サンタのいる世界

1月 2nd, 2010 — 10:24am

「サンタはいるのか?」
そんな一見ばかばかしい質問だけど、ぼくはいると思っている。

海外には「サンタクロース」という団体がいくつも存在するという。ボランティアの団体で、毎年南極宛に送られる何万というサンタ宛の手紙を郵便局から引き取って、それをひとつひとつ読んでいくシニア市民の集まりだ。彼らの予算は「恵まれない人たちのためのサンタ募金」で切り盛りされている。
サンタへ手紙を書くのは何も家庭に恵まれた子供だけではない。今日のご飯に困っている子供たちも、切手のない手紙でサンタに助けを求める。アメリカの郵便局で、切手が貼ってなくても唯一届く手紙がサンタ宛のものだ。

「サンタクロース」はそのたくさんの手紙の中から、クリスマスに本当に奇跡を必要としている人たちを選び出し、彼らが一番必要としているものを24日の夜、サンタの格好で届けに行く。中にはクリスマスの夜に一家心中をしようとしていた正にその瞬間、サンタが玄関に現れた家族もあったそうだ。
サンタクロースがいないだなんて、彼らは絶対に言わないだろう。何しろ、彼らのところには本当に奇跡がやってきたのだ。

残念ながら個人情報保護がうるさい現代では、手紙の引き取りが不可能になり、「サンタ」の存在は危機に瀕している。人の善意が消えると、サンタも一緒に消えてしまうのかもしれない。――そう思うと、悲しくなる。

子供の頃、うちに毎年来ていたサンタは今、どこの家を回っているのだろうか。
願わくば、多くの幸せを今も運んでくれていますように。

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550トンの衝撃

1月 2nd, 2010 — 10:23am

 ぼくは胸がドキドキしていた。
 もう明日の朝には何もかも終わっているのだ。決して来ることがないと思っていた未来が、すぐ目の前までやってきていた。為す術もなく近付いてくるその最後の瞬間に向けて、ただただ無力に待ち続けるしかない。その時のぼくは他のことが何も手につかなかった。
 今日はコンバトラーVが最終回なのだ。
 最初に知った時は衝撃的だった。たしかに数回前の放送から少しおかしな感じは受けていた。普段は絶対起きてはいけないことが次々に番組の中で起こっていく。前回ではついにコンバトラーVの基地である南原コネクションが爆発。ぼくはテレビの前で口を開けっぱなしにして、その様子をただ茫然と眺めた。そんなはずはない。南原コネクションがなくなるなんてあり得ない。今まで何度もピンチにあったけど、そのたびに切り抜けてきたじゃないか。ただ、そう心の中で繰り返していた。
 たたみかけるように、放送の最後に告げられた衝撃の言葉:「次回、感動の最終回!」
 ぼくはテレビの前で放心状態になった。
 しばらくして、台所で夕ご飯の後片付けをしている母親のところに行って、壁に力なくもたれかけた。母親はまさか息子が人生最大の絶望を抱えて後ろにいるとは夢にも思わず、家事をしていた。
 コンバトラーVは終わらないものだと思っていた。
 ぼくが大人になるまで当然ずっと続くものだと思っていた。これからも毎週毎週コンバトラーVを見ながら、ぼくは大人になっていく。そう信じていたのだ。
「ママ。コンバトラー終わるって」
 ぼくは皿を洗っている母親に言った。言葉に出すと、堪えていた涙が少しこぼれた。
 でも、母親はそれに気がつかなかったようで「あ、そうなの。残念ね」とだけ、なんでもないことのように返事をした。大人にとってはコンバトラーVが終わるなんてなんでもないことなんだ。それが分かって余計にショックだった。
 人生で最初に憶えた歌はコンバトラーVの主題歌だった。音楽の素養がない家に育ったもので、小学校一年に上がるまでレコードの存在すら知らなかった。だから親友のタケラに小学校の登校路で一小節ずつ教えてもらった「コンバトラーVのテーマ」が初めて「歌」という存在に触れた瞬間だった。学校で辛いことがあっても、友達とケンカをしても、コンバトラーVがあれば平気だった。
 あと一週間後。一週間後が来たら、ぼくはもう二度とコンバトラーが動くところを見られなくなる。それは日に日に実感を増して襲ってきて、どうにかできないものかと人生で初めて本気で悩んだ。そして、考えた末、ぼくには何一つそのことを止める方法がないことを思い知らされて、やはり人生で初めての無力感に苛まれた。
 結局唯一思いついたのが、父親のスピーチ録音用のテープレコーダーを貸してもらって、それでコンバトラーVの最終回を録音することだった。それまで何かをまじめに練習などしたことのないぼくだったが、その一週間は何度もテープレコーダーの録音に失敗しないように、必死に特訓した。テープの録音ボタンを押してから何秒後に実際に録音が始まるか、感覚で分かるまで何度も練習をした。でも、練習をすればするほど、コンバトラーVが本当に終わるのだということをただただ、余計に思い知らされるだけだった。
 最終回当日は学校でもコンバトラーのことばかり考えていた。筆箱にコンバトラーVのイラストが描いてあったので、ずっとそれを眺めていた。本当に――本当に今夜、コンバトラーVが終わるのだろうか。そんなとんでもないことが起きるのに、なんで世界は少しも変わりなく動いているのだろう。あたりまえに授業をする先生たちも、すでに次の番組を楽しみにしている同級生たちも、みんな信じられなかった。彼らは分かっているのだろうか。コンバトラーVは今日でもう見られなくなるのだ! それがどんなに恐ろしいことか、なぜ誰にも分からないのだろう。
 夕飯を適当にすませ、コンバトラーVが始まる一時間前にはもうテレビの前に座っていた。いつもなら六時台はあまり好きなものをやっていなかったので、テレビをつけっぱなしで寝転んで漫画を読んだりしていたが、今日はずっとテレビの前に座っていた。なぜか自然と正座をしていた。
 いよいよ直前の番組が終わって、提供のテロップが流れ、CMが始まった。あと二分。あと二分後にぼくの最後のコンバトラーが始まる。泣きそうになったけど、そんな余裕はなかった。一秒でも見逃すまいと、ぼくはテレビに至近距離まで近付いて、テープレコーダーのスイッチを入れた。もしかしたら涙を死にものぐるいで我慢したのも、その時が初めてだったかもしれない。
 コンバトラーVが終わるぐらいだから、もしかしたら、すべてのことはいつか終わるのかもしれない。
 ふと、番組が始まる刹那、そんなことが頭をかすめた。今まで考えたこともなかったけれど、もしかしたらぼくが永遠に続くと思っているこの「小学生」という時間もいつか終わりが来るのかも知れない。とても信じられないけど、近所をよく歩いているあの黒い制服姿のお兄さん、お姉さんたちと同じ服を着て、歩く日が来るのかもしれない。女子に興味を持ったり、泳げるようになったり、父親よりも背が高くなったりする日が来るのかも知れない。それはあまりにも途方もない考えで、想像すら難しかったけど、半年前にコンバトラーVが最終回を迎えることだって、やはりぼくには想像できなかったはずだ。
 CMが終わった。
 おもむろにオープニングの「V、V、V、ビクトリー」が流れ始めたので、ぼくはすべての思考を振り払って、テレビに集中した。今はいい。今は先に広がる未来も、これから先のこともどうでもいい。今はコンバトラーVの最後を目に焼き付けておくのだ。——もしかしたら、いつかこんなこともみんな笑い話になるのかもしれない。でも、今はとても信じられない。胸が締め付けられる。ほおがひきつる。コンバトラーVが終わってしまう。
 ぼくの大好きなコンバトラーVが終わってしまうのだ。

