいるのだということを少しずつ気がつき始めていた、あの日のシーモールに。
どんなに帰りたくても、決して帰れない、あの遠い日のシーモールに。

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