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遺伝子レベルの誤解

12月 19th, 2009 — 2:00pm

 この季節になると、毎年必ず女性のみなさんに提案したくなることがある。もしあなたが三十代以上の男性で、特に既婚者なら、きっと今、同じことを思っているはずだ。
 クリスマスはいい。もちろん日本人の若者の多くがイエスキリストをパンクロックのバンドだと思っていることを差し引いたとしても、クリスマスはいい。楽しいし、お祭り気分になるし、一年のしめくくりが始まった感を与えてくれる。きれいなイルミネーションを無料で見られるのも悪いことじゃない。
 問題はあの「プレゼント」という悪しき習慣だ。あれがどうにも我々男性には解せない。
 女性に「何が欲しい」と聞くと、「なんでもいいよ」「何もいらないよ」と必ず答えるのに、それを真に受けて自分が心からいいプレゼントだと思っている「電動ドリル&ドライバー92点セット」を贈ったら激怒されるのだから意味がわからない。「なんでもいいよ」と言ったではないか! ましてや「何もいらない」を真に受けて、クリスマス当日に一日中プロ野球の中継をビール片手に見ていたら、それが元で離婚になったりするから実に不可解だ。
 男性というのは誓って言えるが、遺伝子レベルに「プレゼント」「誕生日」「おしゃれ」「インテリア」「掃除」というのがどれも存在しない生き物である。男性が生まれつき持っている遺伝子レベルの知識は「ゲーム」「酒」「好きなプロ野球チーム」と「何も着ていない女性への興味」だけである。

 十数年ぶりに再会した男性同士の会話を聞いたことがありますか? 女性同士がもし十数年ぶりに再会したなら、それはもうさぞかし感動的な一瞬になることでしょう。「元気だった−!?」「変わらないわねー!」熱い抱擁の後、きっと今のお互いの家族構成や、子供の写真などを交換して、若かりし日の思い出話などに花を咲かせるはず。しかし、典型的な男性が十数年ぶりに再会した場合の会話はこんな感じである。

A「よう」
B「よう」
A「ところで、FFの新しいの買った?」
B「ああ。おれまだPS3買ってないんだよ」
A「おれもなんだよ」

 AとBは大学時代に一緒に二年間大学に通い、お互いの家に毎週のように泊まっていた仲で、互いの結婚相手とも面識があり、年賀状では子供の写真も交換している。しかし、彼らが最初に会った時にする会話——それは所詮ゲームの最新作の話で、しかもここでは割愛しているが、このあと二時間、この話が続く。これが男性という生き物の本質なのだ。

 女性のみなさんには冷静に考えてみて欲しい。本当にこんな生き物に「繊細で愛情に満ちあふれた、感動的で、それでいて適切な値段のクリスマスプレゼント」など買ってもらうことを期待するべきだろうか。男性が「繊細なもの」といって思い浮かべるのは、流体軸受けの2.5インチハードディスクである。「感動的なもの」と言われて思い浮かぶのはワールドシリーズのバックネット裏のチケットだ。「愛情に満ちあふれたもの」なんて注文をしたら、それはもう、犬に「もっと金目のものをくわえてこい」と命令するようなものである。

 こんな生き物に指輪とか、ドレスとか、そういう複雑なものを期待するのはいい加減やめようではないか。どうせ指輪はドクロが彫られたものを贈られるのが落ちだし、ドレスは紫のシルクにラメの入った七色の星が全身にちりばめれたものになるに決まっている。しょうがないのだ。我々男性はすべての美意識を仮面ライダーとロボットアニメから学んでいるのだから、指輪でも財布でも、押すと飛び出す仕掛けがいくつついているかでしか、価値が計れない。典型的な男性が着けている腕時計を思い出して欲しい。そう。あのごてごてといろんなスイッチがついた自爆テロの時限装置みたいなあれだ。信じられないかもしれないが、あれは男性は好んで買っているのだ。なぜなら、あれは外観が:

1、車の計器類に似ている
2、使う必要のない装置が20種類以上ついている
3、名前がロボットの必殺技に似ている
4、なんとなくどこかを押すと変身できそうな気がする

 仮にその腕時計に時間を表示する機能がなかったとしても、おそらく大半の男性は気にも留めない。それよりも0.00001秒まで正確に測れるストップウォッチが着いている方が大事なのだ。もちろん0.00001秒を測る必要があるのなんて、分子レベルの核融合実験中の科学者ぐらいしかいないだろう。でも、関係ない。大事なのは「おれのストップウォッチはあいつのストップウォッチより性能が3桁多い」ことなのだ。

 だから、もしあなたの愛する男性がクリスマスにパソコンのRAMを二枚買ってきて、「これでメモリがMAXになるよ」などと言ったとしても、その離婚届にハンコを押すのをちょっと待ってあげてほしい。きっと彼なりに考えた末の事なのだ。もちろん考えていたのは通勤電車で最新のRPGのレベル上げをやりながら、iPodで「サイボーグ009」のオープニングを無限ループで聞いている間かもしれない。でも、それが彼の「思案」の限界なのだ。そんな生き物とあなたは生涯連れ添うことを約束してしまったのだから、ここはもう素直にあきらめてほしいと思う。
 ただ、どうしても納得がいかなかったら、まあ、その時は昨年もらった電動ドリルが初めて役に立つかも知れない。

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誰かあの中身を

12月 16th, 2009 — 2:28pm

(2007/08/29のmixiの日記より転載)

 実は前から大変気になってました。
 たまに駅で歩いていると、ズボンの股下がひざのちょっと上ぐらいまで下がっている男(たいていちょっとヒップホップ気味)と擦れ違います。普通のズボンでこれだとベルトラインはちょうど股間のあたりに来ているはずなので、シャツの裾をめくればパンツ丸見えになるはずだと思うのですが、実際はどうなってるんでしょうか。普通に考えたらあの位置だとよっぽどきつくベルトを締めないと、すぐにずり落ちてきそうですが、逆にベルトを強く締めたら歩けなくなると思うのですが……もしかしたらベルトから股下までが恐ろしく長いのでしょうか。女の人と違ってヒップで支えるってのも難しいと思うし、サスペンダーででも吊っているのだろうか?
 考え始めると、夜も眠れません。

 たぶんあり得る二十年後の高校生の会話:
高校生A「(今の時代の写真を見て)この人、なんかズボンずりおちてるんだけど。」
高校生B「それ、そういうファンションらしいよ。流行ったんだって。うちの親が言ってた。」
高校生A「いや、これファッションじゃないでしょ。ずりおちてるだけだよ。トイレで上げ忘れたんだって。あり得ないって。」
高校生B「いっとくけど百年前はちょんまげ結ってた国だからね、ここ。」

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秋に思う

11月 29th, 2009 — 1:09am

「花見? 花見って、何が楽しいの?」
小学校の時、家の上の高台で花見をしようと提案してくれた母親に対して、ぼくが言った言葉だ。ひどい言い方だけど、まあ、小学生の男子が「花見」に持っている意見の大多数はカバーしていると思う。

そう。あの頃は桜を見て何が楽しいのか、まったく分からなかった。「だいたい桜って花じゃないじゃん。木じゃん」みたいなことを言っていた、実にいやな小学生だったと思う。おまけに時代は昭和。花見のお弁当と言えば、いなり寿司とか、かんぴょう巻がメインで、運が悪ければ卵焼きさえ入っていない始末。焼酎だけあれば満足のおじさんたちはともかく、唐揚げひとつ、ウィンナー一本も入っていない弁当だけで、何時間も桜の木の下にいるなんて修業か!——というのがぼくの当時の素直な心境だった。それでも大人たちは何かにつけて、花を見に行こうと高台の公園にぼくら子供を連れて行った。チューリップかられんげまで、なんでも見に行く。やっと夏が終わって、たいていの花が枯れて安心していると、今度は紅葉を見に行こうと言い出す。「あれこそ花でもなんでもないだろ。枯れ木じゃん」というぼくの意見はいつも軽くスルーされた。

それからの人生でも、何度か花見には行った。いずれも自分から喜んで出かけたわけではなかったが、平成に入ると花見の弁当もずいぶんよくなったし、東京に出てきてからは花見の名所に行けば、屋台や催し物もやっていたので、そこそこ楽しめるようにはなった。それでも、見ているのはいつも下の弁当の方で、上の桜には目もくれず帰ることも多かった。その頃のぼくの解釈は:「みんなきっと桜なんかどうでもいいんだな。集まるための言い訳なんだ」というものだった。

たぶん桜を初めてちゃんと見たのは二十代の後半になってからだったと思う。
花見の途中にふとレジャーシートの上に寝転がってみた。すると、わずか2メートルほど上空が桜の花びらでいっぱいになった。さらさらと揺れる淡いピンク色の花びらの向こうに、高く広がった青空がどこまでも続いていて、じっと見ていると吸い込まれそうだった。そよ風が吹く度、桜の花びらが頭上を舞い散って、ヒラヒラと地面へと落ちていく。こんなささやかな風でさえ、散るほど儚い花びらだった。

そうか。この桜は今しか咲いてないんだな、とふと思った。
来週ここに来て寝転がったら、もう桜はないんだなと思うと、なぜか急にその光景がとても愛おしく感じられた。そして、それと共に、そこに平和に寝転がっていられること、周りに一緒に桜を見てくれる人たちがいること、そして、移り変わりながらも平穏に続いていく毎日がすべて、とても愛おしく思えた。

その頃から花見では、やっと上を見るようになった。
思えば、きっとあの頃、初めて自分が年を取っているという実感を得たのだろうと思う。今まであまり気付くことのなかった四季の移り変わりや、時の流れを感じられるようになって、「桜の季節」も感じられるようになった。——そうして温かな春の日差しの下で桜を見ることは、かつて暖房もまともにない厳しい冬を過ごした世代には、どれほど安心感のある、ありがたい光景だっただろうか。桜を好きになるのも当然だ。
子供の頃は「冬」って言ったら、「クリスマス→プレゼント、冬休み→自由、お正月→お年玉=パラダイス」という図式しか頭に浮かんでいなかったので、たぶん外が寒いということにも微妙に気がついていなかった気がする。(あの頃の小学生の男子というのはそれぐらいバカでした。)今ぐらいの季節になると「やだなあ、寒いなあ」と思う年になったから、春の日差しをありがたく思えるようになったのだと思う。

春の花見からさらに過ぎること十年。最近は紅葉もきれいだな、と思えるようになった。ぼくが小学生の頃、大人たちが見ていた景色と同じものが、やっとぼくにも見えるようになったのかもしれない。
そうなってみて、初めてあの頃の花見の意味が少し分かる気がした。きっとお酒やいなり寿司はどうでも良かったのだろう。食べ物も、飲み物も、なくったってよかった。大人たちはただ、今年もまた無事にみんなが元気で、季節を一周したことを祝いたかっただけなのだろう。

黄色に染まったイチョウ並木を見上げながら、そんなことをぼんやりと考えた。

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白くなった背表紙

11月 24th, 2009 — 5:09am

 昔の書店が好きだった。
 今のチェーン店のように、整然とした大きな店内に、まぶしいほどの明かりが降り注いで、いつも最新の書籍だけが入れ替わり立ち替わり消えて行く、そんな書店ではなくて、昔の書店――そう、六畳から十畳ぐらいしかない空間に作り付けの木製本棚が並び、いつまで経っても同じ本がずっと並んでいる、そんな本屋が好きだった。レジの後ろから裏の家につながっていて、その敷居にのれんがかかっている書店。スライド式の安いガラスドアを開けると、石油ストーブの匂いが充満していて、おじいさんかおばあさんがレジの後ろでじっと雑誌なんかを読んでいる、あの昔の書店が好きだった。
 うちのすぐ近くにもそんな書店があった。雑誌やマンガの新刊が多少は入れ替わるものの、下の方の棚はいつも同じ本が並んでいた。ぼくが小学校の間中、ずっと売れ残っていた本もあった。「売れ残り」のラインアップは今でも言えるぐらいだ。楳図かずおの「アゲイン」、水島新司の「銭っ子」、手塚治虫の「ザ・クレーター」、そして作者名は定かではないが少年チャンピオンコミックスの「スーパー巨人」など、実に香ばしい品揃えだった。マンガの棚は窓際にあったので、日が当たって背表紙が白くなりかけていたが、お店のおばあちゃんはそんなことを気にもせず、いつも金魚鉢にエサをあげていた。
 店の隅には回転するラックがあって、そこには「まんが日本むかし話」のペラペラの絵本が入っていた。そのとなりには木の箱を裏返したものに大人用の週刊誌が並べられている。表紙をめくると女の人の裸が載っているのは知っていたが、けっきょく一度もめくる勇気はなかった。
 床はコンクリートの打ちっ放しで、店内の薄暗い蛍光灯は球切れ寸前でよくチカチカしている。明らかにスペースが不足していて、入りきらなかった本は棚の一番上に横にして積まれている。もはや、何が何冊あるのかさっぱり分からない状態だ。ドカベンの5巻があっち、12巻がこっち、34巻が棚の隙間に……と、秩序も何もない。しかも、その秩序のない状態が凍り付いたように何年も続くので、もはや店内は時が止まっているかのようだ。夏は蚊取り線香、冬は灯油の匂いが本のインクとかびた紙の匂いに混ざって、なぜか不思議と安心感のある空間だった。
 中学生になって、高校生になって、気がつけば何ヶ月もその書店に行かないこともあったが、それでも顔を出せば、やっぱり同じマンガがずっと置いてある。もはや背表紙が完全に真っ白で、取り出してみないと何のマンガだか分からなくなっているものもあった。古ぼけた商店街だった書店の周りには、いつしか大きなスーパーが立ち、古いトンネルは立体交差に生まれ変わって、横断歩道も塗り直されたけれど、その書店だけが時間の流れを拒むかのように同じ姿で立ち続けていた。
 大人になって、ある日、車で前を通ると、書店が建物ごと消えてなくなっていた。ぼくは思わず車を路肩に寄せて止め、肩越しに後ろを振り返って、驚くほど跡形もなくなったその場所をしばらく茫然と眺めた。しばらくしてその場所はコインパーキングになって、やがて区画ごと潰され、今は大きなマンションが建っている。おそらくあのマンションに住んでいる人たちは、昔そこに金魚鉢のある本屋があったことを知る由もないだろう。
 けっきょく白い背表紙のマンガたちは最後まであの書店と運命を共にしたのだろうか。——それがとても気になる。もしなくなると分かっていたら、あの白くなった背表紙のマンガを一冊は引き取っておきたかった。そうすれば、あの書店の匂いを、今でも嗅ぐことができただろうに。 

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白い夜空

11月 20th, 2009 — 3:37pm

(2007/1/27のmixiより転載)

今日もごみを出しに行くために真夜中にスタジオの庭を横切る。

燃えないゴミを回収に来る業者は、時々午前八時前にやってきたりするので、仕方なく寝る直前に軒先のネットの中にゴミ袋を入れておくのである。これをするのがだいたい午前二時から三時ぐらいの真夜中。当然外は真っ暗である。

大きなゴミ袋をぶら下げて、足早に庭を横切る。なぜ足早かというと、面倒でわざわざジャンパーを羽織ったりしていないため、真冬なのにパジャマオンリーだから、とにかく寒いのである。この格好で外にいられるのはせいぜい一分。その間にすばやく庭を横切り、ゴミ袋を置いて、動物にやられないようにネットを上からかぶせ、ダッシュで家まで戻ってこないといけない。なかなかにサスペンスのある一分間だ。でも、実を言うと、透き通るように冷たい空気が肌を刺す感じを、ぼくはあまり嫌いではない。なんとなく束の間、意識がひどく冴え渡る感じがするのだ。
昔からどうもぼくは夏より冬の方が好きな子供だった。心も体も伸びきってしまう夏よりも、変に緊張感が一本通った冬の方が何もかもリアルに感じられたからかもしれない。

もちろん気温だけではない。冬の静けさも好きだった。いかに東京とはいえ、冬の深夜はさすがに人通りもほとんどない。昼間は車と自転車と排気ガスで埋まっている道路も、まるで人間が滅んだあとの世界のように静かで気持ちがいい。思わず道路に寝転がってみたくなる衝動に駆られたりするが、さすがにそれをやるには36はちょっとムリのある年齢だ。

そして、あまり寒くない夜はゴミ袋を置いたあと、ごく短い間、そのまま夜空を見渡してしまうことがある。この瞬間はぼくにとってちょっと特別な時間なのだ。最初に東京に引っ越してきた十五年前にも、そうやってふと夜空をスタジオの庭から見上げたことがあった。そして、思わず声をあげるほど驚いたことがある。

遠く東の空が、何やら明るいのである。時間は午前二時を回ったところで、どう考えても夜明けにはまだほど遠い。しかし、明らかに遠くの空は白んだように明るいのである。最初は何かの錯覚かと思ったが、数日後のごみの日にもまた東の夜空が同じように明るく白んでいた。

そのあまりに異様な明るさが気になって、もしかしたらその方向に深夜でもやっている巨大なスタジアムか何かがあるのかと思い、わざわざ地図を広げて調べてみたりもしたが、それらしきものは何もなかった。しかも、スタジアムというような規模の明るさではない。見える限り、東の空の端から端までが明るいのである。異様だった。ただ、内心とてもうれしかった。もともとぼくは暗闇が大嫌いなので、夜というのは得意な時間帯ではない。だから夜中でも空が明るいというのは、一人で上京してさびしかったぼくには、なんだかとても心強く感じられたのだった。
いったいなんでかさっぱり分からなかったが、とにかく小平の空は夜中でも明るいということが、変に安心感をもたらせてくれたのである。

あれから十五年。今日も東の夜空がうっすらと明るい。今はもう、あれが都心の上空で新宿のネオンや照明が雲に映し出されて起こる現象だということは知っている。言ってしまえば、あの光は東京という巨大な文明社会が作り出した幻のようなものである。いったい夜空をあれだけ明るくするには、どれほどの灯りをともせばいいのだろうか――考えただけで恐ろしくなる。

でも、当時のぼくは夜中でも明るいところがあると知って、何度も車に飛び乗って、あの明るい場所の下へ向かいたいという衝動にかられた。独りぼっちで寂しくて仕方のない夜、あのうっすらと明るい空はぼくの心をたまらなく引きつけた。あれが新宿あたりの光だと知ってからは、実際に夜中に出かけて行ったこともあった。そして、何をするでもなく、新宿の西口のビル街を深夜に散歩した。きっと今なら警察に停められてしまうだろうが、あの頃はまだそういうことを誰も気にしていない時代だった。

今日も東の空が明るい。ぼくはごみを出して、ついつい空を見上げてしまう。でも、もうあの下へ行きたいとは思わない。あの光がまやかしでしかないことを今はよく分かっている。それに、昔ほど暗闇も嫌いではなくなった。

震えるように身を縮めて、足早に玄関へ戻る。東の空を目指して車を走らせなくても、寝てしまえば朝にはすべてが明るくなっている。ならば今は寝よう。あの下には今日も眠らない人たちがたくさんいるのだろうが、ぼくはもう明日の朝のごみを出し終わったので、寝てもいいのだ。

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九十九回のリアリティー

11月 13th, 2009 — 1:37pm

【事例1】

問題:
ヒーローとヒロインが悪玉に捕まる。ヒロインが生け贄等、あり得ない危険に巻き込まれ、それを縛り付けられたヒーローが為す術もなく見せつけられる。

解決策:
ヒーローは手足を結んでいるロープをたまたま手近にあるもの(ガラスの破片、ライターなど)で切って、土壇場で反撃。ヒロインを救う。

悪玉の反省点:
やっぱりヒーローを捕まえたその場で殺しておけば良かった。

 ————————————

【事例2】

問題:
追い詰められたヒーロー。必死の反撃を試みるも、相手は圧倒的多勢。追い詰められて武器も尽き、いよいよ絶体絶命。現れた悪玉はヒーローに銃を突きつけて自分の手の内をすべて説明したあと、「そろそろ消えてもらおうか」などと吐き捨てて銃を撃とうとする。

解決策:
間一髪でヒーローの仲間が駆けつける。もしくは親玉とその部下を巻き込むなんらかの天変地異が起こる。ヒーローはそのどさくさに紛れて逃げ出した相手の親玉を追いかけ、一対一で親玉を倒す。

悪玉の反省点:
次からは「わはははは」と笑う前に撃とう。

 ————————————

【事例3】

問題:
親玉がヒーローの家族を人質にとって、ヒーローに武器を捨てるよう要求する。絶体絶命の中、ヒーローは苦渋の選択を迫られる。

解決策:
捕まっていた家族の中でもっとも反撃しそうもない者が勇気を振り絞って反撃。ふいを突かれた悪玉がひるんだ隙にヒーローが悪玉を退治。家族はヒーローの仲間に救出される。

悪玉の反省点:この手の映画を見ていれば分かっていたパターンなのに!

 ————————————

以上が昭和のアクション映画で極めてよく見られる山場の典型的な三事例。

当時は基本的にこの三つのシーンを20分ごとに入れて、間を何かで埋めればアクション映画として成り立った時代である。しかし、ポスト911の時代、これらのシーンは概ねアクション映画から姿を消した。どうやら同じパターンで何度も倒された悪役たちも、やっと反省点をのみ込んだのか、無意味に人質を取ったり、ヒロインをアグラ=アッパラーの神に生け贄に差しだす、などの無謀な行為に出なくなった。それにヒーローを縛って放置する場合には、周りに何かあからさまにロープを切れるものがあるかどうかもチェックするようになったみたいで、さすがに都合良くガラス片が落ちていることも少なくなった。

今のアクション映画では善人が撃ち殺されたりすることも当たり前だ。ヒロイン自身が撃ち殺されることもそれほど珍しいことではなくなった。作戦は失敗するし、人質は死ぬし、ヒーローは間違えて民間人を撃つ。仕掛けられた爆弾は残り007秒で止まることなく爆発し、テロリストの思惑が成功してしまうことも往々にしてある。
ギリギリのタイミングで仲間が飛び込んでくるという偶然がないことを、今の世界はよく知っている。とられた人質が生きて戻ることはめったにないことも強く実感している。主人公のためだけに天変地異を起こすほど暇な神様がいないということも常識だ。

でも、昭和のアクション映画を作っていた人たちだってそれは分かっていたはずだ。たぶん、百回そういうシチュエーションがあれば、九十九回は助からないことを知っていても、あと一回は奇跡が起こるかも知れないと考えていた。だから、その一回を映画にしていたのではないだろうか。映画とは、そういう希望のあるものだったのではないだろうか。
今のアクション映画はリアリティーを重視する。99%の方を描くことを信条とする。でも、それは果たして本当に正しいことなのだろうか。ぼくらは百回のうち九十九回起こることの方を映画で観たいのだろうか。

毎日のニュースを見ていると、九十九回の方の出来事が連日放送される。これを見ていると、放送されずにすんだ一回の方があることをついつい忘れてしまう時もある。でも、きっと現実の世界でも、「待たせたな!」と言いながらギリギリ駆けつけてくる援軍は今だっているはずだ。「待ちくたびれたぜ」と言いながら、反撃に転ずるヒーローも、まだまだ健在であってほしい。

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モスよ、どこへ行く

11月 8th, 2009 — 2:44pm

ちょっと、みなさん。
最近、とっても気になることがあるんですがいいですか?

何を隠そう、ぼくはモスバーガーの大変なファンです。
正直に言いますが、昔はそうでもなかったんです。何しろ子供時代にアメリカでマクドナルドを大量に食わされたもので、初めて両親とモスに入った時には、何も考えてない小学生男子だったこともあり、「ハンバーガーにテリヤキソース? なめんなよ」みたいな感じでした。

二年間ぐらいは「モスバーガーなんてにせもののハンバーガーだぜ」みたいな男子特有の根拠のない意地を張ったりしていたのですが、小五の時に友達四人とモスに入った時、残りの三人が全員テリヤキバーガーを注文したあげく「やっぱりテリヤキが一番うまいよな」っていう話になって、流れ的にテリヤキバーガーを頼まざるを得なくなりました。渋々食べてみると、「なんだこれは? うまい。うますぎる」と思い、瞬間的に立場を翻しました。(←これも小学生男子の大きな特徴。)しかも、その次に両親とモスに行った時には「モスでテリヤキバーガーを食べないなんて正気じゃないね」みたいなことを平気で言って、創業以来自分はモスでテリヤキバーガーしか食べてないような顔をその後ずっとしていました。

十代で入院した時も、退院したらやりたいことリストのトップにあったのは「モスバーガーでテリヤキバーガーを食べる」だったし(二番目は「小僧寿司の手巻きの鉄火巻きを破裂するまで食べる」)、大学生の時には昼ご飯の三回に一回はモスバーガーですませていました。蒟蒻ドリンクに驚愕し、野菜の産地をいち早く表示していることに感銘を受け、ある時期はスパイシーチリドッグ以外食べられない体質になったこともあります。

この三十年間、モスはいつもぼくの味方でした。そして、ぼくはいつもモスの味方でした。

しかし。しかしですよ。解せないんです。
解せないんです、最近のモス。
去年ぐらいからでしょうか。どんどんいろんな変更がされていって、その度に首を傾げることばかり。最近はだんだん同じ店なのかどうか心配になってきているほどです。
以下、ぼくが解せないモスの「変更点」を列記してみました。

・蒟蒻ドリンクがなくなった
(モス畑シリーズが消えたあとも、これだけはずっと残っていたのに今さら何故? ひそかなファンはきっとぼくだけではなかったはず。)

・山ぶどうスカッシュがなくなった。
(代わりに白ぶどうソーダなるものが加わっているが、どっちみち似たような飲み物なら聞き慣れたあの名前をメニューに残しておいて欲しい。)

・ビーフパティが合い挽き肉になった。
(まずいわけじゃないけど、どうもマックのソーセージマフィンのソーセージのような味がする。それに以前のふわっとした食感に比べて、少し固めになった気がする。)

・テリヤキソースが味噌風味になった。
(これもまずいわけじゃないけど、かつてのテリヤキソースも選択肢として残して欲しい。あと、新しいバージョンのソースは前よりも飽きやすい気がする。)

・ハンバーガー、チーズバーガーの値段を下げるためにパティがマック並に薄くなった。
(不況で値段を下げたいのは分かるけど、モスのおいしさの基本はやはりふわっとしたパティなわけで、これでは本当にマックみたいだ。しかもそれならマックの方がおいしいし、安いので、意図を理解できずに苦しむ。)

・スパイシーシリーズがなくなって、代わりにハラペーニョソースでお茶を濁した。
(あのハラペーニョのおいしさはやはりソースでは代用はできない。これもコスト削減だとは思うけど、スパイシーシリーズがもう食べられないのは悲しすぎる。)

・コーラがペプシネックスになった。
(ぼくはダイエット系飲料の人工甘味料の味が大嫌いなので、これはとても解せない。)

・ライスバーガーのカルビ焼き肉が近隣に見当たらない。
(これはぼくだけの問題かもしれないけど、前は扱っていた店も辞めてしまった。もしかして徐々にフェイドアウトしている?)

・メニューを水増しするためか、意味もなくダブルバーガーの嵐になっている。
(基本のハンバーガーの厚さを半分にして、ダブルバーガー類ばかりメニューに増やすことに矛盾を感じているのはぼくだけだろうか。というか、モスでこういう「メガマック」みたいな「大盛りメニュー」ってそんなに求められていないような気がするのだけど。食べてますか、みなさん?)

・今年の夏にやっていたミスドとのコラボ。モス側のコラボ商品「ドーナツバーガー」を大変期待して食したところ、パティの真ん中に穴が空いているだけという体たらくなメニューだった。
(昔のモスなら絶対ぎょっと驚くようなアイディア商品を出してくれたはずだと思う。なぜバンズにハニーディップを使うぐらいの冒険をしなかったのか、実に解せない。)

・最近の売りの「国産ハンバーグサンド」の中途半端な内容が解せない。
(それならいっそ匠シリーズを残した方が特徴的で面白かったのではないだろうか。)

ひとつひとつはたいした変化ではないのですが、この二年間で積み上がったこの数々の変化によって、最近ぼくはなんとなくモスバーガーに入る時、昔と少し違う店に入る感覚になってしまっています。大不況の時代。企業もいろいろ工夫しないと生き残っていけないのは重々分かるのですが、愛するモスがどんどん違うものになっていくのを見ていると、いてもたってもいられません。

英語に「壊れていないものを直すな」ということわざがあります。少し固くなった合い挽きのパティを食べる度、そんな言葉が頭をかすめて溜息が出るのですが、それはぼくだけなのでしょうか。

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ハロウィンは日本に来たか

11月 5th, 2009 — 7:52am

 近頃、日本でもすっかりハロウィンが定着しつつある。
 10月初旬あたりからお店にはグッズが並び始め、ちょっとオシャレなカフェやショップは軒並みハロウィン仕様に変わり、オレンジと黒の飾り付けに骸骨やカボチャが舞い踊る。きっと、そろそろ我が家にもハロウィンを取り入れたいなと思っている日本人も増えていると思うのだが、「けっきょくハロウィンって何するの?」と思っている人がほとんどではないだろうか。
 最近よくそんなことを尋ねられるのだが、困ったことに本家のアメリカやヨーロッパでもそれが今ひとつはっきりしないので、毎回答えに窮している。

 伝統的には子供たちが仮装し、近所の家から家へ「Trick or treat!(菓子よこさないと化かすぞ)」と言って回って、紙袋一杯の大量のお菓子をもらうのがもっとも一般的な行事だ。アメリカに住んでいた七十年代、ぼくもその列に加わって、十人ぐらいの魔女や狼男やお化けと一緒にスパイダーマンの格好で10月最後の夜は息を切らして走り回っていた。
 まだその頃はアメリカも平和で、知りもしない家のドアのチャイムを鳴らして、片っ端からお菓子をもらって回るのにも抵抗がなかった。ぼくの住んでいた町にはさらにローカルルールみたいなものがあって、ハロウィンの夜の6時〜8時はどこの家も大量にお菓子を用意して、子供が来たらどんな見知らぬ子にもひとつかみのお菓子を袋に放り込んでやるのが約束事だった。当然我が家もお菓子を用意していて、ぼくが外をかけずり回っている間、母親は無限に鳴り続けるチャイムを返事するために、巨大なお菓子の袋を持って、玄関の内側で待機していた。
 窓から外を覗けば、それはもう異様な光景で、住宅街の暗闇の中、いろんな種類の小さいお化けがかぼちゃ型の懐中電灯や蛍光塗料の塗られた緑色の仮面をかぶって縦横無尽に庭を横切っていくのが見える。ものすごく精神年齢の低い宇宙人に町を侵略されたら、きっとあんな感じなのではないかと思う。
 しかし、残念ながら近年は「危険」ということで、trick or treatはどんどん規模が小さくなっている。良く知っている近所の家を親同伴で回るだけでは、どうにもあのtrick or treatのカオスな楽しさは出ない。このままではハロウィンはもっぱら「ソウ」の続編の公開日になってしまうのではないかとハロウィン好きのぼくは心配でしょうがない。

 trick or treat意外にも一応ハロウィンに関連する遊びはいくつかある。apple bobbingというなんとも奇妙なゲームがそのひとつで、水に浮かべたたくさんのりんごを口でくわえて取り出すゲームで、正気を失った人が考えた金魚すくいみたいなものだと思ってもらうと分かりやすいかもしれない。
 お化け屋敷もハロウィンの時期、あっちこっちに乱立する。ショッピングセンターが臨時に作るものから、カーニバルスタイルのものまで、どこの町にもひとつかふたつは出現して、ハロウィン終了と同時に一夜にして姿を消す。ぼくが住んでいたアパートの近くの路地でも臨時のお化け屋敷を大学生たちがやっていて、これが手作りのくせにやたらと怖かった。相手は子供だというのに、大学生たちの手加減のなさっぷりがすごくて、中盤で登場する内蔵がはみ出したまま、鎌を持って追いかけてくる死体などは、ぼくの人格形成に一役かっていたような気がする。
 今でもよく覚えているのは、ハロウィンの翌日にその路地に行くと、路地は何事もなかったかのように元通りの路地になっていて、隅っこの垣根の下に一枚だけオレンジ色の飾りが巻き付いていたことだった。「あれは夢だったのか?」と思うほどきれいに姿を消したお化け屋敷が、余計に長くぼくの心に余韻を残した。

 楽しかったのは学校や家で、親や先生がみんなで作ってくれた手作りのお化け屋敷だった。トイレットパーパーの搬出用ダンボール(超巨大)をドラッグストアからもらってきて、それをガムテープで貼り合わせて、家の中に小さな立体迷路のようなものを作り、そこを子供たちが一人ずつ順に通るのが主流のやり方だった。ダンボールの入口には黒とオレンジのカーテンがかけられ、中にはところどころにかぼちゃのランタンが置いてあるけど、かなり薄暗い。子供がおそるおそるその中を進んで行くと、ダンボールに切り込みを入れた外側から、狼のグローブをはめたお父さんがふいに手を突っ込んでくる。
 ドバン! ギャーッ! で、ダンボールの中は走り回る足音でちょっとしたパニックとなり、外で待っている子供たちもそれを聞いて連動したように叫び始める。こうなるともう、いやでもハロウィンムード最高潮である。ダンボールの床にはわざとスポンジで作った段差があったり、小さな扇風機が生暖かい風を送り込んできたりと、けっこう凝ったミニお化け屋敷だった。もう少し周りの子供たちが大きくなったら、うちのスタジオでもぜひこれをやってみようと思う。あの時、ぼくに軽いトラウマを食らわしてくれた近所の大学生たちの熱意を見習って、それはもう本気の本気で怖い奴を。

 そんなわけで、その前準備として、今年は小さくハロウィンパーティーをしてみた。実に二十年ぶりのハロウィンだろうか。「絶叫仮面」のチビキャラたちをあしらったお菓子の袋と、1200円で買ってきた電池式のジャック・オ・ランタンだけのささやかなハロウィンだけど、まあ、何事もはじめの一歩から。

ハロウィン

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